モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
図書館で「15歳の寺子屋 ひとり」(吉本隆明 講談社 2010年10月)が目に付いたので借りることにする。吉本隆明が4人の中学生の質問に答えるという体裁。4人の中学生に囲まれた吉本が満面の笑みを浮かべている写真が表紙。この表紙が実にいい。吉本は確かに戦後最大の思想家と思うけれど、その原点は初年時代を過ごした新佃島での生活や戦時中の米沢工業高専での体験に根差していることが、中学生にも理解できるようにやさしく語られる。夏目漱石の「坊ちゃん」にふれて「あれを読むと、主人公の坊ちゃんの気持ちが、わかりすぎるくらいよくわかって泣けてくるんですよ」と吉本は言う。「坊ちゃん」は痛快な青春小説として読まれているが、吉本は「坊ちゃん」には、「漱石が背負っていたもろもろの悲劇みたいなものが全部出ている気がするんです」と語る。なるほど、今度読み返してみよう。

5月某日
図書館に予約していた「新・日本の階級社会」(橋本健二 講談社現代新書 2018年1月)の準備ができたということなので借りに行く。橋本は戦後の格差や階級について研究を続けている人だが、「居酒屋」についても著書があって以前、図書館で借りて読んだことがある。図書館で橋本の「居酒屋の戦後史」(祥伝社 2015年12月)を見つけ、これも借りることにする。前に読んだはずだが内容は例によってほとんど覚えていない。新聞雑誌記事や映画、現存する人へのインタビューによって居酒屋の戦後史をたどる。随所に著者の酒や居酒屋への愛情が感じられる。チェーン店では「ニュートーキョー」「養老乃瀧」「天狗」の創業者について述べているが、とりわけ「天狗」の創業者の飯田保の役割は大きかったとする。飯田は日本橋の酒問屋「岡永」の次男として生まれるが、末弟の亮はセコム創業者の飯田亮で家業を継いだ長男以外は、創業者となり世にいう「飯田四兄弟」である。終章で格差拡大と「酒格差社会」を分析、1970年代の「1億総中流社会」は遠のき、格差社会は飲酒文化を衰退させると嘆く。「新・日本の階級社会」につながるのである。

5月某日
「新・日本の階級社会」を読む。著者の橋本によると、現代日本社会はもはや「格差社会」という生ぬるい段階ではなく明らかに「階級社会」となっているという。1970年代は確かに「1億総中流」という言葉にも明らかなように、格差は縮まった。当時は高度経済成長の時代で分け合うべきパイも大きかったし、パイの大きさも日々広がっていたのである。しかしバブル崩壊以降の20年は日本社会の様相が大きく変化した20年でもある。著者は現代日本を「資本家階級」「新中間階級」「正規労働者」「アンダークラス」「旧中間階級」に分類する。「新中間階級」とは経営者ではない管理職や専門職である。ある程度所得もあり学歴もある層である。「新中間階級」がどの党を支持するかによって選挙結果は大きく左右される。最近2回の総選挙では「新中間階級」が安倍自民党を支持したわけだ。話は少しずれるが自民党は分裂すべきだと思う。所得の再分配を重視し国際的には協調路線を歩む一派と、自己責任論を強調し、領土問題をはじめ国際的には強硬路線をとる一派にである。

5月某日
昨年亡くなった母の納骨で室蘭に妻と行く。行きは上野から東北北海道新幹線で。グリーン車を奮発したので快適な旅だった。新函館で在来線に乗り換え、東室蘭に着く。駅前のルートインに宿泊、寒いので出かけることもせず、ルートインのレストランで食事。次の日、弟が車で迎えに来てくれる。実家で母の遺品を見せてもらう。勝海舟、山岡鉄舟の筆とされる掛け軸などがある。母の実家は世田谷の成城にあり、割と裕福だったのであるいは真筆かもしれない。私は掛け軸などを包装していた昭和24年10月2日付の朝日新聞に興味津々。ブランケット版で2ページである。「中華人民共和国成立 主席に毛沢東氏」といった活字が躍っている。

5月某日
登別温泉の「滝乃家」旅館に兄弟3人とその連れ合い、弟の子供たちと宿泊。豪華旅館で料理もおいしかった。翌朝、最上階の展望風呂に浸かる。目の前の山桜が満開で花びらを散らしていた。私は監事をしている一般社団法人の監事監査があるので一足早く登別から新千歳へ。北海道は寒かったが羽田に着いたら汗ばむほどの陽気だった。監事監査を終えHCM社へ。大橋社長と新橋烏森口の「ひげ玉」に行く。遅れて大谷源一さんが来る。我孫子に帰って「愛花」へ。