モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
図書館で借りた「西郷隆盛 維新150年目の真実」(家近良樹 NHK出版新書 2017年11月)を読む。家近は日本近代史、とくに幕末から明治維新にかけての政治史の権威、と私は思っている。昨年出版された「西郷隆盛」(ミネルバ書房)も丁寧に文献をたどった力作だった。「はじめに」によると、本書の柱をなすのは、①辺境の地にあった薩摩藩がなぜ、幕末維新史において主役の座を射止めることができたか②薩摩藩内の真の主役は誰であったか③西郷がなぜ幕末維新史上で「図抜けた存在」になりえたか、という問題の解明にある。①は江戸からは辺境であっても、琉球王国の支配を通して薩摩は中国大陸、東南アジアとつながっていたし、ペリーも浦賀に来航する前に沖縄に寄港していた。つまり鎖国下、薩摩は諸藩のなかで例外的に世界と繋がっていた。②は西郷と大久保が主役という通説に対して、著者は島津久光と小松帯刀こそが真の主役とする。これは藩内のパワーゲームの主役という点では家近説が正しい。しかし武力倒幕説を曲げず明治政権を樹立したのは紛れもなく薩長、とりわけ西郷と大久保であった③については、いろいろな考え方があろうが私は、維新の功臣、西郷の悲劇的な最期こそが「西郷を特別な存在たらしめた」最大の理由と思う。

6月某日
図書館で借りた「天国までの百マイル」(浅田次郎 朝日文庫 2000年10月)を読む。連載は「小説トリッパ-」97年秋季号~98年夏季号、単行本は98年10月。城所安夫は4人兄弟の末っ子、産まれてすぐに父は他界、4人の兄弟は母親の細腕で育てられる。兄のうち1人は商社マン、1人は医者に、姉の夫は銀行の支店長へと世間的には成功者に。安夫も学校の成績は良くなかったが、バブルのころに立ち上げた「城所商産」で一時は年商数十億円を稼いだ。がバブル崩壊とともに倒産、安夫は自己破産、女房とは離婚。安夫は高校時代の友人が社長をやっている会社にセールスマンとして雇われ、月給は手取り30万円。別れた双子の子供が名門私立小学校に入学、仕送りは月々15万円から30万円に。おまけに1人暮らしの母が心臓病で入院、房総の鴨浦という漁師町にあるサン・マルコ記念病院の心臓外科医、曽我先生の手術だったら回復の見込みがあるという。母が入院している病院から鴨浦までは150キロ、100マイルである。で「天国までの百マイル」というタイトル。安夫は勤務先からバンを借りて母を搬送することを決意する。鴨浦のサン・マルコ記念病院は鴨川の亀田記念総合病院をモデルにしていると知れる。浅田次郎は今や押しも押されぬ大家だが、本書は「鉄道員(ぽっぽや)で直木賞を受賞した前後の作品、通俗性たっぷりで泣かせどころも何か所か用意されている。私にとって浅田次郎の作品はそれで十分。毎回予想を超えて楽しませてくれる。

6月某日
5月からHCMで債権管理の仕事をしている早乙女さんの歓迎会を近くの中華料理屋「ユイツ」で。早乙女さんは年住協に出向していたので、「出向先から本社勤務になった」というわけ。早乙女さんは40年ほど前、1年半ほどヨーロッパを放浪していたことがあると、今回初めて聞いた。行きはシベリア鉄道だったという。五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」などの影響もあったらしいけれど、私はその頃すでに今の奥さんと結婚して、子どももすでにいた。業界紙の記者をしていて生活は楽ではなかったが社会全体は今より明るかったような気がする。同じころ早乙女さんはヨーロッパ放浪の旅に。いろんな青春があったわけだ。「ユイツ」という店は「唯一」という意味で中国人がやっている広東料理のお店。なかなかおいしかった。

6月某日
図書館で借りた「財政破綻後―危機のシナリオ分析」(小林慶一郎編著 日本経済新聞出版社 2018年4月)を読む。財政破綻の危機が以前から言われながら、財政再建の歩みは遅々として進まない。そうした危機感が本書を産んだと言えよう。第1章「人口減少時代の政策決定」(森田朗津田塾大教授)は、日本を含むアジア諸国の高齢化がヨーロッパに比べて急速であることを指摘する。日本は高齢化率が7%から21%へ上昇するのに37年かかっているが、フランスはなんと157年である。ちなみに中国は33年、韓国は28年と日本より短い。フランスは日中韓のおよそ5倍の時間を賭けて高齢化に対応できたのである。高齢化にともない有権者に占める高齢者の割合は増え、しかも高齢者の投票率は高い。森田は政治家に「高齢者層を説得し、高齢者に負担を受け入れてもらう努力を期待するしかない」としつつ、読者には「いまは冷静に現実を見つめて、その状態を改善するために可能な選択肢を探ること」が必要であると訴える。
第2章「財政破綻時のトリアージ」(佐藤主光一橋大教授他)では財政破綻時の政府の選択肢は増税と大幅な歳出削減にほぼ限られるとしたうえで、歳出削減が必要になったときのトリアージを(優先順位)をあらかじめ考えておけと主張する。第3章「日銀と政府の関係、出口戦略、日銀引き受けの影響」(小黒一正法政大教授他)では、今は金利がほぼゼロだがデフレ脱却後に金利が正常化すると、巨額の債務コストが顕在化すると警鐘を鳴らす。国の負債はおよそ1000兆円、年間の利払いはその1%ほぼ10兆円ですんでいるが、金利が3%になれば30兆円である。論者らはここでも「増税や歳出削減の実行」という国民の痛みをともなう政策の実行を迫る。第4章「公的医療・介護・福祉は立て直せるか?」(松山幸弘キャノングローバル戦略研究所主幹)では、国債札割れによって公費の流れが止まると、診療報酬・介護報酬の公費分が未収金となり報酬改定マイナス時代が長期化し、多くの民間医療・介護事業体は倒産するというショッキングな予測を立てる。そのためにはたとえば「公的医療保険を2階建て」にして2階部分は被保険者のニーズによって変えればよいと提案する。
第5章「長期の財政再構築」(佐藤主光一橋大教授他)では、財政の構造改革について考察する。税制では経済のグローバル化や高齢化といった「新しい経済環境」で成長と両立するような税制の再構築、具体的には消費税を軸にした増税を提案する。財政再建が低所得者など社会的な弱者を切り捨てることになってはならないとも警告する。それによるポピュリズムの台頭を懸念するのだ。至極真っ当な議論といえる。第6章「経済成長と新しい社会契約」(小林慶一郎慶大教授)では、「経済成長を先に実現し、財政再建は後にする」という、これまで30年間続いた日本の経済政策の基本哲学を批判的に検討する。むしろ「将来の財政破綻の予測が、現時点での経済成長を低迷させる」という。財政再建問題や地球環境問題は深刻な世代間対立を巻き起こしかねない深刻な問題である。たとえば赤字国債を発行して道路を建設し景気を回復させるとすると、受益はもっぱら現役世代で負担は後世代である。環境基準を甘くして経済活動を活発化させれば、その受益を現役世代は受け取れるが環境の負荷は後世代にも及ぶ。そのため政府や政党から独立したフューチャーデザインの長期予測機関の設置や、行政機関として将来世代の護民官ともいうべき「世代間公平確保委員会」の創設などを紹介している。本書を通読して感じたことは財政危機の深刻さだが、同時に危機の克服過程にこそ日本社会の構造転換のチャンスが潜んでいるのではないかという希望である。ピンチの後にチャンスあり、である。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
社保研ティラーレで呑み会。ティラーレの佐藤さんと吉高さん、東村山市会議員の天目石要一郎さん、社会保険研究所の松沢総務部長、それに今回は天目石さんの友人でサンデー毎日の副編集長の隈本浩彦さんが参加。楽しかったけれど調子に乗って呑み過ぎた。

6月某日
図書館で借りた浅田次郎の「姫椿」(文春文庫 2003年9月 単行本は2001年1月)を読む。8編の短編が収められている。浅田の短編は基本的には人情噺。だが様々な味付けが施されており飽きない。「永遠の緑」は定年退官を2年後に控えた国立大学助教授、牧野公徳博士が主人公。妻を11年前に亡くし今は適齢期の娘との2人暮らし。博士が助手、妻が院生のころ2人は恋に落ちて結婚する。求婚したのは中山競馬場、妻の妊娠を知らされたのはレース終了後の東京競馬場場外の掛茶屋。博士は場外馬券は買わない。競馬場で馬を見て買うのである。競馬場でいつも会う青年がいる。筋骨たくましく職業は解体屋という。馬券が一度も当たらず帰りの電車賃を残してすっからかんになった博士が青年にご馳走になる。何軒かはしごして青年は博士を家に送る。実は青年と博士の娘は恋仲だったことがわかる。まぁ絵に描いたようなご都合主義のストーリーである。だが私はそれでいいと思っている。世間は都合よくは回ってくれるわけではない。だからこそ私たちはご都合主義のロマンを求めるのではないだろうか。

6月某日
図書館から借りた「人口減少社会の未来学」(内田樹編 文藝春秋 2018年4月)が面白かった。「人口減少問題」を必ずしも悲観的にとらえるのではなく日本社会の構造改革を進める好機ととらえる論者が多かったためであろうか。編者の内田は「人口減少は自然過程」としたうえで、最後に生き残るシステムは、「それを維持するためにプレイヤーたちが人間的成熟を求められるようなシステム、プレイヤーたちが『いい人』『誠実な人』『言葉をたがえない人』だと周りから思われることが不可欠であるようなシステム」と言い切る。籠池や加計問題のプレイヤー、日大アメフト部問題のプレイヤーを見ても、とても「いい人」「誠実な人」には思えないものなぁ。生物学者の池田清彦はキャリング・キャパシティ(環境収容力)に注目し、AIとロボット、ベーシックインカムによって「グローバル・キャピタリズムは崩壊して、定常経済が当たり前の世界になるだろう。そうなれば、キャリング・キャパシティがほぼ一定で、人口もほぼ一定という、生物種の生存戦略としては最適な社会になる」と予想する。人工知能と経済学の関係を研究するパイオニア、井上智洋はAIの普及によって第4次産業革命が引き起こるが、そのとき日本はヘゲモニー国家として生き残れるだろうかと疑問を呈する。「知力を軽視する国に未来はない」のである。一部の政治家の言動にそれを強く感じるのは私だけではないだろう。藻谷浩介はシンプルな統計数字により「地方にこそある生き残りの可能性」を実証し「有効なのは、子どもを好きなだけ多く持つことのできる、生活費が安く相互扶助の気風が残る地方に、子どもを持ちたいという指向の強い一部の若者を多く戻すことだ」と提案する。「人口減少社会における社会デザインとは、無縁の世界に有縁の場を設営してゆくこといがいにはない」とする平川克美は「いったんは、民営化され破壊された、社会共通資本を再生させてゆくこと。都市部の中に、家族に代わり得る共生の場所を作り出していくこと。そして人類史的な相互扶助のモラルを再構築してゆくこと」と言い切る。「相互扶助」で藻谷とも通底するが、これは地域包括ケアシステムの理念とも合致すると思う。建築家の隈研吾の「武器よさらば」をもじった「武士よさらば―あったかくてぐちゃぐちゃに、街をイジル」、平田オリザの「若い女性に好まれない自治体は滅びる―『文化による社会包摂』のすすめ」も面白かったが、今回注目したのは1974年岩手県生まれで「東北食べる通信」編集長の高橋博之。東日本大震災の被災地では確かに定住人口は減っているが、被災地の「未来を案じ、継続的に関わりを持ち続ける人」はぐんと増えているとして、こうした人々を「関係人口」と定義し、その拡大を訴える。人口減少が100年単位で進む以上、定住人口の拡大は難しい、ならば「関係人口の拡大」という発想が斬新である。

6月某日
図書館で借りた「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。幕末・戦後・現在」(加藤典洋 岩波ブックレット 2018年5月)を読む。加藤は1948年山形生まれで私と同年なのだが、「66年に大学に入学し2年留年して72年に卒業」というから、48年の早生まれで現役で東大に進学、68~69年の東大闘争に参加したことになる。私のことを言うなら48年の遅生まれ、1年浪人して早大に入学、72年に卒業である。それはともかく講演をもとにした本書は、長年、私が抱いていた疑問に答えてくれた気がする。連合赤軍事件に対する考え方がその1つ。連合赤軍事件は銃砲店を襲って猟銃を手に入れた彼らが、山岳ベースにこもって軍事訓練を行い、仲間を集団的なリンチで殺害し、保養所の管理人の妻を人質にとって機動隊と銃撃戦を展開し逮捕されるという一連の事件である。銃撃戦は72年の2月であった。私も山岳ベースに参加していたかもしれないという思いは50年近く経過した今も自分の脳裏から去らない。殺害された早大生の山崎某は面識はなかったとは言え、早稲田の同じ学部の1年下だし、同じく殺害された横浜国大生の大槻節子は、69年の9月、私が留置されていた大森警察署の女子房に留置されていた。大学で留置所で私たちは同じ空気を吸っていた。
連合赤軍は加藤にもいうように「神奈川の労働者層に拠点を持つ毛沢東派の京浜安保共闘とどちらかといえば都会的で国際的志向もつ赤軍派」との連合体である。加藤は「前者の『正義感』が後者の『いい加減な気分』を駆逐、粛清するというかたちで起こって」いるとし、自己否定的な気分による「正義感」と都市文化的な自由な気分が合流していた、そしてこの「正義感」と「いい加減な気分」は「当時、1人1人、同時代の誰のなかにもあった」と振り返る。私もまさにそのような1人であったと思う。加藤の論は幕末の尊王攘夷過激派に移る。薩摩藩、長州藩、水戸藩で主として尊王攘夷派は形成されたが、薩摩と長州は薩英戦争、下関戦争で欧米列強に敗北し、尊王開国に転じる。水戸藩は朱子学のイデオロギーのもと、水戸学を展開するが、薩摩も長州も尊王攘夷は倒幕のためのイデオロギーに過ぎなかった側面がある。薩長ともに対外戦争により「外に開かれた」のである。転じて昭和前期の皇国思想はどうか。加藤は「幕末の尊王攘夷思想が革命思想であるとすれば(中略)昭和前期の日本社会を席巻した皇国思想は、疑似革命思想にほかならない」とする。連合赤軍にも皇国思想にも幕末の尊王攘夷思想が備えていた、開かれた「関係」の意識性、「変態力」を欠いていたのである。
吉本隆明は終戦時19歳で天皇制ファシズムの熱烈な支持者であった。しかし吉本は現実に見たアメリカ兵のフランクな態度にショックを受け、東京裁判で明らかにされる日本軍のアジアでの「乱殺と麻薬攻勢」に衝撃を受け、「思想には1階部分がなければならないこと」を学ぶ。「大衆の現像に立脚して思想を構築する」という、吉本のその後の「思想の構え」の原点である。加藤はさらに論を日本国憲法に進め「護憲論は、日本の戦争体験にねざす平和主義を1階部分とし、憲法9条の条文を2階部分として存在」してきたと規定し、「1階部分を生かすために、2階建て構造の総体を変えること」を提言する。この国を戦争をしない国にする、そのためには日米安保条約を解消する、そのために「憲法を変えることが1つの活路になるなら、それを躊躇すべき理由はない」と主張する。一般的な護憲論に対して私が抱いていたモヤモヤとした疑問が解消されたような気がするのである。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
次男の友人の「バリッコ」さんの新著「酒場っ子」(スタンド・ブックス 2018年5月)を読む。実はバリッコさんの酒場巡りの文章には非常に共感するものがあり、次男にそのことを伝えたら、「森田茂生さんへ」とサイン付き、イラスト付きの新著を貰ってくれた。酒場の常連になるのも悪くないけれど、知らない町で一人でぶらりと入った店が意外にいい店だったりする。その辺の「酒場感性」というべきものがバリッコさんと私で激しく共振するものがある、と勝手に思い込んでいる。「酒場っ子」に掲載されているのはどれも魅力的な店ばかり。というか閉店してしまって今は営業していない店も紹介されている。これには「単なる酒場のガイドブックじゃないぞ」という主張を感じる。酒場の紹介ではなく酒場で交差する人生のガイドブックなのだ。

6月某日
神田の「清瀧」でHCM社の大橋社長と三浦部長と待ち合わせ。テレビが良く見える4人席に案内される。2人が少し遅れるということなので生ビールを呑みながら日大アメフト部問題を報じるテレビニュースを見る。50年前に闘われた日大闘争とは何だったのだろうと思わざるを得ない。あのときも日大の体育会は理事会の意を汲んで全共闘に対する暴力的敵対に終始した。「何にも変わってないじゃねえか」と思っていると三浦部長、少し遅れて大橋社長が登場。「清瀧」というのは埼玉県蓮田市にある「清瀧酒造」の直営店。日本酒が安くてうまいのは当然だが、肴も安くて種類も豊富。高田馬場の「清瀧」は場所柄、学生が多かったが神田はサラリーマンとそのOBが多いようだ。満足して帰る。

6月某日
新橋の駅前広場で開かれる古本市で100円で買った鷺沢萠の「帰れぬ人びと」(文藝春秋 1989年11月)を読む。鷺沢は1968年生まれ、2004年に35歳で死んでいる。自死と言われている。本作は芥川賞候補になっている。4編の短編が収められているが、鷺沢が20か21歳のころに執筆されたもの。早熟な才能に驚かされる。「かもめ家ものがたり」は「かもめ家」という呑み屋を任された青年が主人公。過激な学生運動を経験した常連客が「かもめ家」で邂逅し和解するエピソードにも時代を感じさせる。あとの3編は家族がテーマ。主人公は男の子もしくは若い男性だが、父親が事業に失敗した鷺沢の体験がベースにあるようだ。鷺沢が今生きていれば50歳。どんな作品を書いていただろうと早世が惜しまれる。

6月某日
元厚生官僚で50歳になる前にがんで早死にしたのが荻島國男さん。私はたぶん10年に満たないお付き合いだったと思うが大きな影響を受けた。その荻島さんの遺児、良太君が愛知芸術大学を出てクラシックのサキソフォン奏者になっている。良太君を含むサキソフォンカルテットの演奏会が上野の東京文化会館で開かれるというので聴きに行くことにする。上野駅公園口で厚生省で荻島さんと同期だった川邉さん、2年下の吉武さん、それと付き合ってくれた大谷さんと待ち合わせる。会場は小ホールということだったが300人以上入ると思われる立派なホール。このカルテットによる演奏会は今年で来年で20回を数えるという。そう思って聞くと4人の息が合ってとてもいい演奏だったと思う。私が言うのもおこがましいが「継続は力」でずいぶんと力量を上げたと思う。演奏会が終わって上野のイタリアンレストランで、吉武さんが持ち込んだドイツワインを呑む。

6月某日
図書館で借りた「明治史講義【人物辺】」(筒井清忠編 ちくま新書 2018年4月)を読む。「はじめに」で編者の筒井は明治という時代を「伝統的であると同時に近代的であり、『頑固』であるとともに『進取』でもある」と表現している。確かに自由民権運動にも急進民主主義的な側面と国権主義的な海外膨張主義的な両義的な側面があった。私は本書で紹介されている人物のなかでは板垣退助、金玉均、谷干城、松浦武四郎、福田英子の項が面白かった。今まで論じられるところが少なかったこともあるのだろう。筒井の執筆による乃木希典も面白かった。日露戦争の203高地攻略戦を巡っての「乃木愚将説」については司馬遼太郎の「坂の上の雲」に由来する側面もあるが、昭和軍閥の「長州閥排斥運動」にその源があるのではないかという指摘は興味深い。歴史の真相は通説だけでは捉えられないのである。