モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
HCM社の大橋社長と新橋の亀松へ。入り口に提灯が下がった居酒屋らしい居酒屋。瓶ビールを頼んで後はホッピー。赤ナマコがあったので頼む。薄切りの赤ナマコをモミジおろしでいただく。最近、ナマコを置いている店が少ないので味わって食べる。元気のいいウェイトレスに大橋社長が「あんた日本人?」と聞くと「日本人です」という答え。生まれはと聞くと「横浜」。大橋社長が「俺は青森」と答えると「この辺に青森料理の店がありますよ」「ウン知ってる、知ってる」と盛り上がる。新橋はやはり居酒屋がいい。

3月某日
東京駅丸の内口の京大の東京オフィスに大谷源一さんを訪問、3月23日に予定している「花見」の打ち合わせ。ほんの20分前まで京大の理事をやっている「阿曽沼さんがいたんだよ」。地下鉄丸ノ内線で南阿佐ヶ谷の「ケアセンターやわらぎ」の南阿佐ヶ谷事業所へ。引き続き「花見」の打ち合わせ。立教大学大学院の卒業生「トナミさん」を紹介される。トナミさんはカーエアコンの設計に長く携わっていたエンジニア。石川さんの福祉の仕事のお手伝いを希望しているという。阿佐ヶ谷のパール商店街の角打ちで日本酒をご馳走になる。阿佐ヶ谷から西荻窪の兄の家へ向かう。昨年亡くなった母の遺産分割の手続きで、何枚かの書類に署名捺印をする。兄嫁の弘子さんの手料理をご馳走になりながらビールと日本酒を頂く。安倍政権やトランプ政権への批判で盛り上がる。11時半ころ我孫子に着く。駅前の「愛花」に寄る。看護大学の助教をやっている「カヨちゃん」と2時過ぎまで呑む。

3月某日
「帝国と立憲-日中戦争はなぜ防げなかったのか」(坂野潤治 筑摩書房 2017年7月)を図書館で借りて読む。坂野は近代日本が対外進出に着手したのは1874(明治7)年の「台湾出兵」からであるとする。翌年の明治天皇による「立憲政体樹立の詔勅」は近代日本の立憲制の導入に向けた具体的な第一歩だったとする。前者を「帝国」化、後者を「立憲」化として、1937(昭和12)年の日中全面戦争が始まるまでの62年間余りの間、「帝国」化も「立憲」化も拡大の一途をたどるが、1937年以降、「立憲派」は陸軍とそれを支持する「帝国派」に屈服し、1941(昭和16)年の対米戦争から1945(昭和20)年の敗北に至る。坂野が今、なぜこの本を執筆しようと考えたかは終章の「『立憲』なき『帝国』の暴走」に述べられている。近年、民間の保守派の間で尖閣列島を脅かす中国に備えよという出張が唱えられ始めている。坂野は「1874年の台湾出兵以来60年余りにわたる日中対立の歴史は、決して昔話ではなくなってきている」とする。そして安倍内閣の安全保障政策は、「日中間での領土問題にアメリカを巻き込もうとするもの」で「現行憲法と日米安保条約だけで尖閣諸島は自衛権で守れるし、アメリカも守ってくれる」とする。しかし日中有事の時に「アメリカが本気で日本を守ってくれるのか」、日本政府は「現行憲法が自衛隊を認めていることだけを頼りに自衛隊に出動を命じられるか」。こうした疑問を背景として「安倍内閣は日米同盟の強化と憲法改正を唱えている」というのが坂野の主張である。「なるほど」とうなずかざるを得ないではないか。

3月某日
新丸ビルの京都大学産官学連携本部の大谷源一さんを訪問。新丸ビルの10階で向かいが東京駅。辰野金吾設計の東京駅駅舎を見下ろす絶好のロケーションだ。大谷さんが仕事を終えるまで景観を楽しませてもらった。新丸ビルから神田まで歩き途中、八千代銀行に寄る。17時少し前だったのでお目当ての店は準備中。駅前の飲み屋街で「全品均一270円鳥酒場」という看板が目に入ったのでそこにする。これが大正解でお刺身、ポテトフライなど非常においしかった。お勘定は一人2000円。店の名前は「とり焼きんぐ」、なかなかいい居酒屋であった。家に帰って「鶴瓶の家族に乾杯」を見る。ゲストは伊達公子、訪ねたのは震災7年の宮城県利府町だった。

3月某日
先崎彰容(あきなか)の「違和感の正体」(新潮新書 2016年5月)を読む。「未完の西郷隆盛」が面白かったので図書館で検索して借りる。今どきの「正義」に対する違和感について考察する。先崎は東日本大震災時、いわき市で被災し避難生活を送る。震災から考えたことが文章の端々に顔を出す。思想的に誠実な人と思う。