モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「しかたのない水」(井上荒野 新潮文庫 平成20年3月)を読む。フィットネスクラブを舞台とする連作短編集。受付の女性、水泳のコーチ、コーチの妻でフラメンコの講師等が織りなす物語ということができる。ある日コーチの妻が失踪する。そんななかで虚実が入り交じって物語が展開していく。ストーリーを要約してもあまり意味はないようなそんな連作短編集である。

11月某日
ブレイディみかこの「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がノンフィクション部門の本屋大賞を受賞した。「女たちのテロル」を先月読むまでブレイディみかこの存在自体を知らなかったけれど、もう少し作品を読んでみたいということで図書館で検索すると「花の命はノー・フューチャー」(ちくま文庫 2017年6月)がヒットしたので早速借りることにする。もともと2005年にオリジナル版が出版され、それにブログで連載されたものや書下ろしを加えたものだ。著者は高卒後、イギリスに移住してアイルランド人と結婚した。イギリスはブライトンという地方都市(ロンドンにも通勤可能な海辺の町らしい)に住む。イギリスは階級社会ということは聞いていたが、私たちが知るのはアッパークラスやミドルクラスの人々の暮らしで労働者階級や貧民層の生活はあまり知られていない。著者は公営住宅を払い下げられた住宅に住むが、近所に住むのは労働者階級や貧民層。彼らの暮らしぶりが活き活きとユーモアを交えて描写される。ちょっと異質なのは「BABE伝説」というエッセー。これは Mo Mowlam (モー・モーラム)という北アイルランド担当相を務めた英国の政治家の死を悼んだエッセー。北アイルランドの紛争解決に向けてすべての当事者を同じテーブルに着けたのが彼女だという。途中から病を得て失意のうちに死んだようだが、そんな彼女の人生を振り返るブレイディみかこの筆が優しいんだよね。

11月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」も20回、6年目を迎えた。今回は日本列島を直撃した台風の影響もあったのだろう申し込みはやや低調。それでも初日は伊藤明子消費者庁長官の「地域の未来を創る消費生活」、厚労省の江浪武志がん・疾病対策課長の「患者と家族を地域でどう支えていくか-第3期がん対策推進基本計画に沿って」それに中島隆信慶應大学教授の「障害者は社会を映す鏡-障害児教育と障害者就労から考える」の話に地方議員の先生たちは熱心に耳を傾け、講師との意見交換も活発に行われた。地方議員以外にも福祉関係者や労働組合からの参加もあって、すそ野は広がりつつあるようだ。中島先生には講義終了後の意見交換会にも参加していただいた。初参加の先生方から「また参加したい」との声も頂いた。2日目は年友企画の大山社長から「地域住民・地方自治体と国民年金」、さらに社会保険研究所グループからの話があった後で厚労省の吉田昌司地域共生社会推進室長から「地域共生社会の実現に向けた包括的な支援体制の整備について」の話があった。私は午後、医療科学研究所の江利川毅理事長と面会の約束があったので吉田室長の話は失礼して赤坂見附へ。
赤坂見附の医療科学研究所の前で高本真佐子セルフケア・ネットワーク代表と待ち合わせ。
高本代表が構想している重度重複障害者についての調査研究についてアドバイスを頂く。銀座へ行く高本代表とは17時にプレスセンター1階で待ち合わせることにして私は虎ノ門のフェアネス弁護士事務所で渡邉弁護士と打ち合わせ後、プレスセンター1階へ。高本代表と近くの喫茶店で打ち合わせ。私はタイムサービスのウイスキーのソーダ割を1杯頂く。18時にプレスセンター10階の虎ノ門フォーラムの月例社会保障研究会へ。今日の講師は放送大学客員教授の田中耕太郎先生による「ドイツの社会保障の動向と日本への示唆」。田中先生とは以前京都で堤修三さん、阿曽沼真司さんと4人で呑んだことがあるので講演前に挨拶する。田中先生のドイツの社会保障、とくに「医療保険と医療提供体制の特徴と改革」の話は大変面白かった。ドイツの医療改革に比較すると日本の改革は微温的で徹底性に欠けると感じた。難民の流入の増加についての質問に「難民という言葉に否定的な響きがあるが、稼得年齢層が流入しておりドイツの労働力不足への対応に貢献している」と答えていたのが印象的であった。

11月某日
社保険ティラーレの佐藤聖子社長と厚生労働省に伊原和人政策統括官を訪問、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」のアドバイスをもらう。HCM社で三井住友きらめき生命の営業ウーマンから説明を受けた後、若干の身辺整理をする。HCM社が年末に引っ越しをするためである。HCM社では立派な机を使わせてもらっているのだが、大橋進社長によると今度のオフィススペースは相当狭くなるため机は持っていけないとのこと。書類をいくつかシュレッダー処分した後、社保険ティラーレで打ち合わせ。

11月某日
「日本の地方議会-都市のジレンマ、消滅危機の町村」(辻陽 中公新書 2019年9月)を読む。日本の中央政府の首長、つまり総理大臣は議会(国会)での選挙によって選ばれるが、都道府県や市区町村の首長は住民の選挙で選ばれる。国政は一元代表制を採っているのに対して、地方は二元代表制とっているのだ。平成の大合併によって町村数が大幅に減って、地方議員も1998年末に6万3000人余りいたのが2018年末には3万2000人余りに減少している。地方議員の存在意義がどこにあるのか問うたのが本書である。国会議員はその報酬も含めて高度な専門職として位置づけされているが、果たして地方議員はどうなのかというのが著者の問題意識の一つだと思う。東京都議会など大都市を持つ都道府県議会や市議会はそうしたことも可能であろうが、過疎地の町村議会ではそもそも議員のなり手がいないという問題を抱えている。本書では「地方議員の専門性強化を図るだけでなく、近隣の自治体同士で議会事務局を共同設置するなどして議会総体としての能力向上を進めなければ、議員活動は魅力あるものに映らないし、活性化もしないだろう」としているが同感である。

11月某日
佐藤雅美の八州廻り桑山十兵衛シリーズ「関所破り定次郎 目籠のお練り」(文春文庫 2017年6月)を読む。八州廻りとは関八州、相模、武蔵、上総、下総、安房、常陸、上野、下野の8か国を管轄する勘定奉行配下の巡察吏である。今回の事件の発端は上州(上野の国、今の群馬県)玉村で道案内(江戸でいう岡っ引)が殺されたこと。同じころ相州(相模の国、今の神奈川県)でも道案内が殺される。上州の下手人は定次郎、相州の下手人は六蔵、二人とも博徒崩れだがこの時代ならば侠客である。この二人を追って桑山十兵衛は関八州を行きつ戻りつするのだが、この旅行脚も小説を面白くさせている要素のひとつだと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
札幌でコンピュータソフトの会社を経営している佐藤正輝(マサキ)は小中高校が同じ。山本義則(オッチ)と前野信久(ノンチ)も同じでこの3人は家も近所だった。マサキとノンチは高校でスキー部を創部、マサキが東京に出張してくるたびにスキー部の連中に声を掛けて集まる。私も高校1年のときワンシーズンだけスキー部に席を置いたことがあるので参加することにしている。「新橋か有楽町辺りに店を予約しておいて」とマサキからメールが来たので、HCM社近くの「李さんの中華屋さん」をネットで予約、新橋駅の烏森口で待ち合わせることにする。待ち合わせ時間の10分ほど前に烏森口に行くと紅一点の中田(旧姓)さんが来ていた。ノンチは少し遅れて娘さんと来ることになっているので、予定の6人が集まったところで会場へ。少し遅れてノンチ親娘も登場する。ノンチが隣に来たのでお互いの家族のことなどを話す。そう言えばノンチの母親と私の母親が仲良しだったことを思い出した。幼馴染もいいものだ。佐藤からみんなにお土産の「札幌ラーメン」が配られる。私は春日部に住むオッチと一緒に新橋から上野東京ラインで帰る。

11月某日
図書館で借りた「明治維新の敗者たち-小栗上野介をめぐる記憶と歴史」(マイケル・ワート 野口良平訳 みすず書房 2019年6月)を読む。内容もよくわからないままタイトルに魅かれて借りたのだが正解であった。小栗上野介忠順は遣米使節の目付を務めたほか軍艦奉行、外国奉行などの役に就いた幕臣である。しかし今日、小栗が記憶されているとしたらそのような事績よりも大政奉還後、薩長を主とする官軍に対する徹底抗戦を主張しそれが容れられないとなると官を辞し、領地のあった今の群馬県に隠棲するも官軍に捕らえられ斬首されるという悲劇的な死によってであろう。著者のマイケル・ワードは小栗が隠棲した権田村(その後倉渕村、現在は町村合併によって群馬県高崎市の一部)で英語の教員をしているときに小栗のことを知り、それがきっかけとなって幕末日本を研究することになったという。本書は小栗の生涯の歴史的な事実を辿ることが目的ではなく(もちろんその役割も可能な限り果たしてはいるが)、小栗の生涯と死が日本の社会でどのように受け入れられていったかを一次資料、文学作品、映画、テレビ、記念事業などにより実証的に論じている。小栗の記憶を意識的に探し出し、後世に遺そうとした人のことを、著者はメモリー・アクティビストと呼んでいる。歴史には確かに思い出や記憶の集積という側面もあるのだろう。

11月某日
図書館で借りた「私はスカーレット Ⅰ」(林真理子 小学館文庫 2019年10月)を読む。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の超訳本である。「風と共に去りぬ」は読んでいないけれど、映画は2回か3回観ている。映画館とテレビでね。主人公のスカーレットはヴィヴィアン・リー、スカーレットの永遠の恋人レット・バトラーはクラーク・ゲーブル。「私はスカーレット」は、主人公のスカーレットが一人称で語り下ろす。スカーレットって当時16歳だったんだな。美して驕慢。ずっと恋焦がれていたアシュレは結婚してしまい、当てつけのようにスカーレットはチャールズ・ハミルトンと結婚。折から南北戦争が勃発、召集された夫は死ぬ。寡婦となったスカーレットは一人息子を連れて南部の中心地、アトランタへ向かう。林真理子自体が「風と共に去りぬ」の大ファンで、それがうまく作品に生かされていると思う。Ⅱ以降も読みたい。

11月某日
柏のがん研究センター東病院へ青海社の工藤社長と行く。根津の青海社に寄って千代田線で北千住へ。北千住からつくばエクスプレスで柏の葉キャンパス、そこからバスでがん研究センター東病院へ。精神腫瘍科の小川先生と秘書の酒井さんに面談、スケジュールなどを確認。帰りもバスで東病院から柏へ、柏から常磐線で我孫子まで1駅。工藤社長に「食事して行く?」と聞かれたので「呑んでいこう」と答え、駅前の「七輪」へ。

11月某日
16時から千代田線町屋駅直結の「ときわ」で呑み会。メンバーは私と確か中大の4トロ(50年前、正統トロツキストを自称していた第4インター派を他党派はこう呼んでいた)出身の某氏と北大叛旗派(同じく50年前のことですが1960年代末に共産主義者同盟(ブント)が分裂、戦旗派、赤軍派、情況派、叛旗派などが生まれた)OBの某氏である。4トロ氏は私より1歳上、叛旗氏は私より2~3歳下だがまぁ同世代である。叛旗氏は北大の理系学部を卒業後、1部上場企業に就職したが塾講師に転身、それも2~3年前に辞めたようだ。4トロ氏は卒業後、石油の業界団体に就職、その後石油の輸入商社で働いて定年退職した。叛旗氏は最近、中国に行ってきたようでその土産話を聞かせてもらった。中国は共産党が独裁的に支配する国家独占資本主義国家になったようだ。16時から4時間も呑み続けたので、呑み会終了。町屋から千代田線で我孫子へ。駅前の「愛花」で日本酒を2杯程頂く。さすがに疲れたのでタクシーで自宅まで帰る。

11月某日
元厚労省の江利川毅さんや川邉新さんを囲む「例の会」を神田司町の中華飯店「上海台所」で18時から。夕方、内神田の社保険ティラーレで打ち合わせがあったのでその後、佐藤聖子社長と15分ほど歩いて「上海台所」へ。いつもは一番乗りは川邉さんなのだが今回は15分前には江利川さんが来る。「上海台所」は初めての店なので早めに来たという。続いて川邉さんが来たが「だいぶ前についていたがその辺をウロウロしていた」。続いてセルフケア・ネットワークの高本真佐子代表、元厚労省で埼玉医科大学教授の亀井美登里さん、滋慶学園の大谷源一さん、上智大学の吉武民樹さん、社会保険研究所の手塚さん、基金連合会の足利聖治さんが来て、本日のメンバーは全員集合。高本代表が料理をテキパキと頼んでくれたので幹事は楽であった。今回の「上海台所」はおおむね好評だったので次回もここにすることにした。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
上野の東京都美術館に「コートールド美術館展―魅惑の印象派」をフリーライターの香川さんと観に行く。「マネ、ルノアール、ドガ、セザンヌ、ゴーガン、巨匠たちの傑作が終結」とパンフレットにあり、確かに私でも知っている名画、ドガの踊り子やセザンヌのサント=ヴィクトワール山などが出品されておりなかなか見ごたえがあった。コートールド美術館はコートールドという英国の実業家のコレクションが元になっていることを今回初めて知った。コートールドの事績も紹介されていたがレーヨンの製造・国際取引で財を成しただけでなく経済学の論文を専門雑誌に載せるなど学者的な側面もあったようだ。私は倉敷市に大原美術館を開設した倉敷レーヨンの大原総一郎を連想した。ウイキペディアで検索すると、大原財閥の実質的な創業者で大原美術館を開設したのは大原総一郎の実父の孫三郎だった。この人が偉い人で倉敷紡績の社長を継いだ後、のちのクラレでレーヨンの製造に乗り出しただけでなく中国電力、中国銀行の創業にも参加している。孫三郎が偉いのは実業だけでなく大原美術館や大原社会問題研究所を開設するなど芸術や社会問題にも深い関心を持ったことだ。ウイキペディアによると孫三郎は東京専門学校(後の早稲田大学)に入学した後、放蕩に明け暮れ現在の価格で1億円ほどの借財をつくり、倉敷に引き戻されたという。うーん面白そう。

11月某日
我孫子図書館で「大原孫三郎」を検索すると「わしの眼は10年先が見える-大原孫三郎の生涯」(城山三郎 新潮文庫 平成9年5月)が出てきたので早速借りて読むことにする。文庫本で300ページを超える厚さだが、私にとっては大変面白く4時間ほどで読み通してしまった。大原孫三郎は東京専門学校に遊学したが放蕩がたたって倉敷に連れ戻される。それが20歳そこそこなのだがその後が凄い。父の跡を継いで倉敷紡績の社長に就任する一方、天然原料に依らない化学繊維レーヨンに着目、後のクラレ、倉敷絹織を創業する。それだけではなく現在、大原孫三郎の名を高からしめているのは大原美術館や大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷総合病院などをつくり、その運営資金を生涯にわたって援助し続けたことであろう。また本書ではクリスチャンの石井十次の孤児院経営にも援助を惜しまなかったも記されている。三井財閥や三菱財閥はその財力では大原家をはるかにしのいだかも知れないが、文化事業、医療、福祉事業、そして地域への大原家の貢献は特筆すべきものと思う。三井三菱は明治政権と結びついて日本の軍事大国化とともに成長したのに対し大原家は、倉敷地方の大地主から出発し紡績業の創業当初は稼業と企業の分離があまり進んでいなかったことも、孫三郎の地域や文化への貢献は起因するのではなかろうか。孫三郎も取締役会で文化事業などへの出費を何度か反対されるのだが、たぶん創業家としての名望と圧力、そして株の支配によって反対を抑えることができたのだろう。余談ではあるが、総一郎の妻は侯爵家の野津家から嫁いでいる。新興ブルジョアジーとしての大原家のブルジョア社会における地位を示していると言ってもよい。

11月某日
図書館で借りた「地下鉄に乗って」(浅田次郎 徳間文庫 1997年6月)を読む。地下鉄にはメトロとルビが振ってある。単行本は1994年4月に刊行されたとあるから25年前の作品である。浅田は1951年生まれだから40代前半の創作で1997年には「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞している。私はこのところ浅田次郎の作風に魅かれて何冊も読んでいる。どこがいいのか考えてみると概ね庶民であるところの登場人物が、人生に対して真摯に向き合おうとしている姿を作家としての浅田が、これまた真摯に丁寧に描こうとしているということかもしれない。本書の舞台は現代、といっても1990年前後の東京である。中年サラリーマンの主人公、小沼真次はクラス会の帰り、地下鉄に乗って時空を超えた不思議な体験をする。不思議な体験は一度ならず何度も繰り返し真次を訪れる。それは兄の自殺した地下鉄の駅であったり、終戦前にソ連軍の侵攻の脅える避難民で溢れかえる壕であったりする。それらを体験して真次は人生の不条理に改めて気が付くのだが、浅田はそこに「希望」と「愛」を忘れずに嵌め込む。まぁ考えてみれば通俗である。しかし私にはこの通俗がたまらないのである。

11月某日
品川駅から新幹線で新横浜へ。セルフケア・ネットワークの高本真佐子代表理事と待ち合わせる。高本さんと横浜線の中山駅のロータリーで待っていると社会福祉法人キャマラードのみどりスマイルホームの統括責任者、菊地原巧介さんが車で迎えに来てくれる。みどりスマイルホームは重度重複障害者のためのグループホームで、男女12人の障害者の人たちが共同生活している。日中、入居者は同じ社会福祉法人が運営するデイサービスで過ごすためにホームは静かなものだった。高本さんが重度重複障害者のグループホームにおけるエンド・オブ・ライフについて実態調査を行いたいと考えたことから今回の訪問となったもの。もっとも私は初めての訪問だが、高本さんは何度か来ているらしく話を聞いた看護師さんやサービス提供責任者の方とも顔なじみのようだった。認知症高齢者のグループホームは何度か訪問したことはあるが重度重複障害者のグループホームを尋ねたのは初めて。初回の訪問で分かったようなことを言うのは避けるべきだが、職員の人の熱い思いは伝わってきた。菊地原さんに中山駅まで送ってもらい帰りは横浜から在来線で品川へ。品川駅構内の「ぬる燗佐藤」で高本さんにご馳走になる。私は品川から始発の上野東京ラインで我孫子まで座っていく。

モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
吉田修一と並んで最近よく読むのが白石一文。吉田修一が1968年長崎生まれ、白石一文が1958年福岡生まれ、私が1948年北海道生まれとちょうど10年刻み。まぁどうでもいいけどね。で今回読んだのが白石の「快挙」(新潮社 2013年4月)だ。カメラマン志望の主人公「私」が「みすみ」と出会って結婚したのが1992年、私が25歳、みすみが27歳のとき。みすみは月島で一人で居酒屋をやっていた。居酒屋の2階に転がり込んだ私はアルバイトとカメラマン修業に明け暮れていた。カメラマンから作家志望に切り替えた私をみすみは変わらず支援してくれた。これで立派に作家となりましたならば、実人生ならばメデタシメデタシなのだがそこは小説、私が結核になったり、みすみが他の男性に心を寄せたりといくつもの起伏が用意されている。「みすみに男がいるようなんです」。私は義理の父(つまりみすみの父)に打ち明ける。義理の父の答え。「きみも、物書きの端くれならよう知ってるはずや。人間の心の中には魔物が棲んどる。いまのみすみもそうなんやろ。きみの心にかて魔物はおるんや。わしにはきみたち夫婦のことはちっとも分からへん。分からへんが、要はその魔物に負けんようにしてほしい。わしに言えるんは、たった一つ、それきりや」。うーん、小説とは言えなかなかいいセリフだ。

10月某日
18時に川崎で小規模多機能施設をやっている柴田範子先生を訪問。1時間ほど話した後、「この後、何にもないのでしょ。晩御飯食べていきましょう」と誘われる。柴田先生行きつけの蕎麦屋さんに行ったら満員だったので、川崎駅構内の「食べ物屋さん」がたくさん入っているゾーンでうどんをご馳走になる。私はウイスキーのソーダ割を2杯頂く。川崎から先生は南武線で私は東海道線で帰る。私は品川駅で常磐線の上野東京ラインに乗り換え、グリーン車を奮発する。

10月某日
5時過ぎに我孫子に着いたので駅前の七輪に寄る。七輪を出てバス乗り場に行こうとすると「モリちゃん」と声を掛けられる。「愛花」の常連で目白大学看護学科の助教をやっている佳代ちゃんだった。じゃと「愛花」に向かうが休みだったので焼き鳥屋の「仲間」へ。佳代ちゃんとは去年、やはり常連のソノちゃんと3人で新潟に一泊旅行をした。今年は北茨城行きを去年の3人組に加えて今年は車を出してくれる人を加えて4人で計画しているという。「仲間」を出て佳代ちゃんと別れ奥さんに電話して車で迎えに来てもらう。

10月某日
図書館で借りた「日本のマクロ経済政策-未熟な民主政治の帰結」(熊倉正修 岩波新書 2019年6月)を読む。まだ販売されてから半年も経っていない新書だが、新聞の書評欄で取り上げられた記憶もないし、図書館でもそれほど読まれた形跡もない。アベノミクス批判の書なのだが、かなり徹底した批判であるとともに副題に「未熟な民主政治の帰結」とあるように現代日本の政治批判の書でもある。著者は第2次安倍政権発足以来のマクロ経済政策(アベノミクス)について、その通貨政策、金融政策、財政政策を批判するのだが、私にとってはややハードル高し。「ふーん、そうなんだ」という程度の浅い理解しかできなかった。しかし最終章「マクロ経済政策と民主主義-日本が生まれ変わることは可能か」は理解できたし著者の熊倉の見識には感心させられた。異次元金融政策によって実質金利はゼロまいしマイナスとなっているが、これは著者によると「実質的な利益を全く生まない企業でも資金を借り入れて操業を続けられることを意味」し、こうした状態が続くと「非効率な企業が市場から淘汰されなくなり、資源配分の効率性が損なわれる」とする。また「極端な低金利によって企業の設備投資を煽ることを続けていると、せっかく生みだした付加価値の中で設備の建設や更新に回る分が増加し、私たちの暮らしは一向に楽にならないということになりかねない」とも言っている。
私が最も感心したのは最終章の4「日本は変わることができるか」である。著者が求める社会とは、個人の自律を基礎とし、各人が自らの力で自分の人生を切り開いてゆく覚悟と、広い社会に積極的に関与してゆく姿勢が求められる社会である。今の日本はそうなっていないし、自民党政治は全体合理的な政策より近視眼的で現状維持志向の強い政策が選択されやすい社会を生んでいるという。著者の思想には社会的共通資本を重視する宇沢弘文に近いものを感じる。著者は1967年生まれ、東大文学部卒業後、ケンブリッジ大学政治経済学部博士課程を修了している。この本の前半の鋭い経済分析と最終章の政治哲学的な社会分析は政治経済学部博士課程修了という経歴も一部影響しているのかも知れない。大学で学ぶ経済学には2系統あって、アメリカ(ドイツもそうだったかもしれない)の経済学部、イギリスの政治経済学部というのを聞いたことがある。日本の大学の多くは経済学部だが、一部の私学、早稲田や明治は政治経済学部である。私がこの本の最終章に「政治哲学的な社会分析」を感じたのは政治経済学部的な政治と経済を見据えた複眼的な思考を感じたのかもしれない。もう少し調べてみると経済学はもともとはポリティカル・エコノミーと呼ばれていたらしい。それをマーシャル(マーシャルの曲線のマーシャルか?)が経済学として独立させたんだってさ。

10月某日
図書館で借りた「つみびと」(山田詠美 中央公論新社 2019年5月)を読む。家庭崩壊、それも三代にわたる家庭崩壊の物語である。父の母に対する常軌を逸した暴力に小学生の琴音はただ耐えることしかできなかった。ある日、父が仕事から帰ってくると胸を押さえて苦しみだす。琴音は敢えて救急車を呼ばない。父の死が確認されてから救急車を呼ぶ。間接的な「父殺し」である。何年か経って母は材木商の伸夫を家に入れる。正式な結婚をしなかったのは伸夫の妻が離婚に承知しなかったためである。琴音は信夫になつき、信夫も琴音に個室やベッドを与えて関心を買う。個室やベッドは信夫の琴音に対する性的虐待の舞台となる。もうこれだけで読むのが嫌になってくる。嫌になってくるのだが読むのを止められない。山田詠美の筆力によるものだろうと思う。琴音は成人して地域の少年野球の指導者として人望の厚い笹谷隆史と結婚、三児を設ける。長女の蓮音は高校生時代から性的にも乱れた生活を送るがアルバイト先のファミレスで知り合った地域の素封家の息子、音吉と出会って恋に落ち結婚する。音吉の間に生まれたのが年子の桃太と萌音(もね)である。だが二人の結婚生活は長続きしなかった。蓮音は育児疲れから逃れる意味もあってかつての仲間たちと夜遊びを再開する。
離婚した蓮音は二人の子供連れて上京、自身のブログには「銀座の高級クラブのホステスにスカウトされる」と綴るが、手に職も学歴もないしかも子連れの若い女が働ける場所は風俗店しかなかった。蓮音はしかし精いっぱい桃太と萌音を愛し育てようとする。だが蓮音は風俗店の同僚に誘われてホストクラブに通いだす。行く着くところは育児放棄である。〈小さき者たち〉として桃太の視点から語られる一節が「痛い」。子供は母親を慕い、その帰りをひたすら待つのみである。真夏にアパートの一室に放棄された二人の幼児は飢えて死ぬ。蓮音は逮捕され懲役30年が確定し栃木の女子刑務所に収監される。蓮音の母の琴音は性的虐待を受けた影響か精神が不安定で精神病院への入退院を繰り返し夫とは離婚する。離婚後の琴音の人生にこの物語の「救い」があり、すべて「再生」の物語として読める。琴音は精神病院から兄の勝から「もう飽きたろ、琴音。ここ出よう」と連れ出される。琴音は子供のころから慕っていた信次郎と再会、共に暮らすようになり心の平安が訪れる。「エピローグ」は刑務所に面会に訪れた琴音と蓮音の会話で終わる。面会時間が終わって立ち去る蓮根に「叫ぶようにして娘の名を呼ぶ」琴音。蓮音は笑って母に言う。何と言ったかはここに書かないほうがいいだろう。この4行に「再生」が凝縮されている。

10月某日
私は読みかけた本を途中で止めることはほとんどないのだけれど、今回「あとは切手を、一枚貼るだけ」(小川洋子・堀江敏幸 中央公論新社 2019年6月)は半分も読まないうちに止めることにした。「つみびと」を読んだ後ではあまりに牧歌的な感じがしたし、図書館でリクエストしている人が10数人いるので早めに返すことにした。ちょうど図書館でリクエストしていた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)の準備ができたということなのでちょうどいい。図書館で本を返し「女たちのテロル」を読み始めるとこれがめっぽう面白い。結果的に「あとは切手を、一枚貼るだけ」を早く返して良かった。

10月某日
図書館で借りた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)を読む。日本とイギリス、アイルランドの3人の女性についてのエッセーである。この3人がそれぞれに大変個性的なのだが、書名の如く「テロリスト」であることが共通している。日本は内縁の夫、朴烈とともに摂政の宮(昭和天皇のこと)暗殺を企てたことで1923年に逮捕され、死刑判決を受け無期懲役に減刑されるも刑務所内で縊死した金子文子である。イギリスは戦闘的な女性参政権運動家で1913年、エプソン競馬場のダービーで国王の馬の前に飛び出して命を落としたエミリー・デイヴィソン、アイルランドは1916年のイースター蜂起で女スナイパーとして活躍した数学教師のマーガレット・スキニダーである。著者のプレイディみかこについては何も知らないが1965年生まれで福岡修猷館高校卒業である。私は私の母校、室蘭東高校を除くともっとも知り合いの多いのが修猷館高校である。吉武民樹先生と修猷館で吉武先生と同期だった弁護士の羽根田先生、そして東急住生活研究所の所長をやった望月久美子さんである。皆さん頭もいいが性格もいい、何よりもインデペンデントなのが共通している。プレイディみかこもそんな感じだね。文体がポップでアナキズム研究家の栗原康を彷彿とさせると思ったら「参考文献」に栗原編の「狂い咲け、フリーダム-アナキズム・アンソロジー」があったからあるいは知り合いかも知れない。昨年来、栗原の著作を読んだり、今年になってからも昭和初期のアナキストを主人公とした高見順の「嫌な感じ」を読んだりしてアナキズムにハマっている私である。共産主義はどうしてもレーニン主義に行っちゃうんだよね。そこから党の無謬性とか中央集権制はすごく近いと思う。1960年代末から70年代の全共闘運動は今にして思うとアナキズムだね。