モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
図書館で借りた「変半身 KAWARIMI」(村田沙耶香 筑摩書房 2019年11月)を読む。村田沙耶香は1979年千葉県生まれとあるから私の子供世代である。奇妙に魅かれるものを感じて新刊が出るたびに図書館にリクエストする。「変半身」はKAWARIMIとローマ字で書かれている通り「かわりみ」と読んで表題作と「満潮」というタイトルの短編が収められている。私が読んだ村田沙耶香の小説の舞台は近未来の日本だ。日本かどうかも定かではないが登場人物の姓名が日本風であるというだけである。「変半身」は離島の中学校の美術室のシーンから始まる。陸と花蓮と高木君は美術部員で陸は高木君に魅かれている。と粗筋を紹介し始めると現代日本の青春物語と感じてしまうが、それが違うんだなー。物語上の真実は物語の最後に明らかにされるのだが、それは私の想像力の遥かに及ばないものだった。もうひとつの短編「満潮」は女性が射精し、男が「潮」を吹くというストーリーだが、いやらしさは全く感じない。私が思うに村田沙耶香は人間存在の真実を描く舞台として近未来を想定しているのではなかろうか。唐突ではあるが、マルクスが資本論を構想するにあたって、19世紀末のイギリス経済を原型とする、純粋資本主義社会を想定したように。

2月某日
図書館で借りた「聖なるズー」(濱野ちひろ 集英社 2019年11月)を読む。開高健ノンフィクション賞受賞作である。犬や馬など動物をパートナーとして性的な関係を結ぶ人間たちを描いたノンフィクションと一口で言うとそうなるのだが……。作者の濱野は大学生の頃から10数年間、同居し後には結婚する男性から日常的な性暴力を受けていた。離婚しえた頃の濱野は「私は愛もセックスも軽蔑し、そのようなものを求める世の中を、鼻で嗤うことで苦しみから距離を取ろうとしていた」(プロローグ)のだ。濱野は早大一文を卒業後、フリーライターになるのだが、30代の終わりに京大大学院に進学する。テーマは文化人類学におけるセクシュアリティ、なかでも「動物性愛」である。濱野は研究のためドイツにある世界唯一の動物性愛者の団体ZETA(ゼータ)のメンバーと連絡をとる。このノンフィクションはドイツでの彼ら、彼女らとの取材、交流の記録ということになる。ゼータのメンバーは寡黙で上品というのが私の印象だが、私が読後感として感じるのは作者の濱野がゼータのメンバーと交流することによって、過去の性暴力により受けた精神的な傷が徐々に癒されていったのではないかということである。動物性愛には最後まで共感することはできなかったが、ゼータへの深い共感を示す濱野の高い精神性には共感したい。

2月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」が無事に終了した。今回は1日目が鈴木俊彦事務次官、渡辺由美子子ども家庭局長、伊原和人政策統括官、2日目が八神敦夫審議官、それに菊池馨実早稲田大学教授という講師陣。やはり局長、審議官クラスの話は視野も広くためになる。地方議員の申し込みも70名を超えたし、講師との意見交換も活発に行われた。地方議員の満足度のバロメーターともいえるのが、意見交換後の名刺交換だが、今回はいつもより長い列ができたような気がする。

2月某日
絲山秋子の「御社のチャラ男」(講談社 2020年1月)を読む。絲山秋子は割と好きな作家で新作が出ると図書館にリクエストすることが多い。絲山秋子は1966年生まれ、早稲田大学政経学部を卒業後、住宅設備メーカーに就職(たぶん東陶)、営業職として福岡、名古屋、高崎等で勤務、2001年に退職して小説家を目指す。2003年に「イッツ・オンリー・トーク」で文学界新人賞を受賞して作家デビューを果たす。小説以外でも自身のうつ病体験を綴った「絲的ココロエ「気の持ちよう」では治せない」などのエッセーも面白い。本作は従来の絲山作品とはいささか趣を異にしていると私は感じる。ジョルジュ食品という食用油メーカーが舞台。社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長を軸に物語は展開する。といって三芳部長は主人公というわけではなく、主人公はジョルジュ食品に勤める男女の社員だ。何人かの社員が語るジョルジュ食品とその周辺がストーリーの軸となっている。作者の絲山は本作で何を言いたかっただろうか。ジョルジュ食品は典型的な日本の中小企業、ソフトバンクや楽天などの新興IT企業とも違うし、トヨタ、新日鉄など巨大製造業とも違う。しかし日本の労働人口の大半はジョルジュ食品のような中小企業で働いている。絲山は現代日本を支えるカイシャと会社員を描くことによって日本社会の一断面を描こうとしたのだと私は思いたい。

2月某日
浜松町の基金連合会で足利聖治理事へ面談。その後、虎ノ門のフェアネス法律事務所で渡邉潤也弁護士と面談。銀座線で神田へ。社保険ティラーレの吉高会長、佐藤社長と面談。地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の過分な謝金を頂く。謝金で一杯やろうかと心が動いたが、新型コロナウイルスの感染が広がっていることから諦め、我孫子へ帰る。

2月某日
図書館で借りた「某(ぼう)」(川上弘美 幻冬舎 2019年9月)を読む。このところ村田沙耶香、濱野ちひろ、絲山秋子と女性作家の作品を続けて読んでいる。私はもともと女性作家との親和性が高い。亡くなった田辺聖子は今でも好きな作家だし、現役の作家では林真理子、井上荒野、江國香織、川上未映子などをよく読んでいる。「某」は非常に面白く読んだのだが、ストーリーの要約は止めておこう。転生を繰り返す人類とは酷似しているが、人類ではない種の話とだけ記しておこう。川上がお茶の水女子大理学部生物学科の出身ということとも関係していると思う。

2月某日
居候させてもらっているHCM社の大橋社長を誘って呑みに行くことにする。HCM社は御徒町駅北口を出て、昭和通り側を渡って上野方面に数分歩いたところにある。韓国料理店が多く、何とも言えない雰囲気のある一帯だ。私は「アジアに開かれた庶民の街」と呼んでいる。今回はHCM社から上野方面へ歩き、上野下谷口近くの「かぶら屋」へ入る。「かぶら屋」へは以前、大谷源一さんと入ったことがあり、そのときは「焼き鳥」を食べたが。今回は「おでん」を頼む。ここは静岡おでんで鰹節の粉が振りかけてあるのが特徴だ。