モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
「佐藤栄作-最長不倒政権への道」(服部龍二 朝日選書 2017年12月)を図書館で借りて読む。佐藤栄作は昭和39(1964)年の1月の自民党総裁選挙に出馬するも3選を目指す池田勇人に敗れる。が、池田が病に倒れ同年11月後継首班に指名され、佐藤政権は昭和47(1972)年7月まで7年8か月も続く。その佐藤の評伝である。多分私の高校3年間、浪人の1年、大学の4年間はすべて佐藤政権と重なる。浪人中ではあったけれど私が政治運動に目覚めたのが、67年の10月8日の佐藤のベトナム訪問阻止の羽田闘争で京大生の山崎博昭が死んだときだったし、69年の9月3日に早大第2学館屋上で逮捕、起訴されたのも佐藤政権の大学立法に反対というのが大義名分であった。当時、佐藤栄作は学生運動をはじめとした反体制勢力にとって「不倶戴天」の敵だった。佐藤としてはまぁ党内の派閥抗争や社共などの野党勢力が主敵で、学生運動はそれほど眼中にあったわけではないだろうけれど。
 昨年、佐倉市の国立歴史博物館で「1968」と題して東大、日大闘争や三里塚闘争、水俣、べ平連などの市民運動を特集した展示会が開かれていたが、そのとき全共闘運動も「歴史」になったのだと感慨深いものがあった。その意味では佐藤栄作も立派に「歴史上の人物」なのである。佐藤栄作の業績と言えばなんといっても「沖縄返還」であろう。京都産業大学の教授で佐藤のキッシンジャーへの密使を務めた若泉敬の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文藝春秋 1997)にその交渉過程は詳しいが、同書の記述は本書では必ずしも真実ではないとしている。佐藤栄作は岸信介の実弟だが二人とも戦前からの官僚で、岸は商工省から満州国の官僚、戦後は戦犯容疑で巣鴨に収監されている。佐藤は鉄道省の官僚で終戦を大阪鉄道局長で迎え追放を免れる。戦後、運輸事務次官を経て政界入りし池田勇人とともに「吉田学校の優等生」と言われる。戦前と戦後の間には大きな隔たりがあるというのも事実であるが、とくに保守政党のイデオロギー的な系譜や人脈的な系譜を見るとある種の連続性も感じる。そんなことも考えさせられた本であった。

2月某日
「黙殺-報じられない〝無頼系独立候補″たちの戦い」(畠山理仁 集英社 2017年11月)を図書館で借りて読む。無頼系独立候補というのは国政選挙、地方選挙に立候補するいわゆる泡沫候補のこと。著者の畠山の密着取材によってその知られざる選挙が明らかにされる。私はこの本を読んで日本の民主主義の「危うさ」を感じた。例えば供託金。日本の選挙では立候補するには供託金が必要で、この供託金は当選するか有効投票数の一定割合の得票数を得なければ没収される。供託金の額は衆議院、参議院の選挙区、都道府県知事選は300万円、国政の比例では600万円である。今まで当たり前と感じていた供託金だが著者の調べによると、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなど供託金制度そのものがない国が大半で、制度がある国でもイギリスが7万5000円、カナダが9万円、高いといわれる韓国でも150万円程度である。日本で供託金制度ができたのは1925年、普通選挙法の制定により「直接税3円以上の納税者である満25歳以上の男子」に制限されていた選挙権が「すべての満25歳以上の男子」に拡大されたときだ。当時の供託金は2000円で公務員の年棒の約2倍にあたる高額だったという。普通選挙による選挙権の拡大に対して高額な供託金により事実上、立候補を制限したといえないか。ルポライターの畠山は志の高い無頼系独立候補への密着取材を通して日本の民主主義のありように鋭く迫る。感心しました。

2月某日
女優の藤真利子が書いた「ママを殺した」(幻冬舎 2017年11月)を図書館で借りて読む。藤真利子は作家の藤原審爾の娘、「ママ」とは藤原審爾の妻である。本の前半は藤が聖心女子大学に入学するまで、藤原審爾が外に愛人をつくり家庭を顧みなかったこと、その分、母と娘の絆が深まったことなどが描かれる。正直言って私には前半はつまらなかった。親の夫婦関係はうまくいっていなかったかもしれないが、本人は有名女子大学に進学し女優デビューまで果たしたのだから、まぁ半分、自慢話である。しかし後半ががぜん面白くなる。ママが脳梗塞で倒れ要介護5と判定される。入退院を繰り返しながら基本は在宅で支える日々が描かれる。介護保険の存在がどれほど家族の支えとなっているかがわかると同時に、制度だけでは支えきれない「家族の絆」「親子の絆」についても考えさせられた。