モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
菊池京子さんと日暮里駅北口で待ち合わせ。駅近くの「手打ちそば 遠山」へ。菊池さんはフリーライターとして活躍していたが、しばらく交流が途絶えていた。先週、山手線で声を掛けられたのがきっかけで食事をすることになった。菊池さんは以前は酒豪と言ってもいいほどだったが、心臓を治療中とかで酒を控えているそうだ。菊池さんは福島県いわき市の出身で被災地支援をやっていることは知っていたが、菊池さんの家族も東京に避難していたことを初めて知った。菊池さんから大きな文旦を頂く。

2月某日
「がんになっても安心して暮らせる社会」を目指して日本サイコオンコロジー学会が厚労省から受託しているのが「がん総合相談に携わる者に対する研修事業」だ。この研修事業のテキスト作成を依頼されたが医療図書の出版社、青海社。昨年脳出血で倒れた同社の工藤社長を千駄木の日医大に見舞ったのをきっかけに、テキスト作成を手伝うようになった。といっても今年度は大きな改定もないので、私が手伝うこともほとんどない。研修事業の改訂委員会に出席すると青海社から日当が支払われるので「私が出なくてもいいんじゃない?」と工藤社長に言ったら「頭数として必要」と言われ出席することに。委員会は午前10時から東京駅八重洲口近くの貸会議場で行われる。前回30分遅刻したので今回は30分前に会場に行くとすでに工藤社長は来ていた。12時に会議が終わり工藤社長は山手線で西日暮里まで出て、西日暮里から千代田線で青海社のある根津まで帰るという。東京駅から神田までご一緒して私は内神田の社保険ティラーレを訪問、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。大手町から都営地下鉄で武蔵小杉へ。武蔵小杉では喫茶店でNPO法人楽理事長の柴田範子先生に面談。柴田先生の自宅は新百合ヶ丘だし、職場は川崎駅近く。武蔵小杉では会議があったとのこと。武蔵小杉は東横線とJRの横須賀線や南武線が交差する交通の要衝。ということもあって駅の周囲にはタワーマンションが林立、大都会である。なんだかよく分からないが帰りは埼京線で大崎まで出て、大崎から山手線で御徒町へ。御徒町では北海道料理の「マルハ酒場」で群馬医療福祉大学の白井幸久先生と滋慶学園の大谷源一さん、上智大学の吉武民樹先生と会食。帰りは上野からグリーン車で吉武先生と我孫子へ。吉武さんから缶チューハイをご馳走になる。

2月某日
図書館で借りた「戦争小説短編名作選」(講談社文芸文庫 2015年7月)を読む。遠藤周作からアイウエオ順に吉行淳之介まで10人の作家の短編が収録されているが、私は佐藤泰志の「青春の記憶」と目取真俊の「伝令兵」が心に残った。佐藤泰志も目取真俊も初めて読む作家だ。「青春の記憶」は作者が高校2年生のとき有島青少年文藝賞優秀賞を受賞した作品。舞台は日中戦争時の中国大陸、捕虜の疑いで捕らえられた16歳の中国人少年を22歳の私が、上官の命令により銃剣で刺殺する。私はその夜、処刑の行われた場所で拳銃をこめかみに当て、引き金を引いた。上官に「私はあなたほど臆病ではないのです。最後のものを捨てたのに、なおぎまんの仮面をかぶっていることは、私にとって許されないこいなのです」という言葉を残して。「伝令兵」は現代の沖縄が舞台。幼い娘を事故で亡くし妻に去られた友利は無気力に自身の経営するバーのカウンターに立つ毎日だ。ある日、常連客の金城がジョギング中に若い3人の米兵とトラブルになる。金城は小柄な日本人に自販機の陰に抑え込まれる。米兵が去った後、カーキー色の衣服を着て足にはゲートルをまいた少年兵は金城に敬礼をする。少年兵には首がなかった。また別の日、離婚届をポストに入れた友利は公園の手すりにベルトを掛けて自殺を図る。意識が遠のく中突然体が浮いてベルトが外される。四つん這いになって激しく咳き込む友利の眼に首のない少年兵の敬礼する姿が映る。2作ともある切実さが伝わってくるのである。

2月某日
青海社は根津の不忍通りに面したビルの一室にある。不忍通りを千駄木に向けて歩くと、八百屋、総菜屋、中華、イタリアン、蕎麦屋、焼き鳥屋など食品関連の個性的な店が並んでいる。本日は往来堂という書店に入る。新刊書店がどんどん少なくなっているが、往来堂はなかなか個性的な品揃えで頑張っている印象だ。私は絲山秋子の河出文庫、「忘れられたワルツ」を買う。亀のイラストが付いた洒落たカバーで文庫本を包んでくれる。「D坂文庫2018往来堂書店」と刷り込んである。D坂とは千駄木の団子坂のことと思われるが、もっと言えば江戸川乱歩の探偵小説「D坂の殺人事件」にちなんでいるに違いない。

2月某日
絲山秋子の「忘れられたワルツ」(河出文庫 2018年1月)を読む。7編の短編が収められているが、最初の短編を読み進むうちに「あれっ読んだことあるかも知れない」と思い始めた。2作目、3作目と読み進むうちに「あぁ読んだことある」と確信に変わる。奥付の前のページに「本書は2013年に新潮社より単行本として刊行された」とあるから、その頃図書館で借りたのであろう。解説は小説家の吉村萬壱で「この本に収められた短編は、全て2012年から2013年の間に発表されている」とし、2011年3月11日の東日本大震災から「まだ1、2年しか経過していない頃である。にもかかわらず、救いを、祈りを、斬って捨てるがごとき作品が書かれた」と解説している。また「読者を絶望に叩き落すのは、その小説の中にある真実面をした嘘である。(中略)しかし絲山作品はこの点、一点のまやかしもなく乾いている。絲山氏は事実しか信じない」とも書いている。なるほどな「一点のまやかしもなく乾いている」か。私が絲山作品に魅かれるのもそういうことかも知れない。

2月某日
図書館で借りた「大坂の陣と豊臣秀頼」(曽根勇二 吉川弘文館 2013年6月)を読む。吉川弘文館の「敗者の日本史シリーズ」の中の1冊である。歴史における敗者に魅かれる。明治維新期ならば彰義隊、白虎隊に五稜郭の戦い、明治に入って西南戦争の薩軍、秩父困民党に大逆事件という具合である。だが、本書は大阪の陣における大阪方の敗因を分析しているわけではない。豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が如何に権力を手中に納めていくか、その中で大坂の陣の果たした役割を冷静に分析している。関ヶ原の戦い後、秀頼は摂津・河内・和泉の65万石の一大名に転落したことになっているが、ことはそう単純でもないようだ。関ヶ原の戦い後、家康は征夷大将軍に任命され天下を統一したと日本史の教科書には書かれている。だが家康の本拠があった江戸、駿府以東、御三家を配した尾張、紀州はそうであったにしろ、豊臣恩顧の大名が多かった西国はそうでもなかったようだ。豊臣と徳川の二重権力というと大袈裟だが、必ずしも徳川の支配が貫徹していたわけでもない。徳川の支配を貫徹するためにこそ大坂の陣で豊臣氏を完全に滅ぼすことが必要だったのだ。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
図書館で借りた「変半身 KAWARIMI」(村田沙耶香 筑摩書房 2019年11月)を読む。村田沙耶香は1979年千葉県生まれとあるから私の子供世代である。奇妙に魅かれるものを感じて新刊が出るたびに図書館にリクエストする。「変半身」はKAWARIMIとローマ字で書かれている通り「かわりみ」と読んで表題作と「満潮」というタイトルの短編が収められている。私が読んだ村田沙耶香の小説の舞台は近未来の日本だ。日本かどうかも定かではないが登場人物の姓名が日本風であるというだけである。「変半身」は離島の中学校の美術室のシーンから始まる。陸と花蓮と高木君は美術部員で陸は高木君に魅かれている。と粗筋を紹介し始めると現代日本の青春物語と感じてしまうが、それが違うんだなー。物語上の真実は物語の最後に明らかにされるのだが、それは私の想像力の遥かに及ばないものだった。もうひとつの短編「満潮」は女性が射精し、男が「潮」を吹くというストーリーだが、いやらしさは全く感じない。私が思うに村田沙耶香は人間存在の真実を描く舞台として近未来を想定しているのではなかろうか。唐突ではあるが、マルクスが資本論を構想するにあたって、19世紀末のイギリス経済を原型とする、純粋資本主義社会を想定したように。

2月某日
図書館で借りた「聖なるズー」(濱野ちひろ 集英社 2019年11月)を読む。開高健ノンフィクション賞受賞作である。犬や馬など動物をパートナーとして性的な関係を結ぶ人間たちを描いたノンフィクションと一口で言うとそうなるのだが……。作者の濱野は大学生の頃から10数年間、同居し後には結婚する男性から日常的な性暴力を受けていた。離婚しえた頃の濱野は「私は愛もセックスも軽蔑し、そのようなものを求める世の中を、鼻で嗤うことで苦しみから距離を取ろうとしていた」(プロローグ)のだ。濱野は早大一文を卒業後、フリーライターになるのだが、30代の終わりに京大大学院に進学する。テーマは文化人類学におけるセクシュアリティ、なかでも「動物性愛」である。濱野は研究のためドイツにある世界唯一の動物性愛者の団体ZETA(ゼータ)のメンバーと連絡をとる。このノンフィクションはドイツでの彼ら、彼女らとの取材、交流の記録ということになる。ゼータのメンバーは寡黙で上品というのが私の印象だが、私が読後感として感じるのは作者の濱野がゼータのメンバーと交流することによって、過去の性暴力により受けた精神的な傷が徐々に癒されていったのではないかということである。動物性愛には最後まで共感することはできなかったが、ゼータへの深い共感を示す濱野の高い精神性には共感したい。

2月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」が無事に終了した。今回は1日目が鈴木俊彦事務次官、渡辺由美子子ども家庭局長、伊原和人政策統括官、2日目が八神敦夫審議官、それに菊池馨実早稲田大学教授という講師陣。やはり局長、審議官クラスの話は視野も広くためになる。地方議員の申し込みも70名を超えたし、講師との意見交換も活発に行われた。地方議員の満足度のバロメーターともいえるのが、意見交換後の名刺交換だが、今回はいつもより長い列ができたような気がする。

2月某日
絲山秋子の「御社のチャラ男」(講談社 2020年1月)を読む。絲山秋子は割と好きな作家で新作が出ると図書館にリクエストすることが多い。絲山秋子は1966年生まれ、早稲田大学政経学部を卒業後、住宅設備メーカーに就職(たぶん東陶)、営業職として福岡、名古屋、高崎等で勤務、2001年に退職して小説家を目指す。2003年に「イッツ・オンリー・トーク」で文学界新人賞を受賞して作家デビューを果たす。小説以外でも自身のうつ病体験を綴った「絲的ココロエ「気の持ちよう」では治せない」などのエッセーも面白い。本作は従来の絲山作品とはいささか趣を異にしていると私は感じる。ジョルジュ食品という食用油メーカーが舞台。社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長を軸に物語は展開する。といって三芳部長は主人公というわけではなく、主人公はジョルジュ食品に勤める男女の社員だ。何人かの社員が語るジョルジュ食品とその周辺がストーリーの軸となっている。作者の絲山は本作で何を言いたかっただろうか。ジョルジュ食品は典型的な日本の中小企業、ソフトバンクや楽天などの新興IT企業とも違うし、トヨタ、新日鉄など巨大製造業とも違う。しかし日本の労働人口の大半はジョルジュ食品のような中小企業で働いている。絲山は現代日本を支えるカイシャと会社員を描くことによって日本社会の一断面を描こうとしたのだと私は思いたい。

2月某日
浜松町の基金連合会で足利聖治理事へ面談。その後、虎ノ門のフェアネス法律事務所で渡邉潤也弁護士と面談。銀座線で神田へ。社保険ティラーレの吉高会長、佐藤社長と面談。地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の過分な謝金を頂く。謝金で一杯やろうかと心が動いたが、新型コロナウイルスの感染が広がっていることから諦め、我孫子へ帰る。

2月某日
図書館で借りた「某(ぼう)」(川上弘美 幻冬舎 2019年9月)を読む。このところ村田沙耶香、濱野ちひろ、絲山秋子と女性作家の作品を続けて読んでいる。私はもともと女性作家との親和性が高い。亡くなった田辺聖子は今でも好きな作家だし、現役の作家では林真理子、井上荒野、江國香織、川上未映子などをよく読んでいる。「某」は非常に面白く読んだのだが、ストーリーの要約は止めておこう。転生を繰り返す人類とは酷似しているが、人類ではない種の話とだけ記しておこう。川上がお茶の水女子大理学部生物学科の出身ということとも関係していると思う。

2月某日
居候させてもらっているHCM社の大橋社長を誘って呑みに行くことにする。HCM社は御徒町駅北口を出て、昭和通り側を渡って上野方面に数分歩いたところにある。韓国料理店が多く、何とも言えない雰囲気のある一帯だ。私は「アジアに開かれた庶民の街」と呼んでいる。今回はHCM社から上野方面へ歩き、上野下谷口近くの「かぶら屋」へ入る。「かぶら屋」へは以前、大谷源一さんと入ったことがあり、そのときは「焼き鳥」を食べたが。今回は「おでん」を頼む。ここは静岡おでんで鰹節の粉が振りかけてあるのが特徴だ。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
「キッドの運命」(中島京子 集英社 2019年12月)を読む。中島京子は割と好きで読む。戦前の日本の幸せな家族が戦争によって崩壊していく姿を描いた「小さなおうち」、コメディタッチの「妻が椎茸だったころ」、認知症の高齢者とその家族を描いた「長いお別れ」などだ。「キッドの運命」は「著者初の近未来小説」とあるように今まで読んだ中島京子とは一味違っていた。短編集で「種の名前」は、夏休みに母方の祖母に会いに行って、祖母が作る野菜を食べその新鮮な味に驚く少女の話。この未来では食糧生産は一企業に独占されており、個人が野菜を栽培することは禁止されているのだ。祖母は仲間の老婆たちと秘かに畑を開墾、味噌も自家製だ。中島の描く未来は決してバラ色ではない。AIやロボットで社会の生産性は上がったが、社会から自然や人間らしさは失われていく。しかしそんな社会に抗う少数の少女の祖母のような人間も存在する。中島は近未来小説を描くことによって現代社会への警告を発すると同時に、近未来の社会での「抵抗する精神」の崇高さをうたいあげていると感じた。

2月某日
図書館で借りた「失われた女の子 ナポリの物語4」(エレナ・フェッランテ 早川書房 2019年12月)を読んでいる。「リラと私」に始まる「ナポリの物語」の完結編である。ナポリに生まれたリラとエレナという2人の女の子の物語なのだが、小学校でのリラとエレナの出会いから始まるこのストリーはエレナは大学に進学し、大学教授と結婚して作家となり、リラは進学せず10代で結婚して稼業の靴屋を手伝う。リラは離婚後、コンピュータソフトの会社を立ち上げ成功する。作家のエレナ・フェッランテは1943年ナポリ生まれとあるから、物語のエレナとほぼ等身大と見ても良いのでないかと思う。この物語の背景には当時のイタリアの政情がある。第2次世界大戦に敗北したイタリアは、その後高度経済成長を謳歌した日独とは違って、低迷する経済からなかなか脱出することができなかった。北部と南部の経済格差や共産党や社会党が伝統的に強いこと、その反面でファシスト党の根強い地域性があることなどが原因と思われる。ナポリというと日本で言うと大阪かな。方言も結構きついらしい。そこで2人の女の子が恋愛や仕事を通して成長していく。私など日活映画の「キューポラのある街」を連想してしまうのだが、とにかく面白い。A5判で600ページ近くある大著でまだ200ページしか読んでいないがとりあえず中間報告である。

2月某日
「失われた女の子」を読み進む。「ナポリの物語4」のタイトルが「失われた女の子」となったわけが明らかになる。リラとエレナは相次いで女の子を出産する。リラの娘はティーナ、エレナの娘はインマと呼ばれすくすくと育つがある日、舞台は暗転する。ティーナが行方不明となるのだ。誘拐か交通事故に巻き込まれたのか。「キューポラのある街」どころではない、「ゴッドファーザー」の世界である。エレナは作家として成功しリラのコンピュータソフトの会社も順調に成長しているにもかかわらずだ。「ナポリの物語」はリラとエレナという2人の女の子の成長物語ではあるのだが、ナポリという町の光と闇の戦後史も綴っていく。450ページほど読み進んだ。あと150ページ、リラとエレナはどうなるのか「巻を置く能わず」である。

2月某日
重度重複障害者の施設を運営している社会福祉法人キャマラードを高本真佐子(SCN代表理事)さんと訪問。横浜線の中山駅まで送ってもらい、新横浜へ。新横浜から名古屋へ行く新幹線の中で「失われた女の子 ナポリの物語4」を読み進み、名古屋に着くまでに読了。「ナポリの物語」は確かにリラとエレナの2人の女の子の成長物語ではあるが、同時に作家としてのエレナ・フェッランテの苦悩の記録である。作家として成功し3人の女の子も伴侶を見付けて孫にも恵まれる。しかしエレナの心には虚しさが漂う。作中のエレナは、リラとのことを綴った「ある友情」で作家的な名声を不動のものとするが、それをきっかけにリナと交流は途絶える。ナポリからトリノへ引っ越したエレナのもとに、幼いリラとエレナがアパートの地下室に投げ入れた人形が2体届けられる。エレナは思う。「リラがここまではっきりと姿を見せたからには、彼女とは二度と会えぬものと諦めるしかないと」。「ナポリの物語4」は1970年代半ばから2000年代初頭までのおよそ30年間が描かれる。イタリアと日本では社会的政治的な状況が違うことはもちろん承知しているが、日本もイタリアも60年代、70年代には左翼、とくに新左翼の政治的な高揚があった。その一時の高揚も高度経済成長の中で沈静化してゆく。同時代を生きたものとして「ナポリの物語」には深く共感せざるを得ない。

2月某日
図書館で借りた「卍どもえ」(辻原登 中央公論新社 2020年1月)を読む。辻原登は好きな作家でこの数年、何冊も読んだ。ほとんどが図書館で借りたものですが。辻原の特徴は、その物語世界の緻密な構成とでも言おうか。本作品の主要なテーマは女同士のエロスとそれと絡み合う男と女のエロス。デザイナーの瓜生甫(うりゅう・はじめ)を軸に物語は展開する。妻のちづるはネイルサロンを主宰する加奈子とレズビアンの関係となり、二人は共謀して瓜生から加奈子の借金を返済される額を奪う。瓜生は美大を出て博報堂に就職後、独立した売れっ子デザイナーである。瓜生は陸上競技の世界的な大会のエンブレムのデザインコンペに勝ち残るが後にそれが盗作だったが明らかにされ、取り消される。東京オリンピックのエンブレムでも同じような話があったっけ。それにフィリピンやタイの話、戦前の満洲の話、大阪の売春地区、飛田の話までが入り組んでくる。まぁ辻原登ワールドですなぁ。

2月某日
午前中、芝の友愛会館で日本介護クラフトユニオンを介護職へのハラスメントについて取材。年友企画の酒井さんに同行。ユニオンは染川朗事務局長、村上久美子副事務局長、小林みゆき広報担当部長が対応してくれる。取材後、内幸町へ出て酒井さんと昼食。昼食後、会社へ帰る酒井さんと別れ、私は村田沙也加の短編小説に読み入る。14時30分から厚労省老健局高齢者支援課の中村光輝係長に高齢者施設での看取り部屋整備への補助金について取材。高本真佐子SCN代表理事、大谷源一さんに同行。取材後、飯野ビルの神戸屋カフェで3人で打ち合わせ。打ち合わせ後、事務所へ帰る高本さんと別れ、私と大谷さんは神田に新しくオープンした佐渡の立ち食い寿司屋「弁慶」へ。2人でつまみ3~4品とビールにお酒で5000円ちょっとだった。

モリちゃんの酒中日記 1月その5

1月某日
「生命式」(村田紗耶香 河出書房新社 2019年10月)を読む。村田紗耶香は1979年千葉県生まれというから私たち団塊の世代の子供の世代、団塊世代ジュニアということになる。団塊世代ジュニアは卒業時期に不景気が重なり、非正規雇用の割合が高いと言われている。村田沙也加は玉川大学卒業後、コンビニでバイトしながら作家修業をしたという。バイト経験が芥川賞受賞作の「コンビニ人間」に反映している。私は村田沙也加の「コンビニ人間」と「消滅世界」を読んだことがある。確か「消滅世界」だったと思うが、近未来を舞台に性行為抜きに人工授精で人類が繁殖していくという世界を描いていた。「生命式」は表題作を含む14編の短編集。「生命式」は亡くなった人の肉を料理して食べるという習慣が広がっている世界の話。この習慣のことを「生命式」と呼んでいる。村田沙也加は生命について考えたかったのだと思う。「素敵な素材」は故人の遺体を活用して、髪からセーター、歯のイヤリング、皮膚のランプシェイドなどを供給することが常態となっている世界を描く。これらに比べると中学生のときは委員長、高校生のときはアホカ、大学生のサークルでは姫、バイト先ではハルオ、就職先ではミステリアスタカハシと呼ばれている女性の結婚準備を描いた「孵化」はわかりやすいかもしれない。村田沙也加は人間の不可思議さにこそ興味があるのだろう。

1月某日
私が大学に入学したのが1968年だから今から52年前である。私が入学した早稲田の政経学部では第2外国語でクラスが分かれていて、私はロシア語クラスで1年28組だった。前年の1967年の10月8日、当時の佐藤首相の訪米阻止闘争が三派全学連を主体に羽田空港周辺で闘われ、京大生が一人亡くなっていた。そういう物情騒然とした雰囲気も一部にはあったが、私は大学には行ったものの授業にはほとんど出ることもなく、大隈講堂の裏にあった「ロシア語研究会」の部室や3号館の地下にあった政経学部の自治会室にもっぱら出入りしていた。それでもクラスには友達が出来るもので雨宮、内海、岡、吉原、島崎、女子では近藤さんや後に私の奥さんとなる小原さんなどがつるんでいた。私たちのクラスは民青が強かったが、これらの友達はクラス委員選挙のときいつも私に投票してくれた。投票結果は大差で民青の清君に負けていたけれど。2~3年前から今、弁護士をしている雨宮君を中心に何人かが集まるようになった。今日は雨宮君のほか内海君、それに今回初参加の吉原君、そして紅一点の関さんが御徒町の吉池の9階、「吉池食堂」に集まった。関さんはクラスは違ったが、私の奥さんと友達だった関係でこの呑み会に参加するようになった。6時からスタートしたが気が付くとほぼ満席だったのがお客さんもまばらに。再会を期して散会した。

1月某日
高本真佐子さんと大谷源一さんにHCM社に来てもらって打ち合わせ。5時に終わって「食事でも」という話があったが、高本さんは食事会があるそうだ。でも「1時間ほどなら」ということで、御徒町駅近くの「和楽庵はなれ」に行くことにする。「和楽庵」と「和楽庵はなれ」は2軒並んでいる。店員は「どちらも居酒屋兼蕎麦屋です」と言っていたが、つまみの盛り付けも器も凝った感じの店だった。高本さんが1万円を置いて先に帰ったので後日、お釣りを渡さなければ。

1月某日
図書館で借りた「日本経済30年史-バブルからアベノミクスまで」(山家悠紀夫 岩波新書 2019年10月)を読む。山家は「やんべ」と読むが1940年生まれ、1964年神戸大経済学部卒、第一銀行に入行、第一勧業銀行調査部長などを経て神戸大学大学院経済研究科教授を歴任している。この本の狙いは「はじめに」で明らかにされている。30年前の1990年、あるいは90年をはさんでの数年は、世界経済にとっても日本経済にとっても大きな節目であったとする。「ベルリンの壁」崩壊が89年、「統一ドイツ」の発足が90年、ソ連の消滅が91年である。山家は「こうした流れの中で経済面でとくに注目すべきは、旧資本主義国にあって、『新自由主義経済政策』が広まったことである」とする。その大きな背景には社会主義経済圏の崩壊により、欧州の各国政府が自国の社会主義化を恐れることなく、新自由主義経済政策(むき出しの「原始資本主義的政策」)を採用できるようになったという。著者に言わせると社会主義に勝利したのは、原始資本主義(むき出しの資本主義)ではなく、修正された資本主義、福祉国家型の資本主義なのだが。こうした観点から著者は最終章の「日本は世界一の金余り国」の中で、日本の財政健全化と社会保障制度拡充の両立は可能であると主張する。カギは日本の国民負担率(税+社会保険料)の低さである。日本の国民負担率は19年度で42.8%でありOECD加盟国では低いほうから八番目と低い。国民負担率の高いフランスは67.2%で、かりに日本の国民負担率をフランス並みに引き上げれば97兆円の税・社会保険料の収入増が見込まれるという。そして著者はこの負担は負担能力のある大企業や、資産家に求めるべきとし、消費増税に求めるべきではないと主張する。山本太郎の令和新選組とも似た主張ではないか。私は「正しい」と思うけど。

1月某日
昨年暮れに出版された中村秀一さんの「平成の社会保障」企画費が社会保険出版社から振り込まれたので、この前ご馳走になった年友企画の石津さんに「ご馳走します」とメール。御徒町の「吉池食堂」に来てもらう。吉池食堂を使うのは今年3度目、というか1月に入ってから堤さんとが1回目、大学時代の仲間とが2回目、そして今回が3回目だ。まぁ味もそこそこ、値段もリーズナブルだからね。遅れて年友企画の酒井さんも参加。石津さんはビール、私は日本酒。下戸の酒井さんはウーロン茶を頼む。酒井さんに社保険ティラーレの吉高会長と佐藤社長が「酒井さんのことを誉めていたよ」と伝える。酒井さんは「そんなことありません」と謙遜するがそこがまたいいところだ。新婚の酒井さんを先に帰して、私と石津さんはしばらく呑む。今度は吉池以外の東上野のディープな店で呑むことにしよう。