モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。18時からの予約だったが17時30分には店へ。18時過ぎには大谷源一さんが来たので呑み始める。年友企画の酒井佳代さんを電話で呼び出す。彼女はお酒を呑めないのでウーロン茶。7時近くなって厚生労働省の横幕会計課長が来る。別に内容のある話をするでもなく世間話に終始。それがいいのだ。

5月某日
11時半に年友企画で5月の総会で民介協の専務理事を辞めた扇田守専務と待ち合わせる。民介協の扇田さんと会ったのは10年ほど前。厚労省の「老人保健健康増進事業」の補助金事業の申請の件でお願いに行ったのが始まりだ。扇田専務は県立奈良商業高校を卒業後、富士銀行に入行した。高卒では同期で3人しかなれなかった支店長経験者である。なかなかの「遣り手」であるのは間違いのないところだが、憎めない人柄で私とは気が合った。お礼の意味を兼ねて神田の「割烹井上」で食事をする。

5月某日
新宿区役所から高田馬場の玄国寺へ。住職との打ち合わせの後バスで早稲田へ。早稲田から都電に乗って小1時間ほどで町屋に行く。目当ては駅ビルにある「ときわ」。一人で生ビールと日本酒を呑む。我孫子へ帰ると携帯電話に電話が入っていた。元日航のキャビンアテンダントの神山弓子さんからで、電話すると大谷さんと我孫子の「コビアン」で呑んでいるという。大谷さんと3人で「しちりん」へ。「しちりん」では神山さんの息子がバイトしていたことがあるそうだ。神山さんは成田へ大谷さんは川口へ帰る。私は一人で「愛花」へ。目白大学で看護学部の助教をやっている佳代ちゃんがいた。いささか呑み過ぎ。

5月某日
一般社団法人全国年金住宅融資法人協会の監事をしているので東京駅八重洲口の貸会議室で開かれた理事会に出席。その後社保険ティラーレの佐藤聖子社長に電話すると帝国ホテルに元厚労省で今は慶応大学などの客員教授をしている唐沢剛さんといるというので帝国ホテルへ。「しばらく見ないと白髪が増えたね」と言うと、「俺はモリちゃんみたいに気楽に生きてないからいろいろと苦労があるの」と返される。30分ほど無駄話をした後、佐藤社長の西新橋のHCMへ。「キャンナス」の菅原由美代表に電話、「地方から考える社会保障フォーラム」への出席をお願いする。佐藤社長と別れ、日土地ビルへ。元厚労省の川邊新さんと面談。面談後地下1階の蕎麦屋へ。山形の日本酒が美味しかったので2人で3合ほどのむ。

5月某日
川崎市の小規模多機能の「ひつじ雲」を訪問して柴田範子理事長を訪問。川崎から東京駅で丸ノ内線に乗り換えるときバッタリ、フェアネス法律事務所の遠藤代表弁護士に遭遇する。丸ノ内線を大手町で千代田線に乗り換え根津へ。青海社に寄って打ち合わせ。基本的には年金生活者とは言え忙しいのである。この日の夜は吉武民樹さんに誘われて船橋の網元の家で魚をごちそうになることになっている。東京駅の総武線のホームで同じく誘われた大谷源一さんと待ち合わせて船橋へ。少し早く着いたので駅前をブラブラする。船橋は2010年に私が脳出血で倒れたとき、急性期は柏の名戸ヶ谷病院だったが、回復期リハは船橋リハビリテーション病院だったので懐かし感はある。船橋リハ病院を退院した後も何か月か通院したが、そのときも船橋駅前からバスを利用して病院へ通っていた。そんなことも思い出していると吉武さんの奥さんが来て、川村女子大学で吉武さんの同僚だった福永先生ともう一人が登場。
さてこれからが今日は本番である。船橋の網元、大野一敏さんが車2台で迎えに来てくれた。10分ほどで大野さんのお宅へ。なかなか立派な家だ。ビールで乾杯後、大野さんがワインを開けてくれる。大野邸には立派なワインセラーがあるそうだ。大きなワイングラスに白ワインを注いでもらう。野菜サラダ、鱸(すずき)の刺身、アラの煮つけを堪能する。大野さんは何年か前に奥さんを亡くされている。その奥さんが付けた綽名が「勝手のカズ」。自由奔放なその生き方から名付けたのだろうか。帰りに大野さんの著書「おやじの海 勝手のカズ」を渡される。奥さんが「大動脈解離」で亡くなったことも記されていた。大野さんは1939年3月生まれだから今年80歳である。しかし引き締まった身体、潮焼けした顔からはとてもその年には見えない。