モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
高齢者住宅財団の落合さんの趣味はフラメンコ。今から20年以上前になると思うが、落合さんがまだ社会保険研究所で編集補助をしていたときのことだ。社員旅行では毎年、グループの若手社員に依る「余興」が演じられるのだが、その年は落合さんが主導して若手女子社員によってフラメンコが躍られた。フラメンコなど見たこともない私たちは目を奪われた。ホテルに泊まっていた他の団体客も観に来ていた。それ以来、落合さんは20年以上も研鑽を続けてきたわけだ。そのリサイタルが本日、西日暮里の「アルハンブラ」であるというので観に行くことにする。12時開場、12時30分開演ということなので12時過ぎに会場に着くとすでに7分の入り。当日は強い雨が降っていたにも関わらずだ。日薬連の宮島俊彦さんが来ていたので近くに座る。プレハブ建築協会の合田純一さん、滋慶学園の大谷源一さんも来る。高齢者住宅財団は国交省と厚労省の共管だが、国交省の人も何人か来ていて合田さんに挨拶していた。開演の12時30分にはほぼ満席となっていた。踊りは2部構成だったが落合さんは両方に出演、素人が見ても大変、迫力のある踊りだった。90歳近い女性も踊っていたが実に楽しそうだった。終って合田さんと大谷さんと西日暮里駅前の「串まる」でホッピーを昼飲み。

6月某日
「官僚たちの冬-霞が関復活の処方箋」〈田中秀明 小学館新書 2019年9月〉を読む。著者の田中秀明は1960年東京生まれ、東工大大学院を終了後大蔵省入省、予算・財政投融資・自由貿易交渉・中央省庁等改革などに関わり、一橋大経済研究所、内閣府参事官を経て、現在は明治大公共政策大学院教授。厚生省老人保健部へ出向経験もある。1年ほど前に「地方から考える社会保障フォーラム」で「地方財政」について講演してもらったことがある。そのときも大変わかりやすくて明快な語り口で地方議員にも好評だった。
タイトルの「官僚たちの冬」は作家の城山三郎が「官僚たちの夏」で描いた天下国家を論じたころと現在を対比したかったのだろうが、タイトル的には成功したとは言い難い。内容としては少子高齢化で経済成長率が鈍化し、政治的には安倍一強下で官邸主導型の統治スタイルに官僚は如何に対応すべきかを述べた極めて真っ当な本である。従来の霞が関ではジェネラリストが求められてきたがこれからはスペシャリストを目指すべきというのが著者の考え。確かに右肩上がりに経済成長していたころは、税収も右肩上がりで官僚の役割は成長の果実をどう分配するかだったから、官僚もジェネラリストで良かったかも知れない。しかし「失われた20年」となった今は国民に負担を求めるのが政治と官僚の役割であり、そのためには幅広い常識とともに高い専門知識が要求されるのかもしれない。厚労省の雇用と年金省とその他の医療、介護、福祉、子育て省への分割論もその意味では理解できる。田中先生や権丈先生の声に国民や政治家はもっと耳を傾けるべきであろう。

6月某日
図書館で借りた「日曜日たち」(吉田修一 講談社 2003年8月)を読む。5編の短編の連作だが、最初の「日曜日のエレベーター」を読み始めて、「あっこの本前に読んだな」と思いだした。でも前に読んだときは分からなかったことが今回読んでよくわかった。繰り返して読むことも悪くない。この連作の隠れた主人公は親から育児放棄された二人の兄弟。兄は小学校3年生ぐらいで弟は小学校に入ったばかりか。第1作の主人公、渡辺はフリーター。池袋のバーで知り合った恋人、圭子は医療関係の学校に通う。ここが吉田修一の物語づくりの巧さだと思うが、圭子は実は医大生でしかも韓国籍だったことが徐々に明らかにされる。渡辺は路地に佇んでいた兄弟にたこ焼きをご馳走する。兄弟と孤独な都会の住民のちょっとした出会いが綴られていく。最後はDVに悩む乃理子が駆け込んだ自立支援施設で、保護された兄弟に出会う。施設から逃げようとする兄弟に乃理子は着けていたピアスを外して「これ約束の品だから。絶対にふたりを離れ離れにしないって約束した証だから」と、ふたりの手に一個ずつ握らせる。数年後、再会した兄の耳にはピアスが。

6月某日
「日本人の死生観を読む―明治武士道から『おくりびと』へ」(島薗進 朝日新聞出版 2011年11月)を読む。島薗は1948年生まれだから私と同年、「エピローグ」によると「大学入学時は将来医療に携わることを考えていた」とあるが、難関の医学部進学過程に進学したのち「文転」したものと思われる。それはさておき本書のテーマは死生観に触れた日本人の書物やテキストを読むというもの。私は「第5章無残な死を超えて」を興味深く読んだ。これは戦争文学の傑作として名高い「戦艦大和ノ最期」(1946年)の作者、吉田満の著作から吉田の死生観を追ったものだ。吉田は復員後、日銀に就職してからも戦争と戦争における死を考え続ける。戦後も長く戦争体験のみにこだわった稀有な知識人と言えようか。島薗、吉田の著作はもう少し読んでみたい。

6月某日
ふるさと回帰支援センターの高橋ハム理事長から辻哲夫さんが有楽町の交通会館にあるセンターを見に来るので、伊藤明子さんにも声を掛けておいてと言われる。辻さんは元厚労次官で現在は東大の特任教授で柏プロジェクトを主導したり、亡くなった近藤純五郎さんの後の社会保険福祉協会の理事長職を引き受けたりと何かと忙しい人である。伊藤さんは国土交通省の住宅技官、女性で初めて住宅局長に就任、1年で内閣に引き抜かれた。もらった名刺には「内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生総括官補」とあった。交通会館の地下の画廊では宮島俊彦の奥さんの百合子さんの絵の個展が開かれていたので、4人で観に行く。そして高知料理の店「おきゃく」へ。辻さんと伊藤さんの話の迫力に圧倒される。

6月某日
「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」(伊東乾 集英社 2006年11月)を読む。タイトルを見ただけではどんな内容かわからないが、オウム真理教の死刑囚、豊田亨〈2018年7月26日執行〉について東大物理学科の同級生で現在、東大准教授の伊東乾が綴ったもの。東大でも最難関とされる物理学科の修士を終了し博士課程への進学も決まっていた豊田は、学業を放棄しオウム真理教に帰依し出家する。将来、ノーベル賞も期待されるような優秀な頭脳を持つ男がなぜ殺人を犯すようになったか。麻原によるマインドコントロールによると言ってしまえばそうなのだが、なぜ簡単にマインドコントロールされたのかという疑問は残る。私も出会いによっては麻原のマインドコントロール下におかれた可能性はあるのだ。「サイレント・ネイビー」は帝国海軍の伝統で、現実政治への介入を積極的に行った陸軍に対して政治介入に消極的だった海軍のことを表現している。「さよなら」は豊田のオウム帰依に対して積極的に介入できなかった著者の悔恨が表現されているのだ。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。アマテラスは天皇家の先祖で、だからアマテラスが祭られている伊勢神宮は今度即位した新天皇も早速、皇后と一緒にお参りすることになっている。とここら辺は私たちにとって常識なのだが、この常識は誤ってはいないにしても必ずしも真実とは言えないことを溝口は古事記や日本書紀を読み解いて実証する。日本書紀では極めて明快に「タカミムスヒ」を国家神=皇祖神として掲げている。溝口の論を乱暴に要約すると、タカミムスヒは5世紀に「朝鮮半島から導入した、元を辿れば北方ユーラシアの遊牧民の間にあった支配者起源神話にその源流をもつもの」で、これに対してアマテラスは弥生に遡って日本土着の文化から生まれたとされる。6世紀から7世紀にかけてタカミムスヒからアマテラスへの国家神の転換がなされたことになる。この転換を主導したのが天武天皇とするのが溝口説である。日本神話を日本列島という狭い地域に閉じ込めることなく広く東アジアの情勢との関連で読み取ろうしたのである。

6月某日
「あちらにいる鬼」(井上荒野 朝日新聞出版 2019年2月)を読む。井上荒野は割と好きな作家で、新作が出ると図書館にリクエストする。「あちらにいる鬼」は、女流作家の長内みはると小説家の白木篤郎の不倫、篤郎の妻と2人の娘を巡る話だ。長内みはるは瀬戸内寂聴、白木篤郎は井上光晴がモデルになっている。そして作者の井上荒野は井上光晴の長女である。一種のモデル小説だが、モデルの不倫関係を不倫の当事者の長女が描くという、世間的に見ればスキャンダラスな話かもしれない。でも小説的にはとても面白かった。みはると篤郎の不倫はみはるの出家により終止符を打たれる。やがて篤郎は癌に冒され死に至る。この本の読みどころのひとつはみはると篤郎が不倫関係を続けながら、みはると篤郎の妻が心を通わせ、なおかつ篤郎と篤郎の妻の関係も基本的には揺るがないというところではないか。小説だからもちろんデティールはフィクションだが、みはる-篤郎-篤郎の妻、という3者の関係は事実に基づいていると思う。3者のうちフィクションでは篤郎と篤郎の妻、現実では井上光晴とその妻が死んでいる。みはる=寂聴だけが生きているのだが、寂聴は井上光晴との関係を暴かれても微動だにしない、どころか楽しんでいるのである。ネットで「あちらにいる鬼」を検索したら寂聴と井上荒野の対談が掲載されていたが、まさに楽しそうであった。30年ほど前だが、村瀬春樹さんに誘われて出席したパーティで井上荒野に挨拶したことがある。「お父さんに似てますね」と言った覚えがあるが、もちろん私は井上光晴の実物に会ったことはない。会ったことはないが当時、井上光晴の小説をよく読んでいて新刊が出るたびに買っていたような気がする。しかし、図書館に行って驚いたが、現代日本文学のコーナーに井上光晴の本が一冊もないのである。おそらく書庫に収蔵されているのであろう。「おちらにいる鬼」で井上光晴の人と作品に興味を持つ人が増えればな、とふと思う。

6月某日
石津さんと地下鉄根津駅で待ち合わせ「根津食堂 民の幸」へ。ここは数日前、青海社に行く前にランチに寄った店。不忍通りの東大側の一本裏通りの、そのまた奥の路地にある。ランチのときは若い女性がウエイトレスをしていたが、今日は時間が早いのか、経営者らしい上品な年配の女性が一人だけ。刺身や野菜の煮物などを頂く。ビールで乾杯の後、私はもっぱら日本酒。料理はおそらく経営者と見られる女性の手作り、どれも美味しかった。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
大分市の介護事業所、㈱ライフリーの佐藤孝臣代表取締役にインタビュー。佐藤孝臣さんは作業療法士で大分市内で自立支援型デイサービス事業を展開する傍ら、全国各地で自立支援という介護保険の理念に基づいて、利用者の要介護度を軽減させ介護保険を卒業させる重要さを講演で訴えている。要介護度を軽減させると介護事業所にとっては介護保険収入は減少となる。利用者にとっても重度化したほうが介護給付費が増えて「トクした」ような感覚を持つ人がいるそうだ。佐藤さんは自分で自分の身の回りのことができる方が利用者にとっても幸福度がアップすると語る。それだけではない、我々団塊の世代が後期高齢者となる2015年以降、今の勢いで要介護高齢者が増えていったらどうなるか?介護保険は税金と保険料で運営されていることを忘れてはならないと思う。佐藤さんは作業療法士の研究大会に講師として出席するために上京、その合間にインタビューに応じてくれた。

6月某日
「一億円のさようなら」(白石一文 徳間書店 2018年7月)を読む。本文が500ページを超える大著ではあるが、ストーリー展開が面白く3日程度で読み通してしまった。主人公は化学品製造会社に勤める創業者一族の鉄平。長年勤めた医療機器関連の会社をリストラされ家族4人で化学品製造会社のある福岡に移住した。インフルエンザで会社を休んでいた鉄平の家へ弁護士から妻の夏代に電話がかかったのが話の発端。弁護士からの電話に「妻の謎の過去」を感じた鉄平は妻に内緒で福岡に出張してきた弁護士と会うことにする。弁護士が明かしたのは妻が結婚前に遺産を贈与され、その相続財産は48億円という途方もないものだった。その間、娘は長崎の看護学校、息子は鹿児島の歯科大学に進学し、夏代は弁当製造工場の正社員となり、鉄平も創業者一族を巻き込んだ社内抗争のとばっちりを受ける。それに衆議院議員を目指す三鷹市の高松琢磨がからむ。高松は地元の地主の息子で鉄平の親友、藤木遊星を小学校の4年生から陰湿ないじめを繰り返す。高校生になった鉄平は秘かに琢磨を襲撃、琢磨は半身不随となるも国政を目指す。琢磨は邪悪なるものの象徴として描かれているのだが、大変盛りだくさんなストーリーで、私は白石一文のチャレンジ精神を評価したい。

6月某日
本郷さんからメールが来て南千住で呑むことに。南千住で6時に待ち合わせる。6時に南千住駅前に行くと本郷さんはすでに来ていた。今日は本郷さんの友人と3人で呑む予定。少し遅れてその友人、永井さんが来る。本郷さんは1947年生まれ、私は1歳下、永井さんはさらに3~4歳下。本郷さんは中大、永井さんは北大、私は早大のそれぞれ全共闘崩れが共通点。南千住から歩いて7~8分の「串揚げ茶屋たつみ」という店に入る。南千住仲通りという寂れた商店街の奥にある。中年の女性が2人でやっている店は、つまみもおいしかったし値段もリーズナブル。帰りは都電荒川線の三ノ輪橋から。

6月某日
「とめどなく囁く」(桐野夏生 幻冬舎 2019年3月)を書店で買ってすぐに読みだす。いつもの桐野作品以上にミステリアスでとても面白かったのだが、この1~2週間何やかやと忙しくて読後の感想を記す暇がなかった。で読後2週間の今、感想を述べようと思うのだが。富豪の塩崎克典の後妻に入った早樹は夫との年齢差は20歳以上、克典の娘や長男の嫁と同じ世代だ。早樹の前の夫は海釣りで行方不明となった。死体は発見されなかったが死亡が認定され塩崎と結婚することになった。ネタをバラしちゃうと実は夫は生きていた。夫は早樹と結婚する以前から付き合っていた女と切れることができず、釣りも密会のアリバイ作りに使われていたのだ。まぁほとんどあり得ない話と思うが、夫の生存を疑い始めた先の困惑や怒り、戸惑いを描く桐野の筆致はさすがである。読後2週間も経つと感想も粗雑になってしまう。スミマセン。

6月某日
全国訪問ボランティアナースの会(キャンナス)の菅原由美代表に「地方から考える社会保障」での講演をお願いする。キャンナスの本部は藤沢だが、菅原さんは「中村秀一さんの社会保障フォーラムを聴きに上京するからそのときに会いましょう」と言ってくれた。社会保障フォーラムは18時30分開始なので17時に会場のプレスセンターの1階で待ち合わせ。社保険ティラーレの佐藤聖子社長も来る。菅原さんはナースとしての出発こそ病棟のナースだが、結婚後は町の診療所や企業の診療所も経験、保健所にもいたことがあるそうだ。おそらくそこで現場の対応力を磨いたのであろう。その対応力は被災地でも発揮されている。菅原さんと話していると社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が来た。私はこのところ仕事しすぎ気味なので、打ち合わせ後千代田線の霞が関から我孫子へ真直ぐ帰ることにする。霞が関始発の電車が来たので座って帰ることができた。我孫子で「しちりん」に寄り、久しぶりに「愛花」に顔を出す。

6月某日
呑み過ぎでお昼近くに起き出してボーッとしていると石川はるえさんから電話。「今、四谷だけどこれから会おう。我孫子に着いたら電話する」という。とにかく行動が速いからねー、ついていけません。日田市長選挙の話題になると思ったので大谷源一さんにも我孫子に来るように電話。我孫子駅の改札で待っていると石川さんが登場。我孫子のコビアンⅡに案内する。ほどなく大谷さんも合流。日田市長選挙に出る椋野美智子さんのために資金カンパを募ることで一致した。3人で白ワイン3本を空ける。コビアンはそれなりの雰囲気のあるレストランだが値段の安いのが特徴。石川さんが「我孫子に越してこようかな」と言っていた。私は心の中で「それは止めて」とツブヤク。2人を我孫子駅に送って、私は2日連続して「愛花」へ。看護師の「佳代ちゃん」が友達と来ていた。