モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
図書館で借りた「娘と嫁と孫と私」(藤堂志津子 集英社文庫 2016年4月)を読む。主人公の玉子は65歳。著者は1949年生まれだから著者と主人公はほぼ等身大。職業や家族構成は違っても価値観は一緒とみてよいだろう。舞台は藤堂の生まれた札幌。玉子は長男を交通事故で亡くし、今は長男の嫁里子と孫の春子の3人暮らし。そこに嫁に行った娘の葉絵、家を出て行った夫が絡む家庭劇。うーん暇つぶしにはいいかも。
慶應大学の権丈先生からメール。「厚生労働省の友人から「病中閑話」を借りて読んでいる。奥付を見ると年友企画発行とあるけど、在庫はもうないでしょうね」という内容。「さがしてみます」と返信したが、やはり在庫はなかった。PDFにした記憶はあるのだが。

9月某日
西新橋の「新ばし家」でHCMの大橋社長と元ジャックの豆の木の三輪さんと。この店は青森のお店で店員も青森出身者が多い。大橋さんも青森出身なので贔屓にしている。三輪さんは東京練馬の出身で高校は大泉高校、大学は慶應だが、もともとは岐阜大垣の出だそうだ。大垣は関西出張の帰りに寄ったことがあるが、清流の流れる町の印象だった。三輪さんによると「水都」と呼ばれているらしい。すっかり大橋社長にご馳走になる。
「病中閑話」のPDFを印刷会社キタジマの営業マン、金子君が届けてくれる。権丈先生に送る。

9月某日
林真理子の「みんなの秘密」(講談社文庫 2001年1月 単行本は1997年12月)を読む。第32回吉川英治文学賞受賞作となっている。私はこの一種の不倫小説を読みながら中国の古典「論語」のことを思い浮かべた。論語はきわめてわかりやすく人類の普遍的な徳について孔子の考えを述べている。林真理子のこの小説もきわめてわかりやすく人類に普遍的と思われる不倫について述べている。林真理子は通俗作家ではあるが、その小説は奥が深いと私は思う。奥の深さは林真理子が人間の「業」について深い洞察力を持っているためであろう。夫(妻)がありながら他の男(女)に魅かれていくというのも人間の業としか言えないからである。論語も孔子の深い洞察力でもって人間の徳について述べている。そこに共通点を見出すのである。

9月某日
上野駅から常磐線で帰ろうとしたら健康生きがい財団の大谷さんから携帯に電話。今、東京駅とのこと。上野駅の不忍口で待ち合わせ。アメ横の「番屋余市」へ。

9月某日
高校(室蘭東高)の首都圏同級会を銀座の銀波で。開始5分前に店の前に行くともう皆がそろっていた。私たちの高校は戦後のベビーブーマーに対応して新設され、私たちはその2回生。普通科3クラス、商業科2クラスの小さな高校で同級会も普通科3クラスが合同で行う。確か3年間、毎年クラス替えがあったので皆顔みしりで仲が良い。中沢君や飯田君、京谷君たちと話す。

9月某日
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫 加藤陽子 平成28年7月 単行本は21年7月、朝日出版社)を読む。神奈川県の栄光学園の中高生への講義をまとめたものだ。加藤陽子は1960年生まれ、日本近代史専攻の東大文学部教授。序章の「日本近現代史を考える」から日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争がテーマ。加藤陽子の講義は私がイメージするものとはずいぶん違う。それだけ新鮮だ。例えば日露戦争で日本は戦争に勝ったにもかかわらずロシアから賠償金を得られなかった。戦費を調達するための「非常特別税法」は賠償金を得られなかったために恒久法とされる。戦争前の選挙人口は98万人、税金が高くなった結果、納税者も増えて1908年の選挙では選挙人口は158万人となった。選ばれた政治家もそれまでの地主中心から会社経営者など新興ブルジョアジーに広がった。この辺はふつうの歴史書にはなかなか出てこないと思う。
第一次世界大戦後、戦後の世界秩序をどうするか話し合われたのがパリ講和会議である。アメリカのウイルソン大統領が民族自決の原則を掲げるが、このときウイルソンの念頭にあったのはポーランドやベルギー、ルーマニア、セルビアだったがウイルソンの思惑を超えて、民族自決の原則は多くの被抑圧民族を勇気づけた。日本の植民地だった朝鮮にも、3.1独立運動として発火する。日中戦争は1937年7月、北京郊外の盧溝橋で夜間演習を行っていた日本軍と中国軍との小さな衝突がきっかけとなった。当時の陸軍はじめ国民の多くが口にしたのは「満蒙は我が国の生命線」。今にして思えばずいぶんと自分勝手な言い草である。遅れてきた帝国主義国家ならではの主張である。このころの日本の指導者の言動は北朝鮮の金正恩やアメリカのトランプ、日本の安倍首相の言動に似ていると思うのは思い過ごしだろうか。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「福沢諭吉 その報国心と武士道」(西部 邁 中公文庫 2013年6月)を読む。福沢諭吉は何ものか?こうした問いに答えるのはそうやさしいものではないと思う。「学問のすすめ」や「西洋事情」を著した啓蒙家にして思想家、「時事新報」に拠るジャーナリスト、慶應義塾を創始した教育者といった多面性を有している。西部はそうした福沢をマージナル・マン(境界人)として評価する。福沢を語る西部の文章の真意を理解するのは、私には正直難しかったのだが当時のトップレベルの知識人であった福沢がたんなる西欧文明の紹介者にとどまることなく〝伝統″〝良識″に根差した公智・公徳を大切にした〝保守″の人であったということは理解できた。

9月某日
「生と死-その非凡なる平凡」(西部 邁 新潮社 2015年4月)を読む。このところ西部の本を読む機会が多い。西部の考え方すべてに賛同するというわけではないのだが、彼の身の処し方や友人、知人、家族、世間との接し方には共感するものが多い。本書は主に雑誌「発言者」に掲載されたものだが、より西部の肉声に近いものが聞こえるような気がする。立川談志との交情を綴った「正気と狂気のあいだを渡った人」も良かったが、本書の圧巻はなんといっても亡き妻のことを回想し哀惜する文章だと思う。

9月某日
この夏、我が家の玄関に体調6~7㎝のヤモリが顔を出すようになった。サンダルにへばりついている姿を毎日のように見かける。我が家の玄関をわが住処、サンダルをわが褥と認識しているのだろうか?毎日見ているとそれなりに愛着も出てくるのだが、先日「あれ、今朝は見かけななぁ」と呟いたら、家人が「死んじゃったのよ」と言う。亡骸は庭の片隅に埋めたそうだ。会社を休んだ今朝、図書館に行こうと玄関を出ると体長3㎝くらいの小さなヤモリがいるではないか。きっと死んだヤモリの子供に違いないと思う。

9月某日
中央線沿線で訪問介護や特養、デイサービスなど介護事業を幅広く展開している特定非営利活動法人やわらぎの代表理事で、同じく社会福祉法人にんじんの会の理事長の石川はるえさんとは20年を超える友人。最近は児童虐待防止活動にも熱心に関わっている。やわらぎが創立30周年、にんじんの会が創立20周年を迎え、立川グランドホテルでのパーティに招かれた。JRの立川駅の改札で30周年写真集の制作に携わったフリーのエディターの浜尾さん、ディレクターの横溝君と待ち合わせて会場へ。大谷源一さん、中村秀一さんや吉武民樹さん、竹下隆夫さんら知り合いに挨拶。パーティが終わった後、ホテルの8階のラウンジの2次会にも参加、私と吉武さんはホテルに宿泊。お世話になりました。

9月某日
図書館で借りたミネルバ日本評伝選の「西郷隆盛-人を相手にせず、天を相手にせよ」(家近良樹 ミネルバ書房 2017年8月)を読む。A5判 600ページ近い大著だが面白くて3日ほどで読了。どうも私は歴史において敗者に魅かれる。幕末明治維新期ならば新選組、彰義隊、会津藩、榎本武揚。西郷は戊辰戦争においては勝者だが、最終的には西南戦争で敗者として人生を終える。今まで断片的に西郷の人生を読んできた。江藤淳の「南洲残影」桶谷秀昭の「草花の匂う国家」、小説では司馬遼太郎の「翔ぶが如く」である。家近の西郷隆盛」は、従来の研究も参考にしつつも残されている書簡や日記を丹念に拾って西郷の実像に迫ったのが特徴と言える。西郷と島津久光との角逐は従来から歴史書で明らかにされているが、本書を読むとそれがいかに西郷にストレスを与えていたかが分かる。もう一つ本書で知ったのは大政奉還から王政復古の大号令、倒幕へと向かう政治過程の中で、薩摩の島津久光、土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、伊予の伊達宗城らが直接会ったり、書簡を交わすなどして積極的に国政にかかわっていたことである。西郷が下野する直接的なきっかけとなった征韓論の敗北については、どうも西郷の「死にたがり」の性格にも起因しているような気がする。

9月某日
浅田次郎の「五郎治殿御始末」(新潮文庫 平成21年5月 平成15年に中央公論新社より刊行)を読む。これは明治維新の敗者の物語である。「椿寺まで」は彰義隊の敗残兵となった旧幕臣三浦小兵衛が身分を偽って商人として成功する。小僧を伴って尼寺の庵主を訪ねた小兵衛を待つ間、寺男が小僧に明かす真実は。ひねりがあって、人情があって、浅田次郎の幕末ものは面白い。面白いしこの短編を描くにあたってどれほどの資料をあたったことか、浅田次郎恐るべし。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
御茶ノ水の「山の上ホテル」で社保険ティラーレの佐藤社長と社会保険研究所の清水君と待ち合わせて明治大学の田中秀明先生に「地方から考える社会保障フォーラム」の講師をお願いに行く。先生には財政と社会保障、とくに地方議員に関心を持ってもらいたい地方財政についてお話しいただきたいとお願いした。田中秀明先生は若い時に在籍していた大蔵省から厚生省老人保健部に出向していたことがあるそうで当時の部長は多田さん、岡光さんで若い部員に唐沢剛さんや武田俊彦さんがいたそうだ。御茶ノ水から町田へ、株式会社アイケアの鎌田社長へ「季刊誌へるぱ!」の当社の迫田と取材。介護という一種の準市場で収益を上げていく難しさと楽しさを取材。鎌田さんの前職は飲食業で40代前半。若いことと異業種経験が武器になっている。迫田とは町田で別れ新宿へ。「健康・生きがい財団」の大谷常務に連絡して御徒町で会うことに。御徒町の「仲ちゃん」という焼き鳥屋さんに入る。若い女性やカップルでほぼ満席。確かに焼き鳥はおいしいし、岩手の地酒もうまかった。
浅田次郎の「お腹召しませ」(中公文庫 2008年9月 単行本は同社から2006年2月刊)を読む。全6編の幕末マゲモノの短編集。それぞれの短編の冒頭に幼いころの作者と祖父の暮らしが挿入され、その祖父が明治初年生まれの曽祖父から聞いた話が原型となっていることが示唆される。「本当にあったかもしれない」と思わせる巧みな導入だ。表題作は婿が公金を持ち逃げしたことから、「切腹すれば家名を永らえることができる」と上役、妻女から「お腹召しませ」と迫られる武士の話。武士道は何よりも建前や名分を大切にする。逆に言うと建前や名分が立てばどのような理不尽も許された。切腹を迫られた武士は明治維新によって切腹は中止、佃の渡しの船頭となって明治時代を生きる、という話が曽祖父から祖父が聞いた話として結末で明らかにされる。江戸時代、確かに武士は支配者階級であったろうが、中級下級の武士は庶民、現在のサラリーマンと境遇的には似たもの同士。時代小説が読み継がれる所以でもあろう。

9月某日
「日本の財政-再建の道筋と予算制度」(田中秀明 中公新書 2013年8月)を読む。先日、講演をお願いした田中先生が財務省から明治大学に移った直後の著作で、新書ながら日本の財政について多くのことを学ぶことができた。日本の財政は先進国中に最悪の赤字と言われて久しい。しかし歴史的な低金利と赤字国債がほぼ国内で消化されていることから、ギリシャのようなデフォルトには至っていない。本書は日本の財政悪化の歴史的な経緯をたどりながらアメリカ、イギリス、オーストラリア、ドイツの財政再建の事例も明らかにする。財政の仕組み、国会と内閣の関係は、実は先進各国でも異なっていることが理解できた。日本の財政は「透明性」において先進各国に及ばないことと、国会における決算審議が予算審議に比べはるかに軽視されていること、財務省に対する各省の概算要求の際、その細目まで明らかにすることが求められていることなどが問題であろう。財政再建は予算制度の問題に限らず、極めて政治経済的な権力構造の問題であるのだ。
「音楽運動療法」の研究会に参加。音楽療法が介護予防や認知症のケアにどのような有効性があるか実証しようという研究会だ。元厚労省の宇野裕さんのほか、小金井リハ病院の川内先生、清水坂あじさい荘のサービス提供責任者、黒澤さん、音楽療法懇話会漢字の丸山さん、金井原苑苑長の依田さんが参加。私は「音楽療法」には素人ですが、異なる分野の人の話を聞くのは大変、勉強になります。

9月某日
「ファシスタたらんとした者」(西部邁 中央公論新社 2017年6月)を読む。本書によるとイタリア語のファシスタの原意は「結束者」「団結者」という意味で、西部は「そこ(未来)には混沌しか待ち構えていないと推測・予測・創造される状況では、頼みの綱は敏速なる決断力と果敢なる行動力で他者と結束して前進するしかない」「危機としての生を実践するとはそういうことなのだ」と書いているが、そういう意味で「ファシスタたらんとした」西部の半生が綴られている。道内一の進学校の札幌南高から東大に進学、東大教養学部の委員長、全学連幹部として60年安保を戦い、三つの刑事裁判を抱えるも大方の予想と違っていずれも執行猶予付きの判決を得る。東大大学院に進学の後、横浜国大、東大教養学部に職を得るが、人事を巡る低次元な構想に愛想を尽かせて辞表を提出、その後は文筆業や「知識人」としてのテレビ出演で口を糊しつつ「表現者」「発言者」といった雑誌を発行する。西部の面白さは何ものにも追従しないその独自性とあえて言えば文章の表現に現れる現世、世間に対する悪意のようなものではあるまいか。ところで西部はギルバート・K・チェスタトンの次の言葉を紹介する。「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友、一個の良い思い出、そして一冊の良い書物を得ることにとどまる」。西部は亡くなった奥さんをはじめこの綱領に近いものを手に入れたという。

9月某日
元厚労省の阿曽沼真司さん、健康生きがい財団の大谷源一常務と会社近くの「跳人」で会食。私は次の日が静岡県の函南でゴルフがあるので8時過ぎに店を出て、「こだま」で熱海へ。熱海から函南は在来線で1つ目。函南までは順調に来たがタクシーがなかなか来なくて待つこと30分。ゴルフ場のホテルに泊まる。

9月某日
民介協の理事の皆さんとゴルフ。私は扇田専務、北海道の上田さんと回る。ゴルフは昨年秋にフィリピンのマニラでやって以来。上田さんはショートでバーディ。女性ながらなかなかの腕前。帰りの新幹線は上田さんと扇田専務、佐藤理事長と一緒。千歳空港に車を置いてある上田さんを除いてビールで乾杯。