9月某日
「シリーズ実像に迫る⑪ 島津斉彬」(戎光祥出版 松尾千歳 1017年7月)を読む。幕末の薩摩藩主で西郷隆盛を登用、英明な君主として知られるが、明治維新を見ることなく11858(安政5)年に死去、50歳だった。著者の松尾は尚古集成館館長。尚古集成館は鹿児島にある博物館で、島津家関する史料や薩摩切子、薩摩焼などが展示されている。もともと集成館とは斉彬が作った洋式の反射炉やガラス工場などの工場群のこと。薩摩藩というと英治を殺傷した生麦事件やそれを発端にした薩英戦争から攘夷のイメージが強い。しかし本書によると琉球を統治していたこともあって南西に開かれた海洋国家だったそうだ。今、鹿児島は過疎の県になってしまった印象があるけれど。
9月某日
会社休む。今が顧問の肩書なので毎日行くことはない。今日は家人がもらった「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」を有楽町昴座に見に行くことにする。家人が知り合いからクリスチャン限定特別鑑賞券をもらったということから分かるように、これは現代アメリカを舞台にした宗教映画である。妻と子供3人と幸福に暮らすマック。ある日子どもたちとキャンプに行くが末娘を誘拐されてしまう。数時間後、山小屋で血塗られた末娘のドレスが発見される。深い悲しみに沈むマックに「週末にあの小屋に来ないか パパ」という招待状が。山小屋から青年に綺麗な建物に案内されたマックは、黒人の中年女性とアジア系の若い女性に会う。黒人女性がパパ=神=造物主で、案内した青年がキリスト、アジア系の女性が精霊という設定だ。神・キリスト・精霊の三位一体に基づいているのだろう。神が実在するのならこの世からなぜ悲惨はなくならないか、という古典的な問いに答えようとしたと思われる。マックは末娘を殺害した犯人を赦すことができるのだろうか?結末としてはマックに平安が訪れることになるのだが。