10月某日
坂野潤治の「明治デモクラシー」(岩波新書 2005年3月)を読む。小説家と読者には間違いなく相性が存在するが、研究者と読者にも間違いなく相性があると思う。最近、私が抜群に相性がいいと思っているのが日本近代史の坂野潤治先生(以下、先生を略)である。この本でも私の通念や思い込みがずいぶんと正されたように思う。北一輝は2.26事件に連座して処刑されたことから、陸軍皇道派の黒幕、右翼ナショナリストと長く思い込んでいたのだが、実際のところ若き北一輝は急進的な民主主義者でむしろ社会主義的な考え方を持っていたことが分かる。天皇機関説を唱えた美濃部達吉にしても明治憲法下における「神聖にして侵すべからず」という天皇を、国会や内閣のコントロールの中に置こうとした、当時としては急進的な民主主義者として描かれる。坂野は東大の国史出身で私の記憶によれば、樺美智子の数年先輩。1960年6月15日に樺が国会デモの中で圧死したときも、東大での学内葬を主導している。共産党除名組だと思う。そんなこともあって機械的な唯物史観にとらわれず史料を駆使した歴史の叙述には好感が持てるのだ。
10月某日
「伊藤元重が警告する日本の未来」(伊藤元重 東洋経済新報社 2017年6月)を読む。伊藤は1951年生まれ、静岡高校から東大経済学部卒、海外留学を経て東大経済学部教授、現在は学習院大学国際社会科学部教授。伊藤の本を読むのは初めてだと思うが、経済学的な知見を踏まえて現実の経済の動きを解釈するという、極めてまっとうな経済学者と思う。AI、ICT、IoTなどの技術革新が世界経済を変えるという主張もその通りと思うし、働き方を一新しなければ経済は変わらないという考えも正しいと思う。問題はそれを誰がやるかだ。社会保障をはじめとした制度改革では政府の役割は大きいが、民間部門の役割が極めて重要だ。企業家、働く人の意識、労働組合の意識、それらが変わっていかなければ日本は取り残されていく。
10月某日
「緑の毒」(桐野夏生 角川書店 平成23年8月)を読む。表紙を開いて扉をめくると、「嫉妬はこわいものでありますな、閣下。そいつは緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にして、苦しめるやつです。『オセロ』シェイクスピア 三神勲=訳」という一文が掲げられておりタイトルの「緑の毒」が「オセロ」にちなんでいるということがわかるし、この小説のテーマは嫉妬なのかなとも思う。開業医の川辺は医学部の後輩と結婚、彼女は新宿の総合病院で勤務医として働き、同僚の救命センターの医師と不倫を重ねている。川辺はアパートに一人暮らしで住む若い女性をターゲットにスタンガンで脅し、麻酔薬を打って暴行を繰り返す。勤務医と開業医、医師と看護師、医療スタッフと事務スタッフなど、医療の世界には微妙なまたあからさまな格差がある。医療の世界だけではない一般社会にだって正社員と派遣社員、パートには格差がある。格差の裏には嫉妬がある。格差や差別、そして嫉妬という感情はそう簡単にはなくなりはしない。しかしそれを放置しておいていいという問題ではない、桐野はこの小説でそういう問題提起を行っているのではないだろうか。
10月某日
「いちばん長い夜に」(乃南アサ 新潮社 2013年1月)を読む。小森谷芭子はホストに貢ぐために昏睡強盗罪を犯す。江口綾香は度重なるドメスティックバイオレンスに耐え兼ね夫を絞殺する。2人は刑務所で出会い、犯した罪も家庭環境も異なりながら友情を育み、出所後も東京の下町、根津界隈で過去を世間に知られないようにひっそりと暮らす。本書はシリーズ3作目で最終作。芭子は綾香の子供の消息を探るために綾香に内緒で仙台を訪れる。綾香の住んでいたところを訪ね図書館で事件の新聞記事を読む。仙台郊外での調査を終えたとき東日本大震災に遭遇する。芭子は仙台からタクシー3台を乗り継いで東京へ帰る。この場面がずいぶんとリアルに表現されている。「あとがき」を読むと乃南は、この小説の取材のために地震当日に編集者とともに仙台にいた。仙台から福島、宇都宮を経て東京に至る逃避行は乃南の実体験に即したものなのだ。綾香はパン職人を目指して根津のパン屋さんで働いているが震災後、自ら焼いたパンをもって被災地を休みの度に訪れる。福島を経由して被災地に通う綾香に対して、職場の同僚は放射能を持って帰ってきていると非難する。綾香は敢然と反論し、パン屋を辞める。乃南は犯罪者や前科持ちの心理を描くのが巧み。それに加え、本作では原発被害の受け止め方にも鋭く迫っている。
10月某日
京大理事の阿曽沼真司さんから東京出張というメールをもらったので、東京駅近くのOAZOの「ねのひ」でご馳走になる。健生財団の大谷さんが同席。「ねのひ」は愛知県の盛田酒造の直営店。肴もうまい。私は生ビールの後、「ねのひ」の本醸造をいただく。阿曽沼さんは来年4月から東京で開校予定の社会人向けの講座についての構想を語る。当方は呑みに専念。
総選挙の結果が出る。自公で衆議院の三分の二を確保、連立政権の圧勝である。小池都知事が代表を務める希望の党は惨敗。小池代表と民進党を解党して希望の党との合流を目論んだ民進党、前原代表の政治責任は免れないだろう。私個人としては安倍政権に対しては批判的な姿勢は変わらない。ただ安定多数をとったのだから社会保障改革をはじめ制度改革は大胆に進めてもらいたいと思う。国民にとって身を切る改革をできるのは、政権が安定している今しかないと思う。