モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
図書館で借りた「暴君 新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」(牧久 小学館 2019年4月)を読む。松崎明は国鉄の動力車労働組合(動労)の委員長を長く務め、国鉄の民営化前は反マル生闘争や反合理化闘争で当局との非妥協的な闘いを主導し、民営化後は東鉄労、JR東日本労組の委員長として一転して労使協調的な路線への転換を行った。そして労働運動の指導者としての顔ともう一つ、新左翼の革共同革マル派の副議長という革命組織の指導者としての顔も持っていて私たちの世代では有名人であった。新左翼は共産同(ブンド)にしても革共同中核派、社青同解放派にしろそれぞれ労働運動に拠点は持っていたが、動労のような基幹産業の労組の委員長ポストを長く独占するというのはほとんど例がない。動労から別れた千葉動労は中核派が執行部を握っていたけれど。松崎はそれだけ労働運動の指導者として傑出した指導力を持っていたということになる。
本書によると松崎は国鉄が民営化して以降、当局と労使協調的な路線を歩むと同時に組織の私物化が目立ってくるという。ハワイや沖縄に組織の金で別荘を購入したり、動労の組合員ではない息子を関連会社の社長に据えたりしたりしたというのだ。松崎は高卒(川越工業高)のたたき上げの労働者である。それがインテリ集団の革マル派の副議長になり、労働運動ではJR東日本労組の委員長として旧国鉄だけではなく、日本の労働運動に大きな影響力を持った。それなのに、いやそうであるが故にかもしれない晩年は腐敗堕落していく。どうしてなのか、権力の座に長くいるということはそういうことなのだろうか。権力の座には長くいないことが一番である。創業者で後継者がいない場合はどうか?中小企業ではよくあるが、民間会社の場合は経営を誤ると倒産する。労働組合や革命組織にはそうしたチェックがなかなか働かない。働いても緩慢だよね。だからこそ組織の指導者は「批判の声を聴く」耳が必要ということなのだ。

7月某日
「バブル経済事件の深層」(奥山俊宏、村山治 岩波新書 2019年4月)を読む。平成元(1989)年暮れに日経平均は3万8915円を付け株価バブルは最高潮に達したが、それはバブル崩壊の始まりでもあった。本書はバブル経済事件のうちから「尾上縫と日本興業銀行」「高橋治則vs.特捜検察、日本長期信用銀行」「大和銀行ニューヨーク支店事件」「大蔵省と日本債権信用銀行の合作に検察の矛先」という4つの事件を取り上げた4つの章と序章、終章「護送船団を支えた2つの権力の蜜月と衝突」で構成されている。今から30年以上も前の事件であるが、あれから30年も経ったのかという想いがする。4つの事件の舞台となった日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行、大和銀行はともに今は存在しない。興銀、長銀、日債銀は割引債を発行して資金を調達し、企業に長期貸付を行ってきた。高度経済成長期で資金不足の時代、加えて企業が直接、金融市場から資金調達ができない間接金融が主体の時代には日本経済にとっても十分な存在意義があった。しかし日本経済の成長の結果もあって資金不足は解消し、企業も直接市場から資金調達できるようになり、これらの銀行も新たな顧客層を開拓することが迫られた。新たな顧客が尾上縫であり高橋治則であったわけだ。高橋治則は投資の一環でオーストラリアのボンド大学を手中に収めたが、私の友人の1人がそのボンド大学の東京事務所長を務めていたことがある。早速メールして今度、「高橋治則さんを肴に一杯やりましょう」ということになった。

7月某日
医系技官だった高原亮治さんと私は高原さんが現役のころからたまに酒を呑む関係だった。高原さんが健康局長で厚労省を退官した同じ日に社会保険庁長官退任の辞令を交付されたのが堤修三さん。岡山大学医学部全共闘の高原、東大全共闘の堤、早大全共闘の森田と「全共闘崩れ」が3人を結び付けた共通点だったと思う。高原さんは上智大学教授を定年で辞めた後、高知の医療法人へ医師として赴任、間もなく急死したのが2013年の7月。「偲ぶ会」もやらないままだったが、遺骨が上智大学傍らの聖イグナチオ教会に安置されているということで、このところ毎年、堤さんと木村陽子さんとお参りに行っている。木村陽子さんは奈良女から阪大の大学院へ進み奈良女の教授を務めた後、総務省系の法人の理事長をやっている。私はたぶん高原さんの墓参りで会ったのが初めてと思うが、気さくなおばちゃんである。この日は4月から上智大学人間科学部の特任教授に就任した吉武民樹さんも参加。お参りした後、4人で上智大学の職員食堂へ。男3人はビールとワインを呑んだが、木村さんはこの後上野で勉強会があるというのでジュースを飲んでいた。上野へ行く木村さんを四ツ谷駅で見送った後、吉武さんお勧めの「隠れ岩松」という店へ。昼はうどんを提供する店らしいが夜は長崎料理の店になるという。確かに美味しかったし値段もリーズナブルだった。

7月某日
本郷さんと水田さんと呑むのは確か今年3回目。本郷、水田、私の3人の関係を説明しよう。本郷さんは石油連盟というところで角田さんと同僚だった。角田さんは前橋高校で東京都立大学出身、前橋高校では私の早大政経学部の1年先輩、鈴木基司さんと同じ学年だった。10年ほど前から角田さんや同じ前橋高校出身で東大の中核派だった人とかと呑むようになった。水田さんは私より10年ほど若いようだが、北大の叛旗派だったらしい。安い店がいいとのことで町屋の「ときわ」で16時に待ち合わせ。16時少し過ぎに「ときわ」に着くと2人はすでに呑み始めていた。水田さんは私より10年若いだけあってネットを利用していろいろ情報をやりとりしているらしい。私は「へー、なるほどね」と肯くばかりである。3人ともつまみをあまり頼まなかったので3時間近く呑んだが1人2000円だった。

7月某日
「現代に生きるファシズム」(佐藤優 片山杜秀 小学館新書 2019年4月)を読む。佐藤は1960年生まれ、片山は1963年生まれだから50代後半か。2人のファシズムを巡る対談である。この対談のキーワード、そして2人のファシズム理解のキーワードの1つが「持たざる国」。第1次世界大戦で敗北したドイツ、辛うじて戦勝国となった日本、イタリアも遅れてきた帝国主義国家であり、先進的な帝国主義国家の英米仏に比べれば「持たざる国」であった。ここからは私のファシズム理解になるのだが、遅れてきた帝国主義国家「持たざる国」であった日本が、英米に拮抗していくためには国内的にはファシズムによる統制的な国家体制が必要であった。だが王制や帝政を否定したイタリア、ドイツと違って日本は天皇制とファシズムが両立したというか相互に補完し合った。1945年の8月に最終的には御前会議で日本の敗戦が決定したということは、天皇自らがファシズムとの絶縁を宣言したことにならないだろうか。終戦の詔からはそこまでは読めないけれど。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「日高見」という石巻の地酒がある。2011年の東日本大震災の後、取材に入った石巻で駅前の物産店で買ったのがこの酒との付き合いの始まり。田酒や十四代のように名前が売れているわけではないが、それでも都内の居酒屋で置いているところはある。「日高見」という名前はなぜ日高見なのか、考えたこともなかったが今回、「天孫降臨とは何であったのか」(田中英道 勉誠出版 2018年4月)を読んで日高見とは何かが分かった。日高見とはヤマト政権が成立する以前の関東・東北を広く束ねた国家、日高見国のことであった。著者によると、日本神話の天孫降臨は、日高見国の中心のあった鹿島(鹿島神宮のある茨城県の鹿島市である)から鹿児島へと向かう一大軍事船団の記憶が神話として残されたものである。この説の真偽はともかく、神話から日本歴史の源流を辿るという著者の発想は大変、私には新鮮だった。ギリシアの叙事詩「オデッセイア」に描かれたトロイの木馬の実在を信じて、ついにその遺跡を発掘したシュリーマンのことを思い出した。

7月某日
「早大闘争50周年を記念する会」で事務局をやってくれたのが出版社、ウェイツの中井健人社長。そのとき中井社長から購入したのが「東大闘争-50年目のメモランダム」(和田英二 ウェイツ 2018年11月)だ。著者の和田が法学部の3年生だった1968年6月、医学部学生の不当処分をきっかけとして東大闘争は始まった。和田は当時はノンポリ学生だったが大学当局と全共闘の対立がエスカレートしていく中で、法学部闘争委員会の一員として成長していく。翌1969年の1月18日、東大に機動隊が導入され安田講堂に立て籠った学生たちは翌日の19日までに逮捕されほとんどが起訴された。和田が調べたところでは逮捕者377人、起訴されたのは295人であった。起訴されたのは東大65人、同志社15人、法政14人、明治13人、早稲田12人などである。 完全黙秘を貫いて氏名不詳のまま起訴された者も相当数いたことから和田は、起訴された東大生は80人は超えると推定している。法学部は20人。東大法学部はもともと国家の中枢を担う官僚の養成機関として開学した。したがって学生の多くは良くてリベラル、極左が育つ土壌があるとも思えない。60年安保のときもブンドの書記長だった島成郎が医学部、6.15で殺された樺美智子が文学部、駒場の委員長だった西部邁は経済学部である。東大闘争でもストライキに突入したのが最も遅かったのが法学部で、ストライキ解除が最も早かったのが法学部と記憶している。しかし安田講堂に籠城したのは20人で、多分、工学部や医学部より多かったかもしれない。東大闘争の肝のひとつが「自己否定」。エリートを約束された法学部生だからこそ「自己否定」を貫いたのだろうか。

7月某日
「女たちは二度遊ぶ」(吉田修一 角川文庫)を読む。吉田修一は長編で力を発揮するが短編もいい。これは時にはバイト学生だったり時には非常勤だったり、傍から見るととても勤勉とは言えない現代の青年とその青年と一時期は付き合ったり、同棲したりするのだが、結局は「逃げていく女」の物語である。無気力で自堕落に生きること、それは決してほめられたことではないが、長い人生の一時期そうした時間だって必要じゃないかなと私は思う。多分作者の吉田修一も作家を目指しながらも無気力、自堕落に陥ったことがあるのじゃないか、と思わせる短編小説集であった。

7月某日
図書館で借りた「障害者の経済学」(中島隆信 東洋経済新報社 2006年2月)を読む。中島は慶應大学商学部教授で子どもの一人が脳性マヒで、子どものための施設探しを経験したことがこの本を書く動機のひとつになったようだ。「他の親たちが真剣な顔つきで質問するなかで妙に醒めた自分がいた」(あとがき)と書いている。これはわかりやすいフレーズではない。私なりに解釈すると「他の親たちが真剣な顔つきで質問」すればするほど、障害者の問題は普遍から遠ざかり特殊の世界に入っていくということではないだろうか。日本社会が「転ばぬ先の杖」社会であるという著者の考えとも通底する。「転ばぬ先の杖」社会ならば障害者にとっても健常者にとっても安全な社会と言えるかもしれない。しかしそれは人生の選択権を奪うことにならないだろうか。障害者や高齢者への「配慮」は必要である。だがそれは、障害者や高齢者が自分自身の障害や衰えた機能と向き合い、健常者とも対等な人間関係を結べるという方向性においてである。

7月某日
「元禄五芒星」(野口武彦 講談社 2019年3月)を読む。野口は1937年東京生まれ、早大一文卒後、東大大学院から神戸大学教授へ。順調な学者人生を歩んできたように見えるが野口が早大生のときは60年安保闘争と重なり、確か日本共産党の構造改革派の活動家だったはず。本書は忠臣蔵外伝ですな。「チカラ伝説」は大石内蔵助の長男で討ち入りのときは吉良邸の裏門攻撃を担当した大石力が主人公、「元禄不義士同盟」は討ち入りに参加しなかった大野九郎兵衛親子をネタにし、「紫の一本(ひともと)」は、元禄時代の江戸地誌「紫の一本」を題材にしている。「算法忠臣蔵」は赤穂藩の藩財政の内情を特産品であった塩と経済成長を支えた藩札の流通から考察している。「徂徠豆腐考」は元禄時代の大儒学者、荻生徂徠と若い徂徠が下宿していた豆腐屋の話でこの話は落語、講談、浪曲で「徂徠豆腐」として取り上げられている。

モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
(一財)医療経済研究・社会保険福祉協会から委託を受けて実施した「音楽運動療法の在宅普及に関する調査研究」がまとまったので、「打ち上げ」をするという連絡が入った。委託を受けたのは㈱ひつじ企画で、同社の社長が元厚労省の宇野裕さん。調査の全体的な方向性を決めて報告書の執筆、作成もほとんど一人で仕上げてくれた。「打ち上げ」には座長の川内基裕小金井リハビリテーション副院長は海外出張中で欠席だったが、それ以外は全員出席した。会場の新宿の中華料理店「西安」に行くと私が一番乗り、続いて特養「かないばら苑」苑長の依田明子さん、宇野さん宇野さんの奥さんの宇野雅子さんが来る。そして音楽療法士の丸山ひろ子さん、ホームヘルパー協会東京都支部の黒澤加代子さんが来て乾杯。私はこの研究会に参加するまで音楽療法の存在すら知らなかったのだが、一般市民代表という感じで参加させてもらった。音楽療法の可能性について十分な手応えを感じたことを先ずは報告しておきたい。詳しくは報告書を読んでもらいたいが、以下は私の個人的な感想。ひとつは、音楽のメロディーやリズム、そして歌なら歌詞は人間の意識のかなり深いところで繋がっているのではないかということ。もうひとつはスマホやタブレットの登場で、利用者や入所者のマイソングが簡単に検索できるということ。認知症で問題行動を繰り返す利用者に、スマホで検索して卒業した小学校の校歌を聴かせたところ問題行動は収まり、スマホに合わせて校歌を歌いだした。おそらく認知症予防や認知症の進行を遅らせる効果もあると思う。ジャズの源流はアフリカから連れてこられた黒人奴隷たちの歌やリズムにあると言われているが、おそらく日本のお寺で唱えられる声明(しょうみょう)にもそんな原初的な力が感じられる。音楽の力、「恐るべし!」である。

6月某日
図書館から借りた「憑神」(浅田次郎 新潮文庫 平成19年5月)と「密約 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2001年1月)を読む。浅田は1951(昭和26)年生まれ、佐藤は1941(昭和16)年生まれだから10歳違い。浅田は‘97年「鉄道員(ぽっぽや)」で、佐藤は’94年「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞している。浅田は江戸時代とくに幕末を中心にした時代小説に加えて明治、大正、昭和そして現代を舞台にした小説を数多く執筆していて、確か「ペンクラブ」会長も務めた今や文壇の重鎮。一方の佐藤は幕末の通貨戦争を描いた「大君の通貨」がデビュー作、しっかりとした時代考証には定評がある。「憑神」は三河以来の幕臣、別所彦四郎が主人公。御目見え以下の御徒歩組に生まれ、24歳のとき組頭の井上家に婿入りするが男子を授かったとたんに露骨な婿いびりが始まり、ついには離縁される。彦四郎はある日、草に埋もれた小さな祠を見つけ酔いに任せて神頼みをするが、この神様が貧乏神。貧乏神に憑かれた故に憑神である。将軍家が大政奉還し鳥羽伏見の戦いを経て、幕府の残党は上野の山に立て籠って気勢を上げている。彦四郎は貧乏神が音を上げるほどの正直者だが、最後は甲冑に身を固め上野の山に向かう。「密約」の舞台は11代将軍の家斉の治世、文化文政の頃か。江戸町奉行所勤めの藤木紋蔵は、今で言うナルコレプシーという突然眠気に襲われるという奇病に取りつかれている。であるが故に奉行所勤務の花形、定廻り勤務にはまわされず内勤の「例繰り方」勤務に勤める。例繰り方は過去の判例を調べるのが主な仕事で物書同心は以下で言えば東京地裁の書記と、東京検察庁の検察事務官を兼ねたような存在なのだろうか。紋蔵は市井の様々な事件に関わる一方、30年前に殺害された父を手に掛けた犯人を追っている。「密約」ではまだ犯人が分かっていないけれど、徐々にその網は絞り込められつつある。続巻が楽しみです。

6月某日
「ニュースの深き欲望」(森達也 朝日選書 2018年3月)を読む。森達也という人はオウム真理教信者のドキュメンタリー映画「A」と「A2」を撮った映像作家で、オウムの実態に迫った「A3」という著作で講談社ノンフィクション賞を受賞している。映像は見たことはないが「A3」を読んで、オウムという集団に対して先入観なく、その実像に迫ろうとしている態度に好感を持った。今回の著作では情報とは何か、メディアとは何かについて森の考えを率直に述べている。エピローグで森は「事実はない。あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉を引いて「僕たちが見たり聴いたり読んだりする情報は、誰かが誰かの視点で解釈した情報だ」とし、だからこそ記者やディレクターなどのメディア関係者の責任は「とてつもなく重い」と断じている。納得である。

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席のため立川へ。立川駅で同じ評議員の中村秀一さんに会ったので一緒に会場へ。決算と新しい理事の承認が主な議題。確か昨年の決算は利益率が1%台に低迷していたと思ったが、今年はV字回復を成し遂げていた。介護報酬がなかなか引き上げられない中でのV字回復は立派。評議員会を終わって石川はるえ理事長に評議員の中村さんや吉武民樹さん、監事の税理士の先生と近くの美登利寿司でご馳走になる。

6月某日
神田駅北口の「鳥千」を6時から予約。ここは20年くらい前にはよく来たのだが、最近、大谷源一さんと来ることが多い。「鳥千」という店名から焼き鳥がメインと思いがちだが、ここの売りは魚。6時からビールを呑み始めていると大谷さんが到着。遅れて高齢者住宅財団の落合明美さんが来る。刺身の盛り合わせと「アラ煮」を堪能。我孫子に帰って久しぶりに「愛花」に寄る。

6月某日
「鳥千」に行く前に神田神保町の古書店街を歩く。このところ図書館ばかりで新刊の書店も足が遠のきまして古書店に足を踏み入れるのは久しぶり。桐野夏生のサイン本が店頭に置いてあるので迷わず買うことにする。定価は1600円(税別)だが、古書店の売値は税込み300円、しかもどう見ても新刊である。「ローズガーデン」(講談社 2000年6月)である。村野ミロという女性探偵を主人公にした小説で「顔に降りかかる雨」「天使に見捨てられた夜」に続くシリーズ3作目。前2作はミステリーの長編小説だが、「ローズガーデン」は表題作で高校生の村野ミロを描く。それも後にミロと結婚する高校の同級生、博夫が結婚後、インドネシアに単身赴任し、奥地へ商品の部品を届けに行くために河をボートで遡りながらミロを回想するという凝った構造になっている。ミロの生い立ちや家族構成、生業などは桐野夏生を全く違うのだが、なぜか「ローズガーデン」を読んで私は「ミロ=夏生」の想いを強くした。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
高齢者住宅財団の落合さんの趣味はフラメンコ。今から20年以上前になると思うが、落合さんがまだ社会保険研究所で編集補助をしていたときのことだ。社員旅行では毎年、グループの若手社員に依る「余興」が演じられるのだが、その年は落合さんが主導して若手女子社員によってフラメンコが躍られた。フラメンコなど見たこともない私たちは目を奪われた。ホテルに泊まっていた他の団体客も観に来ていた。それ以来、落合さんは20年以上も研鑽を続けてきたわけだ。そのリサイタルが本日、西日暮里の「アルハンブラ」であるというので観に行くことにする。12時開場、12時30分開演ということなので12時過ぎに会場に着くとすでに7分の入り。当日は強い雨が降っていたにも関わらずだ。日薬連の宮島俊彦さんが来ていたので近くに座る。プレハブ建築協会の合田純一さん、滋慶学園の大谷源一さんも来る。高齢者住宅財団は国交省と厚労省の共管だが、国交省の人も何人か来ていて合田さんに挨拶していた。開演の12時30分にはほぼ満席となっていた。踊りは2部構成だったが落合さんは両方に出演、素人が見ても大変、迫力のある踊りだった。90歳近い女性も踊っていたが実に楽しそうだった。終って合田さんと大谷さんと西日暮里駅前の「串まる」でホッピーを昼飲み。

6月某日
「官僚たちの冬-霞が関復活の処方箋」〈田中秀明 小学館新書 2019年9月〉を読む。著者の田中秀明は1960年東京生まれ、東工大大学院を終了後大蔵省入省、予算・財政投融資・自由貿易交渉・中央省庁等改革などに関わり、一橋大経済研究所、内閣府参事官を経て、現在は明治大公共政策大学院教授。厚生省老人保健部へ出向経験もある。1年ほど前に「地方から考える社会保障フォーラム」で「地方財政」について講演してもらったことがある。そのときも大変わかりやすくて明快な語り口で地方議員にも好評だった。
タイトルの「官僚たちの冬」は作家の城山三郎が「官僚たちの夏」で描いた天下国家を論じたころと現在を対比したかったのだろうが、タイトル的には成功したとは言い難い。内容としては少子高齢化で経済成長率が鈍化し、政治的には安倍一強下で官邸主導型の統治スタイルに官僚は如何に対応すべきかを述べた極めて真っ当な本である。従来の霞が関ではジェネラリストが求められてきたがこれからはスペシャリストを目指すべきというのが著者の考え。確かに右肩上がりに経済成長していたころは、税収も右肩上がりで官僚の役割は成長の果実をどう分配するかだったから、官僚もジェネラリストで良かったかも知れない。しかし「失われた20年」となった今は国民に負担を求めるのが政治と官僚の役割であり、そのためには幅広い常識とともに高い専門知識が要求されるのかもしれない。厚労省の雇用と年金省とその他の医療、介護、福祉、子育て省への分割論もその意味では理解できる。田中先生や権丈先生の声に国民や政治家はもっと耳を傾けるべきであろう。

6月某日
図書館で借りた「日曜日たち」(吉田修一 講談社 2003年8月)を読む。5編の短編の連作だが、最初の「日曜日のエレベーター」を読み始めて、「あっこの本前に読んだな」と思いだした。でも前に読んだときは分からなかったことが今回読んでよくわかった。繰り返して読むことも悪くない。この連作の隠れた主人公は親から育児放棄された二人の兄弟。兄は小学校3年生ぐらいで弟は小学校に入ったばかりか。第1作の主人公、渡辺はフリーター。池袋のバーで知り合った恋人、圭子は医療関係の学校に通う。ここが吉田修一の物語づくりの巧さだと思うが、圭子は実は医大生でしかも韓国籍だったことが徐々に明らかにされる。渡辺は路地に佇んでいた兄弟にたこ焼きをご馳走する。兄弟と孤独な都会の住民のちょっとした出会いが綴られていく。最後はDVに悩む乃理子が駆け込んだ自立支援施設で、保護された兄弟に出会う。施設から逃げようとする兄弟に乃理子は着けていたピアスを外して「これ約束の品だから。絶対にふたりを離れ離れにしないって約束した証だから」と、ふたりの手に一個ずつ握らせる。数年後、再会した兄の耳にはピアスが。

6月某日
「日本人の死生観を読む―明治武士道から『おくりびと』へ」(島薗進 朝日新聞出版 2011年11月)を読む。島薗は1948年生まれだから私と同年、「エピローグ」によると「大学入学時は将来医療に携わることを考えていた」とあるが、難関の医学部進学過程に進学したのち「文転」したものと思われる。それはさておき本書のテーマは死生観に触れた日本人の書物やテキストを読むというもの。私は「第5章無残な死を超えて」を興味深く読んだ。これは戦争文学の傑作として名高い「戦艦大和ノ最期」(1946年)の作者、吉田満の著作から吉田の死生観を追ったものだ。吉田は復員後、日銀に就職してからも戦争と戦争における死を考え続ける。戦後も長く戦争体験のみにこだわった稀有な知識人と言えようか。島薗、吉田の著作はもう少し読んでみたい。

6月某日
ふるさと回帰支援センターの高橋ハム理事長から辻哲夫さんが有楽町の交通会館にあるセンターを見に来るので、伊藤明子さんにも声を掛けておいてと言われる。辻さんは元厚労次官で現在は東大の特任教授で柏プロジェクトを主導したり、亡くなった近藤純五郎さんの後の社会保険福祉協会の理事長職を引き受けたりと何かと忙しい人である。伊藤さんは国土交通省の住宅技官、女性で初めて住宅局長に就任、1年で内閣に引き抜かれた。もらった名刺には「内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生総括官補」とあった。交通会館の地下の画廊では宮島俊彦の奥さんの百合子さんの絵の個展が開かれていたので、4人で観に行く。そして高知料理の店「おきゃく」へ。辻さんと伊藤さんの話の迫力に圧倒される。

6月某日
「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」(伊東乾 集英社 2006年11月)を読む。タイトルを見ただけではどんな内容かわからないが、オウム真理教の死刑囚、豊田亨〈2018年7月26日執行〉について東大物理学科の同級生で現在、東大准教授の伊東乾が綴ったもの。東大でも最難関とされる物理学科の修士を終了し博士課程への進学も決まっていた豊田は、学業を放棄しオウム真理教に帰依し出家する。将来、ノーベル賞も期待されるような優秀な頭脳を持つ男がなぜ殺人を犯すようになったか。麻原によるマインドコントロールによると言ってしまえばそうなのだが、なぜ簡単にマインドコントロールされたのかという疑問は残る。私も出会いによっては麻原のマインドコントロール下におかれた可能性はあるのだ。「サイレント・ネイビー」は帝国海軍の伝統で、現実政治への介入を積極的に行った陸軍に対して政治介入に消極的だった海軍のことを表現している。「さよなら」は豊田のオウム帰依に対して積極的に介入できなかった著者の悔恨が表現されているのだ。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。アマテラスは天皇家の先祖で、だからアマテラスが祭られている伊勢神宮は今度即位した新天皇も早速、皇后と一緒にお参りすることになっている。とここら辺は私たちにとって常識なのだが、この常識は誤ってはいないにしても必ずしも真実とは言えないことを溝口は古事記や日本書紀を読み解いて実証する。日本書紀では極めて明快に「タカミムスヒ」を国家神=皇祖神として掲げている。溝口の論を乱暴に要約すると、タカミムスヒは5世紀に「朝鮮半島から導入した、元を辿れば北方ユーラシアの遊牧民の間にあった支配者起源神話にその源流をもつもの」で、これに対してアマテラスは弥生に遡って日本土着の文化から生まれたとされる。6世紀から7世紀にかけてタカミムスヒからアマテラスへの国家神の転換がなされたことになる。この転換を主導したのが天武天皇とするのが溝口説である。日本神話を日本列島という狭い地域に閉じ込めることなく広く東アジアの情勢との関連で読み取ろうしたのである。

6月某日
「あちらにいる鬼」(井上荒野 朝日新聞出版 2019年2月)を読む。井上荒野は割と好きな作家で、新作が出ると図書館にリクエストする。「あちらにいる鬼」は、女流作家の長内みはると小説家の白木篤郎の不倫、篤郎の妻と2人の娘を巡る話だ。長内みはるは瀬戸内寂聴、白木篤郎は井上光晴がモデルになっている。そして作者の井上荒野は井上光晴の長女である。一種のモデル小説だが、モデルの不倫関係を不倫の当事者の長女が描くという、世間的に見ればスキャンダラスな話かもしれない。でも小説的にはとても面白かった。みはると篤郎の不倫はみはるの出家により終止符を打たれる。やがて篤郎は癌に冒され死に至る。この本の読みどころのひとつはみはると篤郎が不倫関係を続けながら、みはると篤郎の妻が心を通わせ、なおかつ篤郎と篤郎の妻の関係も基本的には揺るがないというところではないか。小説だからもちろんデティールはフィクションだが、みはる-篤郎-篤郎の妻、という3者の関係は事実に基づいていると思う。3者のうちフィクションでは篤郎と篤郎の妻、現実では井上光晴とその妻が死んでいる。みはる=寂聴だけが生きているのだが、寂聴は井上光晴との関係を暴かれても微動だにしない、どころか楽しんでいるのである。ネットで「あちらにいる鬼」を検索したら寂聴と井上荒野の対談が掲載されていたが、まさに楽しそうであった。30年ほど前だが、村瀬春樹さんに誘われて出席したパーティで井上荒野に挨拶したことがある。「お父さんに似てますね」と言った覚えがあるが、もちろん私は井上光晴の実物に会ったことはない。会ったことはないが当時、井上光晴の小説をよく読んでいて新刊が出るたびに買っていたような気がする。しかし、図書館に行って驚いたが、現代日本文学のコーナーに井上光晴の本が一冊もないのである。おそらく書庫に収蔵されているのであろう。「おちらにいる鬼」で井上光晴の人と作品に興味を持つ人が増えればな、とふと思う。

6月某日
石津さんと地下鉄根津駅で待ち合わせ「根津食堂 民の幸」へ。ここは数日前、青海社に行く前にランチに寄った店。不忍通りの東大側の一本裏通りの、そのまた奥の路地にある。ランチのときは若い女性がウエイトレスをしていたが、今日は時間が早いのか、経営者らしい上品な年配の女性が一人だけ。刺身や野菜の煮物などを頂く。ビールで乾杯の後、私はもっぱら日本酒。料理はおそらく経営者と見られる女性の手作り、どれも美味しかった。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
大分市の介護事業所、㈱ライフリーの佐藤孝臣代表取締役にインタビュー。佐藤孝臣さんは作業療法士で大分市内で自立支援型デイサービス事業を展開する傍ら、全国各地で自立支援という介護保険の理念に基づいて、利用者の要介護度を軽減させ介護保険を卒業させる重要さを講演で訴えている。要介護度を軽減させると介護事業所にとっては介護保険収入は減少となる。利用者にとっても重度化したほうが介護給付費が増えて「トクした」ような感覚を持つ人がいるそうだ。佐藤さんは自分で自分の身の回りのことができる方が利用者にとっても幸福度がアップすると語る。それだけではない、我々団塊の世代が後期高齢者となる2015年以降、今の勢いで要介護高齢者が増えていったらどうなるか?介護保険は税金と保険料で運営されていることを忘れてはならないと思う。佐藤さんは作業療法士の研究大会に講師として出席するために上京、その合間にインタビューに応じてくれた。

6月某日
「一億円のさようなら」(白石一文 徳間書店 2018年7月)を読む。本文が500ページを超える大著ではあるが、ストーリー展開が面白く3日程度で読み通してしまった。主人公は化学品製造会社に勤める創業者一族の鉄平。長年勤めた医療機器関連の会社をリストラされ家族4人で化学品製造会社のある福岡に移住した。インフルエンザで会社を休んでいた鉄平の家へ弁護士から妻の夏代に電話がかかったのが話の発端。弁護士からの電話に「妻の謎の過去」を感じた鉄平は妻に内緒で福岡に出張してきた弁護士と会うことにする。弁護士が明かしたのは妻が結婚前に遺産を贈与され、その相続財産は48億円という途方もないものだった。その間、娘は長崎の看護学校、息子は鹿児島の歯科大学に進学し、夏代は弁当製造工場の正社員となり、鉄平も創業者一族を巻き込んだ社内抗争のとばっちりを受ける。それに衆議院議員を目指す三鷹市の高松琢磨がからむ。高松は地元の地主の息子で鉄平の親友、藤木遊星を小学校の4年生から陰湿ないじめを繰り返す。高校生になった鉄平は秘かに琢磨を襲撃、琢磨は半身不随となるも国政を目指す。琢磨は邪悪なるものの象徴として描かれているのだが、大変盛りだくさんなストーリーで、私は白石一文のチャレンジ精神を評価したい。

6月某日
本郷さんからメールが来て南千住で呑むことに。南千住で6時に待ち合わせる。6時に南千住駅前に行くと本郷さんはすでに来ていた。今日は本郷さんの友人と3人で呑む予定。少し遅れてその友人、永井さんが来る。本郷さんは1947年生まれ、私は1歳下、永井さんはさらに3~4歳下。本郷さんは中大、永井さんは北大、私は早大のそれぞれ全共闘崩れが共通点。南千住から歩いて7~8分の「串揚げ茶屋たつみ」という店に入る。南千住仲通りという寂れた商店街の奥にある。中年の女性が2人でやっている店は、つまみもおいしかったし値段もリーズナブル。帰りは都電荒川線の三ノ輪橋から。

6月某日
「とめどなく囁く」(桐野夏生 幻冬舎 2019年3月)を書店で買ってすぐに読みだす。いつもの桐野作品以上にミステリアスでとても面白かったのだが、この1~2週間何やかやと忙しくて読後の感想を記す暇がなかった。で読後2週間の今、感想を述べようと思うのだが。富豪の塩崎克典の後妻に入った早樹は夫との年齢差は20歳以上、克典の娘や長男の嫁と同じ世代だ。早樹の前の夫は海釣りで行方不明となった。死体は発見されなかったが死亡が認定され塩崎と結婚することになった。ネタをバラしちゃうと実は夫は生きていた。夫は早樹と結婚する以前から付き合っていた女と切れることができず、釣りも密会のアリバイ作りに使われていたのだ。まぁほとんどあり得ない話と思うが、夫の生存を疑い始めた先の困惑や怒り、戸惑いを描く桐野の筆致はさすがである。読後2週間も経つと感想も粗雑になってしまう。スミマセン。

6月某日
全国訪問ボランティアナースの会(キャンナス)の菅原由美代表に「地方から考える社会保障」での講演をお願いする。キャンナスの本部は藤沢だが、菅原さんは「中村秀一さんの社会保障フォーラムを聴きに上京するからそのときに会いましょう」と言ってくれた。社会保障フォーラムは18時30分開始なので17時に会場のプレスセンターの1階で待ち合わせ。社保険ティラーレの佐藤聖子社長も来る。菅原さんはナースとしての出発こそ病棟のナースだが、結婚後は町の診療所や企業の診療所も経験、保健所にもいたことがあるそうだ。おそらくそこで現場の対応力を磨いたのであろう。その対応力は被災地でも発揮されている。菅原さんと話していると社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が来た。私はこのところ仕事しすぎ気味なので、打ち合わせ後千代田線の霞が関から我孫子へ真直ぐ帰ることにする。霞が関始発の電車が来たので座って帰ることができた。我孫子で「しちりん」に寄り、久しぶりに「愛花」に顔を出す。

6月某日
呑み過ぎでお昼近くに起き出してボーッとしていると石川はるえさんから電話。「今、四谷だけどこれから会おう。我孫子に着いたら電話する」という。とにかく行動が速いからねー、ついていけません。日田市長選挙の話題になると思ったので大谷源一さんにも我孫子に来るように電話。我孫子駅の改札で待っていると石川さんが登場。我孫子のコビアンⅡに案内する。ほどなく大谷さんも合流。日田市長選挙に出る椋野美智子さんのために資金カンパを募ることで一致した。3人で白ワイン3本を空ける。コビアンはそれなりの雰囲気のあるレストランだが値段の安いのが特徴。石川さんが「我孫子に越してこようかな」と言っていた。私は心の中で「それは止めて」とツブヤク。2人を我孫子駅に送って、私は2日連続して「愛花」へ。看護師の「佳代ちゃん」が友達と来ていた。