モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日 
香川喜久枝さんと15時に上野駅公園口で待ち合わせ。東京国立博物館へ向かう。開催中の特別展「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」を見る。サウジアラビア王国の国立博物館の展示物が公開されている。石器時代からギリシャやローマ帝国の影響を受けた時代、東西貿易の交易の拠点となったオアシス都市、そしてオスマントルコの支配から独立してサウジアラビア王国を建国、今に至っていることが何となく理解できる。オスマントルコからの独立に大きな力を発揮したのが「アラビアのロレンス」。ピーター・オツールの主演で映画化され、私も高校生の頃、地元の映画館で見た記憶にがあるし、その後もテレビで放映されたものを2度ほど見た。遊牧民の族長役で出ていたアンソニー・クインが印象的だった。今回の展示では「アラビアのロレンス」に触れたものはなかったが、アンソニー・クインが着ていたような民族衣装や大きく湾曲した短剣、砂漠でのゲリラ戦に使用したと見られるライフル銃を見ることができたのは収穫だった。特別展は表慶館での展示だったが、表慶館は大正天皇のご成婚記念に片山東熊の設計で建てられたという。
香川さんと2人で内神田の「跳人」へ。ケアセンターやわらぎの事務長を今年3月で辞めた伊藤さんのご苦労さん会。伊藤さんから豪華なクッキーをもらう。香川さんからは歯ブラシ。大谷さんが遅れて参加。

4月某日
図書館で借りた「THE独裁者 国難を呼ぶ男!安倍晋三」(KKベストセラーズ 2018年2月)を読む。首相官邸での菅官房長官への執拗な質問で名をはせた東京新聞記者、望月衣塑子と元経産省の官僚でテレビ番組や著作で安倍政治を批判し続けている古賀茂明の対談集。財務次官の福田淳一氏が女性記者へのセクハラ疑惑で辞任せざるを得なくなったが、本書が企画、出版されたのはそれより以前である。しかし本書によっても政権の長期化からくると思われる規律のゆるみ、私物化の傾向が随所に指摘されている。行政あるいは公務員はすべての国民に対して公平でなければならない。当たり前のことであるが、首相夫人が名誉校長を務める森友学園、あるいは首相の親友が経営する加計学園に対して、その認可や土地取得に対して何らかの「忖度」が行われた疑いが極めて濃厚である。それは本書の「森友問題とは何だったのか?」「加計学園 疑惑の深層」に詳しい。
私がこの本を読んで感じたこと、またこの間の安倍政権の振る舞いで感じたことは第一に権力は長期化すればするほど腐敗する傾向があること、第2にそれをチェックする役割のジャーナリズムが弱体化していないか、第3に政権と官僚との関係でも、官僚が政権にもの申すのではなく「ひれ伏す」ようになってはいないか、ということである。ジャーナリストも官僚も国家・国民のために働いてナンボである。とくに官僚は国民に雇われているのであって、与党の政治家に給料を貰っているわけではないのである。そこんところをしっかりと理解してもらいたい。

4月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」に参加。今回で15回だが、第1回から講師やテーマの選定でアドバイスをしている。いつもは社会保険研究所の大会議室を無償で借りているのだが、今回は申込みが110名を超えたため会場を変更することになった。銀座1丁目の120名は入る会議室を借りる。初日は政策企画官の野崎伸一さんの「地域共生社会への取組み」、鳥井陽一国民健康保険課長による「データヘルス」、そして八神敦夫審議官の「生活困窮者自立支援制度の見直し」。社会保障政策の現場というと年金と被用者医療保険を除けばその多くは基礎自治体としての市区町村が担っている。自治体の首長をチェックする役割が地方議員。したがって厚生省の官僚も熱心に政策を語ってくれるし質問にも丁寧に答えてくれる。初日のフォーラム終了後、議員の有志20名ほどが参加して情報交換会に参加。情報交換会の後、社会保険研究所の鈴木社長と有楽町のガード下へ。鈴木社長にご馳走になる。我孫子で「愛花」に寄る。

4月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」2日目。黒田秀郎医療介護連携担政策課長の「地域包括ケアシステムと診療報酬・介護報酬改定」と平子哲夫母子保健課長の「子育て支援の新たな展開」を聞かせてもらう。平子課長は着任後ひと月も経っていないのに丁寧に説明してくれる。名刺交換に来る議員さんたちも多かった。HCM社で遅い昼飯、日土地ビルで打合せ、18時過ぎにプレスセンターへ。老健局の鈴木健彦老人保健課長の「2018年介護報酬改定」を聞く。主要改定項目について解説してくれる。亀井美登里さんや高井さん、浦和大学客員教授の長沼明先生に挨拶の後、大谷源一さんと大谷さんのお友達で岡山で就労継続支援A型事業所をやっている萩原義文の3人で新橋駅前の酔心で吞む。大谷さんにご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
大学の同級生、雨宮君は卒業後司法試験に合格して検事に。その後、弁護士を開業した。現在のオフィスは西新橋の弁護士ビル。私が机を置かせてもらっているHCM社から歩いて5分ほどの距離だ。末っ子が早稲田大学の法学部へ入学、お祝いに家族でベトナム旅行へ行ってきたという。お土産があるというので弁護士ビルへ行くとベトナムコーヒーをくれた。ジャコウネコが食べたコーヒー豆を糞から取り出し、焙煎したものという。ありがたくいただく。弁護士ビル近くの「山本魚吉商店虎ノ門店」という日本酒の旨そうな店に入る。茨城県日立市の日本酒を頂く。雨宮君が西新橋1丁目の交差点まで送ってくれる。霞が関から千代田線で我孫子まで帰る。

4月某日
御徒町の台湾料理店「大興」で大谷さんと年友企画の石津さん、酒井さん、元年友企画の浜尾さん、村井さんと呑むことに。前日、京大理事の阿曽沼さんから京大の東京ブランチがある新丸ビル10階に5時に来てくれとのメール。神田の社保険ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせの後、新丸ビルへ。新丸ビル5階のバーへ。シャンパンとロゼ、ジントニックを頂く。京都へ帰る阿曽沼さんと東京駅で別れ御徒町へ。御徒町の「大興」には大谷さんと東京介護福祉士会の白井幸久さん、埼玉福祉専門学校の飯塚さん、石津さん、酒井さんが来ていて盛り上がっていた。金曜日の夜ということもあって、私の入る余地がない。大谷さんを誘って別行動をとることに。日比谷線の仲御徒町駅から入谷へ。5~6年前、兄嫁の弘子さんと作家の車谷長吉先生、奥さんで詩人の高橋順子さんと行った店を目指すが満員で入れず。入谷駅近くの2階に入りやすそうな居酒屋があったので入る。「さんたけ」という店で脱サラして店を始めた78歳のマスターと、秋田県能代出身のおばちゃん、30代くらいのお姉さんがやっている店だ。1人2000円でお釣りが来た。我孫子へ帰って駅前の「愛花」に寄る。常連の新井さんがいた。

4月某日
図書館で借りた「マルクス 資本論の哲学」(熊野純彦 岩波新書 2018年1月)を読む。一言でいえば「資本論でマルクスが言いたかったこと」について哲学的に読み解いたということになると思う。だが、本文は断片的には理解できたものの著者の論述を十二分に理解できたとは言い難い。理解できないのに魅力的な本であった。機会を改めて挑戦したいと思う。私がなんとなく理解しえたと思ったのは「まえがき」と「終章 交換と贈与」、「あとがきにかえて」である。「まえがき」には「世界革命と世界革命とのあいだで」というサブタイトルが付されている。一度目は、ほぼヨーロッパ全土を席巻した1848年であり、2回目は日本を含む先進諸国で同時多発的に発生した1968~69年の学生反乱である。I・ウォーラーステインのことばという。著者の問題意識は、「この世界が存続するためだけにも、大きな変化が必要とされる」ということであり、そのため「資本論」で展開されているマルクスの原理的な思考の深度と強度に焦点を当てたという。「終章」に「コミューン主義のゆくえ」という副題が付いている。コミューン主義とは我が国でコミュニズムの訳語として多く用いられている共産主義のことであるが、あえて共産主義という「手垢に汚れた」訳語を用いずコミューン主義という訳語を用いた著者の意図は理解できる。
 終章ではマルクスは資本主義体制に代わるどのような体制を思い描いていたのかが、マルクスとエンゲルスが残したいくつかの文献をもとにして述べられる。共産主義は私的所有の廃絶を目標とするというのは高校の世界史の教科書にもあるほどの常識なのだが、マルクスの思考はそんな単純なものではない。著者は「経済学・哲学草稿」からマルクスの考えを「手にすること、ひとりのものとし、使用し、また濫用すること、すなわち私的に所有することだけが『じぶんのものとする』ことではない。世界を見、その音を聞き、感じ、しかも他者とともにそうすること、他者とともに世界にはたらきかけて、世界を受苦においても能動的にも享受することもまた、世界をともに持つこと、わかち合うことである」と紹介している。著者、熊野純彦が言うように、このマルクスの所論は「ある種の豊かなイメージを喚起する」と言えよう。「あとがきにかえて」では、わが国の資本論研究の流れが紹介されているが、宇野弘藏や廣松渉、柄谷行人の著作と並んで大川正彦という人の「マルクス いま、コミュニズムを生きるとは?」(NHK出版)が評価されている。読んでみようかな。

4月某日
1969年と言えば今から49年前である。私は20歳、早稲田の政経学部の2年であった。当時、政経学部の学生自治会(学友会)は社青同解放派(反帝学評)の拠点だったが、全学的には革共同革マル派が制圧していて、政経学部学友会の活動家だった私は学内に入ることができなかった。1969年の4月17日、前日から明治大学の学生会館に泊まり込んだ私たち(反戦連合を主体にした反革マル連合)はヘルメット、ゲバ棒で武装して大学本部に突入した。革マル派の本体は晴海での沖縄闘争に行っていて、留守部隊が大学本部を防衛していた。数分のゲバルトの後、革マル派は潰走、私たちは大学本部を封鎖した。学生運動での私の数少ない「成功体験」である。私の記憶によると私たちの隊列の先頭にいたのが高橋ハムさん(のちに自治労幹部、現在ふるさと回帰支援センター理事長)と鈴木基司さん(政経学部卒業後、群馬大学医学部へ進学、現在群馬で小児科医を開業)だった。ハムさんと昔話をしていたら、当時の仲間が集まろうということになり、市ヶ谷の勤寿司にハムさんや基司さんたち10数人が集まった。皆70歳前後のジジイであるが、当時のことを鮮明に覚えていた。早稲田の全共闘は「反革マル派」が原点。医学部の不当処分撤回闘争が始まりだった東大闘争、大学当局の不正経理に端を発した日大闘争とはそもそもの始まりが違う。違うけれども反セクト、自主・自立の気風だけは強かったし、それは現在の自分にも受け継がれていると思う。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
高田馬場栄通の「清龍」で大谷源一さんと。高田馬場での会議が長引き、18時半には行けるはずだったが19時半を過ぎていた。「清龍」は埼玉県蓮田市の清龍酒造が経営する居酒屋。「安くて美味しい」と言ってよいと思う。高田馬場店のウエイトレスは私の見た限り外国人。おそらくは中国と中南米系、一生懸命働く姿は感じが良い。我孫子に帰って駅前の「愛花」に寄る。福田さんとケイちゃんが来ていた。ケイちゃん持参の日本酒を頂く。

4月某日
HCM社の大橋社長と新橋から上野-東京ラインで赤羽へ。友人の李さんが社外スタッフとして協力している蓼科情報㈱へ。李さんが30分ほど遅れてきたのでそれまで世間話。李さんが来たので打ち合わせ開始、終了後、李さん、大橋さん、私の3人で赤羽で呑むことに。5時前なのでまだやっている店は少なかった。赤羽の居酒屋としては割と小奇麗な店に入るとすでにサラリーマンらしき人たちが何組か入っていた。ビールと焼き鳥、「梅水晶」「キムチ」などを頼む。ビールの後はホッピー。2時間ほど呑んで食べて会計はひとり3000円に行かなかった。安い!盛り場としての赤羽は居酒屋の数が多いのが特徴、それだけ競争が激しいのである。

4月某日
図書館で借りた「路上のX」(桐野夏生 朝日新聞出版 2018年2月)を読む。真由は高校1年生、レストランを経営していた両親が夜逃げ、真由は叔父(父の弟)の家に、弟は伯母(母の姉)に預けられる。真由は叔父の妻と折り合いが悪く、家出して渋谷の中華料理店でアルバイトをすることに。休憩室で寝泊まりするがある夜、チーフに犯される。バイト先も失った真由が会ったのがJKビジネスをやっているリオナ。リオナはヤンキーの母と同居していたが義父に毎晩のように性的虐待を受け、家出する。リオナはJKビジネスの客だった東大生の秀斗のマンションに性的サービスと交換に同居している。同居には真由にリオナの二人にリオナの友達で育児放棄されたミトが加わる。ミトは同棲相手に妊娠させられたうえ捨てられたのだ。桐野夏生の「奴隷小説」(文春文庫 2017年12月)の解説で政治学者の白井聡が、桐野夏生の作品は平成のプロレタリア文学と言っていたことを思い出す。桐野文学の本質を突いているように感じられる。「現代作家のうち、桐野氏こそ『階級』に、『搾取』に、より一般的な言い方をすれば『構造的な支配』に、最も強くこだわっている書き手ではないだろうか、と私は思うのである」(「奴隷小説」解説)。しかし小説のエンディングは意外にも真由とリオナの未来を感じさせるLINEであった。

4月某日
児童虐待防止のための勉強会に出席。これはケアセンターやわらぎの石川はるえ代表の呼びかけで始まったもので今回は2回目。やわらぎの南阿佐ヶ谷のデイサービスが会場。出席者は3つのテーブルに分かれて着席。私はフリー編集者の浜尾さんの隣に座る。一通りの自己紹介が終わった後でNPO法人Child First Labの高岡昂太さんが「今後の日本における子ども虐待の対応」についてレクチャー。児童相談所での対応件数は1990年から2015年で約100倍になっているにもかかわらず児相職員の配置数は1999年から2015年で約2倍にしかなっていないことを指摘、虐待などの通告が急増しているにもかかわらず、手が回らない実態を説明し、児相と司法や警察との連携の必要性を訴えた。具体的には「児童保護局・子ども権利擁護センター」を設置し「司法・医療・福祉が協働し、対応を効率化するシステム」の構築を提案していた。驚いたことに高岡さんは国立研究開発法人産業技術総合研究所の人工知能研究センターに所属、名刺によると「確率モデリング」というのを研究しているらしい。

4月某日
李さんがオリジナルで検討している「年金受給者情報」のチェックシステムについて社会保険庁OBの浅岡淳朗さんの意見を伺う。浅岡さんは飯田橋の厚生年金病院に用があるというので西新橋のHCM社に来てもらう。浅岡さんは李さんの説明を聞いてからいろいろ貴重なアドバイスをしてくれる。印象的なのは浅岡さんの「政策っていうのは論理で組み立てられている。そのとき政策を作っている奴らの頭には現場のことは浮かばない。だからいかに精緻な論理な論理で組み立てられた政策でも、現場でとても実施しずらいということがまま起きるのさ」という言葉。なるほどねー。あらゆる政策は実施されてこそ意味がある。政策を実施するのはあくまで現場。現場の意見を聞け、ということなのだろう。新橋から神田へ。西口通り商店街の「磯じまん」という店でフィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長と呑む。小出社長から「魚と日本酒のおいしい店」と聞かされていたが、その通りのお店で、店長のおすすめのままに呑む日本酒がどれも個性的であった。小出社長にすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
上野の国立西洋美術館へ。プラド美術館展を観る。「ベラスケスと絵画の栄光」というサブタイトルの通りベラスケスの作品7点を軸に17世紀の絵画60点が展示されていた。ベラスケスはスペイン王室お抱えの宮廷画家で国王フェリペ4世はじめ、王子の肖像など「泰西名画」というべき名画を楽しんだ。上野公園に出ると今年最後の花見を楽しむ人たちで大賑わいであった。御徒町から上野へ。上野駅構内のバーで時間をつぶし、川口へ。大谷源一さんと根津のスナック「ふらここ」のママに会う。西川口の山東料理の「異味香」へ行く。ここは芸能人も多数訪れている名店らしく秋元康やサマーズの写真が飾られている。大変おいしい中華であった。

4月某日
図書館で借りた「日本経済入門」(藤井彰夫 日経文庫 2018年1月)を読む。著者の藤井は日本経済新聞の上級論説委員。平成の30年間を総括しつつ今後を展望する。バブルの発生とその消滅、異次元金融緩和などについてわかりやすく解説していた。少子高齢化の経済的な影響にも的確に論評していたように思う。優秀な新聞記者なんだろう。

4月某日
元年住協の林弘幸さんと新松戸の「グイ呑み」で待ち合わせ。林さんは永大産業出身の営業の叩き上げ。年住協では名古屋支所長や福岡支所長を務めた(多分、東京支所長もやったと思う)。昔からなぜか気が合う。気が合う理由について考えると、私が林さんに対して持つ営業マンとしてのリスペクトの感情なんだと思う。商品は売れてなんぼの世界だ。林さんは「年金住宅融資」という商品を最前線で金融機関や住宅メーカーに売っていたものね。

4月某日
セルフケアネットワークの高本代表理事と千代田線根津駅の改札で待ち合わせ。根津駅近くの医療系出版社、青海社を訪問して工藤社長に会う。高本さんからセルフケアやグリーフサポートについての説明をする。青海社は緩和ケアの書籍を発行するなど終末期ケアにも取り組んでおり、高本さんの説明もよく理解してくれたようだ。私から高本さんの本を青海社から発行できないか、企画書を書くので検討してくださいとお願いした。お昼になったので根津界隈の工藤社長行きつけのオーガニック料理の店に向かう。工藤社長は糖尿病なのでカロリー制限されておりハーフサイズを頼んでいた。私はカレーライスを頼んだがなかなかおいしかった。工藤社長と別れ私と高本さんは「へび道」を通って千駄木へ。「へび道」とは蛇行して流れていた愛染川を暗渠にしてできた道で、当然、蛇行しているので「へび道」と呼ばれるようになったようだ。千駄木の「さんさき坂」に突き当たる。趣味の小物を売っている「伊勢辰」に寄る。
HCM社でシステムエンジニアの李さんに来てもらい、パソコンのメール環境を変更してもらう。これで年友企画時代のメールアドレスとはお別れ、moritashigeo@outlook.jp
あるいはmorita@morichan.meを使うことになる。李さんと新橋駅前の居酒屋へ。日本年金機構が年金情報の処理を外部の会社に委託したところ大部分が中国の業者に再委託していたことが発覚したことが話題になった。入ったときは客がまばらだった居酒屋も出るときはかなり混んでいた。確かに値段の割にはおいしいと思う。

4月某日
高齢者住宅財団の落合明美さんと内神田の「ビアレストランかまくら橋」へ。新年度ということからかお店は結構な賑わい。そう言えば最初は同じビルの「跳人」を電話で予約したのだが、テーブル席がいっぱいだったのでこちらに変更した。仕事の話ではなくAI(人工知能)やBI(ベーシックインカム)の話をして楽しかった。落合さんとは上野駅で別れ、私は我孫子で「しちりん」に寄る。

モリちゃんの酒中日記 3月その5

3月某日
名古屋の「我が家ネット」の児玉さんが上京。SCNの高本代表と神田の葡萄舎で会うことにする。児玉さんが家でウサギを飼っていたことを思い出して日本橋の「うさぎや」で和菓子を買う。6時に葡萄舎に着くと児玉さんと高本さんはすで来ていた。児玉さんから「ふりかけ」、高本さんからはお菓子を頂く。「森田さん、最近どうですか?」と聞かれたので「絶好調!」と答えると「本当にそうみたいですね」と返ってくる。組織に所属しないというのは実に気分がいいものだ。児玉さんが飼っていたウサギは昨年、亡くなったそうだ。遅れて高本さんの旦那さん、社会保険出版社の高本社長が参加。高本社長にすっかりご馳走になる。

3月某日
西新橋の「びんちょろ」で元厚労次官の阿曽沼さんと5時半に待ち合わせ。少し前にHCMを出ると阿曽沼さんが前を歩いていたので声を掛ける。せっかくなのでHCMに戻って大橋社長に阿曽沼さんを紹介する。「びんちょろ」では昼ご飯は食べたことはあるが夜は初めて。お刺身はじめなかなかおいしかった。阿曽沼さんは新幹線で京都に帰るというので7時過ぎにお開き。阿曽沼さんにご馳走になる。

3月某日
HCM社にデザイナーの土方さんと映像の横溝さんが来る。家具転倒防止の研修用ビデオの打ち合わせ。HCM社の真ん前が「南桜公園」で桜が満開なので、大橋社長の提案でブルーシートを敷いて花見をすることに。ビール、日本酒、焼酎ですっかりいい気持になる。電車で寝てしまい終点の取手まで乗り過ごす。

3月某日
年友企画で編集に携わっていた雑誌「へるぱ!」の編集会議を社会保険福祉協会で。その後、医療介護福祉政策研究フォーラム(虎ノ門フォーラム)の中村秀一理事長を訪問。私は3月から社会福祉法人にんじんの会の評議員を務めているが、この日は評議員会が法人本部のある立川で開催されるために、先輩評議員の中村さんが一緒に行ってくれることになった。虎ノ門から銀座線で赤坂見附へ。赤坂見附から丸ノ内線で四谷、四谷で中央線に乗り換える。ちょうど通勤ラッシュ時だったが中野あたりから座ることができたが中村さんは立ちっぱなしだった。定刻の10分ほど前に法人本部に着く。中村さんが議長になって評議員会が始まる。主に中長期計画を審議。職員が主体となって計画を練り上げたというがなかなか立派な計画で感心した。評議員会には遅れて川村女子大学の吉武民樹さんが参加。
評議員会の後の懇親会に中村さんや吉武さんと参加。懇親会では「吉武節」がさく裂。佐川前国税庁長官の国会喚問から始まり、吉武さんの厚生労働省時代のエピソードが明かされる。隣に座った法人の石川常務に「面白いでしょう?」と聞くと「面白いですねー」と感服していた。吉武さんと私のために法人が立川のパレスホテルを予約してくれていたのでそこに宿泊する。

3月某日
朝、吉武さんから「昭和記念公園」がホテルの近くにあって桜の名所らしいから行こうとの電話。昭和記念公園に着くと桜が満開であった。公園内を巡回する列車仕様のバスに乗車。桜を満喫する。吉武さんが車で来ていたので一緒に花小金井の荻島道子さんを訪問することにする。荻島さん20年以上前に亡くなった厚生省の荻島国男さんの奥さん。吉武さんや阿曽沼さん、唐沢さん、今、アゼルバイジャン大使の香取さんたちが当時の部下で同期には江利川さんや川邉さん、宮城県知事をやった浅野さんがいる。
茅ヶ崎へ向かうという吉武さんと別れ、私は花小金井から西武線で新宿へ。虎ノ門で打ち合わせた後、京大東京事務所の大谷さんと神田駅北口で待ち合わせ。前に2人で行った「トリ酒場」へ行く。ここは「全品290円」という安さが魅力の店。2人でいい気持ちになってひとり2000円ほど。私は大谷さんと2人の呑み会を勝手に「千ベロの会」と名付けている。「1000円でべろべろ」という意味である。我孫子で駅前の「愛花」に寄る。看護師養成の大学で助教をしている佳代ちゃんがいる。4月から大学を移るという。