モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
立川談四楼の「シャレのちくもり」が面白かったので、図書館で同じ立川談四楼の「一回こっきり」(新潮社 2009年9月)を借りて読む。四章仕立てと中編小説で、一章は「弟」で、談四楼の少年時代と思しき正昭が小学校4年生のとき、弟を破傷風で亡くしてしまう。二章の「一年生」は正昭が落語家となり落語界の草野球チームに参加したりしつつ、落語界に何とか確固とした地歩を築こうと苦労する。三章の「出た長男」は最愛の母を66歳で失う話。故郷を「出た長男」が喪主のあいさつをすべきか悩む。四章の「独立」は親友の映画配給会社に勤める男の実父の通夜に参列、親友から独立話を聞かされる。第五章の「一回こっくり」は幼子を亡くした大工夫妻が子供の亡霊によって生きていく力をもらう、という創作古典人情噺。うーん、やっぱり面白いんだよね。談四楼は1951年生まれだから今年66歳、すでにベテランである。でもツイッターで敢然と安倍首相を批判し立憲民主党の支持を公言している。リベラル噺家なのである。
今日は日曜日なので文庫本をもう一冊読む。「しかたのない水」(井上荒野 新潮文庫 平成20年3月)。ある街のフィットネスクラブ。そこには主婦や失業者や遊び人、老いた母親とその娘などが通ってくる。クラブに通う人や受付嬢を主人公とした連作短編小説である。井上荒野の小説は決して「居心地のいい」小説ではない。何か日常生活の些細な違和感を拡大鏡で確認するようなところが私には感じられる。井上荒野は井上光晴の娘である。作風は全然違うのだが、日常に対する「悪意」「不信」「不安」という漠然としたテーマは共通しているように私は感じる。そこがいいのだけれど。
晩御飯を食べて風呂に入ったらすることもないので図書館から借りた「いつか陽の当たる場所で」(乃南アサ 新潮文庫 平成22年2月 単行本は平静19年8月)を読む。主人公の小森谷芭子は29歳、女子大生のときホストに貢ぐために、伝言ダイヤルで相手を見つけては、ホテルに連れ込んで薬を飲ませて眠らせるという手口で、金を盗む。懲役刑を務めた後、夫殺しで同房だった41歳の江口綾香と谷中で働き始める。犯罪小説やヤクザを主人公にした小説を除いて前科者を主人公とした小説は珍しい。この小説はドラマの主人公がたまたま前科者だったのだ。小森谷の実家は金持ちである。だが罪を犯した小森谷には冷たい。冷たいけれども金持ちだから3000万円の預金通帳と谷中の祖母が住んでいた家の権利を芭子に与えるという。実家との絶縁を条件に。うーん、談四楼の小説の実家の温かさとは雲泥の差である。もちろん談四楼は犯罪を犯したわけでもなく、むしろ芸能人として故郷に錦を飾ったわけだが。

10月某日
図書館で借りた「敗者の想像力」(加藤典洋 集英社新書 2017年5月)を読む。加藤典洋は何度か読んだが、私からすると小難しい理屈が多いような気がしてちょっと苦手意識があった。でも今回はかなり面白く読めたし納得するところも多かった。本書の意図は作者と作品を論じることによって日本の戦後の位相を明らかにすることにあると思う。そうした意味でも第七章と「終わりに」で大江健三郎、とくに大江健三郎が訴えられた沖縄戦時の集団自決を巡る訴訟事件の顛末が私の興味をそそった。集団自決とは1945年、沖縄戦のはじめ、慶良間列島で700人におよぶ非戦闘員の島民が集団自決をとげたことを指す。集団自決については大江の沖縄ノート(1970年)はじめ家永三郎や新崎盛暉らの著作で明らかにされている。日本社会の右傾化と軌を一にするかのように2006年、右派団体からの働きかけのもと、旧守備隊隊長と遺族が大江と版元の岩波書店を名誉棄損で訴える。最終的にはこの訴えは最高裁で退けられる。私はこの裁判にほとんど無関心であったので、加藤展洋の意図とは違うかもしれないが、訴訟の事実自体に驚かさられる。軍の強制による集団自決という「あったこと」を本人の自発的な意志として「なかったこと」とする。私の考えは次のようなものだ。
そもそも沖縄が戦場にならなければ、集団自決などありえなかった。そして当時の沖縄軍が軍官民共生共死という考え方をとらなければ、軍は住民を巻き込むことなく米軍と戦ったはずである。実際は軍が住民を盾に使った例もある。軍から具体的に自決するようにという命令があったかなかったかはそれほど大きな問題ではない。米軍上陸前に軍から住民に自決用の手榴弾が与えられていたことこそが、軍が「いざというときは死を選べ」と命じていたことを明らかにしている。したがって現場の司令官に第一義的な責任があったにせよ、最終的な責任は当時の政府、大本営にあったとみるべきと思う。そして戦後70年を経過した今も、沖縄に日本の米軍基地の大部分が存在しているという現実、これについては明らかに私たちが責任を負うべき事柄と思う。

10月某日
今から30年ほど前、私は年友企画で年金住宅融資を担当していた。年金住宅融資は当時累増していた年金積立金を原資に、被保険者に住宅融資として還元融資するというものだ。人口も増加し経済も高成長、勤労者の住宅需要は旺盛で年金住宅融資も住宅金融公庫の融資と並んで有力な公的資金であった。この年金住宅融資をはじめ年金福祉事業団を管轄していたのが当時の年金局資金課。江利川毅さんが資金課長に就任した時、同年齢だったこともあって親しくなった。江利川さんの次の課長が江利川さんの同期の川辺新さんで引き続き仲良くさせてもらった。何年か前から江利川さんと川辺さんを囲む呑み会を不定期でやっている。メンバーは当時課長補佐だった足利さんや岩野さん、年住協の企画部長だった竹下さんを加えて7、8人。今回は足利さんが都合で出席できなかったがセルフケアネットワークの高本代表理事が参加してくれた。開始は6時からだが5時半には会場の「ビアレストランかまくら橋」に行く。しばらくすると川辺さん、竹下さんが顔を出す。6時半には全員がそろう。どうということもないことを話すのだが「仲間トーク」が…