モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る集い」の打ち合わせを東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で高橋ハムさん竹石さん、大谷さんと。終って大谷さんと神田へ。このところよく行く「鳥千」の手前に気になる店があるのでそこに行くことにする。店の名は「からつ」。長崎県は五島列島出身の川口とし江さんという女将が一人で切り盛りしている店。出汁の効いたおでんと水に馴染ませた焼酎を「黒じょか」で呑む。

4月某日
早稲田のリーガロイヤルホテルで「早大闘争を振り返る集い」の打ち合わせを宴会予約係の柳川勉チーフと大谷さんと。45人の申し込みがあったがドタキャンを1割程度見込んで料理とお酒は40人前にする。終って都電荒川線で早稲田から町屋へ。面影橋から鬼子母神、巣鴨、王子を過ぎて町屋までおよそ30分、ちょっとした小旅行を楽しむ。町屋では迷わず千代田線町屋駅直結の「ときわ」へ。生ビールとお酒、鰺のたたき、卵焼き、ポテトサラダ、焼き物はイワシを頼む。今度、香川さん、浜尾さんと食事をすることになっているので予約を入れておく。

4月某日
「生産性とは何か―日本経済の活力を問い直す」(宮川努 ちくま新書 2018年11月)を読む。日本経済の長期低迷が言われて久しい。私の拙い経済学の常識では、経済成長は労働力人口の増大と生産性の向上によってもたらせる。日本の高度成長もまさにこの二つによって実現したと言える。少子化によって日本人による労働力人口の増加は望みえない。とするなら生産性の向上によってしか日本の経済成長は果たせないのだが。宮川は日本経済の現状について必ずしも楽観していないが、スポーツと観光に日本経済の活路を見出しているのが特徴的だ。「スポーツにおけるメダル数や観光客数は、ある種の産出物であり、これらの増加は生産性の増加を窺わせる」(第6章 日本経済が長期低迷を脱するには-アベノミクスを超えて)。宮川はまた市場経済とサッカーの類似性をあげる。ふたつとも基本ルールが少ないために世界に広がったが、サッカーのスタイルはチームによってそれぞれのスタイルがある。スタイルは個性であり、日本経済にも競争性、合理性、多様性などに基づく個性が必要ということである。

4月某日
図書館で借りた「不意打ち」(辻原登 河出書房新社 2018年11月)を読む。5編の短編が収められている短編集。辻原は長編も読ませるが短編も巧みである。冒頭の「渡鹿野」は風俗嬢と風俗嬢を客のもとにデリバリーするドライバーの物語。なのだがこの話を読み進むうちに「この話、読んだことがある」と気が付く。以前に読んだ辻原の短編集に収録されていたのかもしれないと読み進む。次の「仮面」は阪神淡路大震災で活躍した神戸のボランティアが東日本大震災に際してもいち早く活動を開始、被災地の子供たちとともに東京で募金活動に励む。主人公の男女は募金の横領を図るのだが、このストーリーも前に読んだ気がする。次の「いかなる因果にて」「Delusion」「月も隈なきは」も読んだことがある。本の奥付を何度も見るが2018年の11月である。辻原の単行本としては最新刊である。4作目の表題「Delusion」は「妄想」の意味らしいが、大学病院の精神科医を訪ねる女性の宇宙飛行士の話。その宇宙飛行士は「幻覚が現実に再現されることが続く」ので、その意味を精神科医に尋ねに来るのだが。私も「不意打ち」に収められた5作はすべて読んだ記憶がある。そんなことはありえないはずだが。

4月某日
杉の花粉の最盛期が過ぎて今はヒノキの花粉だそうである。私は両方ともダメ。しかしマスクをすることは止めることにした。鬱陶しいしメガネが曇るからね。朝、起きると鼻がぐずぐずし鼻水が出る。これは私の鼻が花粉に反応し体外に異物を出そうとしているからで「生きている証拠」と思うことにした。図書館で借りた田辺聖子の「おいしいものと恋の話」(文春文庫 2018年6月)。単行本は2015年7月に世界文化社から出版されている。田辺の「恋愛もの」は定評があるが「おいしいもの」の描写もなかなか巧み。いつだったか読んだ田辺の小説に、恋人と2人で美々卯の「うどんすき」を食べるシーンがあり、そのスープの黄金色の旨そうな描写に感心したことがある。本書には9作の短編が収められている。「百合と腹巻」は夏でも細毛糸の腹巻をしている三杉と牡丹(通称ボタ)との恋の物語。ボタが職場の青年瀬川くんに恋を告白され、三杉が嫉妬するというたわいのない話。「大阪名物は阪神・吉本・たこ焼きや」と信じて疑わないこてこての大阪人の三杉と、西宮のいいうちのぼんぼんで阪神間の坊ちゃん大学を出たという瀬川くんの対比がおかしい。瀬川くんとのデートは高級ホテルのレストランにふかふか絨毯の高級バーだが、三杉が好むのは大阪でネギ屋と呼ぶ「お好み焼き屋」で、最後に三杉が「ボタ。一緒に暮らそか」と愛を告白するのもネギ屋であった。

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る集い」を早稲田のリーガロイヤルホテルで開催。裏方なので18時開場、18時30分開演だが16時30分には受付へ。17時頃から人が集まりだす。当初は地方からの出席者もいるから開始時間を早めたほうがいいと17時受付開始で案内したためだ。17時30分には司会の鈴木基司さんが、少し遅れて高橋ハムさんが来る。45人の予定だったが当日は取材を含めて50人近くが参加。私が知っているのはそのうち10人程度で政経学部の村瀬春樹先輩と奥さんの由美子さん、倉垣光孝君、政経学部を中退して群馬大学の医学部を卒業して医者になった辻さんなどだ。早大の前総長鎌田さんも法学部の学生大会の議長をやったということで参加してくれた。辻さんは現在、埼玉で内科医をする傍ら沖縄の反基地闘争にも関わっている。「森田も今度、沖縄に行こうよ」と誘われる。2次会は都電の早稲田近くの居酒屋で。20人くらい参加したので2か所に分散、私の隣には鎌田前総長が座っていた。