モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
日曜日だが「音楽運動療法研究会」があるのでTKPカンファレンスセンター新宿へ。ここは何度か研究会で使用したことがあるのだが迷ってしまった。時間に余裕を持って出かけたのだが、着いたのは開始10分前。事務局長の宇野裕さんと本日の講師がすでに来ていた。
講師の経産省のロボット政策室の宇賀山在課長補佐と名刺交換。そういえば3年ほど前ロボット政策室の美人の課長補佐に取材したことを思い出す。宇賀山さんは「介護分野でのロボット活用の展望」について話してくれた。介護業界に限らず日本は慢性的な人手不足が続いており長期的にも労働力人口の減少は確実、ロボットや外国人労働力の活用は不可避と言われている。宇賀山さんは2020年に介護ロボットの市場規模500億円を目指しているが、現場の抵抗感もあって簡単ではないと語っていた。研究会のメンバーのうち川崎市の特養「かないばら苑」の施設長、依田さんから介護現場での人手不足は深刻で省力化のための投資は積極的に考えたいという発言があった。研究会のメンバーにはロボットに対する抵抗感は無いようだった。宇賀山さんが退席した後、今年「かないばら苑」でやった音楽療法の実証実験について依田さんから、ホームヘルパー協会東京都支部の協力を得て実施したヘルパーへの調査について研究会のメンバーの黒沢さんから報告があった。音楽療法は要介護者だけでなくヘルパーにとっても「スムースに介護ができた」等の効果があるようだ。研究会の後、宇野さんと研究会のメンバーである小金井リハビリテーション病院副院長の川内先生と近くの台湾料理屋へ。

12月某日 
「永続敗戦論-戦後日本の核心」(白井聡 太田出版 2013年3月)を読む。白井は「未完のレーニン」で論壇にデビューしたのだが、「永続敗戦論」以降は戦後論、国体論を論じることによって日本社会のありようを批判的に解明しているように思える。白井の論を私なりにまとめるとすればこうだ。太平洋戦争で日本はアメリカを主とする連合軍に無条件降伏したのにも関わらず、国民ならびに支配者層にはその自覚がない。そして自覚のないままにアメリカに従属している。それが日本人の政治意識をはじめ精神構造にさまざまな歪みを与えているというものだ。例えば、とこれからは私の考えなのだが、普天間基地の移設で紛糾を重ねる沖縄について考えてみる。任期途中で死去した翁長知事の後継知事を選ぶ選挙で、翁長知事が後継者に指名したデニー玉木が当選した。玉木知事は民意が示されたとして安倍首相や菅官房長官に普天間移設の白紙撤回を要求するが、安倍や菅はその要求に一顧だにすることなく工事を再開する。安倍や菅は明らかに沖縄県民の民意よりもアメリカの意向に従っているとしか思えない。永続敗戦の極めて分かりやすい姿である。白井は戦中戦前の指導者の戦争責任も容赦なく追及する。終戦の決断が遅れたために沖縄、広島、長崎はじめ多くの軍人と民間人の命が奪われた。これらに対する昭和天皇を含めた戦争責任の追及は極めて不十分に終わっている。不十分であるが故に敗戦は終わることなく現在までも続いているというのだ。ネットで調べると最近、白井は日本共産党との共闘を模索しているようである。国会あるいは院外の大衆行動において、共産党との共闘に一歩踏み込むのは私も賛成。共産党も私も「大人」になったのである。

12月某日
元社会保険庁長官の堤修三さんから近著「社会保険の政策原理」(国際商業出版 2018年11月)を贈られる。ハードカバーで450ページを超える大著、今までいろんな媒体に発表した論文や個人通信(柿木庵通信、柿木坂摘録)を収録したもの。堤さんは厚労省の要職を務めながら、現在の政策に遠慮のない批判を加えるものだから現役の官僚諸氏には煙たがられているかもしれない。しかし彼の批判は筋の通ったものと私は思っている。第5章の「Ⅱ 社会福祉事業・社会福祉法人制度の混迷~2016年社会福祉法の改正を考える~」が興味深かったので紹介する。2016年の改正は社会福祉法人(以下、社福と略)の内部留保や一部経営者の私物化への批判を受けて行われた。社福のガバナンスの強化、内部留保を吐き出させるための社会福祉充実計画の仕組みの導入などが骨子。ガバナンスの強化は、評議員選任・解任委員会による評議員の選任・解任、評議員会の必置とその権限の強化(経営基本方針等の決定、理事・監事・会計監査人の選任・解任)、理事・監事・会計監査人の職務の明確化、理事会の職務の明確化(業務執行の決定、理事の職務執行の監督、理事長・業務執行理事の選定・解職)、理事長・業務執行理事の職務の明確化が主な内容である。ここで問題となるのは法律上、制度上は社福のガバナンスの強化がなされたが、実態上はどうなのか。現に社福の評議員や理事がそういう意識を持っているかということである。評議員や理事には「善管注意義務」が課せられている。これを怠ると損害賠償請求を負わされることもある。「理事長のお友達だから」と「軽い気持ち」で引き受けるべきではないのである。

12月某日
国立病院機構の古都賢一副理事長に面談。地下鉄半蔵門線の駒澤大学で下車、15分ほど歩くと東京医療センターと同じ敷地内にある国立病院機構だ。副理事長室でたわいのない話を小一時間。帰りは東急バスで渋谷まで出て渋谷から地下鉄銀座線で虎ノ門へ。HCM社へ戻ると大谷源一さんが待っていた。大谷さんは6時から国会議員のパーティに出席することになっている。その前に「ちょっと行きますか」と新橋烏森口の「焼き鳥センター」へ。1時間ほど呑んで一人1000円ちょっと。大谷さんと別れて我孫子へ。我孫子で久しぶりに愛花に寄る。

12月某日
朝日新聞のベタ記事に、「医師が奈良県知事選に出馬」と「川島実」という医者が現職知事に挑むということが報道されていた。「もしかしたら」とネットで検索すると、プロボクサーの経験もあるドクターということで昨年、「へるぱ!」の取材であった川島医師であった。川島さんは京大医学部在学中にプロボクサーとしてデビュー、戦績は15戦9勝5敗1分け。徳洲会病院などで経験を積んで東日本大震災では気仙沼に派遣される。震災後、院長不在だった本吉病院の院長を引き受けたりする。奈良に戻って東大寺で得度、在家の僧侶でもある。「へるぱ!」のインタビューでPTA会長や自治連合会の会長もやっているとして「自分の住んでいる地域を通じて、コミュニティって何かをいつも考えさせられています」と語っていた。知事選は来年ということだが、健闘を祈るのみ。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
「物書同心居眠り紋蔵 密約」(佐藤雅美 講談社文庫 2001年1月)を読む。単行本は1998年3月に出版されている。文庫本は2017年9月に第19刷発行とあるから、佐藤雅美のこのシリーズも根強い人気を持っていることが分かる。佐藤雅美の時代小説は、ストーリー自体はフィクションにしてもそれがしっかりとした史実、時代考証に支えられているのが特徴。とくにこの「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」は、時と場所を選ばず居眠りしてしまうという奇癖を持つ同心、紋蔵がその奇癖故にエリートコースたる外回り(今でいう刑事)ではなく、裁判所(町奉行は警察権と裁判権を持っていた)の書記兼資料係たる物書同心という立場での活躍を描く。資料係としての物書同心は例繰(判例)与力の下で、過去の判例や記録を調べるのが仕事である。つまりこのシリーズそのものが膨大かつ細密な史実、時代考証によってできていると言っても過言ではない。
江戸庶民や悪党どもには絶大な権威と権力を持っていた与力や同心だが、幕臣としては将軍に拝謁できないお目見え以下の身分で、武家社会の中では中層ないし下層に位置する。今日のキャリア官僚とノンキャリアの差をつい思い浮かべてしまうが、その意味では本シリーズはサラリーマンものとして読めなくもないのである。上役の無理難題に頭を抱え、小料理屋の美人の女将にほのかな恋心を抱く紋蔵は、髷を結ったサラリーマンである。おそらく日本のサラリーマンの源の一つは明治時代の官員であろう。その官員の源は幕藩体制における幕臣、藩士である。グローバルスタンダードも良いが、日本のサラリーマンの心情を真に理解するには、明治からさらに遡る必要があるということかも知れない。

12月某日
新聞に天皇皇后ご夫妻が「Ay曾根崎心中」を新国立劇場で観たという記事が載っていた。何でもプロデュースした阿木燿子と親交があるらしい。先代の昭和天皇は明治憲法のもと即位し、「天皇は神聖にして侵すべからず」という地位にあり、戦後、一転して現行憲法のもと象徴天皇となった。だが昭和天皇は共産主義の脅威に対する感情から、日米安全保障体制や米軍沖縄基地の存在に対して強い賛意を持っていたと言われる(岩波新書の「日米安保体制史」)。これに対し今の天皇は平和憲法のもと即位し一貫して憲法を擁護する姿勢が強いように感じる。思想的には安倍首相とは相容れないのではないか。そう露骨な発言はしないけどね。そういう意味で私は今の天皇夫妻のフアン。日にちは違うけれど同じ劇場で同じ演目を観られたのは光栄です。

12月某日
「不意撃ち」(辻原登 河出書房新社 2018年11月)を読む。辻原登は1945年和歌山県の印南町生まれ。印南町は御坊市や田辺市に隣接する和歌山県南部の町で新宮市にも近い。私が初めて読んだ辻原の作品も大逆事件で刑死した医師の大石をモデルにした「許されざる者」だったと思う。長編、短編、フィクションに歴史もの、そして私小説と作品の幅はかなり広い。私にはどれも面白くたぶん相性がいいのだと思う。本作は5つの短編が収められている。風俗嬢と風俗店の送迎ドライバーの話(渡鹿野)、東北大震災にボランティアに駆けつける神戸のNPOが募った募金の略取を図り事故死する(仮面)、作家の分身と思しき「私」が中学校のときの友人を執拗に殴った教師に会いに行く(いかなる因果にて)、大学附属病院の精神科を受診する女性宇宙飛行士が受診中に大地震に遭遇する(Delusion)、出版社を退職した奥本さんが妻と娘に黙って近所にアパートを借りて失踪し、あっけなく発見される(月も隈なきは)という5作品である。「渡鹿野」はたぶん辻原に何作かある「風俗もの」、「仮面」はフィクション、「いかなる因果にて」は私小説、「Delusion」は近未来小説、「月も隈なきは」はフィクションと勝手に分類するが、どれも面白く読んだ。多彩な才能と言っていいように思う。

12月某日
幻冬舎の見城徹社長の「読書という荒野」(幻冬舎 2018年6月)を読む。見城は角川書店時代にベストセラーを連発、幻冬舎を創業して以降も石原慎太郎の「弟」、郷ひろみの「ダディ」、渡辺和子の「おかれた場所で咲きなさい」など24年間で23冊のミリオンセラーを送り出した。優秀な編集者でありプランナーであり経営者なのだろう。見城個人について私はほとんど知ることがないので、今回図書館から借りて読むことにした。前半は見城の個人史だがこれはかなり面白かった。見城の母は裕福な医師の娘で旧姓を多紀という。手塚治虫に「陽だまりの樹」という自身の先祖を主人公とした作品があるが、敵役の将軍の御典医で多紀という姓だった。それからすると日本でも指折りの医師の家系ということになる。父親の実家は材木商で父は小糸製作所の静岡工場に勤めるサラリーマン。この父は見城に言わせると「僕がものごころついたころには、酒に溺れ、ほとんどアルコール依存症」のようだったという。見城にとって父親は「血がつながっているというだけで、いないも同然の人だった」としているが、この「父親の不在」が見城の精神の形成に大きな影響を与えたのは間違いないだろう。生まれたのは静岡県清水市で1950年。私より2歳年少である。小学校中学校は「いじめられっ子」。高校は清水南高、進学校の静岡高校、清水東高校より偏差値のランクが低い新設校だった。これが見城に幸いした。自分の偏差値で楽に入れる高校に進学したので成績はトップクラスになり、小中時代の「いじめられっ子」から一転、高校のリーダー的な存在となる。
大学は現役で慶應大学の法学部に進む。私は早稲田に一浪して入ったので私が早稲田の2年のとき彼は慶應に入ったわけだ。その年の1月、東大の安田講堂の攻防戦があり、東大日大を頂点とした全国の学園闘争が最高に盛り上がった1969年である。見城は入学後すぐに授業に出なくなり、高校時代から関わっていた学生運動にのめり込む。そのとき最も影響を受けたのが吉本隆明。「転位のための十篇」や「マチウ書試論」は今も読み返すという。学生運動の渦中に自死した高野悦子の「二十歳の原点」奥浩平の「青春の墓標」も愛読書に上げている。見城に大きな衝撃を与えたのがイスラエルのロッド国際空港で日本赤軍の奥平剛士ら3人が乱射事件を起こした。見城は「彼らの戦いに比べたら、自分の戦いなど些細なものだ。ビジネスでどんなリスクを冒そうと、命をとられることはない」とし、吉本の詩や評論、高野や奥のノートや日記、奥平らの生き方に、仕事への原動力を与えられたという。ここまでは大変共感できた。いや有名出版社の入社試験に落ちて廣済堂出版に入社、角川書店に転職するまでも共感できる。共感できないのは現在である。幻冬舎を立ち上げヒット作を連発し、安倍首相の取り巻きとも言われている。世間的には大成功と言ってよい。しかしこの本の後半はほとんど自画自賛の本ではないか。社長であり絶対権力者の自画自賛本を自社から出版するという神経が分からない。新聞、雑誌、報道を含めて出版というのは公器の筈なのに。