モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
友人の関友子さんが浅草公会堂で三味線を弾くというので、弁護士の雨宮英明先生、元伊勢丹の岡超一さんと行くことにする。3人とも早稲田の政経学部の出身(関さんは卒業していないかも知れない)。関さんは在学中から私の奥さんと親しかった。岡さんと雨宮先生、私と奥さんは語学が同じクラスだった。関さんはエレクトーン奏者をやった後、新宿や赤坂でクラブを開業、そこのママ稼業を頑張っていたが数年前に引退、いまや悠々自適の身である。雨宮先生は内定していた就職先を辞退、司法試験に挑戦し見事合格、検事に任官の後、弁護士に転身した。岡さんは就職先を百貨店に絞り、念願の伊勢丹に入社、親の介護で60歳で定年退職した。私は過激な学生運動に参加、逮捕起訴されたこともあって彼らとは違った人生を歩むことになるのだが、このところ彼らと呑むことが多い。
西新橋の弁護士ビルの雨宮先生の事務所からタクシーで浅草公会堂へ。タクシー代は雨宮先生持ち。公会堂はすでに和服で着飾ったご婦人や恰幅のいい紳士たちでにぎわっていた。ほどなくして岡さんも到着、1階席はほぼ満席だったので2階席に向かう。第2回浅草会ということで、浅草、向島、八王子の芸者衆の踊りがメインで、関さんの三味線はその伴奏というわけだ。料亭に芸者を呼んで酒を呑んだら一人何万円も請求されるところだろうが、この会のチケットは1枚5000円。これで芸者衆の踊りと浅草の幇間芸を楽しめるのだからまぁリーゾナブルというべきか。終って雷門そばの蕎麦屋「満留賀」で一杯。私と岡さんは銀座線で上野へ。銀座線ではなぜか映画の「ゴジラ」の話になって、岡さんは「ゴジラの第1作は反核の映画だったんだ」といろいろ解説してくれた。

4月某日
「プラスチックの祈り」(白石一文 朝日新聞出版 2019年2月)を図書館で借りて読む。ハードカバー本文643ページの大著。通勤の時間と朝1時間の読書で3日で読了。内容が「謎解き」めいていて面白かったことにもよる。主人公は作家の姫野伸昌、福岡の海洋時代小説家の息子で、早稲田大学卒業後大手の出版社に勤務、その後作家デビュー。こうなると姫野は作者、白石の分身と思わせれる。白石の父は海洋時代小説家で直木賞作家の白石一郎。白石は早稲田大学政経学部卒業後、文藝春秋社に入社している。だからこの小説が私小説かというとそれは全く違う。主人公の作家の肉体の一部がプラスチック化するという破天荒な話からストーリーは始まる。荒唐無稽な話ではあっても読者をひきつけるのは白石の作家としての力量のなせる技だと思う。姫野は愛する妻、小雪を失ってから酒浸りの生活を送っているのだが…。この小説のテーマのひとつは人間の記憶だ。それから人間の存在の危うさ、儚さといったところか。飯田橋の居酒屋「てっちゃん」で知り合った村正は、ぼんちりの串を一本取り上げ「このぼんちりの串が本当にあるかどうかだってわからない。僕や姫野さんがあると思い込んでるだけなのかもしれない。物事なんてのは、結局、全部そうなんだと僕は思うんです。全部思っているだけでね」と語る。「我思う故に我あり」(デカルト)の世界ですね。小説の最後では、東京の街全体がプラスチック化され、「『私』はその荘厳な景色に見とれながら、小さな声で祈りをささげる。物語よ、終われ。そして始まれ」で終わる。物語全体が「死と再生の物語」と読めなくもないのである。

4月某日
明日から10連休。「竹下さんを偲ぶ会」で受付をやってくれた香川さん、司会をやってくれた落合さん、カメラマンをやってくれた浜尾さんと夕食を一緒にすることに。お店はこのところ大谷さんとよく行っている千代田線町屋駅から直通の「ときわ食堂」。17時30分スタートなので5分ほど前に町屋駅に着くと、香川さんがいた。同じ電車だったらしい。生ビールとウーロン茶で乾杯。少し遅れて浜尾さんが到着。香川さんがフリーライター、浜尾さんはフリーの編集者だが、落合さんは高齢者住宅財団の企画部長。財団の仕事の関係で18時過ぎに到着。改めて乾杯。私だけが男子(といってもジジイですが)で、残り3人は女子。女子会にジジイが参加したようなものだが、違和感なし!終わって落合さんは都電で王子経由、香川さんと浜尾さんは千代田線で表参道方面、私は我孫子へとそれぞれの家路へ。

4月某日
「世界史の実験」(柄谷行人 岩波新書 2019年2月)を読む。柄谷行人の書物は難解なんだよねぇ。柄谷は東大の学部では経済学を専攻し大学院は英文科に進んだ。夏目漱石論で群像新人文学賞(評論部門)を受賞した後、文芸批評家として世に出た。しかし文学評論では物足りなくなった柄谷は「マルクスその可能性の中心」と「柳田国男論」の雑誌連載をほぼ同時に行う。マルクスの足跡は革命家としてのそれを別にしても、経済学、哲学を幅広く覆っている。柳田国男だって農商務官僚から内閣書記官長という官僚のトップにのぼりつめる一方で、日本の民俗学の草分けともなる。マルクスと柳田を同時にほぼ論及するというのはかなりの力量が無ければできないことだし、知識のストックが無ければできないことだ。柄谷の文章が難解であるのはそうしたことに依るのかもしれない。だけど本書は比較的平易、文体も「ですます調」で読みやすかった。本書は主として柳田国男について書かれているのだが、柳田に付随するかたちで島崎藤村にも触れられている。柳田も島崎も父は平田篤胤の流れを汲む国学者であり神官であった。島崎の父は「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルであることは知られている。童謡の「椰子の実」の作詞は島崎だが、「名も知らぬ遠き島より流れ来る椰子の実」の着想は柳田である。私は本書の本筋とはやや外れる叙述に心が魅かれた。第一次世界大戦後、二つの社会を変革する実験が行われた。ロシヤ革命と国際連盟の創設で前者はマルクスの、後者はカントの理念に基づいてのものである。マルクスは来るべき革命は一国で開始されるにしても世界革命として波及していくだろうと予想した。それはレーニンらのボルシェビキも同様で、ソ連の正式名称、ソビエト社会主義共和国連邦に「ロシヤ」という地名がないことからも明らかだ。連邦のロシヤ語のサユーズは「同盟」の意味で「ソビエトに基礎を置く社会主義共和国の同盟」ということだ。革命の進展に応じてドイツ、フランス、英国が社会主義共和国の同盟に加盟するというイメージだったのだろう。ドイツ革命が敗北し、さらにレーニン死後、スターリンはソ連一国社会主義の建設に傾斜していくのだが。それはまた別の話であった。

4月某日
「憲法の無意識」(柄谷行人 岩波新書 2016年4月)を読む。非常に面白く読んだのだけれど、内容を要約するのはかなり難しい。私なりに乱暴に要約してしまうと、憲法が戦後守られてきたのは国民が意識的に守ってきたものではなく、「無意識」のレベルで守られてきたということになる。憲法は明らかに占領軍によって起草されたが、その事実は占領軍の民間検閲局(CCD)の「検閲」により隠蔽される(江藤淳)。柄谷は「検閲」をフロイトの理論により掘り下げる。憲法9条には「戦争を忌避する強い倫理的な意志がある」が、しかし9条は日本国民の自発的な意志ではなく占領軍に押しつけられたものだ。柄谷はこれをフロイトを引用しつつ、先ず、外部の力(占領軍)による戦争(攻撃性)の断念があり、それが国民の良心(超自我)を生みだし、さらにそれが戦争の断念をいっそう求めることになったという構図だ。柄谷は「憲法9条は、日本人の集団的自我であり、『文化』です。(中略)それは意識的に伝えることができないとの同様に、意識的に取り除くこともできません」と述べる。つまり「憲法の無意識」である。
今日で「平成」が終わり明日から「令和」がはじまる。テレビは2、3日前から平静を振り返る特番を流している。皇太子時代も含めて天皇と皇后には「お疲れさんでした」とねぎらいたい。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る会」に高橋ハムさんが亡くなった山口俊さんの第三歌集「総括」を持ってきたので1冊もらう。山口俊は当時から私にとっては得体の知れない存在だった。奥州寄居一家というヤクザの構成員という噂も聞いていたように思う。痩身でかぶっていたヘルメットもオートバイ用ので私たちの工事現場用の普通のヘルメットとは違っていた。全共闘運動が下火になったとき高橋ハムさんとともに革マルに拉致され、リンチされたうえ秩父かどこかの山中に捨てられたということも後に聞いた。その山口さんも数年前に死んだということをハムさんから聞いていた。歌を創っていたことは知らなかったが、今回初めて読んでなかなか良い歌があるのに少し驚く。「ややひきずりし足の痛みよ、青春の記憶すでに定かではない」という歌があるが、革マルのリンチによる後遺症で足を引きずっていたのだろう。解放派の内ゲバ死亡した永井啓之のことを歌った「波は寄せまた波は寄せ青い季節であるかと」は解放派のヘルメットの色が青だったことを思い出させる。もう少し山口俊さんの歌を知りたい思う。

4月某日
「人工知能」(幸田真音 PHP 2019年3月)を読む。人工知能の本は何冊か読んだが、人工知能を題材にした小説を読むのは初めて。本作は「しぶといやつ」というタイトルで月刊「Voice」に連載されたものを改題し、加筆・修正したものというが、幸田は当初、主人公凱の人工知能にからんだ青春物語を書きたかったのではないだろうか。それが人工知能の専門家を取材するうちに人工知能そのものに興味が移っていったように思う。ストーリーは人工知能を使った自動運転の車の開発を巡って安全である自動運転車が、経産省のエリートに襲い掛かるという謎解きが中心。自動運転のプログラムが書き替えられたのだが、私はストーリーよりも人工知能の可能性や、人工知能開発を手掛ける凱が入社したAMIという会社の社長、組織、社員に興味がある。個人の能力を最大限に引き出す自由な組織でなければ、AIの本当の開発は無理であるというようなことが示唆されているように感じたのだけれど。

4月某日
4月から上智大学で教えることになった吉武民樹さんの研究室を大谷源一さんと訪問。社会福祉学科の教授の部屋は2号館の15階にある。亡くなった高原亮治さんが上智大学で教えていたとき、何回か来たことがある。吉武さんの部屋に行く前に資料室の前を通ると、栃本一三郎さんがいたので声を掛ける。吉武さんの部屋へ行くとさすが15階、四ツ谷駅前から市ヶ谷当たりの眺望が広がっていた。四ツ谷駅前の新道通りでも飲もうかと思ったが、大谷さんが19時半から鶯谷の「あじとよ屋」で滋慶学園の人たちとの約束があるというので、そこに行くことにする。上智大学の隣の聖イグナチオ教会の納骨堂には高原さんのお骨が収められているので寄ってみるが行事があるとかで「5時前に来てください」と言われてしまった。「あじとよ屋」の予約を18時半に変更してもらって鶯谷へ。南口から階段を下りて言問い通りへ。酒・食品の業務用スーパー「河内屋」(一般の人も購入できる)の近くに「あじとよ屋」はあった。居酒屋というよりはイタリアン風の内装、料理もフォアグラなどこじゃれている。滋慶学園の2人もそろって乾杯、吉武さんにすっかりご馳走になる。吉武さんと私は上野からグリーン車で我孫子へ。上野でもう少し呑むという3人と別れる。

4月某日
図書館で借りた「大坂の陣 近代文学名作選」(日高昭二編 岩波書店 2016年11月)を読む。大坂の陣を描いた明治以降の文学作品のアンソロジー。大坂の陣は豊臣方の敗北を以て終わるが、解説で言うように明治維新で徳川政権が崩壊したため「家康に代わって、秀吉が明治の世に召喚されはじめる」。江戸時代、徳川政権に歯向かった豊臣について文学作品とは言え触れることにははばかりがあったということであろう。坂口安吾、岡本綺堂、坪内逍遥、吉川英治、菊池寛らの描く太閤秀吉や真田幸村、そして大坂の陣はそれなりに面白かった。何年か前のNHK大河ドラマで堺雅人が真田幸村を演じた「真田丸」を楽しく見た記憶があるかもしれない。それにしても日本における軍事衝突にはいろいろな呼び方がある。天下分け目の「関ヶ原の戦い」、何年かにわたって内戦が続いた「応仁の乱」、源義家の「前九年の役後三年の役」、軍事衝突を「乱」「変」「役」などと表現した。幕末になると「薩英戦争」「下関戦争」「戊辰戦争」と戦争という呼称が普遍化し明治に受け継がれていく。もっとも「薩英戦争」「下関戦争」は明治期につけられたのかも知れない。明治10年の「西南戦争」も「西南の役」とも呼ばれた。日中戦争は戦争中は「支那事変」と呼んだ。宣戦布告をしていないので、日本としては「事変」として主張する必要があったのだ。「大坂の陣」は大阪城を巡る攻防であったことと、徳川方が大阪城に対して包囲の陣立てで臨んだことに由来するのかも。

4月某日
一般社団法人LeLien(ルリアン)代表理事の神山弓子さんの実家は宮城県の石巻市。3.11の当日はJR石巻線の乗客だったそうで、乗客たちの機転とチームワークで辛くも津波の被害を免れたという。神山さんの前職は日本航空の国際線の客室乗務員。9.11は米国上空を航行中だったということで、神山さんは3.11と9.11の2つ、津波とテロの惨事を現地で体験したということになる。その神山さんが石巻に里帰りしてお土産に日本酒とメヒカリを買ってきてくれたというので、上野の大谷源一さんと神山さんが待つ居酒屋へ。ありがたくお土産を頂く。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る集い」の打ち合わせを東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で高橋ハムさん竹石さん、大谷さんと。終って大谷さんと神田へ。このところよく行く「鳥千」の手前に気になる店があるのでそこに行くことにする。店の名は「からつ」。長崎県は五島列島出身の川口とし江さんという女将が一人で切り盛りしている店。出汁の効いたおでんと水に馴染ませた焼酎を「黒じょか」で呑む。

4月某日
早稲田のリーガロイヤルホテルで「早大闘争を振り返る集い」の打ち合わせを宴会予約係の柳川勉チーフと大谷さんと。45人の申し込みがあったがドタキャンを1割程度見込んで料理とお酒は40人前にする。終って都電荒川線で早稲田から町屋へ。面影橋から鬼子母神、巣鴨、王子を過ぎて町屋までおよそ30分、ちょっとした小旅行を楽しむ。町屋では迷わず千代田線町屋駅直結の「ときわ」へ。生ビールとお酒、鰺のたたき、卵焼き、ポテトサラダ、焼き物はイワシを頼む。今度、香川さん、浜尾さんと食事をすることになっているので予約を入れておく。

4月某日
「生産性とは何か―日本経済の活力を問い直す」(宮川努 ちくま新書 2018年11月)を読む。日本経済の長期低迷が言われて久しい。私の拙い経済学の常識では、経済成長は労働力人口の増大と生産性の向上によってもたらせる。日本の高度成長もまさにこの二つによって実現したと言える。少子化によって日本人による労働力人口の増加は望みえない。とするなら生産性の向上によってしか日本の経済成長は果たせないのだが。宮川は日本経済の現状について必ずしも楽観していないが、スポーツと観光に日本経済の活路を見出しているのが特徴的だ。「スポーツにおけるメダル数や観光客数は、ある種の産出物であり、これらの増加は生産性の増加を窺わせる」(第6章 日本経済が長期低迷を脱するには-アベノミクスを超えて)。宮川はまた市場経済とサッカーの類似性をあげる。ふたつとも基本ルールが少ないために世界に広がったが、サッカーのスタイルはチームによってそれぞれのスタイルがある。スタイルは個性であり、日本経済にも競争性、合理性、多様性などに基づく個性が必要ということである。

4月某日
図書館で借りた「不意打ち」(辻原登 河出書房新社 2018年11月)を読む。5編の短編が収められている短編集。辻原は長編も読ませるが短編も巧みである。冒頭の「渡鹿野」は風俗嬢と風俗嬢を客のもとにデリバリーするドライバーの物語。なのだがこの話を読み進むうちに「この話、読んだことがある」と気が付く。以前に読んだ辻原の短編集に収録されていたのかもしれないと読み進む。次の「仮面」は阪神淡路大震災で活躍した神戸のボランティアが東日本大震災に際してもいち早く活動を開始、被災地の子供たちとともに東京で募金活動に励む。主人公の男女は募金の横領を図るのだが、このストーリーも前に読んだ気がする。次の「いかなる因果にて」「Delusion」「月も隈なきは」も読んだことがある。本の奥付を何度も見るが2018年の11月である。辻原の単行本としては最新刊である。4作目の表題「Delusion」は「妄想」の意味らしいが、大学病院の精神科医を訪ねる女性の宇宙飛行士の話。その宇宙飛行士は「幻覚が現実に再現されることが続く」ので、その意味を精神科医に尋ねに来るのだが。私も「不意打ち」に収められた5作はすべて読んだ記憶がある。そんなことはありえないはずだが。

4月某日
杉の花粉の最盛期が過ぎて今はヒノキの花粉だそうである。私は両方ともダメ。しかしマスクをすることは止めることにした。鬱陶しいしメガネが曇るからね。朝、起きると鼻がぐずぐずし鼻水が出る。これは私の鼻が花粉に反応し体外に異物を出そうとしているからで「生きている証拠」と思うことにした。図書館で借りた田辺聖子の「おいしいものと恋の話」(文春文庫 2018年6月)。単行本は2015年7月に世界文化社から出版されている。田辺の「恋愛もの」は定評があるが「おいしいもの」の描写もなかなか巧み。いつだったか読んだ田辺の小説に、恋人と2人で美々卯の「うどんすき」を食べるシーンがあり、そのスープの黄金色の旨そうな描写に感心したことがある。本書には9作の短編が収められている。「百合と腹巻」は夏でも細毛糸の腹巻をしている三杉と牡丹(通称ボタ)との恋の物語。ボタが職場の青年瀬川くんに恋を告白され、三杉が嫉妬するというたわいのない話。「大阪名物は阪神・吉本・たこ焼きや」と信じて疑わないこてこての大阪人の三杉と、西宮のいいうちのぼんぼんで阪神間の坊ちゃん大学を出たという瀬川くんの対比がおかしい。瀬川くんとのデートは高級ホテルのレストランにふかふか絨毯の高級バーだが、三杉が好むのは大阪でネギ屋と呼ぶ「お好み焼き屋」で、最後に三杉が「ボタ。一緒に暮らそか」と愛を告白するのもネギ屋であった。

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る集い」を早稲田のリーガロイヤルホテルで開催。裏方なので18時開場、18時30分開演だが16時30分には受付へ。17時頃から人が集まりだす。当初は地方からの出席者もいるから開始時間を早めたほうがいいと17時受付開始で案内したためだ。17時30分には司会の鈴木基司さんが、少し遅れて高橋ハムさんが来る。45人の予定だったが当日は取材を含めて50人近くが参加。私が知っているのはそのうち10人程度で政経学部の村瀬春樹先輩と奥さんの由美子さん、倉垣光孝君、政経学部を中退して群馬大学の医学部を卒業して医者になった辻さんなどだ。早大の前総長鎌田さんも法学部の学生大会の議長をやったということで参加してくれた。辻さんは現在、埼玉で内科医をする傍ら沖縄の反基地闘争にも関わっている。「森田も今度、沖縄に行こうよ」と誘われる。2次会は都電の早稲田近くの居酒屋で。20人くらい参加したので2か所に分散、私の隣には鎌田前総長が座っていた。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
新元号が決まる。「令和」。出典は万葉集からで日本の文献に依ったのは初。官房長官が発表し首相が決定に至る経緯を説明する。今回の天皇の生前譲位と改元は、時の政権にとってプラスの効果をもたらすのは間違いのないところだろう。図書館から借りた「愉楽にて」(林真理子 日本経済出版社 2018年11月)を読む。日経の朝刊に2017年9月から2018年9月まで連載されたもので、前半は連載中に新聞で読んでいたが、途中で購読紙を朝日に替えたため後半は未読。現代の大金持ち2人が主人公。一人は大手製薬メーカーの9代目、会社経営に関心がなく父親から副会長のポストを与えられ、本拠を置くシンガポールと東京を往復しながら人妻や客室乗務員と情事を繰り返す。もう一人は老舗精糖会社の三男、子会社の社長という飼い殺しの身が急逝した妻の莫大な遺産により一変する。京都で芸者を囲うことになるがなぜかなじまない。中国の名門出身で自身も大富豪である人妻と恋におちる。林真理子の小説らしくセックスシーンは濃厚に描かれるが、今回私が感心したのは現代の大金持ちの生活がリアルに描かれているところ。宿泊するホテルや食事をするレストランや和食の店、京都での芸者遊びなどがリアルに描かれる。相当な取材費がかかっていると思われるが、林真理子ならではであろう。物語の主人公が現代の大金持ちなら林真理子は現代の「文豪」というべきだろう。改元を審議する有識者会議の一人にノーベル賞の山中博士などと一緒に選ばれているし。

4月某日
神田の「鳥千」で年友企画の石津さんと酒井さんと呑む。「鳥千」は20年ほど前に何度か行ったことがあるが、今年になってから大谷源一さんと2度ほど呑んだ。刺身が美味しいのである。「鳥千」という屋号から焼き鳥屋を想像しがちだが、むしろ日本の正しい居酒屋と言ってよい。シラスと生のりのお通しもおいしかった。今日は団体客は私たち3人だけだった。神田駅で2人と別れ我孫子へ帰る。我孫子駅前の「愛花」へ。元介護士の常連さんとその友人は私の息子と同じくらいの年頃だが、楽しく会話できた。

4月某日
我孫子に着いたのが6時台だったので、駅前の「しちりん」に寄る。我孫子でボトルを置いている店は2軒。「愛花」と「しちりん」だ。「愛花」は5~6人が座れるカウンターとテーブル席が一つ、ママが一人で切り盛りする居酒屋。「しちりん」は主に常磐線沿線に展開するチエーン店、1階は10人ほどが座れるカウンターとテーブル席がいくつかある。2階は行ったことがないが、おそらくテーブル席だろう。「愛花」では常連どうしで話すことが多いが、「しちりん」ではカウンターで独り飲みがほとんど。しかし今回は私が一人で呑んでいると「愛花」の常連の市橋さんが隣に座る。市橋さんは我孫子中学(地元の人はアビ中という)出身で内装業を営んでいるが、もともとは会津若松。実家は漆器の塗師だったらしい。

4月某日
厚生労働省の事務次官を務め、退官後はJPIFや医療経済研究・社会保険福祉協会(社福協)の理事長をやった近藤純五郎さんの「偲ぶ会」が竹橋のKKRで開催されたので参加する。開会前に会場に着くとすでに多くの人たちが会場前のロビーで待っていた。社福協の前常務で私の中学校と高校の同級生だった中沢優一さんがいたので世間話。時間が来て、全員で近藤さんの遺影に献花の後、厚生省入省が近藤さんと同期だった方がスピーチ、「私心がなく自分に厳しいが、友人を大切にする人だった」と語る。私は近藤さんと話したのは2~3回しかないが、温かくて秘かなユーモアを感じさせる人だった。竹橋から根津の青海社へ。校正を手伝う。根津から虎ノ門のフェアネス法律事務所。18時30分過ぎに西新橋の「花半」へ。堤修三さん、大谷源一さん、神山弓子さん、谷野浩太郎さん、落合明美さんと呑み会。堤さんは元厚労省の官僚、大谷さんは元滋慶学園、神山さんは元JALの客室乗務員、谷野さんは社会保険旬報の編集長、落合さんは高齢者住宅財団の部長。一種の異業種交流である。

4月某日
土曜日だけど「ふるさと回帰支援センター」で高橋ハムさん、竹石さん、大谷さんと4月17日の「1969年早大闘争を振り返る会」の打ち合わせ。現在のところ参加申し込みは37人、40人参加が目標なので「あと少しなので頑張ろう」とハムさんに発破をかけられる。司会進行が鈴木基司さん、発起人代表挨拶がハムさん、乾杯の音頭を村瀬春樹さん由美子さん夫妻にお願いすることが決まる。この日は呑み会はなしなので大谷さんと二人で呑みに行くことにする。北千住に行こうと上野から常磐線に乗ったが途中で気が変わって南千住へ。回向院近くの「エビス南千住店」へ行くが開店前だった。回向院を覘くと「小塚原の刑場で処刑された吉田松陰や頼三樹三郎の墓がある」との案内板があった。空いている呑み屋を探して南千住駅前を一回り。開店時間の5時を過ぎたので「エビス南千住店」へ。1時間ほど呑んで大谷さんは日比谷線、私は常磐線の南千住へ。

4月某日
「王朝懶夢譚」(田辺聖子 文春文庫 2019年2月新装版第1版)を読む。初出は「別冊文藝春秋」1992年200号~1994年208号。田辺聖子は1928年生まれだから作者が60代初めから半ばの頃の作品。田辺聖子は樟蔭女子専門学校国文科卒だからといってしまえばそれまでだが、彼女の国文学の素養は半端ではないことがこの作品を読んでもよくわかる。解説は漫画家の木原敏江で、それによるとこの作品の時代設定は「醍醐天皇のころ、平安中期より少し前のころ」という。その頃は平安京といっても町中でも夜は漆黒の闇が支配していた。というか、夜がこんなに明るくなったのは明治維新以降、ガス灯に続いて電気灯が出てきて以来であろう。漆黒の闇はさまざまな妖怪を呼び寄せる。本書の主人公は摂関家に連なる月冴姫。彼女は小天狗の外道丸と知り会いになり、続いて医師の麻刈や女狐の紫々、鮫と人間の間に生まれた鮫児に出会う。そして悪来丸という盗賊、実はやんごとなき王族、康尊親王にさらわれるが常陸の国は真壁出身の武士、晴季に救われ結ばれるというハッピーエンドのストーリー。田辺聖子の王朝ものは源氏物語やその他の古典に題材をとったものなど数多くあるのだが、もう少し暇になるまで読むのはとっておこう。

吉武民樹さんがこの4月から上智大学で教え始めたという。結構広い研究室もあるらしい。今度遊びに行こう。