モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
日曜日だが渋谷の「音楽運動療法研究会」に参加。18時スタートなので10分前に行くと、事務局を引き受けてくれている宇野裕さんがすでに来ている。座長の川内小金井リハビリテーション病院副院長は海外出張で欠席だが、いつもの黒澤加代子さん(日本ホームヘルパー協会東京都支部副会長)、丸山ひろ子さん(音楽療法士)、依田明子さん(特養施設長)が参加。今回は年度初めての開催ということで今年度の研究の目的と研究方法について議論。私と宇野さん以外は現場の人なので、ここでの議論は私にとってとても参考になる。現場を持っているだけに研究方法についても実践的な議論ができた。私としては「音楽運動療法」を介護保険の機能訓練加算や口腔ケア加算の対象に加える方向を提言できればと思っている。終了後、渋谷のヒカリエの居酒屋で宇野さんにご馳走になる。

5月某日
図書館で借りた「それまでの明日」(原尞 早川書房 2018年3月)を読む。人気ミステリのため「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください」というラベルが背表紙に貼ってあった。著者紹介によると原尞は1946年佐賀県鳥栖市生まれ。九大の美学美術史科を卒業。70年代にはフリージャズピアニストとして活躍、30歳ころから翻訳ミステリを乱読し、とくにレイモンド・チャンドラーに心酔。88年に本書の主人公でもある私立探偵の沢崎が初登場する「そして夜は甦る」でデビュー、89年の第2作「私が殺した少女」で直木賞を受賞とある。本書の「それまでの明日」とデビュー作の「そして夜は甦る」はタイトルとしては「明日」と「夜」がキーワード。小説のなかの時間の短さと、人生の儚さを象徴している(と私には思える)。確かに面白かったし、文章も洒落ている。「水道の元栓を誰かが勝手に締めてしまった蛇口の水のように、私のまわりの動きがピタリと止まって、二日と半日が過ぎた」というような文章にはなかなかお目にかかれない。文章に独特のリズム感があるのはジャズピアニストという前身のためだろうか。ミステリのためストーリーのあらすじは載せない、としておくが私が要約するには荷が重いというのが本当のところ。それだけストーリーの展開が華麗にして複雑ということだ。

5月某日
大学時代の友人で弁護士の雨宮君と呑むことにする。虎ノ門での会議が長引いて終わったのが7時近く。雨宮君の事務所がある弁護士ビルの1階で待ち合わせ。近くの山本魚吉商店という居酒屋に入る。ここは前にも雨宮君と行った店で日本酒と魚の美味しい店だ。佐賀や山形の日本酒とお刺身の盛り合わせなどを頂く。雨宮君の一番下の息子が今年早稲田の政経学部と法学部の両方に合格し、法学部を選んだ。法学部は法律を学ぶという中身が明確だが、政治や経済は「何を学ぶの?」ということで法学部を選んだらしい。なるほどね。私はジャーナリストを目指して早稲田の政経学部入学、授業にほとんど出席することなく4年で卒業。結果的にジャーナリストにはなったけど、大学での学問が役立ったことは一度もない。授業にほとんど出席していないのだから当たり前である。雨宮君にすっかりご馳走になり、地下鉄の霞が関近くまで送られる。

5月某日
麹町の都市センターホテルの「シニア・介護ビジネス研究講座」に出席。HCMの三浦部長も出席。HCMが新規事業として参入したリハビリ型デイサービスのビジネスモデルを開発したQLCプロデュ―スの村田和男社長の講演を聞く。介護事業の課題として規模の大型化を上げるなど私の日頃考えていることと一致するところが多かった。講演終了後、三浦部長が村田社長を紹介してくれる。次の講演はパスして三浦部長と麹町の焼き鳥屋へ。「フエ」という名札を付けた東南アジア系の女性が注文を取りに来る。「どこから来たの?」と聞くと「ベトナムです」。「フエという地名もベトナムにあるね」と言うとうれしそうに「そうです」と答えてくれた。ベトナム戦争当時、よく聞いた地名だ。三浦部長とHCMの新規事業について意見交換。店を出たらまだ明るかった。

5月某日
浅田次郎の短編小説集「夕映え天使」(新潮文庫 H23年7月 単行本はH20年12月)を図書館で借りて読む。浅田次郎の短編は市井の庶民の哀歓を描かせると抜群に巧い。表題作「夕映え天使」の主人公は庶民と言ってもかなりくたびれた庶民。隅田川沿いの寂れたラーメン店「昭和軒」が舞台で、主人の一郎は独身でやもめのおやじとの2人暮らし。おととしの夏、ラーメンを食べ終わった40前後の女客が「住み込みで雇ってもらえませんか」。その日から純子は昭和軒の少し薹のたった看板娘となった。一郎は純子と所帯を持ってもいいと考え、白いダウンコートや靴をプレゼントする。だがある日、純子は忽然と一郎とおやじの前から姿を消す。2年たった正月、軽井沢警察から身元不明の遺体の照会が一郎にあった。純子は軽井沢の山中で縊死し、死後2カ月たって発見された。年老いたおやじにも優しかった純子。一郎は警察署からの帰り道、純子のことを想いぐずぐずと泣いた。この短編の優れた点は、ストーリーの中に現実の純子は登場しないことだと思う。一郎の回想の中にしか純子は出てこない。だからこそ一郎の純子への想いが強調されるのだ。

モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
図書館で借りた「私はあなたの記憶のなかに」(角田光代 小学館 2018年3月)を読む。巻末の「初出一覧」によると1996年から2008年に雑誌や単行本に掲載・収録された短編を集めている。したがって各作品に関連はないし統一したテーマもない。あえていえば「関係の困難さ」だろうか。「神さまのタクシー」は勉学にもクラブ活動にも覇気の感じられないミッション系の女子学園の寮を舞台にした「わたし」と同室の「ハミちゃん」と彼女が恋する「泉田さん」の物語。放校処分された「泉田さん」を「わたし」と「ハミちゃん」は校則を破って駅に見送りに行く。寮の近くで流しのタクシーを探すが一向に来ない。「わたし」と「ハミちゃん」は神さまにタクシーが来るように祈る。二人は無事にタクシーに乗ることができるのだが、タイトルの所以である。思春期の同性同士の「関係の困難さ」が描かれていると思う。

5月某日
千葉県地域型年金委員の研修会が千葉市で開催されたので出席する。冒頭、千葉年金事務所の軽部所長が挨拶、小林副所長、渡係員から前年度の活動実績と30年度の新たな取り組みについて話があったが、千葉県地域包括ケア(地域推進フォーラム)への参画を検討しているという発言があった。地域の医療・介護・福祉・自治会等が連携、高齢者の支援を行うが、これに年金委員も参加し、年金の質問等に答えるというものだ。研修会後に千葉県地域型年金委員会の理事会、理事会後、駅前の「文蔵」で「呑み会」。佐々木満さんや軽部所長と懇談。「呑み会」後、京成千葉中央駅から京成上野へ。根津の「ふらここ」が今日から週3回、営業を再開するというので顔を出す。

5月某日
10時半にHCM社で「セルフケアネットワーク」の高本さんと市川さんと約束していたが前日、呑み過ぎて1時間遅刻。元厚労省の川邉さんも参加して新しい提案の検討。川邉さんの参加で検討案に深みと広がりが増した。蕎麦屋で食事、高本さんにご馳走になる。16時からHCM社で李さんと大橋社長と新たな「年金情報の入力システム」について検討。会議後、西新橋の居酒屋「亀清」に移動。流しの女性が伴奏のギターを連れて入店、歌ってくれる。李さんは在日朝鮮人(現在は日本に帰化)にして現在はIT技術者、大橋さんは元明治生命で卓球部、私は元社会保障の専門出版社の社長で今は福祉のフリージャーナリストを名乗っている。経歴はそれぞれ異なっているがなぜかこのところ酒を呑む機会が多い。

5月某日
図書館から借りた「評伝島成郎 ブントから沖縄へ、心病む人びとのなかへ」(佐藤幹夫 筑摩書房 2018年3月)がとても面白かった。島は60年安保闘争を主導した共産主義者同盟(ブント)の創設者にして書記長を務めた。安保闘争敗北後、東大医学部に復学、精神科医となって、沖縄を舞台に先進的な地域精神医療を展開する。ブント書記長の島に興味があって本を手にしたのだが、読んでいるうちに精神科医としての島に強く惹かれるものを感じた。島が沖縄に赴任したのは1968年、沖縄の日本復帰が72年だから復帰前である。当時の沖縄の精神病患者の多くは、監置小屋という小屋や住居の一部の座敷牢のような部屋へ隔離されていた。精神科の専門医が不足していたことに加え、住民や家族の精神病への無理解、そして貧困などがその理由であったろう。島はそうした現実に果敢に切り込んでいく。当時の島の治療観が紹介されているので要約して紹介する。
「治療とは患者を取り巻く、いろいろな立場の人が協力しあって初めてできるものだ。治療は病院のなかだけではできない。地域のなかで患者を助ける力が必要である。これがないと社会復帰できない」(P233 島成郎の治療観と援助観)。50年近く前に島は「地域包括ケアシステム」の原型ともいえる思想に到達していたといえないか。それだけではない看護師や保健師、病院職員や役場の職員、地域住民や患者と家族を巻き込んでいく彼の実践は、まさに多職種協働である。そして晩年の島は認知症にも高い関心を抱く。島は「熟年期の心の健康は、私たちの心、そして人間関係のリストラクチャー(再構築)によって保たれるのです」とし、また「老人問題は、老人の問題ではなく、人間そのものについての問題であり、社会問題であり、政治問題であり、人類史の問題であり、そして科学そのものの問題であり、更に精神医学の再変革につなげる大問題である」(P273~275 中高年の「性愛論」と「痴呆(認知症)論」と述べている。こうしたことを書いたり述べたりしているのは1993年である。島の地域医療の実践と思想はもっと注目されてもいいと思う。

モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
図書館で「15歳の寺子屋 ひとり」(吉本隆明 講談社 2010年10月)が目に付いたので借りることにする。吉本隆明が4人の中学生の質問に答えるという体裁。4人の中学生に囲まれた吉本が満面の笑みを浮かべている写真が表紙。この表紙が実にいい。吉本は確かに戦後最大の思想家と思うけれど、その原点は初年時代を過ごした新佃島での生活や戦時中の米沢工業高専での体験に根差していることが、中学生にも理解できるようにやさしく語られる。夏目漱石の「坊ちゃん」にふれて「あれを読むと、主人公の坊ちゃんの気持ちが、わかりすぎるくらいよくわかって泣けてくるんですよ」と吉本は言う。「坊ちゃん」は痛快な青春小説として読まれているが、吉本は「坊ちゃん」には、「漱石が背負っていたもろもろの悲劇みたいなものが全部出ている気がするんです」と語る。なるほど、今度読み返してみよう。

5月某日
図書館に予約していた「新・日本の階級社会」(橋本健二 講談社現代新書 2018年1月)の準備ができたということなので借りに行く。橋本は戦後の格差や階級について研究を続けている人だが、「居酒屋」についても著書があって以前、図書館で借りて読んだことがある。図書館で橋本の「居酒屋の戦後史」(祥伝社 2015年12月)を見つけ、これも借りることにする。前に読んだはずだが内容は例によってほとんど覚えていない。新聞雑誌記事や映画、現存する人へのインタビューによって居酒屋の戦後史をたどる。随所に著者の酒や居酒屋への愛情が感じられる。チェーン店では「ニュートーキョー」「養老乃瀧」「天狗」の創業者について述べているが、とりわけ「天狗」の創業者の飯田保の役割は大きかったとする。飯田は日本橋の酒問屋「岡永」の次男として生まれるが、末弟の亮はセコム創業者の飯田亮で家業を継いだ長男以外は、創業者となり世にいう「飯田四兄弟」である。終章で格差拡大と「酒格差社会」を分析、1970年代の「1億総中流社会」は遠のき、格差社会は飲酒文化を衰退させると嘆く。「新・日本の階級社会」につながるのである。

5月某日
「新・日本の階級社会」を読む。著者の橋本によると、現代日本社会はもはや「格差社会」という生ぬるい段階ではなく明らかに「階級社会」となっているという。1970年代は確かに「1億総中流」という言葉にも明らかなように、格差は縮まった。当時は高度経済成長の時代で分け合うべきパイも大きかったし、パイの大きさも日々広がっていたのである。しかしバブル崩壊以降の20年は日本社会の様相が大きく変化した20年でもある。著者は現代日本を「資本家階級」「新中間階級」「正規労働者」「アンダークラス」「旧中間階級」に分類する。「新中間階級」とは経営者ではない管理職や専門職である。ある程度所得もあり学歴もある層である。「新中間階級」がどの党を支持するかによって選挙結果は大きく左右される。最近2回の総選挙では「新中間階級」が安倍自民党を支持したわけだ。話は少しずれるが自民党は分裂すべきだと思う。所得の再分配を重視し国際的には協調路線を歩む一派と、自己責任論を強調し、領土問題をはじめ国際的には強硬路線をとる一派にである。

5月某日
昨年亡くなった母の納骨で室蘭に妻と行く。行きは上野から東北北海道新幹線で。グリーン車を奮発したので快適な旅だった。新函館で在来線に乗り換え、東室蘭に着く。駅前のルートインに宿泊、寒いので出かけることもせず、ルートインのレストランで食事。次の日、弟が車で迎えに来てくれる。実家で母の遺品を見せてもらう。勝海舟、山岡鉄舟の筆とされる掛け軸などがある。母の実家は世田谷の成城にあり、割と裕福だったのであるいは真筆かもしれない。私は掛け軸などを包装していた昭和24年10月2日付の朝日新聞に興味津々。ブランケット版で2ページである。「中華人民共和国成立 主席に毛沢東氏」といった活字が躍っている。

5月某日
登別温泉の「滝乃家」旅館に兄弟3人とその連れ合い、弟の子供たちと宿泊。豪華旅館で料理もおいしかった。翌朝、最上階の展望風呂に浸かる。目の前の山桜が満開で花びらを散らしていた。私は監事をしている一般社団法人の監事監査があるので一足早く登別から新千歳へ。北海道は寒かったが羽田に着いたら汗ばむほどの陽気だった。監事監査を終えHCM社へ。大橋社長と新橋烏森口の「ひげ玉」に行く。遅れて大谷源一さんが来る。我孫子に帰って「愛花」へ。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
4月に読んだ「マルクス 資本論の哲学」(熊野純彦 岩波新書)の「あとがきにかえて」でわが国の資本論の研究の流れと主な書籍が紹介されていた。そのなかの1冊が「マルクス いま、コミュニズムを生きるとは?」(大川正彦 NHK出版 2004年11月)。熊野純彦の本にも言えることだが大川もまたマルクスの思想の深さと射程距離の長さを説いているように思う。マルクスは確かにエンゲルスと共に「共産党宣言」を執筆し、労働者階級がブルジョアジーを打倒し、プロレタリアート独裁政権を全世界的に樹立することを夢見た革命家であったことは確かであろう。だが熊野にしても大川にしても、マルクスの人間観、労働観に焦点を当て、マルクスの思想の全体像に迫ろうとしていると私には思える。それを熊野は「資本論」、大川は「経済学哲学草稿」や「ゴータ綱領批判」などを読み解くことによって行っているのだ。大川の著作はB6判120ページ余りの薄い本だが、内容を要約するのは私の手に余る。
が「むすびに」で展開されている「ゴータ綱領批判」にもとづくマルクスの将来の共産主義社会のイメージを通して、大川の思想の一端を紹介しておきたい。大川によるとマルクスは「ゴータ綱領批判」によって「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会」として共産主義社会を位置づけ、第一段階とより進んだ第二段階とに共産主義社会を区別している。第一段階では労働者は「能力にしたがって働き、能力に応じて受け取る」かたちで分配が行われる。共産主義の第二段階では「諸個人の全面的な発展につれてかれらの生産諸力も成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち―そのときはじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて!」(「ゴータ綱領批判)。共産主義の第一段階では「各人は能力にしたがって働き、能力に応じて受け取る」が、共産主義の第二段階では「各人は能力に応じて働き、その必要に応じて受け取る」とされている。現実の社会主義革命はマルクスの想定したようなイギリスやドイツなどの先進的な資本主義国では起こらず、遅れた資本主義国のロシアや中国で発生している。生産諸力が十分に成長していない段階での革命は、マルクスの言う共産主義社会に到達することは不可能でソ連は崩壊し、中国は共産党一党支配による上からの資本主義化を進めている。北朝鮮に至っては朝鮮人民民主主義国家を名乗っているが実態は金三代の専制国家である。
マルクスの思想の実現はついに不可能なのか。これからは私の妄想だがAIやロボットの実用化によって社会の生産性は飛躍的に高まる(筈である)。問題は飛躍的に高まった生産性から産み出される富が誰に帰属するかである。現状ではAIやロボットの所有者、資本家や経営者、株主に帰属する。労働者はそのおこぼれを頂戴するに過ぎない。マルクスの言う「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会」が今こそ求められているのではないだろうか。グーグル、アマゾン、ソフトバンクなどのIT系の新興企業の勃興は、ある面では貧富の差の拡大を招いている。「協同組合的な社会」への軟着陸が必要に思う。

5月某日
ゴールデンウイーク。とは言え年金生活者にとっては日々、ゴールデンウィークのようなもの。朝、遅い朝食をとって新聞をざっと読み、テレビを見てベッドに横になりながら本を読む。今日は図書館から借りた「歩兵の本領」(浅田次郎 講談社文庫 2014年4月 単行本は2001年4月)を読む。浅田次郎は1951年東京生まれ、大学受験に失敗後、自衛隊に入隊する。除隊後服飾関係の会社経営などいくつかの職業を転々とするが文学修業を続け、1995年「地下鉄(メトロ)に乗って」で吉川英治文学新人賞、1997年「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞受賞。日本ペンクラブ会長も務めた今や文壇の大御所。入隊したのはおそらく1971年春、除隊したのは1973年と思われる。この時の自衛隊市谷駐屯地勤務の体験をもとにしたのが「歩兵の本領」である。世界でも有数の戦力を有しながらも軍隊とは認知されていない自衛隊。だから歩兵は普通科、工兵は施設科、砲兵は特科、二等兵は二等陸士、上等兵は陸士長、伍長は三等陸曹、曹長は一等陸曹と言い換えられる。
1970年代はまだまだ過激派に勢いがあり、朝霞基地で警備中の隊員が過激派を名乗る学生に刺殺された事件もあった。反戦自衛官が名乗り出たのもこのころである。世間はまだまだ自衛隊に冷たかったころである。その頃の自衛官の生態を浅田は愛情たっぷりに描く。ヤクザの使い走りだったり、大学受験に失敗した浪人生だったり、家出して喫茶店のウエイターをしていたり、はっきり言って当時の世間の落ちこぼれが自衛隊地方連絡部の勧誘員の甘言に乗せられて自衛隊に入隊する。当時は高度経済成長期、仕事はいくらでもあった。にもかかわらず自衛隊に入った青年たち。いつもの浅田の短編と同じにユーモアとペーソスはふんだんにあふれている。というよりあふれ方はいささか過剰、それは浅田の当時の仲間たちに対する愛情なのだろう。浅田はしかし本心からの平和主義者、このことは断っておかなければいけない。

5月某日
図書館で借りた「長崎乱楽坂」(吉田修一 新潮社 2004年5月)を読む。吉田修一の小説は好きでずいぶん読んだが、これはちょっと期待外れ。工場の事故で父を亡くした駿が母と弟と母の実家に引き取られる。母の長兄は実家を出て、実家は次兄が継ぎ兄弟はともにヤクザ。兄弟の一人は非行にも走らず「離れ」で絵描きに精進するが若くして自死してしまう。神戸での抗争から「離れ」に匿われたヤクザの存在や駿と不良少女の恋など、登場人物とストーリーはそれなりに魅力的なのだが、人物の造形がややありきたりでストーリーにも踏み込みが足りないと感じた。しかし吉田修一の30代前半の作品(吉田は1968年生まれ)であるから無理もないのかもしれない。

モリちゃんの酒中日記 4月その5

4月某日
セルフケアネットワーク(SCN)の高本代表理事と市川理事がHCM社に来社。SCNの今年度事業について検討。市川理事の実家が「クラ‐チ・ファミリア小竹向原」という介護付有料老人ホームを開設、そのパンフレットを持ってきてくれた。練馬区小竹町は私の学生時代、大学の3年と4年の間を過ごした力行会の国際学寮があったところなのでたいへん懐かしい。HCM社近くのタイ料理の店「バン セーン」でランチ。たまには私がご馳走する。ここはウエイトレスも全員がタイ人のようで、味も良かった。全住協の加島常務が来社して監事監査の打ち合わせ。3時過ぎに退社、5時には我孫子の「しちりん」でホッピー。6時過ぎには「愛花」へ。呑み過ぎである。

4月某日
理学療法士の伊藤隆夫さんは初台リハビリテーション病院や船橋リハビリテーション病院を経営し、訪問リハビリテーションにも力を入れている医療法人輝生会の元理事。私が脳出血で倒れ、急性期病院に入院していたとき、当時確か老健局長だった中村秀一さんから「退院したらどうするの?」と電話をもらった。「自宅の近くのリハビリ病院にしようかと思います」と答えたら「船橋リハビリテーション病院がいいからそこにしなさい。伊藤さんという理学療法士がいるから連絡しておく。そういえば伊藤さんも早稲田だよ、革マルだけど」と言われた。革マルと聞いて一瞬、躊躇したが「まさかリハビリ病院で内ゲバはないだろう」と船橋リハビリ病院に決めた。これが大正解で中村さんや伊藤さんはじめ病院のスタッフには本当に感謝している。
伊藤さんは輝生会を退職、奥さんの実家がある和歌山県の有田市に転居した。先月、中村さんから連絡があって「4月に伊藤さんが上京するから会おう」という電話があった。生憎、その日は中村さんに出張が入ってしまったが、伊藤さんと神田駅東口の「跳人」で呑むことにする。「跳人」は鎌倉橋ビル地下1階の大手町店にはたまに行くが、土曜日は休みなので土曜日もやっている神田店を予約。大手町店の店長の大谷君が土曜日は神田店に出ている。神田駅北口の「河内屋」でアイリッシュウイスキーの「ジェムソン」を仕入れ、「跳人」に向かう。大谷君が「アイリッシュウイスキーいいですね」というので「残ったら呑んでいいよ」という。伊藤さんが来たのでビールで乾杯した後、ジェムソンを呑む。伊藤さんは早稲田の理工学部土木科を出た後、大手ゼネコンに就職したが、「何か違う」と退職、高知の教員養成校に入学し、学資を稼ぐために近森リハビリ病院で働くうちに「向いている」ことから理学療法士の資格を取得、近森病院にいた石川誠先生と輝生会を立ち上げた。伊藤さんから「森田さん、元気そうだね。私が担当した患者さんでは森田さんは長嶋(元巨人軍監督)さんに匹敵するよ」と持ち上げられ、すっかりいい気持になる。

4月某日
図書館で借りた「維新史再考-公議・王政から集権・脱身分化へ」(三谷博 NHKBOOKs 2017年12月)を読む。B6判で400ページを超える私にとっては大著。読み通すのに1週間ぐらいかかったが私は面白く読んだ。18世紀後半から19世紀にかけて日本をはじめとしたアジア諸国、アフリカ、中近東を含めた非西欧社会は、産業革命を経たヨーロッパの軍事大国からの直接的、間接的な侵略の危機にさらされた。日本は1853年のペリー来航を契機として尊王攘夷、攘夷倒幕、公武合体など国論は分裂、主として京都を舞台に勤皇派、佐幕派双方のテロリズムが横行した。著者の三谷博はその辺の政治状況を資料を駆使して再現する。印象的だったのは幕末の越前の松平春嶽、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城らの賢公会議が公議輿論を主導したり、そこに薩摩の家臣、大久保や西郷、さらには廷臣の岩倉らがからむという複雑な政治過程を経ながら武力倒幕、明治維新に至るというリアルでダイナミックな政治史である。果たして後世の歴史家は現代日本の森友、加計学園問題に端を発する政治混乱をどのように評価するであろうか。「評価に値せず」と歴史の屑籠に捨て去られるのだろうか。

4月某日
図書館で借りた林真理子の「みんなの秘密」(講談社文庫 2001年1月)を読む。単行本は1997年12月だから20年以上も前の作品である。であるが内容は少しも古さを感じさせない。まぁ林真理子はすでに文豪といってもよい地位を分断に築いていると思われるのでそれも当然なのだが。「みんなの秘密」というタイトルからするとおりテーマは夫婦、家族間の秘密、主として不倫である。12の短編が連作になっている。最終作のタイトルは「二人の秘密」である。開業医の妻がバブルからこぼれたデザイナーと不倫する。デザイナーは夫を脅迫し金を得る。デザイナーはさらに金を要求する。夫はかつて命を助けた老ヤクザを思い出し、デザイナーの抹殺を相談する。成功した開業医の一人娘だった妻と夫は政略結婚ともいうべき愛のない出会いであった。だが妻の不倫とそれを理由とする脅迫によって、夫は妻を守ろうと決意する。それは愛の再確認でもあった。こうやってストーリーを要約してしまうとつまらない。それは要約だからなのであって、林真理子は長編も読ませるが、短編も実に巧みと思う。