モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
居候先のHCM社が西新橋から東上野へ引越し。私が学校を出て最初に勤めたのが浜松町のオフセット印刷の「しば企画」。江古田の国際学寮で一緒だった村松茂君の紹介だった。「しば企画」には結局、村松君、私、深谷さん、渡辺君と4人の国際学寮OBが入社した。いずれも学生運動崩れで就職先が無かったためだ。私と村松君は写植のオペレーター、深谷さんと渡辺君は印刷担当だった。2年ほどでそこを辞め次が新聞広告で記者を募集していた新建材新聞社で駒込にあった。そこで業界紙の記者を3年ほどやったところで日本プレハブ新聞社に引き抜かれた。同社は新橋烏森口にあって取材先の建設省や通産省にも近かった。そして35歳ころに神田の年友企画に移る。今の上野、御徒町界隈は通勤場所としては初めて。韓国料理の店が多く、近くにアメ横があるせいか外国人観光客もチラホラ。「アジアに開かれた下町」だ。

12月某日
「長寿時代の医療・ケア-エンドオブライフの論理と倫理」(会田薫子 ちくま文庫 2019年7月)を図書館で借りて読む。著者の会田薫子さんには10年ほど前に厚労省の補助金を得て「末期認知症患者への胃ろう増設について」という研究のお手伝いをしたときに出会っている。そのときは東大大学院の特任助教授だったが、今は特任教授になっている。表紙に「現在、日本は世界でトップレベルの長生きできる国であるが、生物学的に長生きすることと、幸せに長生きすることは同じではない。長命が長寿を意味するために医療とケアはどのようにあるべきか、本書で考えたい」という文章が刷り込まれている。この国では長命が長寿を必ずしも意味しないということを言っているのではないか。会田さんは「物語られる命」に着目し、「本人らしさを決めるのは、その人がどのような人生の物語りを生きているかということであろう。その物語りのなかで本人の生活の質の高低も決まる」と述べている。私には「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)の考え方が大変参考になった。ACPは日本老年医学会の定義によると「ACPは将来の医療・ケアについて、本人を人として尊重した意思決定の実現を支援するプロセスである」ということだ。重度重複障害者にも、この定義は当然適用されるべきだと思われるが、傷害故に本人の意思を確認するには一定の困難がある、それをどうするか…。

12月某日
年友企画の総務の石津幸恵さんから事務的な連絡をもらう。ふと思いついて「夜、空いている?」と聞く。「空いている」という返事なので神田駅東口で待ち合わせすることに。編集者の酒井さんも一緒に来たが酒井さんは新婚なので帰宅することに。2人で東口の呑み屋街をうろつくと「BISTRO TARUYA」という看板が目に付いたので入ることにする。女性がやっているお店で、家庭的な雰囲気で値段もリーズナブル。来年、また来よう。

12月某日
上野駅構内の本屋「BOOK EXPRESS」に立ち寄る。「婚活食堂1」(山口恵以子 PHP文芸文庫 2019年9月)が目に付いたので購入、早速読むことにする。人気占い師だった恵は、マネジャーの夫と付き人が不倫の上に事故死したのをきっかけに占い師を廃業、四谷新道通りで「恵食堂」というおでん屋を開業する。常連客の恋愛話と恵の過去が交差する。まぁどうということのない通俗小説なんだけれど巻末に「恵食堂」のメニューのレシピが載っているのが新しい。ちょいとうまそうではある。

12月某日
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ 新潮社 2019年6月)を読む。図書館にリクエストしようかと思ったが、大勢の人がリクエストしているようなので有楽町の交通会館の1階にある三省堂で買った。私が図書館を利用するのは経済的な理由もあるが、自宅の本をもう増やしたくないという理由もある。私が死んだら私のささやかな蔵書など遺族(私の奥さんと二人の息子)にとっては無用の長物以外のものではないと思うからである。終活の意味も含めてそろそろ本の処分を真面目に考えないとね。
今年の私の読書の収穫と言えばこの本の著者のブレイディみかこと「夏物語」の川上未映子に出会えたことである。ブレイディみかこは10月に図書館で「女たちのテロル」(岩波書店)を借りて以来。「女たちのテロル」は日本、イギリス、アイルランドの3人の女性テロリストに関するエッセーなのだが、題材にも文体にも魅かれるものがあった。「女たちのテロル」を読んでから、朝のNHKテレビを見ていたらブレイディみかこが生出演していたのを見かけ、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」が今年の本屋大賞のノンフィクション本の大賞を受賞したことを知った。
ブレイディみかこは福岡の進学校として有名な修猷館高校を卒業後、イギリスに渡り、アイルランド系のイギリス人と結婚、保育士となって男児を出産。この男の子がカトリックの進学校に進学し、中学も同じカトリックの中学に進学すると思われたが元底辺中学を希望する。息子の元底辺中学での日常とブレイディみかこが暮らすイギリス南部の町ブライトンの日常が描写される。書名は息子のノートへの落書きに由来するが、ふたつのアイデンティティを持つ息子の気持ちがよくあらわされている。私がこの本を読んで一番考えさせられたのが多様性ということである。日本は農耕民族で他国から侵略されたことがほとんどないこともあって、自分と異なる者に対する警戒感、差別感は強いように思われる。外国人、とくに中国人や韓国人、在日朝鮮人、アジア人、アフリカ系の人に対する差別ね。沖縄で基地を警備する機動隊員が抗議する現地の人たちを「土人」と呼んだりしたこともあった。ブレイディみかこは純粋に東洋人の顔立ちだから「チンク」(中国人に対する蔑称)と呼ばれたりする。息子も雑貨屋の前で友だちを待っていると「ファッキン・チンク」と叫ばれたりする。福岡に里帰りすると欧米系の顔立ちで日本語がしゃべれない息子への差別も経験する。私たちは多様性の尊重を真剣に考えていかなければならないと思う。それは人種や民族による差別だけでなく障害者差別についても言えることなのだ。

12月某日
我孫子駅前の「七輪」で元年住協の林弘幸さんと呑むことにする。林さんは新松戸に住んでいるがわざわざ我孫子まで来てくれることに。林さんとは一緒に仕事をしたことはないけれど、「妙に気の合う」間柄が20年近く続いている。利害関係のない付き合いのほうが長続きするんだよね。他愛のない話で3時間はあっという間に過ぎた。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
16時から高田馬場で打ち合わせ。途中、大谷源一さんに電話して18時に日暮里駅で待ち合わせる。日暮里駅の近くで大谷さんとよく行っていた居酒屋がうどん屋に代わっていた。近くのビルの地下の「手打蕎麦とお山」に入る。瓶ビールを頼んで乾杯。グラスが江戸切子風でなかなか風情がある。ワカサギの天ぷらや鴨肉などつまみや日本酒も揃っていて、この店は当たりです。この店はトイレも清潔、店の女の子も感じが良かった。◎です。

12月某日
大谷源一さんと厚労省で待ち合わせ横幕章人審議官に面談、隣の部屋の八神審議官に「地方から考える社会保障フォーラム」のパンフレットを渡す。HCM社に戻って2人で虎ノ門から四ツ谷駅へ。四ツ谷駅で高本真佐子さんと合流、3人で上智大学の吉武民樹先生の部屋を訪問。吉武先生の部屋にはいずれも厚労省OBの霜鳥一彦船員保険会会長と稼農和久看護大学教授が来ていた。吉武先生の案内で大学構内のクルトゥハイム聖堂を見学に行く。この聖堂は元は軍人のための邸宅として明治29~30(1896~97)年に建築されたもので、明治45(1912)年にイエズス会が購入した。現在はチャペルとして使われている。詳しくは知らないがプロテスタントの教会は偶像崇拝が禁じられていることもあってか、正面に十字架が掲げられているくらいで極めて簡素。それに対してカトリックは十字架に磔にされたイエス像をはじめ祭壇のしつらえなど荘厳な雰囲気満載。教義は別にして教会の雰囲気という点からすると私は断然、カトリック。上智大学の教官専用の喫茶室で私はコーヒーを、私以外はビールやワインなどをご馳走になる。吉武さんの研究室に戻った後、大学近くの「隠れ岩松」という呑み屋へ向かう。ここは長崎のうどん屋のアンテナショップで島原の食材が自慢。吉武さんの同僚の栃本一三郎先生も合流して島原の味を楽しんだ。

12月某日
図書館で借りた「トラジャ-JR『革マル』30年の呪縛、労組の終焉」(西岡研介 東洋経済新報社 2019年10月)を読む。600ページを超える大著。旧国鉄時代から動労は革マル派の牙城だったが、国鉄が分割民営化後もJR総連参加の各労組は革マル派の影響下に置かれた。動労以来の卓越した指導者、松崎明が死亡して以降、革マル派の影響力は次第に低下し、昨年JR東労組は3万5000人の組合脱退者を出す事態に至る。要するに「組合員のため」という労働組合の原点から遊離して革マル派の党派的な利害を優先させたことが、大量脱退者を出した原因であろう。読んでいて気分は良くなかったね。

12月某日
家にあるけどまだ読んでいない本がある。死んだときまだ読んでいない本があったら「もったいない」と思うかな。よくわからないけれどこれも「終活」の一環として考えられないこともない。この前、読んだ川上未映子の「夏物語」が面白かったので、家にあった川上未映子の「ヘブン」(講談社 2009年9月)を読むことにする。定価は1400円だったが、裏表紙の見返しに浅川書店という古本屋の300円の値札が貼られていた。本文が始まる前、本扉の裏にセリーヌ「夜の果てへの旅」の「それは第一、これは誰にだってできることだ。目を閉じさえすればよい。すると人生の向こう側だ」という一節が引用されている。本文を読了した後に改めてこの一節を読むと「あぁ」と何となく納得した気持ちになる。主人公は中学2年生の僕。クラスメートの二ノ宮や百瀬の日常的な苛めにさらされている。もう一人クラスで苛めにあっているのが女子のコジマである。二人はメモを交換するようになり、学校の外で会ったりするのだがその間も陰湿な苛めは続く。苛めの描写が何とも凄い。苛めのシーンが続くと読書を中断、いったんほかのことをしてから読書に戻るほどだった。私の考えでは川上未映子は苛め問題を書きたかったわけではなく苛めを通して人間の存在に迫りたかったのだと思う。そしてそれはある程度成功しているのではないか。もう一つ書いておきたいのは苛めを除くとこの小説は僕とコジマの初々しい恋物語であるということだ。ひどい苛めに晒されながら人間は恋をできる。そしておそらくひどい苛めの加害者も恋におちることはある。人間存在の不思議だよね。

12月某日
セルフケア・ネットワークの高本真佐子代表と横浜市の社会福祉法人キャマラードが運営するグループホームを訪問。キャマラードは重度重複障害者のグループホームやデイサービスを運営している社会福祉法人で、今回私が訪問するのは2回目。高本代表は何度も来ているようで職員とも顔なじみだ。重度重複障害というのは知的障害と身体障害のように異なる障害を併せ持つことを言うようで、私はその存在をキャマラードに来るまで知らなかった。今日は24日で夜は上智大学のクリスマスミサに吉武民樹先生に誘われているのだが、高本代表は体調が悪くキャンセル。私一人で上智大学の吉武先生の部屋を訪ねる。2人でミサが行われる講堂に移動、ここは先日、訪日されたフランシスコ教皇がミサを行ったところだそうだ。讃美歌を歌い司祭の説教を聞く。無宗教の私も敬虔な気持ちになる。上智大学からタクシーで市ヶ谷のスペインレストラン「セルバンテス」に移動、大谷源一さんと合流する。クリスマスイブというのにレストランは閑散としていた。店の人によると最近はイブよりもクリスマス当日が混むようで、この店も明日は満席とのことだった。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
図書館で借りた「夏物語」(川上未映子 文藝春秋 2019年7月)を読む。人気のある小説らしく裏表紙に「この本は、次の人が予約してまっています」という「おねがい」の紙が貼られていた。で、なるべく早く読もうと努力したのだが四六判で540ページを超える分量があり、読み終えるまで土日を挟んで4日かかってしまった。とても面白い小説だった。登場人物からすると川上の芥川賞受賞作「乳と卵」の続編らしいが、私は未読。読んでみたいと思う。小説は「第1部 2008年夏」と「第2部 2016年夏~2019年夏」に大きく分かれる。第1部では主人公の夏目夏子は30歳、大阪出身で東京の三ノ輪に住む作家志望の女子である。第2部はほぼその10年後、夏子は作家デビューを果たすがなかなか第2作を完成させられない。この小説の特徴の一つは主要な登場人物がほぼ女性。夏子の姉、その一人娘、夏子の担当編集者、夏子の友人の女性作家、以前バイト先の同僚だった女性。この小説のテーマが女性性としての妊娠、出産なので当たり前なのだけれど。テーマを際立たされるために作家が選んだのが非配偶者間人工授精(AID)だ。夏子はAIDで生まれた青年医師の逢沢との子をAIDにより妊娠、出産する。ラストは出産シーン。「元気な女の子ですよと声がした。わたしの両目からは涙が流れつづけていたけれど、それが何の涙なのかわからなかった。わたしが知っている感情のすべてを足してもまだ足りない、名づけることのできないものが胸の底からこみあげて、それがまた涙を流させた」「どこにいたの、ここにきたのと声にならない声で呼びかけながら、わたしはわたしの胸のうえで泣きつづけている赤ん坊をみつめていた」。感動的であるが子どもを産んだことがない私には今一つ実感がともなわないのであった。

12月某日
セルフケア・ネットワークの高本真佐子代表に借りた「うしろめたさの人類学」(松村圭一郎 ミシマ社 2017年10月)を読む。著者の松村圭一郎という人の本を読むのも初めてならミシマ社という出版社の本を読むのも初めてだ。しかし一読して著者の知性と鋭い感性に驚いた。で改めて奥付を見ると初版第一刷が2017年10月で2019年4月に初版第九刷が発行されている。売れているのである。著者の松村圭一郎は1975年生まれ、京都大学の総合人間科学部卒業後、同大学大学院博士課程修了、現在は岡山大学の准教授である。著者の専攻する文化人類学には全く疎いのだが恐らく「人間とは何か探求する学問」と言ってもそう外れていないのではないか。で文化人類学者は先進国からすれば未開とされる地域に滞在してフィールドワークを通じて「人間とは何か」を考察することになる。著者がこだわったものの一つが交換と贈与だ。人類は貨幣が発明される以前はモノとモノの交換、つまり物々交換によって必要なものを手に入れていた。貨幣の登場によって貨幣を媒介させることによって必要なものを手に入れるようになった。ところが人類は交換とは別に贈与という慣習を持っていた。産業化、資本主義化が進展することによって贈与の慣習はすたれていくが発展途上国にはその習慣は色濃く残っている。著者はエチオピアの庶民との交流を通してそのことを確認していく。と同時にバレンタインデーや冠婚葬祭を通して先進国、日本にも贈与の習慣が立派に残っているという。バレンタインデーのチョコの値札が付いていないのも結婚式の祝儀もむき出しの万札でないのもそれが贈与であるからなのだ。著者が最初にエチオピアを訪れたのはまだ20代の頃だが、その体験も本書で一部明らかにされている。これがまたいいんだよなぁ。

12月某日
虎ノ門で足利聖治さんとの打ち合わせが終わり19時。ちょいと行こうかということで飯野ビル地下1階の飲食店街へ。「信州酒房 蓼科庵」に入る。長野の日本酒がたくさん置いてあるので私は「真澄」を頂く。足利さんは三種類の地酒がセットになっているのを頼んでいた。日本人はやはり日本酒ということです。足利さんは九州の大分は杵築市の出身。実家は禅宗のお寺で僧侶の資格も持っていると以前に聞いたことがある。私の母方の祖父が大分出身ということもあって大分の話を楽しく聞かせてもらった。

12月某日
図書館で借りた「ファースト クラッシュ」(山田詠美 文藝春秋 2019年10月)を読む。ファースト クラッシュとは初恋の意味。裕福で恵まれた三人姉妹のもとへある日三人姉妹の父に連れられて少年がやってくる。少年は父の愛人の子供で愛人が亡くなって天涯孤独となった少年を父が引き取ったのだ。父と母と三人の娘、しかも裕福。父は女性にもてて愛人の一人や二人がいたとしてもそれは男の甲斐性というシチュエーションのもとに小説は進行する。父は仕事と情事に忙しく家庭ではあまり存在感がない。母親とお手伝いの女性、それに三姉妹という「女性だけの空間」に異物としての少年が突如、闖入者として現れる。三人姉妹それぞれ、及び母親とお手伝いが異物にどのように反応していくか、が小説のテーマである。それはあたかもビーカーの中での化学反応の実験を見るようでもある。そういう感じ方をしたのは私だけかもしれないが、山田詠美ってうまいなぁ。

12月某日
図書館で借りた「旧友再会」(重松清 講談社 2019年6月)を読む。重松清は人気のある作家でこの本も図書館で7人がウエイティングしている。土日で読んで日曜日には返却しようと思う。本書には3編の長めの短編、1編の中編と短めの短編が収録されている。共通するのは少子高齢化、衰退する町かな。それぞれが味わい深いのだが、ここでは唯一の中編「どしゃぶり」を取り上げる。中国地方の中都市で家具屋を営む伊藤ことヒメは中学時代に野球部でバッテリーを組んだ松井の訪問を受ける。松井は進学校に進み、東京の有名私大に進学、東京に本社のある商社に就職した。松井が帰郷したのは故郷で一人暮らしする母親を引き取り、併せて誰も住む人が居なくなる実家を処分するためだ。野球部のキャプテンだった小林は地元に残り、今は3人の母校、城東中学の教頭を務めている。野球部の顧問の先生が交通事故に遭い、松井は母校の野球部の臨時コーチを引き受けることになる。3人が野球部の現役だったころ、上下関係は厳しく今ではパワハラと受け止められかねない状況もあった。ヒメの長男も野球部だが上級生をクン付けで呼び、技量が劣るヒメの長男も代走や代打で出番を与えられる。松井はこのような「ぬるい」野球部に喝を入れるべく指導にまい進するのだが。「ぬるい」雰囲気は部員だけでなく父兄会にも広がり、松井への不満は高まる。高校で甲子園を目指すわけではないのだから「楽しくやろう」というのが部員や父兄会の考え。臨時コーチの松井が采配を振るった試合で城東中は逆転で惨敗する。試合後、円陣を組んだ部員たちに松井は「ちゃんと悔しがることができないと、いつかおとなになってから後悔するぞ、だから負けたときぐらい、しっかり悔しがれ」という。しかしもちろん部員たちには理解されない。重松清は松井の考え方に共感を示しながらもどちらに軍配を上げようとはしない。そこが私の重松の作風が好きな理由かもしれない。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
図書館で借りた「海峡に立つ-泥と血の我が半生」(許永中 小学館 2019年9月)を読む。許永中。イトマン事件の主犯といわれた人だよね。7月に「バブル経済事件の深層」(岩波新書)を読んだが、イトマン事件には触れていなかった。バブル経済って金が金を呼び、信用が根拠もなく膨張したことなんだと思う。怖いのはその渦中にいると一般人の私たちでさえそれが異常だと思えないこと。私は当時、年友企画で年金住宅融資を担当していたが、旺盛な住宅需要に対して住宅金融公庫や年金住宅融資などの公的資金はいつも不足していた。公的資金は低利で人気があったのだが、それでも公庫融資で年5.5%であった。今から30年以上前のこととはいえ隔世の感がある。本書について言うと大阪の在日朝鮮人の家に生まれた許永中が大学を中退して度胸と腕力と知恵で、その筋で頭角を現していく過程がそれなりによく描かれていると思う。梁石日の小説「血と骨」を思い出した。

12月某日
「悪足搔きの後始末 厄介弥三郎」(佐藤雅美 講談社文庫 2018年1月)を読む。2015年1月に単行本として出版されたとあるが、「もしかしたら読んだことがあるかなぁ」と思いつつ読み進むが、記憶は甦らない。江戸時代は長子相続が原則で、長男以外の男子は親亡き後は兄の世話になっていて、「厄介」と呼ばれていて幕府の公用語にもなっていた。都築弥三郎は650石取りの幕臣、兄の孝蔵の厄介である。厄介から逃れる道は家付きの娘の婿養子になるか、家を出て浪人となるかしかない。弥三郎は婿養子を蹴って浪人の道を選ぶ。それなりに生きる道も見つけ「厄介」の身ならばとても叶えられなかった嫁ももらうことができた。しかしある事件をきっかけに弥三郎の運命は暗転、お尋ね者の身分となってしまう。ヤクザの客分となった弥三郎は出入りの助っ人に駆り出され…。ここまで読んで「あぁ読んだことがある」と思い出した。佐藤雅美の小説は綿密な時代考証と一種の「軽み」が特徴。本書にもそれはあるのだが、「厄介」故の悲しさが底を流れている気がする。

12月某日
早稲田大学に法学部学術院の菊池馨実先生を訪問。11時の約束だったが念のため10時35分に地下鉄東西線早稲田駅で社保険ティラーレの佐藤聖子社長と待ち合わせ。法学部の校舎に行き、エレベータで教授の部屋がある12階へ。約束の時間までラウンジで過ごす。私が早稲田の学生だったのは50年前でエレベータのある校舎はなかった。キャンパスを行き来する女子大生の多さにもびっくりした。だいたい私は在学中、ほとんど授業に出たことがないので校舎に足を踏み入れるのは稀。ストライキで校舎をバリケード封鎖したときはバリケードの内側、つまり校舎にいたけども。授業のあるときは校舎に行かずストライキで授業のないときは校舎に行くという倒錯した学生生活を送っていたわけだ。菊池先生には来年2月の「第21回地方から考える社会保障フォーラム」への参加を快諾いただいた。50年前「メルシー」というラーメン屋によく行っていたが現在も健在ということなのでそこを覗いてみる。50年前はラーメンが50円であったが今は450円であった。私は470円のもやしそばを、佐藤社長はオムライスを頼む。味は昔と変わらないように思えたが、今の私からすると随分と塩辛く感じられた。佐藤社長にご馳走になる。早稲田から霞が関へ。社会保険研究所の水野君と待ち合わせ3人で厚労省へ行って、鈴木俊彦事務次官にも社会保障フォーラムへの参加を依頼する。

12月某日
神田で打ち合わせの最中、上智大学の客員教授をやっている吉武民樹さんから電話。「今、大学?」と「そう」という答え。17時30分に神田駅の北口で待ち合わせることにする。「大谷さんにも連絡しといて」ということで、大谷さんとも神田駅北口で待ち合わせることに。大谷さんは神山弓子と登場、少し遅れて吉武教授も来る。北口の近くにある「鳥千」に行くと満員だった。年末の金曜日とあって呑み屋さんはどこも書き入れ時のようだった。南口の「葡萄舎」でやっと座ることができた。白井幸久先生も遅れてくるという。大谷さんが迎えに行ってくれた。5人で私が持ち込んだスコッチを1本空けてお開きに。吉武教授とは上野からグリーン車で帰ることにする。吉武教授が缶チューハイを買ってくれる。我孫子について吉武教授と久しぶりに「愛花」に寄る。「愛花」も常連さんで一杯だったが、なんとか席を作ってくれた。隣に居たSM作家のお姉さんと団鬼六について話したような気がする。家に着いたら午前2時を過ぎていた。

12月某日
図書館で借りた「民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本」(山口二郎 岩波新書 2019年10月)を読む。著者の認識を一言で表すとすれば「第二次安倍政権のもとで、日本の民主主義は壊れ続けている」(はじめに)というもの。安倍政権を批判する言説は多いがこの本ほど正面を切って堂々と批判したものを私は知らない。安倍内閣は桂太郎内閣を抜いて立憲史上、最長の記録を更新しているが、これは安倍政権が国民から安定的に支持されていることを必ずしも意味しない。国政選挙では安倍政権が勝利を続けているが、それは野党の分裂と低い投票率に助けられたものに過ぎない。国民、市民が国政に関心を持って、自分の意志を投票行動において明らかにする、それが民主主義の基本であろうと思う。この本を図書館に返したら、私も一冊購入して友人、知人に薦めようと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
新橋の「うおまん」で早稲田大学政経学部の同じクラスだった岡超一君と雨宮英明君と呑み会。政経学部でクラスは違ったが同じ学年の関友子さんも一緒。岡君は卒業後、第一志望だったデパートの伊勢丹に就職、定年まで勤めあげた。雨宮君は内定していた生命保険会社を蹴って司法試験に挑戦、合格後検事に任官し今は「辞め検」で新橋の弁護士ビルに事務所を開いている。関さんは多分、卒業していない。確かエレクトーン奏者を経て新宿にクラブを開業、後に赤坂に移った。学部のクラスは選択した第2外国語で分けられ私たちのクラスはロシヤ語だった。ひとクラス50人から60人くらいはいたと思うが私たちのクラスは民青(日本民主青年同盟、日本共産党系の青年組織)が強く、クラス委員選挙で私はいつも民青の清真人君に負けていた。清君は後に近畿大学の哲学の教授となったが、清君の奥さんは同じクラスメートの近藤百合子さんだ。雨宮君の息子さんが今年早稲田大学の法学部へ進学、奥さんと一緒に早稲田祭に行ってきたそうだ。

11月某日
浅田次郎の「わが心のジェニファー」(小学館文庫 2018年10月)を読む。主人公のローレンス・クラーク(ラリー)はマンハッタンのアッパー・ウエストサイドで暮らすサラリーマン、職場はウォール街の投資会社。ラリーの幼いころに両親は離婚、ラリーは祖父母に育てられた。祖父は退役の海軍少将で第二次世界大戦への従軍経験を持つ。ラリーの恋人ジェニファーは「ニューヨークで一番のソーシャライツで、ゴージャスで、美貌と教養を兼ね備え」ているとラリーは信じて疑わない。ソーシャライツって社交界の名士の意味だってこの本で初めて知った。やたらたとカタカナの英語が出てくるのもこの小説の特徴だが、ラリーは日本贔屓のジェニファーの勧めで日本を訪れることになる。日本からジェニファーに送る手紙の書き出しがいつも「Jennifer On My Mind」で始まるのだ。ラリーの祖父は日本に対して偏見があって「黄色い猿」「ジャップ」を繰り返す。その偏見にはある理由があるのだが、それは最終章で明らかにされる。でも日本を一人旅するアメリカ人青年を主人公とするなんて、浅田次郎の着想がいいよね。

11月某日
年友企画の石津幸恵さんと御徒町の吉池食堂で待ち合わせ。吉池食堂では「今、テーブル席は満席でカウンターで良ければ」と言われる。カウンターで待つこと5分で石津さんが同僚の酒井佳代さんをともなってあらわれる。石津さんに「今日、銀行に寄る時間がなかったので8,000円しかないのだけれど」というと「いいよ、今日は私がおごってあげる」と言われる。元部下にご馳走になるのはいささか情けないが遠慮なくご馳走になることにする。酒井さんは今度結婚するというので「誰と?」と聞くと「森田さんの知らない人」という答え。そりゃそうだ。石津さんはビール、酒井さんはウーロン茶。私は日本酒(南部美人と桃川)を頂く。吉池食堂はスーパー吉池の経営で、ここの鮮魚部は定評がある。そのためだろうかタコの刺身、貝の刺身の盛り合わせ、つぶ貝のエスカルゴ風など大変美味しかった。締めにおにぎりも食べたのでちょいと食べすぎ。今回は石津さんにすっかりご馳走になってしまった。次回は酒井さんの結婚祝いを兼ねて私がご馳走しよう。

11月某日
「開けられたパンドラの箱‐やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊『創』編集部編 創出版 2018年7月)を読む。セルフケア・ネットワークの高本代表理事が重度重複障害者の実態調査を考えていて、私もその手伝いができればということで「障害」関係の本を図書館で探していてたまたま目についたのがこの本。やまゆり園障害者殺傷事件というのは2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に植松聖(さとし)被告が押し入って障害者19人を殺害、27人を負傷させた事件。ずいぶん前に起きた事件かと思っていたが、まだ3年しか経っていないんだ。月刊『創』は2016年10月号で総特集を組んだのを皮切りに、その後も継続してこの事件を取り上げて来ている。障害を巡る問題は私にとってはやや遠い。親父が実験中の事故で手指の一部を失って障害者になり、私自身も数年前の脳出血の後遺症で右手足にマヒが残り障害者手帳を交付されているにも関わらずだ。思うに私と親父の障害は身体障害でしかも割と軽度であったためであろう。私が障害を意識するのはJRの100キロ以上の乗車券を購入するときぐらいだ。何しろ障害者手帳を示すと乗車券が半額になるのでね。
重度の身体障害、知的障害、精神障害にはまだまだ差別があると思う。やまゆり園の被害者の名前が公表されなかったのも「家族が差別される」という恐れからだと言われている。ただ私は、私も含めて人間は他者(生まれや民族、障害の有無に限らず)を差別をしている限り自由な存在にはなり得ないという考えを持っている。これはなぜ?と言われても困ってしまう。そういう考え、そういう信念だからね。