モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
吉田修一の「ウォーターゲーム」(幻冬舎 2018年5月)を読む。通信社を装っているが実は国際的な産業スパイ組織のAN通信、その組織員の鷹野を主人公とするシリーズは「森は知っている」「太陽は動かない」に続いて本作は3作目。AN通信は児童福祉施設に収容されている子供たちの中から、潜在的に産業スパイの能力を持っている子供を選抜、沖縄の南蘭島で高校を終了させた後、AN通信に入社させる。「ウォーターゲーム」という題名通り本作は水の利権を巡る争いが日本、カンボジア、ロンドン、キルギスなど地球を何周も回るほどに展開される。吉田修一は「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞しているからスタートは純文学かも知れないが、このシリーズは立派なアクション、サスペンスもの。テンポもよくて私好み。

12月某日
「ウオーターゲーム」は「水の利権を巡る争い」と書いたが、前国会で水道法が改正され、水道の民営化が進められるようになったらしい。小説が現実を追いかけ、次に現実が小説に追随するという、そういう時代になってきたのかもしれない。ふるさと回帰支援センターの高橋公代表を訪問したら前国会では水道法だけでなく漁業法も改正され、ハムさん(高橋さんの愛称)によると、浜の利権に大手資本が介入してくることになるという。安倍政権はかなりとんでもないことをやっているのではなかろうか。ハムさんから「来年4.17の50周年だからみんなで集まってパーティをやろう、ついてはお前が事務方をやれよ」と言われる。
4.17とは1969年4月17日、革マル派によって早稲田から締め出されていた私たち反革マル連合が革マルの戒厳令を突破、全学封鎖への道を開いた日だ。ハムさんから「死んだ奴もいるしそのままドロップアウトした奴もいる。お前も一応社長をやったんだから何とかなったほうだよ」と言われる。おっしゃる通りです。

12月某日
「小暮荘物語」(三浦しをん 祥伝社文庫 平成26年10月)を読む。三浦しをんは新刊が出ると買うというほどではないが、本屋に寄って読んでいない文庫本があったりすると買うことがある。この本がそうで、タイトルの「小暮荘物語」と著者名だけで買うことにした。タイトルからして小暮荘というアパートを舞台にした物語ということは想像がつくが、最初に感想を言っておくと、私としてはかなり楽しく読んだ。三浦しをんはウイキペディアによるとは今年42歳の女性、早大一文の演劇専修出身。2006年に「まほろ駅前多田便利軒」で直木賞を受賞している。小説は小暮荘の住人および小暮荘に関わる人を主人公にした6つの短編の連作となっている。

12月某日
笹塚の新国立劇場へ大谷源一さんと「Ay曽根崎心中」を観に行く。(社福)にんじんの会の石川はるえ理事長からチケットを頂いたからだが、誘った女性にみな断られたけれど、大谷さんには断られなかった。大谷さんにHCMに来てもらい内幸町から都営三田線、神保町で都営新宿線に乗り換えそのまま京王新線の笹塚へ。笹塚の駅から新国立劇場へは地下道が通じている。入口と書くに石川さんがいたので挨拶、席に着くと川村女子学院大学の吉武民樹さんも同僚と来ていた。「Ay曽根崎心中」のAyとはフラメンコの掛け声の「アイ」で、ということはもともと近松門左衛門作の人形浄瑠璃だった(後に歌舞伎にも)曽根崎心中をフラメンコに仕立てたもの。舞台と衣装がなかなか絢爛豪華だったし、音楽もフラメンコを基調としながら三味線や和太鼓も取り入れなかなかの迫力だった。終演後、帰りのエレベーターで大谷さんに「なかなか良かったけど最後の歌謡ショーみたいのはいらないね」と話していたら、エレベーターに同乗していた私たちと同じくらいの年代の女性(ということははっきり言えばばあさん)が「私もそう思います。2人が心中で果てたところで終わるべきでした」と。都営新宿線で岩本町まで行って秋葉原でJRに乗り換え上野へ。上野不忍口で降りて「養老乃瀧」で大谷さんと吞む。

12月某日
午前中、東大の辻哲夫教授を訪ねる。辻さんの研究室は工学部8号館なので地下鉄千代田線の根津駅が近い。11時に研究室に行くと辻さんは校正刷りに目を通している最中だった。辻さんに「何時頃研究室に来ているんですか?」と尋ねると「10時頃来て8時頃帰ります」。
「私は11時過ぎに会社来て4時には帰りますよ」(だいたいそんなに仕事ないし)というと「私は病気なんですよ」と。つまり仕事病ということ。辻さんからこれからは地方が大切、人口が減少するなかでどうやって乗り切っていくか、知恵を絞っていかなければと熱弁を聞かされる。辻さんの熱弁は現役の厚生官僚の頃から「辻説法」として有名だった。しかし辻さんがこの国の将来を真剣に憂えているのは事実。「健康に気を付けて下さいね」と心の中でつぶやいて研究室を去る。午後は社会保険福祉協会の「介護職のためのグリーフケア実践講座」を聞きに行く。講師は高本眞佐子さん。今から3年ほど前、社福協から助成金をもらって「介護職の看取り及びグリーフケアのあり方」という調査研究の成果が実践講座にも生かされていた。高本さんは専門学校や社協などでグリーフケアの講義や講演の依頼が増えているようで、講師ぶりも板についてきた。5時前に研修を中座して新橋烏森口改札へ。新宿の有名なクラブで10年ほど前に閉店した「ジャックの豆の木」の店長、三輪泰彦さんと待ち合わせ。寒いので駅の近くの焼鳥屋へ。店には真鍋という棋士はじめ何人かの棋士も常連だった。昔話で2時間はあっという間に過ぎた。三輪さんは現在、鹿児島在住、お土産に軽羹と桜島のみかんを頂く。

12月某日
成城大学の名誉教授、村本孜先生とHCM近くの「64barrack st.」で会食。先生は住宅金融が専門で30年ほど前、年住協が住宅金融の国際会議を主催したとき知り合ったと思う。竹下隆夫さんとも親しく、1月25日の「偲ぶ会」のお知らせをしたら会議で虎ノ門方面に行くことも多いので「一度食事でもどうですか」ということで、今回の会食となった。先生は成城大学に社会イノベーション学部を立ち上げたときの原動力となったが、「いやーたいへんでした」という。こういう率直なところが先生の魅力だ。食事の後、HCMに寄っていただいて四方山話。大学も研究費が削られる一方ということで「このままでは日本の将来は危うい」ということで一致。