11月某日
北海道室蘭市の老健施設に入所している母親に会いに兄と室蘭へ。母は弟夫婦と同居していたが軽い認知症を発症し、日常生活が困難になったために入所することになった。弟に連れられて母を訪ねると一瞬、だれかわからなかったようだが、すぐに思い出してくれた。思えば3人兄弟の中でも私は、一番の親不孝だ。さして経済的に豊かでもないのに東京の私立大学に進学させてもらい、挙句に私は学生運動にのめりこんで逮捕起訴された。でも母も父もそんな私を叱責することもなかった。もちろんほめられはしなかったが。高倉健の歌う「唐獅子牡丹」の歌詞に「つもり重ねた不孝の数を、なんと詫びようかおふくろに。背中で泣いてる唐獅子牡丹」というのがある。若いころよく歌いました。
11月某日
弟の家に2泊させてもらう。老健施設で母と面会。昔の記憶は完璧だが最近の記憶は覚束ない。施設の職員に説明を受ける。要介護2の認定なので特養には入所できない。有料老人ホームへの入所などの選択肢がある。職員はとても親身になって説明してくれる。施設の秋祭りで母がピアノ演奏した写真を手渡される。満面の笑みの母だ。千歳空港で幼馴染のみずえちゃんと奈良君に会うと母に伝えると、母は「あんた、みずえちゃんのこと好きだったものね」。そういうことは覚えているのである。空港のレストランでみずえちゃんと奈良君と食事。奈良君は労働組合で役員をしているときに対馬財団の理事長のお父さんの選挙運動を手伝ったのが縁で対馬財団に入社したという。理事長のお父さんとは炭労(石炭産業の労働組合)出身の参議院議員で後に参議院副議長も務めたという。「もう辞めたいのだけれどなかなか辞めさせてくれなくて」と奈良君。理事長の信頼が厚いのだろう。みずえちゃんと奈良君から「来年の10月、中学の同級会があるからまた来なよ」といわれる。母の見舞いがてら来ようかな。
11月某日
図書館で借りた「日本近代史」(坂野潤治 ちくま新書 2012年3月)を読む。本書は日本の近代を1857(安政4)年から1937(昭和12)年までの80年間の歴史を6つの段階に区分して通観している。改革期(1857-1863)、革命期(1863-1871)、建設期(1871-1860)、運用(1880-1893)、再編(1880-1893)、危機(1925-1937)の6つである。幕末、国論は「尊王攘夷」と「佐幕開国」に二分された。尊王攘夷派は武力倒幕、佐幕開国派は公武合体の勢力とも重なる。尊王攘夷派は薩摩と長州の対外戦争(薩英戦争と下関戦争)を経て、尊王開国、尊王倒幕へとイデオロギーを転換させる。中心的な役割を果たしたのが西郷隆盛であった。というようなことが第1章「改革」、第2章「革命」に書かれている。著者はその時代を生きた有名人、無名人の書簡や日記、さらに地租や米価をはじめとする税や物価の推移を丹念にたどり、歴史が変化していく要因を探ろうとする。我孫子市民図書館が蔵書する坂野の著作はすべて読みたいと思う。平民宰相として名高い原敬も著者からすると大正デモクラシーに抵抗する守旧派として描かれる。目から鱗の歴史観なのである。
11月某日
私の年友企画での最後の仕事となる中村秀一さんの著作「ドキュメント社会保障」の試刷りが届く。中村さんの主催する「虎ノ門フォーラム」で予約販売する。受付にコーナーを作ってもらって、編集を担当した当社の酒井と販売する。といっても私はもっぱら知った顔に声をかけるだけ。元厚労省の高井さん、角田さん、亀井美登利さん、足利さん、フリーライターの長岡美代さんらについでに退任のあいさつをする。本の帯を執筆してもらった慶應大学の権丈先生も来ていたので、「打ち上げ」の日程をすり合わせ。
その前に虎ノ門の中村さんの事務所で打ち合わせ。「虎ノ門フォーラム」開始までに時間があったので社会保険福祉協会の稲村常務と年金住宅福祉協会の和田理事に退任のあいさつ。2人とも「退任してもときどき顔を出してくださいよ」と声をかけてくれる。HCMまで足を延ばして大橋社長と川島さんにあいさつ、会場に向かう。フォーラム終了後、当社の酒井と健生財団の大谷常務と会場のプレスセンタービル地下1階の焼き鳥屋「おか田」で軽く呑む。3人とも千代田線で帰る。大谷さんは西日暮里で京浜東北線に酒井は町屋で京成線に乗り換え。私は終点の我孫子まで一本。