モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
居候先のHCM社が西新橋から東上野へ引越し。私が学校を出て最初に勤めたのが浜松町のオフセット印刷の「しば企画」。江古田の国際学寮で一緒だった村松茂君の紹介だった。「しば企画」には結局、村松君、私、深谷さん、渡辺君と4人の国際学寮OBが入社した。いずれも学生運動崩れで就職先が無かったためだ。私と村松君は写植のオペレーター、深谷さんと渡辺君は印刷担当だった。2年ほどでそこを辞め次が新聞広告で記者を募集していた新建材新聞社で駒込にあった。そこで業界紙の記者を3年ほどやったところで日本プレハブ新聞社に引き抜かれた。同社は新橋烏森口にあって取材先の建設省や通産省にも近かった。そして35歳ころに神田の年友企画に移る。今の上野、御徒町界隈は通勤場所としては初めて。韓国料理の店が多く、近くにアメ横があるせいか外国人観光客もチラホラ。「アジアに開かれた下町」だ。

12月某日
「長寿時代の医療・ケア-エンドオブライフの論理と倫理」(会田薫子 ちくま文庫 2019年7月)を図書館で借りて読む。著者の会田薫子さんには10年ほど前に厚労省の補助金を得て「末期認知症患者への胃ろう増設について」という研究のお手伝いをしたときに出会っている。そのときは東大大学院の特任助教授だったが、今は特任教授になっている。表紙に「現在、日本は世界でトップレベルの長生きできる国であるが、生物学的に長生きすることと、幸せに長生きすることは同じではない。長命が長寿を意味するために医療とケアはどのようにあるべきか、本書で考えたい」という文章が刷り込まれている。この国では長命が長寿を必ずしも意味しないということを言っているのではないか。会田さんは「物語られる命」に着目し、「本人らしさを決めるのは、その人がどのような人生の物語りを生きているかということであろう。その物語りのなかで本人の生活の質の高低も決まる」と述べている。私には「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)の考え方が大変参考になった。ACPは日本老年医学会の定義によると「ACPは将来の医療・ケアについて、本人を人として尊重した意思決定の実現を支援するプロセスである」ということだ。重度重複障害者にも、この定義は当然適用されるべきだと思われるが、傷害故に本人の意思を確認するには一定の困難がある、それをどうするか…。

12月某日
年友企画の総務の石津幸恵さんから事務的な連絡をもらう。ふと思いついて「夜、空いている?」と聞く。「空いている」という返事なので神田駅東口で待ち合わせすることに。編集者の酒井さんも一緒に来たが酒井さんは新婚なので帰宅することに。2人で東口の呑み屋街をうろつくと「BISTRO TARUYA」という看板が目に付いたので入ることにする。女性がやっているお店で、家庭的な雰囲気で値段もリーズナブル。来年、また来よう。

12月某日
上野駅構内の本屋「BOOK EXPRESS」に立ち寄る。「婚活食堂1」(山口恵以子 PHP文芸文庫 2019年9月)が目に付いたので購入、早速読むことにする。人気占い師だった恵は、マネジャーの夫と付き人が不倫の上に事故死したのをきっかけに占い師を廃業、四谷新道通りで「恵食堂」というおでん屋を開業する。常連客の恋愛話と恵の過去が交差する。まぁどうということのない通俗小説なんだけれど巻末に「恵食堂」のメニューのレシピが載っているのが新しい。ちょいとうまそうではある。

12月某日
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ 新潮社 2019年6月)を読む。図書館にリクエストしようかと思ったが、大勢の人がリクエストしているようなので有楽町の交通会館の1階にある三省堂で買った。私が図書館を利用するのは経済的な理由もあるが、自宅の本をもう増やしたくないという理由もある。私が死んだら私のささやかな蔵書など遺族(私の奥さんと二人の息子)にとっては無用の長物以外のものではないと思うからである。終活の意味も含めてそろそろ本の処分を真面目に考えないとね。
今年の私の読書の収穫と言えばこの本の著者のブレイディみかこと「夏物語」の川上未映子に出会えたことである。ブレイディみかこは10月に図書館で「女たちのテロル」(岩波書店)を借りて以来。「女たちのテロル」は日本、イギリス、アイルランドの3人の女性テロリストに関するエッセーなのだが、題材にも文体にも魅かれるものがあった。「女たちのテロル」を読んでから、朝のNHKテレビを見ていたらブレイディみかこが生出演していたのを見かけ、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」が今年の本屋大賞のノンフィクション本の大賞を受賞したことを知った。
ブレイディみかこは福岡の進学校として有名な修猷館高校を卒業後、イギリスに渡り、アイルランド系のイギリス人と結婚、保育士となって男児を出産。この男の子がカトリックの進学校に進学し、中学も同じカトリックの中学に進学すると思われたが元底辺中学を希望する。息子の元底辺中学での日常とブレイディみかこが暮らすイギリス南部の町ブライトンの日常が描写される。書名は息子のノートへの落書きに由来するが、ふたつのアイデンティティを持つ息子の気持ちがよくあらわされている。私がこの本を読んで一番考えさせられたのが多様性ということである。日本は農耕民族で他国から侵略されたことがほとんどないこともあって、自分と異なる者に対する警戒感、差別感は強いように思われる。外国人、とくに中国人や韓国人、在日朝鮮人、アジア人、アフリカ系の人に対する差別ね。沖縄で基地を警備する機動隊員が抗議する現地の人たちを「土人」と呼んだりしたこともあった。ブレイディみかこは純粋に東洋人の顔立ちだから「チンク」(中国人に対する蔑称)と呼ばれたりする。息子も雑貨屋の前で友だちを待っていると「ファッキン・チンク」と叫ばれたりする。福岡に里帰りすると欧米系の顔立ちで日本語がしゃべれない息子への差別も経験する。私たちは多様性の尊重を真剣に考えていかなければならないと思う。それは人種や民族による差別だけでなく障害者差別についても言えることなのだ。

12月某日
我孫子駅前の「七輪」で元年住協の林弘幸さんと呑むことにする。林さんは新松戸に住んでいるがわざわざ我孫子まで来てくれることに。林さんとは一緒に仕事をしたことはないけれど、「妙に気の合う」間柄が20年近く続いている。利害関係のない付き合いのほうが長続きするんだよね。他愛のない話で3時間はあっという間に過ぎた。