モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
厚労省の医系技官だった高原亮治さんの命日に墓参りに行かないか、というメールが堤修三さんから入る。木村陽子さんも一緒だという。上智大学の教授を辞めた後、高原さんは公知の病院の勤務医となり、その地で急死した。高原さんも堤さんも現役時代から知っていたが親しくなったのは厚労省退職後。何回か3人で呑みに行った。3人の共通点を敢えて言えば「全共闘崩れ」。堤さんは東大、高原さんは岡山大、私は早大でもちろん学生時代は互いに知ることもなかったが、ひょんなことから知り合い仲良くなった。もちろん全共闘だからと言ってすべての人と仲良くなるわけではなく、この場合は「本好き酒好き」という共通点があったからもしれない。高原さんは上智大学の聖イグナチオ教会の納骨堂に眠っている。高原さんは(102-1)という番地に納骨されている。毎回、捜すので今回は番地を記録しておく。墓参り後、四谷の新道横丁の「のどぐろ」という店で軽く一杯。木村陽子さんは確か総務省系(旧自治省系)の団体の理事長をやっていたが、今はそれも辞めて「名刺がないっていいわよ」という。木村さんは和歌山県出身でお土産に南高梅を頂く。木村さんは上野の神学校に行くというので6時30分頃お開きに。神学校には授業をしに行くのではなく、授業を聴きに行くのだという。

7月某日
オウム真理教の地下鉄サリン事件などで死刑判決が確定していた松本智津夫(麻原彰晃)ら7人が処刑された。地下鉄サリン事件は1995年3月。あの頃は新聞もテレビのワイドショーもオウム真理教の記事や映像であふれ返っていた。麻原は処刑されたがいったいあの事件は何だったのだろうと思う。図書館で「A3」(森達也 集英社インターナショナル 2010年11月)というオウム事件について書かれた本があったので借りることにする。「月刊プレイボーイ」の2005年2月号から2007年10月号までの連載をベースに2010年の視点や情報を加えている。著者の森達也という人はテレビ番組制作会社出身のもともとは映像作家だが現在は執筆が主となっているようだ。500ページ以上ある単行本だが、私には非常に面白かった。オウム事件の真実に迫りたいという著者の姿勢にとても共感が持てた。「真実に迫る」というのはジャーナリズムの基本と思うのだが、オウム事件に関しては多くのジャーナリズムは警察や検察の発表を鵜吞みにして麻原等を極悪人と報道するにとどまった。むろん27人の殺害に関わった麻原は極悪人であろう。だがなぜ、人は極悪人になってしまうことがあるのか、その背景には何があったのか、それを解明するのがジャーナリズムの役割と思うのだが。事実の報道はもちろん大事だが、真実の解明も忘れてはならない。森友加計学園問題、財務省の文書改ざん問題、日大アメフト部問題などについてもいえることだと思う。

7月某日
HCM社の大橋社長とエチオピア大使館に行く。スマートファインという会社の根田会長らと待ち合わせ、駐日全権大使のチャム・ウガラ・ウリヤトゥ氏を紹介される。エチオピアはシバの女王伝説からも分かるように歴史の非常に古い国だが、出生率が高く熱心に国づくりに取り組んでいるということでは、とても「若い国」でもある。エチオピア大使と仲介してくれたのが40年以上、日本に滞在し日本人女性と結婚しているタスティ・ガライアさん。1947年生まれだから私より1歳上。笠間市で陶芸をやっていて旭日双光章を受賞している。1時間ほど大使と歓談した後、中目黒のエチオピア料理のお店、その名も「シバの女王」に行く。大使夫人にエチオピアの隣国、エルトリアの大使も加わる。大使館の日本人の女性スタッフ、鈴木さんの隣に座ったので話をする。東海大学観光学部出身でエジプト大使館の観光局に勤務の後、エチオピア大使館に移ったそうだ。大橋さんと日比谷線で上野へ。上野駅のアイリッシュバーに寄る。

7月某日
「国体論 菊と星条旗」(白井聡 集英社新書 2018年4月)を読む。この本が書かれたのは2016年8月の今上天皇の「お言葉」がきっかけだったという。白井によると天皇は「お言葉」によって「自らの思索の成果を国民に提示し」、「象徴天皇制」が戦後民主主義と共に危機を迎えており、打開する手立てを模索しなければならないとの呼び掛けが国民に対してなされたというのである。今上天皇は皇后と共に日本全国にとどまらず、近年は太平洋戦争の戦跡も訪ねて慰霊を行っている。東日本大震災をはじめとする被災地にも足繁く足を運ばれている。天皇にとってこれらの行為は象徴として当然なすべきことであり、だからこそ「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」(お言葉)ことから生前退位へと繋がっていく。白井は日本の国体について1945年の敗戦によってそれは無効が宣言されたのではなく戦後も形を違えて生き残っているとする。白井は1977年生まれの政治学者だが、その「視点」の新鮮さにいつも驚かされる。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日 
HCM社の大橋社長とネオユニットの土方さんと西葛西の駅で待ち合わせ。土方さんの車で東京福祉専門学校へ。副校長の白井孝子先生からシミュレータについてアドバイスを頂く。校舎の一部が地域住民のために開放されているので見学させてもらう。「なごみの家 葛飾南部」というのが正式名称で、なんでも江戸川区の社会福祉協議会から委託されているらしい。小学生が2人、施設の備品のタブレットでゲームして遊んでいたし、若い母親が乳児を連れて遊びに来ていた。「なごみの家」を出て、西葛西駅近くの「庄屋」で一杯。土方さんにご馳走になる。帰りは西葛西から西船橋まで東西線で。西船橋から新松戸まで武蔵野線、新松戸から我孫子まで千代田線で。

7月某日
電車の中で読む本を家に忘れてきたので日暮里駅の「リブロ」という本屋で「昭和史講義【軍人編】」(筒井清忠編 2018年7月)を買う。太平洋戦争開戦時の首相を務め敗戦後A級戦犯として処刑された東条英機、敗戦時の陸軍大臣で「一死大罪を謝す」という遺書を残して自決した阿南惟幾、世界最終戦を唱え日蓮宗(国柱会)の信者でもあった石原莞爾、インパール作戦の指揮を執った牟田口廉也、ラバウルの名将と呼ばれ現地人を登用した植民地経営を進めながら、戦犯として現地刑務所に服役、釈放後は自宅の隅に小屋を建てて生活した今村均、海軍では連合艦隊司令長官の山本五十六、昭和期海軍の語り部と言われた高木惣吉、山本五十六と兵学校同期で親友だった堀悌吉ら14人の行動やリーダーシップの在り方に焦点をあてた。米英との開戦に当たっては陸海軍の多くの指導者は勝利への確信は持ちえなかった。国力からして米国に勝つのは無理、しかし3年後には日本の石油は底を突き、そこを米国に攻撃されれば日本はひとたまりもない。ならば先制攻撃で米国に一撃を加え、日本有利のもとに米国と和睦するというストーリーだったようだ。客観的に情勢を観察して判断するという基本ができていなかった。今の政治家にも言えるのではないか。

7月某日
「世界消滅」(村田紗耶香 河出文庫 2018年7月)を読む。村田沙耶香は「コンビニ人間」で芥川賞を受賞している。舞台は近未来の日本。人間の生殖は性行為ではなく人工授精によって行われる。夫婦間の性行為は「近親相姦」としてタブー視されている。主人公の雨音は夫ともに実験都市の千葉に移住する。そこでは人工授精による出産が行われ、生まれた赤ん坊は「子供ちゃん」として集団で育てられる。性行為をともなう恋愛は小説の大きなテーマであった。「世界消滅」はそれに対して挑戦しているのであろうか? 私は逆に恋愛における性行為の位置を再確認しているように思えるのだが。

7月某日
図書館で借りた「ルポ川崎」(磯部涼 サイゾー 2017年12月)を読む。川崎には今までほとんど縁がなかったが、最近、川崎駅近くの小規模多機能施設を訪問する機会が多い。川崎にはもともと在日の朝鮮人の人が多く住む地域があり、彼らに続いてフィリピン人やペルー人、その2世や日本人とのハーフが住み着くようになった。彼らに対して「ヘイト・デモ」が催され、同時にこうしたデモに反対する「カウンター」の運動も盛んである。そして本書で重要な位置を占めるのが「ラッパー」や「ダンサー」。彼らの多くは中学で不良となり、ラップやダンスに自分の生きる道を見出す。今日本の社会に欠けているのは多様性を認め合うということではないか。

7月某日
半藤一利の対談集「昭和史をどう生きたか」(文春文庫 2018年7月)を読む。「あとがき」によると2014年に東京書籍により刊行された単行本を文庫化したものとある。東京書籍の単行本はおよそ2000年から2010年まで「文藝春秋」や「オール読物」などで企画された昭和史に絡む対談を収録している。半藤一利の歴史読み物は読みやすさと正確さを兼ね備えた貴重な存在と兼ねてから私は思っていた。本書のなかでは「ふたつの戦場-ミッドウェーと満洲」(澤地久枝)、「指揮官たちは戦後をどう生きたか」(保阪正康)、「天皇と決断」(加藤陽子)、「栗林忠道と硫黄島」(梯久美子)が特に面白かったが、「失敗の本質」で名高い経営学者の野中郁次郎との対談が異色。対談の最後の方で野中が「本当に知的なリーダーを生み出すには時代が知的でなければいけない、というご指摘が胸にこたえました。まさしく現代に似てるな、と感じました」と語っていた。同感である。