モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
東急住生活研究所の元所長で住宅金融支援機構の理事もやった望月久美子さんが、私が現在机を置かせてもらっているHCM社を訪ねてくれる。近くで会議のあったついでに寄ってくれた。望月さんとは住文化研究協議会以来の付き合いだから20年以上の付き合いだ。望月さんが帰った後、ネオユニットの土方さんとHCM社の大橋社長、三浦部長と打ち合わせ。4人で新橋の「亀清」へ。

3月某日
新丸ビルの京都大学東京事務所に大谷さんを訪問。花見の打ち合わせ。次いで有楽町の交通会館で「ふるさと回帰支援センター」の高橋理事長、神田橋の「高齢者住宅財団」の落合部長を訪問、いずれも花見の打ち合わせ。神田駅から帰る。我孫子駅前の「しちりん」に寄る。勘定を済ませて帰るお客から「森田さん、お先に」とあいさつされる。「愛花」の常連さんだ。ということで「愛花」にも顔を出す。

3月某日
年友企画でパソコン環境をアドバイスしてくれていた李さんがHCM社を訪ねてくれた。HCM社で使っているパソコンは年友企画で使っていたものを無償でもらったものだが、アドレスは年友企画のまま。それで「替えたいんだけど」というと「前にちゃんと教えたでしょ!」と怒られる。メールを検索すると確かに確認すべきことがメールで送られていた。新橋駅前のいろり焼の店へ行く。店の名前は忘れたが魚がおいしかった。李さんは在日韓国人だが日本に帰化していて日本名は大山、でも韓国系にこだわりがあるらしく通称はもっぱら李。もともとは亡くなった大前さんの友人で、私とも30年近い付き合いだ。新橋から上野-東京ラインで我孫子へ。座れなかったがそんなに若くもない婦人に席を譲られる。老人が老人に席を譲るのもいいけれど、若人が我が物顔にシルバーシートに座ってスマホをいじっているのを見ると情けないね。

3月某日
年友企画で迫田さんと打ち合わせ。今日は神田の「葡萄舎」でフリーライターの岡田憲治さんたちと呑み会。呑み会まで時間があるので同じフリーライターの香川喜久恵さんを誘って東京国立博物館の特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の秘宝」を見に行く。上野駅公園口で香川さんと待ち合わせ。博物館の入り口で障害者手帳を提示すると私は無料、香川さんも付添いということで無料。仁和寺は西暦888年、宇多天皇により創建される。真言宗御室派の総本山で特別展では仁和寺を中心に御室派の寺院の寺宝が公開されていた。葡萄舎に着くと松下さんが来る。松下さんは住宅産業新聞社で記者をやった後、国立の谷保で呑み屋をやっていたがこの1月で辞めたという。フリーライターの福田さんや寺島みどりさん、元日刊木材の記者、小林さん、元ミサワホームの小山さん、元住宅展示場運営会社の伊藤さんらが来る。要するに住宅に関係したジャーナリストを中心とした呑み会だったわけ。一番若いのが寺島さんでそれでも「50歳は過ぎました」。それ以外は皆、65歳以上。その割にはよく呑んだ。

3月某日
図書館で借りた「日本人ための第一次世界大戦史-世界はなぜ戦争に突入したのか」(板谷敏彦 毎日新聞出版 2017年10月)を読む。第一次世界大戦ってヨーロッパ中心に戦われた戦争だし、日本にとってはドイツ領だった山東半島の青島要塞攻撃や英国の要請によって地中海に軍艦を派遣したことくらいしか思いつかない。事実、本書の「はしがき」によると第一次世界大戦の日本人の戦死者は415人で、第一次世界大戦の軍人・軍属の戦死者、約230万人のおおよそ5千分の1でしかない。しかし第一次世界大戦は人類が初めて経験した地球規模の戦争(主戦場がヨーロッパではあったが)であり、鉄鋼業や軍需産業、食糧生産を含めた生産力の戦いであり、交通や通信網の整備が勝敗の結果を左右することもあるイノベーションの戦いでもあった。板谷は個々の戦闘だけでなく、各国の生産力や技術力含めた総合的な経済力を分析、第一次世界大戦の全貌とそれが日本にどのように影響を与えたかを詳述する。株価、為替レート、各種の統計を踏まえた論述も説得力があるが、エピソードの積み重ねが読んでいて飽きさせない。著者の板谷は関西大学経済学部卒業後、石川島播磨重工業を経て日興証券へ。ウオール街勤務が長かったというから、経済や社会を観る目が養われたのかもしれない。

3月某日
日曜日だけれど「音楽運動療法研究会」で新宿へ。会場に行くとメンバーの宇野裕さん、医師の川内先生、音楽療法士の丸山さん、特養ホームの施設長をやっている依田さんと黒沢さんがすでに来ていた。3月末で中間報告を出さなければならないので、今回はその内容の検討。この研究会に宇野さんから誘われたときは「音楽療法?」とその効果に懐疑的であったが、インタビュー調査に同行したり、実際の音楽療法の現場を観させてもらって、私自身のこの療法に対する印象がずいぶんと変わった。あまりうまく言えないが私たちがイメージする音楽は、小中学校の音楽の時間に代表される教育であったり、和洋の古典を中心とする芸術であったり、歌謡曲やポップスなどの娯楽であったりする。しかし人類にとっての音楽はもっと深くて幅が広いような気持がする。よくわからないが仏教やカソリックの声明、アフリカなどの土俗的な音楽、それは日本の民謡にも通じると思うが、ある種の人類と共に共生してきたものを感じる。

3月某日
高校時代スキー部に所属していたことがある。もちろんちっとも上達せず、1年ほどで退部したのだが。スキー部で活躍していたのが佐藤正輝。今札幌でシステム会社を運営している。正輝からスキー部のOBが正輝の東京出張に合わせて集まるので来ないか?というメールが。17時半に品川駅のトライアングルクロックの前で待ち合わせ。中田(旧姓)志賀子さんが来る。正輝も来たので会場の「グリルつばめ」へ。幹事役の井出君がすでに来ていた。私と同学年と私の1年下に声をかけたようだが、私は1年しか在籍しなかったので1年下はあまり知らない。キャプテンだった前野が来る。前野のお母さんと私の母は仲が良かったので、昨年母が亡くなったことを伝えるとお悔やみの言葉を掛けられる。正輝から洞爺湖の銘菓「若狭芋」を頂く。