モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る会」に高橋ハムさんが亡くなった山口俊さんの第三歌集「総括」を持ってきたので1冊もらう。山口俊は当時から私にとっては得体の知れない存在だった。奥州寄居一家というヤクザの構成員という噂も聞いていたように思う。痩身でかぶっていたヘルメットもオートバイ用ので私たちの工事現場用の普通のヘルメットとは違っていた。全共闘運動が下火になったとき高橋ハムさんとともに革マルに拉致され、リンチされたうえ秩父かどこかの山中に捨てられたということも後に聞いた。その山口さんも数年前に死んだということをハムさんから聞いていた。歌を創っていたことは知らなかったが、今回初めて読んでなかなか良い歌があるのに少し驚く。「ややひきずりし足の痛みよ、青春の記憶すでに定かではない」という歌があるが、革マルのリンチによる後遺症で足を引きずっていたのだろう。解放派の内ゲバ死亡した永井啓之のことを歌った「波は寄せまた波は寄せ青い季節であるかと」は解放派のヘルメットの色が青だったことを思い出させる。もう少し山口俊さんの歌を知りたい思う。

4月某日
「人工知能」(幸田真音 PHP 2019年3月)を読む。人工知能の本は何冊か読んだが、人工知能を題材にした小説を読むのは初めて。本作は「しぶといやつ」というタイトルで月刊「Voice」に連載されたものを改題し、加筆・修正したものというが、幸田は当初、主人公凱の人工知能にからんだ青春物語を書きたかったのではないだろうか。それが人工知能の専門家を取材するうちに人工知能そのものに興味が移っていったように思う。ストーリーは人工知能を使った自動運転の車の開発を巡って安全である自動運転車が、経産省のエリートに襲い掛かるという謎解きが中心。自動運転のプログラムが書き替えられたのだが、私はストーリーよりも人工知能の可能性や、人工知能開発を手掛ける凱が入社したAMIという会社の社長、組織、社員に興味がある。個人の能力を最大限に引き出す自由な組織でなければ、AIの本当の開発は無理であるというようなことが示唆されているように感じたのだけれど。

4月某日
4月から上智大学で教えることになった吉武民樹さんの研究室を大谷源一さんと訪問。社会福祉学科の教授の部屋は2号館の15階にある。亡くなった高原亮治さんが上智大学で教えていたとき、何回か来たことがある。吉武さんの部屋に行く前に資料室の前を通ると、栃本一三郎さんがいたので声を掛ける。吉武さんの部屋へ行くとさすが15階、四ツ谷駅前から市ヶ谷当たりの眺望が広がっていた。四ツ谷駅前の新道通りでも飲もうかと思ったが、大谷さんが19時半から鶯谷の「あじとよ屋」で滋慶学園の人たちとの約束があるというので、そこに行くことにする。上智大学の隣の聖イグナチオ教会の納骨堂には高原さんのお骨が収められているので寄ってみるが行事があるとかで「5時前に来てください」と言われてしまった。「あじとよ屋」の予約を18時半に変更してもらって鶯谷へ。南口から階段を下りて言問い通りへ。酒・食品の業務用スーパー「河内屋」(一般の人も購入できる)の近くに「あじとよ屋」はあった。居酒屋というよりはイタリアン風の内装、料理もフォアグラなどこじゃれている。滋慶学園の2人もそろって乾杯、吉武さんにすっかりご馳走になる。吉武さんと私は上野からグリーン車で我孫子へ。上野でもう少し呑むという3人と別れる。

4月某日
図書館で借りた「大坂の陣 近代文学名作選」(日高昭二編 岩波書店 2016年11月)を読む。大坂の陣を描いた明治以降の文学作品のアンソロジー。大坂の陣は豊臣方の敗北を以て終わるが、解説で言うように明治維新で徳川政権が崩壊したため「家康に代わって、秀吉が明治の世に召喚されはじめる」。江戸時代、徳川政権に歯向かった豊臣について文学作品とは言え触れることにははばかりがあったということであろう。坂口安吾、岡本綺堂、坪内逍遥、吉川英治、菊池寛らの描く太閤秀吉や真田幸村、そして大坂の陣はそれなりに面白かった。何年か前のNHK大河ドラマで堺雅人が真田幸村を演じた「真田丸」を楽しく見た記憶があるかもしれない。それにしても日本における軍事衝突にはいろいろな呼び方がある。天下分け目の「関ヶ原の戦い」、何年かにわたって内戦が続いた「応仁の乱」、源義家の「前九年の役後三年の役」、軍事衝突を「乱」「変」「役」などと表現した。幕末になると「薩英戦争」「下関戦争」「戊辰戦争」と戦争という呼称が普遍化し明治に受け継がれていく。もっとも「薩英戦争」「下関戦争」は明治期につけられたのかも知れない。明治10年の「西南戦争」も「西南の役」とも呼ばれた。日中戦争は戦争中は「支那事変」と呼んだ。宣戦布告をしていないので、日本としては「事変」として主張する必要があったのだ。「大坂の陣」は大阪城を巡る攻防であったことと、徳川方が大阪城に対して包囲の陣立てで臨んだことに由来するのかも。

4月某日
一般社団法人LeLien(ルリアン)代表理事の神山弓子さんの実家は宮城県の石巻市。3.11の当日はJR石巻線の乗客だったそうで、乗客たちの機転とチームワークで辛くも津波の被害を免れたという。神山さんの前職は日本航空の国際線の客室乗務員。9.11は米国上空を航行中だったということで、神山さんは3.11と9.11の2つ、津波とテロの惨事を現地で体験したということになる。その神山さんが石巻に里帰りしてお土産に日本酒とメヒカリを買ってきてくれたというので、上野の大谷源一さんと神山さんが待つ居酒屋へ。ありがたくお土産を頂く。