モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
年友企画の石津さんとJR御徒町駅の改札で待ち合わせ。アルバイトをしている青海社のある根津から地下鉄千代田線で一駅の湯島へ。湯島から歩いて5~6分で御徒町だ。待つこと5分で改札から石津さんが顔を出す。編集の酒井さんも一緒だ。当初は吉池食堂に行くつもりだったが御徒町駅から少し秋葉原よりに寄った居酒屋のアンちゃんの呼び込みに誘われて「御徒町こがね屋」へ。ビールの後私は日本酒。石津さんはずっとビール、酒井さんはウーロン茶。若干飲み足りなかったので近くの韓国居酒屋「名家」へ。マッコリを呑む。酒井さんは茨城へ出張したそうでお土産に日本酒を頂く。

5月某日
図書館で借りた山本周五郎の「安政三天狗」(河出文庫 2018年10月)を読む。巻末の解説(末国善己)によると初出は雑誌「新少年」の1939年1~8月号である。1939年は昭和14年、日中戦争が泥沼化し出した時期であろう。少年向けに優しく書かれているが、ときは幕末、主人公は鵜殿甲太郎という長州藩の青年。師の吉田松陰の密命を帯び、江戸から磐城の平、仙台、天童を経て陸奥に向かう。一種のロードノベルだが、そこに仇討や宝探しのエピソードなどを盛り沢山に織り込んでいる。解説では「時局にささやかな抵抗を示した」とされるが、鵜殿はあくまでも勤王の志士であり、攘夷の気概を持つ青年剣士として描かれている。私にはむしろ時局に迎合していると読めたのだが。当時は小説家に限らず知識人の多くは時局に迎合した。それが普通だったことを認めたほうがいいと思う。

5月某日
昨年(2018年)の7月にオウム真理教の教祖、麻原彰晃と教団幹部の死刑囚13人の処刑が行われた。平成から令和への改元や天皇の退位と新天皇の即位に目を奪われて、大量処刑の事実も忘れ去られようとしているようだ。というか私自身、「ああそういえばそんなこともあったなぁ」という感じなのだ。この本を読むまでは。図書館で思想、宗教関連の本棚を眺めていたら「オウムと死刑」(河出書房新社 2018年11月)が目についた。青木理、田口ランディ、森達也、片山杜秀ら14人が執筆したりインタビューに答えたりしている。いずれも麻原彰晃以外の死刑囚は麻原のマインドコントロールによって殺人などの罪を犯したもので、事件の真相解明がなされていない時点での処刑には反対との論調だ。私もそう思う。「平成に起きた事件は平成のうちに処理を終えたい」というのは論外。改元と犯罪は本来無関係の筈。

5月某日
社会福祉法人サン・ビジョンは愛知県や長野県で老人福祉施設を展開している一方で長野県塩尻市ではサン・サンワイナリーというワインの醸造所を運営している。サン・ビジョンの理事長をやっている堤修三さんから銀座・三越の地下3階の食品売り場で試飲即売会をやるので吉武君と来てよと誘われる。有楽町から三越に向かうと、三越の入口に堤さんが待っていた。お酒の売り場に行くとサン・サンワイナリーの武藤さんがワインの説明をしながら試飲をさせてくれた。上智大学の吉武さんの同僚、栃本一三郎さん、遅れて吉武民樹さんが来る。栃本さんも吉武さんもワインを買っていたが、私は後日買いに来ることにする。三越から歩いて交通会館地下の「よかよか」へ。先日、高橋ハムさんにご馳走になった店だ。日本酒の4合瓶を石巻の「日高見」から始まって4人で4本呑む。1人1本である。お酒にうるさい栃本先生も満足したようだ。我孫子へ帰って久しぶりに「愛花」に寄る。

5月某日
村田喜代子の「飛族(ひぞく)」(文藝春秋 2019年3月)を読む。九州の南の島、もしかしたら奄美諸島か琉球諸島か。養生島という島が小説の舞台だ。かつて漁業で栄えたこの島に住むのは老女が二人。イオさん92歳、ソメ子さん88歳。イオさんの娘のウミ子は大分の山奥に嫁ぎ川魚料理屋をやっているがイオさんを大分に引き取ろうと養生島にやってくる。娘と言ってもウミ子も65歳だ。3人の老女と、ときどき島にやってくる役場の鴫君がこの小説の主な登場人物である。島での日常が淡々と描かれるが、こんな老後も悪くはないな、と思わせる小説である。裏表紙に村田喜代子の略歴が載っている、村田は1945年生まれ、今年74歳。主な著作も列記されているが、わたしは「龍飛御天歌」「ゆうじょこう」「八幡炎炎記」「エリザベスの友達」を読んだことがある。いずれもなかなかに面白かった。

5月某日
西葛西にある東京福祉専門学校に白井孝子先生を訪問。この学校は地域の高齢者や子どもたちに学校のスペースを提供、居場所づくりに貢献している。私も利用者と勘違いされアイスコーヒーとお菓子が出される。ありがたくいただいていると待ち合わせていた大谷源一さんが登場、ふたりで白井先生に面談。大谷さんと西葛西の駅前で呑もうかと思ったが、大谷さんが武蔵野線で帰ってもいいというので、西葛西から東西線で西船橋へ。西船橋から武蔵野線で新松戸。新松戸駅前の赤提灯「ぐい呑み」へ。ここは林弘幸さんと何度か来た店。美味しいお刺身を肴に日本酒を呑む。新松戸から大谷さんは川口へ。私は我孫子へ。我孫子で久しぶりにバーに寄ってジントニックとウォッカトニックを頂く。いささか呑み過ぎ。

モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「おもかげ」(浅田次郎 毎日新聞出版 2017年12月)を読む。長年勤めた商社を退職した竹脇は、後輩が開いてくれた慰労会の帰途、地下鉄丸ノ内線の車内で倒れ近くの病院に救急搬送される。竹脇を見舞いに来る同期入社で現社長の堀田、幼馴染のトオル、集中治療室の隣のベッドのカッちゃんなど通して竹脇の半生が明らかにされる。竹脇は1951年生まれだから作者の浅田と同年である。竹脇は孤児として施設で育つ。その仲間がトオルで、竹脇の一人娘の夫はトオルが社長を務める土建屋の少年院帰りの若い衆である。竹脇は新聞販売店に住み込みで働き、難関の国立大学に入学、商社に入りニューヨークや中国駐在員を務める。社長にはなれなかったが定年時は関連会社の役員だったから、商社員としてはまぁまぁの出世である。孤児から一流商社員とならば「まぁまぁ」どころか「たいした」出世かもしれない。私からすれば浅田の現代を舞台にした小説は現代の「おとぎ話」である。だがそのおとぎ話には浅田の様々な体験が埋め込まれている。浅田の実人生は親の事業失敗で一家離散も経験している。その後、一家は再び一緒になることはなかったという。孤児の孤独や世間の温かさと冷たさを描くとき、浅田の実人生が反映されていない筈がない、と私は思う。

5月某日
10連休が終わって7日の火曜日である。世間は仕事にスイッチが入ったが私はまだ。厚労省OBの高根和子さんに誘われてゴルフ。ゴルフ場は成田のPGM総成ゴルフクラブ、7時に我が家まで社保庁OBの中西さんに迎えに来てもらう。我孫子からゴルフ場まで車でほぼ1時間。上りは連休明けということもあって結構混んでいたが、下りはスムーズに行けた。少し遅れて高根さんと末次さんが到着。総成ゴルフクラブは植栽や樹木の手入れも行き届いてきれいなコースだ。天気も曇天だが暑くも寒くもなくちょうど良し。スコアは数えないことにしています。料金は「セルフ昼食付パック」8449円。割安感強し。ゴルフは行く前は多少億劫に感じるのだが、実際にやってみるとスコアは別にして「やってよかった」となるのが最近の傾向。今回も高根さんに「誘ってくれてありがとう」だ。

5月某日
大学時代の同級生、岡君、雨宮君、内海君それと同じクラスではなかったが女子の関さんと早稲田の「志乃ぶ」で会食。「志乃ぶ」は4月に「早大闘争を振り返る会」の2次会で行った店で私が予約しておいた。根津駅前から都バスに乗って本駒込、千石、護国寺経由で早稲田へ。店に着くと全員が揃っていた。内海君はイタリヤで現地の自動車関連企業のアドバイサーをやっており、里帰り中。昔からコスモポリタン的な雰囲気のある男だったが、そこらへんは50年たっても変わらない。早稲田から都電で町屋へ、町屋から千代田線で我孫子へ。

5月某日
机を借りているHCM社の大橋社長と新橋烏森神社すぐのちょいと洒落た居酒屋へ。最近の小洒落た居酒屋の特徴は店主ならびに店員が若くて愛想がいいこと、料理にも工夫がされていることではなかろうか。この店も突き出し、料理が美味しかったが何を食べたか忘れてしまった。お店の名前も覚えていない。大橋社長にすっかりご馳走になってしまったが、店名を忘れては申し訳ないじゃないか!喝!ですね。我孫子へ帰って「愛花」に寄る。

5月某日
「インサイド 財務省」(読売新聞経済部 中央公論新社 2019年3月)を読む。旧大蔵省は役所の中の役所と呼ばれ、他の省庁とは別格の存在だった。その力の源泉は各省庁から出せる予算要求を査定し、政府予算案として国会に提出する権限を事実上握っていたからであろう。しかし安倍政権になってその力は幾分、陰ってきたように思われる。財政再建という至上命題から予算のバラマキは許されなくなっている。各省庁の予算は社会保障関係を除くとこの10年ほどほとんど伸びていない。各省庁の新規事業の概算要求を査定するという旧大蔵省主計官の存在意義はだいぶ薄れてきたのではないだろうか。それに加えて森友学園に関わる文書の改ざん問題、さらには福田元次官によるセクハラ疑惑も財務省の威信低下に拍車をかけている。「あとがき」を読売新聞東京本社の矢田俊彦経済部長が書いている。矢田の亡父はNHKの経済部長を務めた人で、亡父の遺稿を「あとがき」で紹介している。「国民の信頼を得るためには、たとえ困難であっても、国民に真意を理解させることが不可欠なのだ。官僚はこの作業を怠ってはならない」「官僚の道を選んだのは、権力欲のためではないはずだ。日本という国をよりよい国にしたい、日本国民に幸福になってもらいたい。そのために、己の能力を国家官僚として十分に発揮したい。そう考えてのことであろう。その官僚としての初心を貫いて欲しい」。

5月某日
ネオユニットの土方さんがHCM社に来社、HCM社の大橋社長と3人で「胃ろう・吸引シミュレーター」の販売について話す。私としてはこの商品はまだまだ「商品力」があると思っているのだが、そのためにも「ひと工夫」が必要ではないか、というのが土方さんの意見。その通りと思う。終って新橋の青森料理のお店「おんじき」へ。6時前から9時過ぎまで3人で呑む。大橋社長と土方さんにすっかりご馳走になる。

5月某日
「風花」(川上弘美 集英社文庫 20011年4月)を読む。主人公の「のゆり」は夫の卓哉との2人暮らし。卓哉の浮気が発覚、2人の関係は微妙に。そのさなか卓哉の転勤で2人は関西へ。のゆりは医療事務の資格をとり歯科医院でアルバイトし自活の道を探り、卓哉とは別居する。恋愛小説なんだろうけれど川上弘美の小説らしくストーリーは淡々と流れる。「淡々」「あっさり」が川上の魅力と私は思う。これは川上の理科系(お茶の水女子大学理学部卒、確か高校で教師をしていた)という出身から来ているのかも。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
「遊動論-柳田国男と山人」(柄谷行人 文春新書 2014年1月)を読む。柄谷の本は「世界史の実験」「憲法の無意識」に続いて3冊連続。世間は平成から令和への代替わりで大騒ぎだが、柄谷の本には天皇制の基層に触れるものが少なくない。本書も直接的に天皇制を論じたものではないが、柳田の論稿を通して日本人の起源や定住民、遊牧民について述べており、私はテレビで上皇や天皇の姿を見るにつけ、彼らの先祖たる大陸の遊牧民に想いを馳せたくなる。そもそも日本人の祖先にはいくつかのルーツが考えられる。南太平洋、中部太平洋の島々からフィリピンあるいは台湾を経由して沖縄、日本に至るコース、北方騎馬民族が中国大陸、朝鮮半島を経由して日本に上陸したケース、中国大陸南部、現在の福建省あたりから日本にたどり着いた人々などである。シベリヤやベーリング海峡あたりから千島列島経由で南下したのが現在のアイヌ民族の先祖であろうと思われる。天皇家の先祖は北方騎馬民族らしいが、その末裔たちが3世紀に大和地方の有力豪族として政治連合を形成し、大和王権が成立した。その政治連合のトップが天皇家の先祖なんだろう。先祖は北方騎馬民族だから遊牧民なんだが、宮中祭祀は完全に定住民の農業、とくに稲作を意識したものとなっている。毎年秋の新嘗祭は五穀豊穣を神に感謝するもので、これと同じようなものが村の鎮守様の秋祭りであり、天皇の代替わりに際して執り行われるのが大嘗祭だ。日本の保守派は天皇の男系男子に固執しているが、日本はもともと男系でも女系でもなく双系制だったことからすると、男系男子の根拠は曖昧となってくる。柄谷によると双系制は出自・血縁よりも「家」、言い換えれば「人」よりも法人を優位に置く考えだという。「天皇家」を一種の法人と考えれば、この考えもうなづける。
「あとがき」によると、そもそも柄谷と柳田のかかわりは40年前に遡り、その頃柄谷は雑誌に「柳田国男論」を連載していたという。単行本にもせずにいたが、東日本大震災をきっかけに柳田のことを再び考えるようになったという。柳田によると、日本では、人が死んだら魂は裏山の上空に昇って、祖霊(氏神)となって子孫を見守ることになっている。柳田は終戦目前に書いた「先祖の話」で「外地で戦死した若者らの霊をどうするのか」という問いを発している。柳田は若い戦死者に養子をとり戦死者を「初祖」とする「家」を創始することを主張している。柳田にとって死者の帰るべき場所は国家、及び国家の主宰する靖国神社などではなく死者の生まれ育った村の裏山と社なのであった。柳田には国家を超える思想があったし、侵略戦争には否定的であった。天皇の代替わりに天皇制を考えるうえで柳田の思想は有効かもしれない。

5月某日
「エリザベスの友達」(村田喜代子 新潮社 2018年10月)を読む。村田の小説は、結構深刻な問題を違った視点でとらえることによって人間存在を肯定的に捉えるという特徴がある。とこう書いてしまうと優れた小説ってみんなそういう感じがあるのかもしれない。村田の「ゆうじょこう」は遊郭に売られた少女の話だけれど、ことの本質は貧困にあり、売春などは告発されるべきことなのだが、村田はそこにはあえて踏み込まない。田舎の貧しく無知な少女が遊女になることで美しく成長していく姿を描く。さて「エリザベスの友達」のテーマは認知症である。千里の母親の初音は97歳、有料老人ホーム「ひかりの里」で暮らす。初音は戦前の天津租界の裕福な日本人に嫁ぎ、当時の内地では考えられないようなハイカラな生活を送る。租界の若奥さんたちは互いをエヴァ、ヴィヴィアン、サラ、キャシーなどと呼び合っていたほどである。初音はホームの裏口の戸を開けて外へ出て行こうとする。所謂徘徊である。しかし著者の村田及び千里はそうは受け取らない。初音は意識の上では20代、裏口の戸を開けて天津租界に帰ろうとしているのだ。ホームの大橋看護師は認知症の人の言動を否定しない。入居者が幻覚の蛇に怯えれば「あらほんと。あたくしにまかせて」と追い払う。「そんなもの、いないと言ってはいけないのよ。目に見えてるものはいるのよ」という大橋看護師の言葉は認知症介護の本質を突いている。ホームにおける音楽、歌が認知症の進行を緩和させることも描いており、このフィクションがかなりの取材に基づいていることを伺わせる。

5月某日
「ナポリの物語3 逃れる者と留まる者」(エレナ・フェッランテ 早川書房 2019年3月)を読む。「ナポリの物語」は「リラと私」「新しい名字」と本書、それにまだ翻訳されていない4作目で完結する(と思われる)シリーズ。主人公は作者の分身と思われるエレコ・グレーコ(レヌー)とラッファエッラ・チェルッロ(リラ)の2人。レヌーの父は市役所の案内係、リラの父は靴職人、2人はナポリの下町のアパートで育ち幼い頃から親友となる。シリーズは第2次世界大戦のイタリア敗北後のからナポリが舞台である。2人とも1944年8月生まれ。作者のフェッランテは1943年ナポリ生まれだから、物語は作者の体験が下敷きになっている(と思われる)。第1作はナポリの戦後復興期が第2作では1950年代の高度経済成長期が描かれ、リラは靴職人の道を選びレヌーは高校、大学と進学するのだが2人の関係は変わらない。第3作は60年代後半から70年代のナポリや結婚したレヌーの暮らすフィレンツェが舞台。第3作の舞台となった時代は先進国で日本も含めて学生反乱が荒れ狂った。イタリアでは左翼とファシストとの激しい戦いがあったがこれは日本で言えば全共闘と体育会系の学生、あるいは右翼学生との対決であった。またイタリアでは赤い旅団、西ドイツではドイツ赤軍派などの軍事路線も生まれたが、日本ではブントの赤軍派や連合赤軍、東アジア反日武装戦線がそれに該当する。「ナポリの物語3」でもファシストの抗争やテロ、爆弾事件などが物語の背景として描かれている。レヌーは作家デビューしリラも通信教育でコンピュータを学び、コンピュータ技術者として高給を得るようになる。レヌーは大学教授と結婚し2人の女の子の母親となるのだが幼馴染と再会し恋に落ちてしまう。レヌーの駆落ちで「ナポリの物語3」は終わるのだが、第4作が待ち遠しい。