モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
図書館で借りた「暴君 新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」(牧久 小学館 2019年4月)を読む。松崎明は国鉄の動力車労働組合(動労)の委員長を長く務め、国鉄の民営化前は反マル生闘争や反合理化闘争で当局との非妥協的な闘いを主導し、民営化後は東鉄労、JR東日本労組の委員長として一転して労使協調的な路線への転換を行った。そして労働運動の指導者としての顔ともう一つ、新左翼の革共同革マル派の副議長という革命組織の指導者としての顔も持っていて私たちの世代では有名人であった。新左翼は共産同(ブンド)にしても革共同中核派、社青同解放派にしろそれぞれ労働運動に拠点は持っていたが、動労のような基幹産業の労組の委員長ポストを長く独占するというのはほとんど例がない。動労から別れた千葉動労は中核派が執行部を握っていたけれど。松崎はそれだけ労働運動の指導者として傑出した指導力を持っていたということになる。
本書によると松崎は国鉄が民営化して以降、当局と労使協調的な路線を歩むと同時に組織の私物化が目立ってくるという。ハワイや沖縄に組織の金で別荘を購入したり、動労の組合員ではない息子を関連会社の社長に据えたりしたりしたというのだ。松崎は高卒(川越工業高)のたたき上げの労働者である。それがインテリ集団の革マル派の副議長になり、労働運動ではJR東日本労組の委員長として旧国鉄だけではなく、日本の労働運動に大きな影響力を持った。それなのに、いやそうであるが故にかもしれない晩年は腐敗堕落していく。どうしてなのか、権力の座に長くいるということはそういうことなのだろうか。権力の座には長くいないことが一番である。創業者で後継者がいない場合はどうか?中小企業ではよくあるが、民間会社の場合は経営を誤ると倒産する。労働組合や革命組織にはそうしたチェックがなかなか働かない。働いても緩慢だよね。だからこそ組織の指導者は「批判の声を聴く」耳が必要ということなのだ。

7月某日
「バブル経済事件の深層」(奥山俊宏、村山治 岩波新書 2019年4月)を読む。平成元(1989)年暮れに日経平均は3万8915円を付け株価バブルは最高潮に達したが、それはバブル崩壊の始まりでもあった。本書はバブル経済事件のうちから「尾上縫と日本興業銀行」「高橋治則vs.特捜検察、日本長期信用銀行」「大和銀行ニューヨーク支店事件」「大蔵省と日本債権信用銀行の合作に検察の矛先」という4つの事件を取り上げた4つの章と序章、終章「護送船団を支えた2つの権力の蜜月と衝突」で構成されている。今から30年以上も前の事件であるが、あれから30年も経ったのかという想いがする。4つの事件の舞台となった日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行、大和銀行はともに今は存在しない。興銀、長銀、日債銀は割引債を発行して資金を調達し、企業に長期貸付を行ってきた。高度経済成長期で資金不足の時代、加えて企業が直接、金融市場から資金調達ができない間接金融が主体の時代には日本経済にとっても十分な存在意義があった。しかし日本経済の成長の結果もあって資金不足は解消し、企業も直接市場から資金調達できるようになり、これらの銀行も新たな顧客層を開拓することが迫られた。新たな顧客が尾上縫であり高橋治則であったわけだ。高橋治則は投資の一環でオーストラリアのボンド大学を手中に収めたが、私の友人の1人がそのボンド大学の東京事務所長を務めていたことがある。早速メールして今度、「高橋治則さんを肴に一杯やりましょう」ということになった。

7月某日
医系技官だった高原亮治さんと私は高原さんが現役のころからたまに酒を呑む関係だった。高原さんが健康局長で厚労省を退官した同じ日に社会保険庁長官退任の辞令を交付されたのが堤修三さん。岡山大学医学部全共闘の高原、東大全共闘の堤、早大全共闘の森田と「全共闘崩れ」が3人を結び付けた共通点だったと思う。高原さんは上智大学教授を定年で辞めた後、高知の医療法人へ医師として赴任、間もなく急死したのが2013年の7月。「偲ぶ会」もやらないままだったが、遺骨が上智大学傍らの聖イグナチオ教会に安置されているということで、このところ毎年、堤さんと木村陽子さんとお参りに行っている。木村陽子さんは奈良女から阪大の大学院へ進み奈良女の教授を務めた後、総務省系の法人の理事長をやっている。私はたぶん高原さんの墓参りで会ったのが初めてと思うが、気さくなおばちゃんである。この日は4月から上智大学人間科学部の特任教授に就任した吉武民樹さんも参加。お参りした後、4人で上智大学の職員食堂へ。男3人はビールとワインを呑んだが、木村さんはこの後上野で勉強会があるというのでジュースを飲んでいた。上野へ行く木村さんを四ツ谷駅で見送った後、吉武さんお勧めの「隠れ岩松」という店へ。昼はうどんを提供する店らしいが夜は長崎料理の店になるという。確かに美味しかったし値段もリーズナブルだった。

7月某日
本郷さんと水田さんと呑むのは確か今年3回目。本郷、水田、私の3人の関係を説明しよう。本郷さんは石油連盟というところで角田さんと同僚だった。角田さんは前橋高校で東京都立大学出身、前橋高校では私の早大政経学部の1年先輩、鈴木基司さんと同じ学年だった。10年ほど前から角田さんや同じ前橋高校出身で東大の中核派だった人とかと呑むようになった。水田さんは私より10年ほど若いようだが、北大の叛旗派だったらしい。安い店がいいとのことで町屋の「ときわ」で16時に待ち合わせ。16時少し過ぎに「ときわ」に着くと2人はすでに呑み始めていた。水田さんは私より10年若いだけあってネットを利用していろいろ情報をやりとりしているらしい。私は「へー、なるほどね」と肯くばかりである。3人ともつまみをあまり頼まなかったので3時間近く呑んだが1人2000円だった。

7月某日
「現代に生きるファシズム」(佐藤優 片山杜秀 小学館新書 2019年4月)を読む。佐藤は1960年生まれ、片山は1963年生まれだから50代後半か。2人のファシズムを巡る対談である。この対談のキーワード、そして2人のファシズム理解のキーワードの1つが「持たざる国」。第1次世界大戦で敗北したドイツ、辛うじて戦勝国となった日本、イタリアも遅れてきた帝国主義国家であり、先進的な帝国主義国家の英米仏に比べれば「持たざる国」であった。ここからは私のファシズム理解になるのだが、遅れてきた帝国主義国家「持たざる国」であった日本が、英米に拮抗していくためには国内的にはファシズムによる統制的な国家体制が必要であった。だが王制や帝政を否定したイタリア、ドイツと違って日本は天皇制とファシズムが両立したというか相互に補完し合った。1945年の8月に最終的には御前会議で日本の敗戦が決定したということは、天皇自らがファシズムとの絶縁を宣言したことにならないだろうか。終戦の詔からはそこまでは読めないけれど。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「日高見」という石巻の地酒がある。2011年の東日本大震災の後、取材に入った石巻で駅前の物産店で買ったのがこの酒との付き合いの始まり。田酒や十四代のように名前が売れているわけではないが、それでも都内の居酒屋で置いているところはある。「日高見」という名前はなぜ日高見なのか、考えたこともなかったが今回、「天孫降臨とは何であったのか」(田中英道 勉誠出版 2018年4月)を読んで日高見とは何かが分かった。日高見とはヤマト政権が成立する以前の関東・東北を広く束ねた国家、日高見国のことであった。著者によると、日本神話の天孫降臨は、日高見国の中心のあった鹿島(鹿島神宮のある茨城県の鹿島市である)から鹿児島へと向かう一大軍事船団の記憶が神話として残されたものである。この説の真偽はともかく、神話から日本歴史の源流を辿るという著者の発想は大変、私には新鮮だった。ギリシアの叙事詩「オデッセイア」に描かれたトロイの木馬の実在を信じて、ついにその遺跡を発掘したシュリーマンのことを思い出した。

7月某日
「早大闘争50周年を記念する会」で事務局をやってくれたのが出版社、ウェイツの中井健人社長。そのとき中井社長から購入したのが「東大闘争-50年目のメモランダム」(和田英二 ウェイツ 2018年11月)だ。著者の和田が法学部の3年生だった1968年6月、医学部学生の不当処分をきっかけとして東大闘争は始まった。和田は当時はノンポリ学生だったが大学当局と全共闘の対立がエスカレートしていく中で、法学部闘争委員会の一員として成長していく。翌1969年の1月18日、東大に機動隊が導入され安田講堂に立て籠った学生たちは翌日の19日までに逮捕されほとんどが起訴された。和田が調べたところでは逮捕者377人、起訴されたのは295人であった。起訴されたのは東大65人、同志社15人、法政14人、明治13人、早稲田12人などである。 完全黙秘を貫いて氏名不詳のまま起訴された者も相当数いたことから和田は、起訴された東大生は80人は超えると推定している。法学部は20人。東大法学部はもともと国家の中枢を担う官僚の養成機関として開学した。したがって学生の多くは良くてリベラル、極左が育つ土壌があるとも思えない。60年安保のときもブンドの書記長だった島成郎が医学部、6.15で殺された樺美智子が文学部、駒場の委員長だった西部邁は経済学部である。東大闘争でもストライキに突入したのが最も遅かったのが法学部で、ストライキ解除が最も早かったのが法学部と記憶している。しかし安田講堂に籠城したのは20人で、多分、工学部や医学部より多かったかもしれない。東大闘争の肝のひとつが「自己否定」。エリートを約束された法学部生だからこそ「自己否定」を貫いたのだろうか。

7月某日
「女たちは二度遊ぶ」(吉田修一 角川文庫)を読む。吉田修一は長編で力を発揮するが短編もいい。これは時にはバイト学生だったり時には非常勤だったり、傍から見るととても勤勉とは言えない現代の青年とその青年と一時期は付き合ったり、同棲したりするのだが、結局は「逃げていく女」の物語である。無気力で自堕落に生きること、それは決してほめられたことではないが、長い人生の一時期そうした時間だって必要じゃないかなと私は思う。多分作者の吉田修一も作家を目指しながらも無気力、自堕落に陥ったことがあるのじゃないか、と思わせる短編小説集であった。

7月某日
図書館で借りた「障害者の経済学」(中島隆信 東洋経済新報社 2006年2月)を読む。中島は慶應大学商学部教授で子どもの一人が脳性マヒで、子どものための施設探しを経験したことがこの本を書く動機のひとつになったようだ。「他の親たちが真剣な顔つきで質問するなかで妙に醒めた自分がいた」(あとがき)と書いている。これはわかりやすいフレーズではない。私なりに解釈すると「他の親たちが真剣な顔つきで質問」すればするほど、障害者の問題は普遍から遠ざかり特殊の世界に入っていくということではないだろうか。日本社会が「転ばぬ先の杖」社会であるという著者の考えとも通底する。「転ばぬ先の杖」社会ならば障害者にとっても健常者にとっても安全な社会と言えるかもしれない。しかしそれは人生の選択権を奪うことにならないだろうか。障害者や高齢者への「配慮」は必要である。だがそれは、障害者や高齢者が自分自身の障害や衰えた機能と向き合い、健常者とも対等な人間関係を結べるという方向性においてである。

7月某日
「元禄五芒星」(野口武彦 講談社 2019年3月)を読む。野口は1937年東京生まれ、早大一文卒後、東大大学院から神戸大学教授へ。順調な学者人生を歩んできたように見えるが野口が早大生のときは60年安保闘争と重なり、確か日本共産党の構造改革派の活動家だったはず。本書は忠臣蔵外伝ですな。「チカラ伝説」は大石内蔵助の長男で討ち入りのときは吉良邸の裏門攻撃を担当した大石力が主人公、「元禄不義士同盟」は討ち入りに参加しなかった大野九郎兵衛親子をネタにし、「紫の一本(ひともと)」は、元禄時代の江戸地誌「紫の一本」を題材にしている。「算法忠臣蔵」は赤穂藩の藩財政の内情を特産品であった塩と経済成長を支えた藩札の流通から考察している。「徂徠豆腐考」は元禄時代の大儒学者、荻生徂徠と若い徂徠が下宿していた豆腐屋の話でこの話は落語、講談、浪曲で「徂徠豆腐」として取り上げられている。

モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
(一財)医療経済研究・社会保険福祉協会から委託を受けて実施した「音楽運動療法の在宅普及に関する調査研究」がまとまったので、「打ち上げ」をするという連絡が入った。委託を受けたのは㈱ひつじ企画で、同社の社長が元厚労省の宇野裕さん。調査の全体的な方向性を決めて報告書の執筆、作成もほとんど一人で仕上げてくれた。「打ち上げ」には座長の川内基裕小金井リハビリテーション副院長は海外出張中で欠席だったが、それ以外は全員出席した。会場の新宿の中華料理店「西安」に行くと私が一番乗り、続いて特養「かないばら苑」苑長の依田明子さん、宇野さん宇野さんの奥さんの宇野雅子さんが来る。そして音楽療法士の丸山ひろ子さん、ホームヘルパー協会東京都支部の黒澤加代子さんが来て乾杯。私はこの研究会に参加するまで音楽療法の存在すら知らなかったのだが、一般市民代表という感じで参加させてもらった。音楽療法の可能性について十分な手応えを感じたことを先ずは報告しておきたい。詳しくは報告書を読んでもらいたいが、以下は私の個人的な感想。ひとつは、音楽のメロディーやリズム、そして歌なら歌詞は人間の意識のかなり深いところで繋がっているのではないかということ。もうひとつはスマホやタブレットの登場で、利用者や入所者のマイソングが簡単に検索できるということ。認知症で問題行動を繰り返す利用者に、スマホで検索して卒業した小学校の校歌を聴かせたところ問題行動は収まり、スマホに合わせて校歌を歌いだした。おそらく認知症予防や認知症の進行を遅らせる効果もあると思う。ジャズの源流はアフリカから連れてこられた黒人奴隷たちの歌やリズムにあると言われているが、おそらく日本のお寺で唱えられる声明(しょうみょう)にもそんな原初的な力が感じられる。音楽の力、「恐るべし!」である。

6月某日
図書館から借りた「憑神」(浅田次郎 新潮文庫 平成19年5月)と「密約 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2001年1月)を読む。浅田は1951(昭和26)年生まれ、佐藤は1941(昭和16)年生まれだから10歳違い。浅田は‘97年「鉄道員(ぽっぽや)」で、佐藤は’94年「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞している。浅田は江戸時代とくに幕末を中心にした時代小説に加えて明治、大正、昭和そして現代を舞台にした小説を数多く執筆していて、確か「ペンクラブ」会長も務めた今や文壇の重鎮。一方の佐藤は幕末の通貨戦争を描いた「大君の通貨」がデビュー作、しっかりとした時代考証には定評がある。「憑神」は三河以来の幕臣、別所彦四郎が主人公。御目見え以下の御徒歩組に生まれ、24歳のとき組頭の井上家に婿入りするが男子を授かったとたんに露骨な婿いびりが始まり、ついには離縁される。彦四郎はある日、草に埋もれた小さな祠を見つけ酔いに任せて神頼みをするが、この神様が貧乏神。貧乏神に憑かれた故に憑神である。将軍家が大政奉還し鳥羽伏見の戦いを経て、幕府の残党は上野の山に立て籠って気勢を上げている。彦四郎は貧乏神が音を上げるほどの正直者だが、最後は甲冑に身を固め上野の山に向かう。「密約」の舞台は11代将軍の家斉の治世、文化文政の頃か。江戸町奉行所勤めの藤木紋蔵は、今で言うナルコレプシーという突然眠気に襲われるという奇病に取りつかれている。であるが故に奉行所勤務の花形、定廻り勤務にはまわされず内勤の「例繰り方」勤務に勤める。例繰り方は過去の判例を調べるのが主な仕事で物書同心は以下で言えば東京地裁の書記と、東京検察庁の検察事務官を兼ねたような存在なのだろうか。紋蔵は市井の様々な事件に関わる一方、30年前に殺害された父を手に掛けた犯人を追っている。「密約」ではまだ犯人が分かっていないけれど、徐々にその網は絞り込められつつある。続巻が楽しみです。

6月某日
「ニュースの深き欲望」(森達也 朝日選書 2018年3月)を読む。森達也という人はオウム真理教信者のドキュメンタリー映画「A」と「A2」を撮った映像作家で、オウムの実態に迫った「A3」という著作で講談社ノンフィクション賞を受賞している。映像は見たことはないが「A3」を読んで、オウムという集団に対して先入観なく、その実像に迫ろうとしている態度に好感を持った。今回の著作では情報とは何か、メディアとは何かについて森の考えを率直に述べている。エピローグで森は「事実はない。あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉を引いて「僕たちが見たり聴いたり読んだりする情報は、誰かが誰かの視点で解釈した情報だ」とし、だからこそ記者やディレクターなどのメディア関係者の責任は「とてつもなく重い」と断じている。納得である。

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席のため立川へ。立川駅で同じ評議員の中村秀一さんに会ったので一緒に会場へ。決算と新しい理事の承認が主な議題。確か昨年の決算は利益率が1%台に低迷していたと思ったが、今年はV字回復を成し遂げていた。介護報酬がなかなか引き上げられない中でのV字回復は立派。評議員会を終わって石川はるえ理事長に評議員の中村さんや吉武民樹さん、監事の税理士の先生と近くの美登利寿司でご馳走になる。

6月某日
神田駅北口の「鳥千」を6時から予約。ここは20年くらい前にはよく来たのだが、最近、大谷源一さんと来ることが多い。「鳥千」という店名から焼き鳥がメインと思いがちだが、ここの売りは魚。6時からビールを呑み始めていると大谷さんが到着。遅れて高齢者住宅財団の落合明美さんが来る。刺身の盛り合わせと「アラ煮」を堪能。我孫子に帰って久しぶりに「愛花」に寄る。

6月某日
「鳥千」に行く前に神田神保町の古書店街を歩く。このところ図書館ばかりで新刊の書店も足が遠のきまして古書店に足を踏み入れるのは久しぶり。桐野夏生のサイン本が店頭に置いてあるので迷わず買うことにする。定価は1600円(税別)だが、古書店の売値は税込み300円、しかもどう見ても新刊である。「ローズガーデン」(講談社 2000年6月)である。村野ミロという女性探偵を主人公にした小説で「顔に降りかかる雨」「天使に見捨てられた夜」に続くシリーズ3作目。前2作はミステリーの長編小説だが、「ローズガーデン」は表題作で高校生の村野ミロを描く。それも後にミロと結婚する高校の同級生、博夫が結婚後、インドネシアに単身赴任し、奥地へ商品の部品を届けに行くために河をボートで遡りながらミロを回想するという凝った構造になっている。ミロの生い立ちや家族構成、生業などは桐野夏生を全く違うのだが、なぜか「ローズガーデン」を読んで私は「ミロ=夏生」の想いを強くした。