モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
新宿の「ジャックの豆の木」の常連だった橋本さんと神田駅の西口で待ち合わせ。近くの「天狗」という居酒屋へ入る。チェーン店の天狗とは「別です」と店員。橋本さんは元渋谷区の職員。今は沖縄で基地反対闘争にかかわっている。渋谷区の職員のころは職員組合の活動家だったし、若いころは三里塚に常駐していたことも今回初めて知った。戦いの現場が似合う人なのである。新宿のホテルに泊まっている橋本さんとは神田で別れ、私は根津の「ふらここ」へ。

1月某日
図書館で借りた「飼う人」(柳美里 文藝春秋 2017年12月)を読む。柳美里は1968年神奈川県生まれ。「家族シネマ」で芥川賞を受賞。私は日本統治下の韓国のマラソン選手と従軍慰安婦にさせられた娘との恋愛を描いた「8月の果て」や原発事故で非難を余儀なくされ家族も崩壊した農夫を描いた「JR上野公園口」などが記憶に残っている。本作はペットとして小動物を「飼う人」がテーマ。「イエアマガエル」は避難地域の近郊に引っ越してきた少年と柳美里と思しきその母、そして母子に飼われるイエアマガエルの物語。小動物との関係を通して家族関係や人間関係の本質、支配と被支配について考えさせる作品だ。

1月某日
「革命的福祉革命論」(栗原徹 文芸社 2012年3月)を図書館で借りて読む。著者は1959年岡山大学法文学部卒業、日本信販(現三菱UFJニコス)入社、常務、専務を経てコンサルタント会社を設立、1999年社会福祉法人エスポワールわが家の設立に就任、デイサービス、グループホームの経営に従事という経歴。つまり営利企業の経営者の感覚で社会福祉法人の経営を見直したらというのが主要なテーマ。しかも著者は日本福祉大学や社会事業大学の通信課程で福祉経営論も学んでいる。グループホームやデイサービスの2種福祉事業は営利企業の参入が認められ、社会福祉法人といえども厳しい市場競争にさらされている。ケアの質を上げながらどうやってコストダウンを図り、市場競争に打ち勝っていくかという一貫した問題意識に支えられている。著者の経営する社会福祉法人は我孫子市新木にある。機会があれば見学したい。

1月某日
「ビギナーズ地域福祉」(牧里毎治・杉岡直人・森本佳樹編著 有斐閣 2013年8月)を図書館で借りて読む。編著者の森本先生は立教大学コミュニティ福祉学部教授で、同学部客員教授の石川はるえ(社福)にんじんの会理事長の同僚だったが、昨年亡くなっている。石川さんから何度か先生の人柄などを聞いたことはあるのだが、実際に会って話したことはなかった。私も今年70歳になるので余命は長くて20年。いろんな人と会えるとき、話せるときに会ったり話したりしないとね。森本教授は第7章「地域福祉実践とは何か」、第8章「地域福祉の基盤整備と情報化」、第9章「地域福祉計画と地域包括ケア」を執筆している。「地域福祉」について、従来の社会福祉の概念には位置付けられないが地域住民にとって有益なものを提供する、地域住民にとっての困りごとを解決することと整理している。著者によると「社会福祉」は狭義の福祉(つまり、制度化されている部分)で、地域福祉は広義の福祉(制度化されていないものも含む)とされる。高齢化と労働力人口の減少が進む中で、ますます地域福祉が重要になってくると思われる。

1月某日
図書館で借りた「人物ノンフィクションⅠ 1960年代の肖像」(後藤正治 岩波現代文庫 2009年4月)を読む。後藤は1946年生まれ、京大農学部卒のノンフィクション作家。私は「清冽 詩人茨木のり子の肖像」を読んだ記憶がある。本書には吉本隆明のことを書いた「海を流れる河」が掲載されているので読むことにした。吉本の評伝ではなく埋もれていたエピソードを発掘して積み重ねたドキュメントである。後藤の著す吉本のエピソードはその飾らぬ人柄を示してどれも興味深かったが、勁草書房版の吉本隆明全著作集を個人編集した川上春雄について触れているところが私の目を惹いた。川上は会津若松の市役所に勤務しながら吉本の全著作だけでなく初期の草稿の類まで蒐集している。思想家でもなく研究者でもなくである。そういう人ってすごいと思う。本書では他に藤圭子、ファイティング原田、ビートルズ&ボビー・チャールトン、シンザンを巡る人々が掲載されているが、どれも読み応えがあった。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
正月だが初詣もせず初日の出を見に行くでもなく普段と同じ休日。テレビのザッピングと読書。テレビに関してはBSが地上波とは一味違う番組を放映していると感じた。大みそかに見たBSNHKの黒澤明特集の「七人の侍」はさすがであった。侍のリーダー、志村僑が「本当に勝ったのは百姓よ」と語っていたのが印象的だった。映画が製作された1950年代は民衆史観が素直に信じられていたのだろうか?
図書館で借りた「いまも、君を想う」(川本三郎 新潮社 2010年5月)を読む。川本は東大法学部卒業後、朝日新聞社に入社。朝日ジャーナルの記者のとき全共闘運動の取材の過程で致命的なミス犯し、朝日新聞社を解雇される。のちに妻となる恵子との婚約解消を申し出るが彼女は「私は朝日新聞社と結婚するのではありません」と揺るがなかった。7歳下の恵子が癌で逝ってしまう。30余年の結婚生活、足掛け3年となる闘病生活を切々と振り返る。「なぜもっと早く異常に気づかなかったのか」と何度も悔やむ。私も自分の奥さんより長生きしたいとは思わない。私の奥さんは酒もたしなまず、ほとんど病気らしい病気をしたことがないので多分、大丈夫とは思うのだが。
鷺沢萠の「大統領のクリスマスツリー」(講談社 1994年3月)を読む。ワシントン留学中に知り合った治貴と香子は、クリスマスのデートでホワイトハウス近くの大統領のクリスマスツリーを見に来る。やがて治貴と香子は結婚。治貴はアメリカで司法試験に合格し弁護士となる。ストーリーの大半はアメリカで成功し家も手に入れ、子供にも恵まれた夫婦の物語である。しかし夫婦の破綻を予感されるシーンで小説は終わる。鷺沢萠だからハッピーエンドで終わるはずはないと思っていたが、それにしても見事な展開と私には思える。鷺沢萠は1968年生まれ。2004年4月に自死。理由は明らかにされていない。

1月某日
思い立って初詣に行くことにする。まず家から歩いて10分ほどの香取神社へ。巫女(の扮装をした若い娘)が舞を奉納している。案内板に8代将軍の吉宗のころ創建されたとある。所有地の一部を市に売却、それが市立の緑保育園の敷地となり、売却益を活用して社殿を建て替えたとも書いてある。我孫子市に半世紀近く住んでいるが初めて知った。香取神社の次は公園坂通りの八坂神社に向かう。八坂神社も300年ほど前の創建。我孫子駅から各駅停車に乗って北柏へ。北柏駅から歩いて5分ほどの北星神社へ。北星神社は中世にこのあたり一帯を支配していた相馬氏ゆかりの神社らしい。八坂神社も北星神社もコンクリート造の立派な社殿だが、八坂神社の社殿は質素な佇まい。だが、八坂神社の夏祭りは何台も山車が出てとても盛んだ。北星神社から20分ほど歩いて我孫子ショッピングセンターへ。1階のベーカリーのコーヒーショップでカフェオレを頂く。4時になったので我孫子駅南口の「しちりん」へ。樽酒を振舞われる。

1月某日
図書館で借りた江國香織の「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」(集英社文庫 2005年2月)を読む。解説で山田詠美は「泳ぐのに、安全でも適切でもない所に、あえて飛び込んだらどうなるか。そのことについて考えてみる」と問題を提起する。山田は、もがき、苦しみ、溺れ、自分が生きているのか死んでいるのか解らなくなるが、解っているのは「いずれにせよ、自分が、ようやく水を獲得したということだ」とし、この短編集は「そのような水を獲得した人々の物語であると思う」と述べる。いくつかの愛の形を切り取った短編集。切り取った残りのストーリーを想像させる余韻に満ちた短編集である。

1月某日
机を置かせてもらっているHCM社の仕事始め。缶ビール、日本酒(越乃寒梅)、高そうなワインをいただく。ワイン通の三浦部長によると製造年からして旨いワインだそうだ。大橋社長に新橋駅烏森口のスナックに連れて行ってもらう。

1月某日
年友企画の仕事始めにお呼ばれ。ビール、日本酒、仕出しのオードブルを頂く。我孫子に帰って「愛花」に寄る。常連のソノちゃんが来ていた。ソノちゃんから新潟の日本酒、今代司とオカキを頂く。