モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
神田の「鳥千」で大谷源一さんと神山弓子さんと呑む。金曜日なのでほぼ満席。神山さんから神山さんの故郷、石巻の銘酒「勝山」を頂く。

8月某日
「執念深い貧乏性」(栗原康 文藝春秋 2019年4月)を読む。栗原の本を読むのは「村に火をつけ、白痴になれ-伊藤野枝伝」「死してなお踊れ-一遍上人伝」「アナキズム-一丸となってバラバラに生きろ」に続いて4冊目。今まで読んだ3冊はいずれも書下ろしだが今回のは「文學界」(2017年5月号~2018年4月号)に連載されたものをまとめたもの。栗原はアナーキストを自ら認めていることもあって書いていることは、世間一般の常識からするとかなり過激。だけどそこがいいと言う読者(私もその一人)もかなりいるのでは。今回の参院選で令和新選組が2議席獲得したこととも似通っているように感じる。栗原は高校生の頃、大杉栄の著作を読みアナキズムに魅かれる。早稲田の政経学部から大学院の博士課程に進み、まじめな研究者になろうと思ったが、研究室の権威的な体質に馴染めず現在の肩書は山形県にある東北芸術工科大学の非常勤講師。非常勤講師というのはかなり悲惨な待遇で、常勤講師になると年収800万円くらいになるらしいのだが非常勤講師だと年収300万円がいいところらしい。で大学院では栗原も日本学生支援機構から奨学金を受けるのだが、それが635万円。月5000円の返済で105年かかるという。このように連載のテーマは多岐にわたるのだが、栗原の読書量は半端ではない。平岡正明の著作を全部読もうと思っているそうだが、平岡正明は50年前、私が大学生だったころ一部の若い人たちに熱狂的に支持された思想家というか活動家だった。もう死んだと思うけれど、一時は竹中労、太田竜と3人で「ゲバリスト」「世界革命浪人」を自称していた。栗原は1979年生まれ。私の息子たちと同じ世代だが、何か惹かれるものがある。

8月某日
愛知県内で開催されている「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止された。「表現の不自由展」には慰安婦を表現した少女像などが展示され、それに対する抗議電話が殺到したためと言われる。朝日新聞によると、企画展の会場には少女像や憲法9条をテーマにした俳句、天皇に関する作品など、各地の美術館から撤去されるなどした20数点を展示していた。まさに「表現の不自由」がこの日本で大手を振っていることを象徴している事件と思う。美術館から撤去されるという作品はどのような作品なのか、撤去という美術館の判断は正しかったのか、市民が企画展を観ることによって判断すればいいだけの話ではないか。企画展を中止した実行委員会の判断は苦渋の選択だと思うが、それにしてもこの国の「言論・表現の自由」は危機に瀕している。

8月某日
「柄谷行人 中上健次全対話」(講談社文芸文庫 2011年4月)を読む。中上健次は私が30代から40代によく読んだ作家だ。「19歳の地図」とか「枯木灘」「蛇淫」などだ。都会の根なし草的な雰囲気と和歌山新宮の路地の土着的な雰囲気を併せ持つ魅力的な作家だった。冬樹社の編集長だった竹下隆夫さんと知り合って、竹下さんが中上健次と親しかったことを聞いたころはあまり中上の小説を読まなくなっていたかも知れない。中上は1946年、和歌山県生まれ。新宮高校卒業後、大学に行かずフーテン生活を送りながら小説修業をする。「路地の消滅と滅亡」という最後の対談では中上がと柄谷がこの頃を振り返っている。「柄谷 早稲田の学生運動に、偽学生みたいに紛れ込んだ時期があるでしょう。中上 それは10.8の羽田に僕が行く前か、羽田闘争のときは何年だっけ?」という会話が交わされ、当時、中上が早稲田の法学部の地下に会った社学同の拠点に出入りし、のちに共産同戦旗派の指導者になった荒袋介とも交流が会ったことが明らかにされている。柄谷は1941年、兵庫県生まれ。60年安保のときは東大で安保闘争を経験、経済学部を卒業後、東大大学院英文学修士課程修了。2人の出会いは1968年、遠藤周作が編集長をつとめる「三田文学」編集室、それ以来、2人の付き合いは1992年の中上の死去まで続く。この対談集を読んでいまさらのように驚くのは中上の読書量。それも小説だけではなくデリダなどの現代思想にまで及んでいる。こういう小説家は今はいない。柄谷は今年78歳、評論活動は健在で私も今年、柳田国男論や憲法論を新書で読んだ記憶がある。