モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
図書館で借りた「客室乗務員の誕生―『おもてなし』化する日本社会」(山口誠 岩波新書 2020年2月)を読む。「はじめに」で「本書は、これまで学術的に通観されることのなかった日本の客室乗務員の歴史を分析の縦糸として、その時々の新聞や雑誌の記事、テレビ番組、広告などに描かれたメディア言説を分析の横軸として用いることで、時代とともに変遷してきた日本の客室乗務員のイメージを復元し、その社会的意味を観光社会学の視覚から考察することを試みる」と述べられている。キーワードの一つは「感情労働」であろう。以前、看護師や介護士の仕事を「感情労働」と位置づけした本を読んだことがあるが、客室乗務員の仕事も紛れもなく感情労働だろう。本書でもアメリカの初期の客室乗務員の多くは女性看護師だったことが明らかにされている。スチュワーデスからCA(キャビンアテンダント)への名称の変遷、テレビドラマに取り上げられた客室乗務員(「スチュワーデス物語」(主演は堀ちえみ)、「アテンションプリーズ」(主演は紀比呂子))の分析も鋭いものがある。制服の変遷からその時代の雰囲気を読み取ろうとしているのも見逃せない。

3月某日
家にあってまだ読んでいなかった「イエスの生涯」(遠藤周作 新潮文庫 昭和57年5月)を読む。何日か前の朝日新聞に「ブレイディみかこ」が自分は九州の隠れキリシタンの末裔で、愛読書は「イエスの生涯」としていたからだ。遠藤周作は1923(大正12)年生まれだから私の父母と同じ歳だ。96年に死んでいるから享年73ということになる。解説(井上洋治、この人は神父で遠藤と親交があったらしい)によると、本作は遠藤が50歳のときの作品で、「遠藤氏の心にまかれたキリスト教信仰の種が、成長し円熟し、鮮やかに開花したもの」としている。私の理解では民族宗教のユダヤ教を源とするキリスト教はイエスの死後、ローマ帝国などの幾度かの禁教、弾圧を経ながら世界宗教への道をたどる。遠藤は文字通り「イエスの生涯」をたどりながらローマ帝国の属州だったユダヤに生まれた原始キリスト教団の本質に迫ろうとする。銀30枚でイエスを裏切ったユダだけでなく、イエスの逮捕とともに弟子たちは四散する。しかしイエスの刑死、復活を経て弟子たちは再び集い、イエスの生前の言行をたどりながら現在のキリスト教の教義の原型を形成させていく。
イエスはその生年も没年も明らかではない。母マリヤが処女懐胎してイエスは生まれたとされ、大工の養父ヨゼフのもとで自らも大工の仕事に就く。イエスが仕事と家庭から離れてナザレの預言者ヨハネのもとに身を投じたのは、「30歳から40歳の間ではなかったか」と遠藤は記している。ヨハネ教団で洗礼を受けた後、イエスは独自の活動をするようになり次第にユダヤ教の改革者としてのイメージを民衆に抱かれるようになる。民衆たちは改革者のイメージにユダヤのローマ帝国からの独立という革命者のイメージを重ね合わせたかもしれない。イエスの逮捕から刑死までを遠藤は聖書の「受難物語」として描く。受難物語の最大の特色は無力なイエス、無能なイエスを「前面に大胆にもおし出している点にある」と遠藤は書く。磔刑されたイエスは「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」(エロイ、エロイ、ラマサバクタニ)と叫んだとされる。これは詩編22編の悲しみの訴えだが、遠藤は次のようにイエスの心境を追う。詩編22編に現在のイエスの心を追いながら「我 わが魂をみ手に委ねたてまつる/主よ まことの神よ/汝は我をあがなわれたり」の詩編31編の句に転調していったとする。遠藤は受難物語の無能、無力なイエスにこそ「イエスの教えの本質的なものを感ずるのである」とするが、これは遠藤の代表作「沈黙」とも通ずる考えである。

3月某日
熊野純彦の「マルクス 資本論の哲学」(岩波新書 2018年1月)の「まえがき」で「世界革命はこれまで二度おこっている、一度目は1848年であり、二回目は1968年のことだった」とI・ウォーラーステインの言葉が紹介されている。1968年と言えば私が早稲田大学に入学した年である。確かに68年の5月にフランスで5月革命があり、「革命」の炎は当時の西ドイツ、アメリカ、イタリアなどへ広がった。日本でも前年の1967年10月8日の佐藤栄作首相の訪米阻止闘争が三派全学連を主体に羽田で闘われた。日本の学生反乱の本格的な幕開けであった。同じ10月8日、地球の裏側の南米ボリビアではキューバ革命を指導したチェ・ゲバラが捕らわれ、正式な裁判を受けることもなく翌日、銃殺されている。図書館で借りた「1968年の世界史」(藤原書店編集部編 2009年10月)は「日本国内のみならず世界各地で同時的に発生したこの『68年』の出来事を世界史の中で照射することを企画した書物」(はじめに)ということになる。現在、2020年の新型コロナウイルス騒ぎは、その世界性において1848年と1968年の二度の世界革命にも比すべきものと私は考えるのだが。

3月某日
早稲田大学時代に同級生だった清眞人氏は政経学部を卒業後、文学部の大学院に進んだ。清君は当時、民青系の指導者で私たちのクラスの全共闘系グループとは対立関係にあった。なんだけど私たちのグループで文学部へ学士入学した近藤百合子さんと結婚し、大学院の博士課程を修了した後、近畿大学で哲学を教えていた。確かドイツへも留学した。その清君から「今度、藤原書店から『高橋和巳論-宗教と文学の格闘的な契り 』 という本を上梓した」という手紙をもらった。高橋和巳は私たちの世代に非常に人気のあった作家だった。京都大学で中国文学を専攻、大学院を経て京都大学で中国文学の教鞭をとる傍ら作家活動に入る。京大の前に明大でも教えていたかも知れない。私も高橋和巳は夢中になって読んだ経験があるので、早速、購入することにして送料込み6000円を指定口座に振り込んだ。定価は6200円+税なんだけれど、著者割引ということね。送られてきた本は上製本600ページの大著。私はベッドに寝ころびながら読書をするのが常なのだが、これはちょいときつい。ちなみにキッチンの秤で測ったら809グラムあった。それはそれとして新型コロナウイルスで不要不急の外出は自粛ということなので、早速、読み始めることにした。

3月某日
「高橋和巳論-宗教と文学の格闘的契り」(清眞人 藤原書店 2020年4月)を読む。600ページという厚さは私が今まで読んだ本の中では一巻本としては最大ではなかろうか。分量はさておきこの「高橋和巳論」は内容的にも私には十分満足できるものであった。私は読み終えて「吉本隆明の 『 マチウ書試論」に匹敵するな」と思ったほどである。全体は四つに分かれている。高橋文学の特徴を「宗教と文学の格闘的契り」「文学的人間と政治的人間の対話劇」などをキーワードにして明らかにする「総序」、そして第Ⅰ部「悲の器」としての人間、第Ⅱ部救済と革命、第Ⅲ部女たちの星座、だ。私が最も興味を魅かれたのは第Ⅱ部救済と革命である。第Ⅱ部には「憂鬱なる党派」「わが心は石にあらず」「邪宗門」「堕落」「散華」「日本の悪霊」そして「わが解体以降」、というサブタイトルが付されており、これらの作品について論を展開しているのはもちろんなのだが、私はそこに著者の戦後左翼革命思想の批判的な検討を読み取り、大いに共感するところがあった。私の考えるところレーニンに始まるマルクスの後継者は、特殊ロシアで成功したに過ぎないボルシェビキ・レーニン主義を全世界に適用させようとした誤りを犯した。レーニン主義に抗したのはドイツのローザ・ルクセンブルグ、イタリアのグラムシ、トリアッチ、ユーゴのチトーなどの一部に過ぎない。日本の新左翼各派にしてもレーニン主義(組織運営上はスターリン主義と変わらない)の軛から完全に逃れえた党派があったのだろうか。社青同解放派が綱領的文書(?)の「共産主義の旗を奪還するために」(滝口弘人著)でローザを高く評価したのは覚えているが、しかしその解放派も革共同革マル派との内ゲバを繰り返す過程でレーニン主義的に純化していった。グラムシの日本における後継者たる構造改革派にしても70年代には著しく「軍団化」していたように思う。
「高橋和巳論」に戻ろう。といっても私はここで本文よりも「批判的参照軸集」で著者が取り上げた小嵐九八郎、植垣康博、永田洋子にこだわりたい。小嵐九八郎は作家で、著者は小嵐の「蜂起には至らず―新左翼死人列伝」から小嵐の高橋和巳観や歴史観に批判的な検討を加えていく。激しさを増してきた内ゲバに対して、高橋はそれを克服するための提案を行うが、小嵐は高橋に対する敬愛の念は披瀝しつつ、その提案の非現実性を強調する。これに対して著者は、新左翼諸党派の「旧左翼性」に対する「真摯な苦悩の表明といったものはない」とする。私は「蜂起には至らず」は未読なので何とも言えないが、小嵐の小説(「水漬く魂」「彼方へのわすれもの」「あれは誰を呼ぶ声」など)には十分とは言えないまでも「苦悩」が表明されていると思うのだが。植垣康博の「兵士たちの連合赤軍」「連合赤軍27年目の証言」を踏まえながら著者は、日本の新左翼や全共闘の反乱を分析する。私は当時の学生運動の主体が当たり前ではあるが「学生」だったことに着目する著者の視点に賛成したい。学生は「生活のリアリズム・人間の抱える自己矛盾と弱さについてのリアルな認識・容認」ができない、であるが故に急進的、観念的革命運動に「主体的」に参加していくということだ。「批判的参照軸3」は永田洋子の四著作「16の墓標」「続16の墓標」「私 生きています」「獄中からの手紙」から永田の連合赤軍時代と捕らわれて以降の心理と思想を分析する。著者は永田をある面では評価しつつ批判しているのだが、私が最も共感したのは彼女の(それはもしかしたら50年前の私だったかもしれない)「意識の妄想化」である。1969年段階では火炎瓶とゲバ棒では最早、機動隊に勝利できないことは自明のことであった。そこから当時の赤軍派と京浜安保共闘は武装闘争路線を歩み、ついには連合赤軍事件に至る。武装化路線は今にして思えば「妄想」そのものとか言えない。言えないのだけれどねぇー…。私はこの本を読んで初めて知ったのだが、彼女は新しい革命運動を保証する全体的な組織体制を展望していた。一党独裁からの決別、個性的人格に対する深い配慮とか、まぁブルジョア民主主義では当たり前なのだが、それが日本の左翼にはできてなかったんだよね。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
「あのころ、早稲田で」(中野翠 文春文庫 2020年3月)を読む。中野翠は1965年に早稲田の政経学部に入学しているから、私が入学した68年には4年生だったわけだ。実は私は中野翠さんと麻雀をしたことがある。中野さんは卒業後、父君の勤める読売新聞でアルバイトをした後、主婦の友社に入社した。「給料も悪くなかった」とあるからその頃のことだと思う。本文にも登場し、巻末で対談している呉智英が「美人と麻雀をさせてやる」と誘ってくれたのだ。呉智英は文研で社研の中野さんとは同じ部室で親しかったのだ。そのときの面子は私、呉智英、中野さんと確か中野さんの主婦の友社の同僚だったと思う。呉智英と年上の美女2人と卓を囲んだわけだが、半チャンを2回ほどやって私は少し勝ってしまった。中野さんは負け分と麻雀代を悔しそうに払って去っていった。呉智英は私の出会いは、私が入っていたロシヤ語研究会に呉智英が入部してきたことに始まる。私が1年、呉智英が4年のときだが、それはまた別の話である。
「あのころ、早稲田で」へ戻ると私が入学したときは中野さんが政経学部の4年、呉智英が法学部の4年で、この年代の1年と4年の差は非常に大きかった。今ならば65歳と70歳なんてほとんど変わらないもんね。中野さんは社研だけあってその頃は左翼だった。だったけれど活動家にはなれきれなかった。浦和の自宅から通っていたし、非日常の学園闘争の現場から帰れば日常そのものの家庭があったのだ。この本では随所に中野さんのイラストが配されているが、第1次早大闘争の全共闘議長だった大口昭彦さんや東大全共闘の山本義隆代表、日大全共闘の明田明大議長もイラスト入りで紹介されている。文学部自治会の高島委員長は容貌魁偉な外観から「フランケン高島」と呼ばれていた。後に自殺してしまったが、中野さんは「その繊細さに胸が痛む」とこれもイラスト入りで記している。そうそう私がリクルートで一緒に仕事をした村瀬春樹さんと奥さんの「ゆみこ・むらせ・ながい」さんのことも吉祥寺でライブハウス「ぐゎらん堂」のことも含めて紹介されている。

3月某日
朝、目が覚めると温かいし晴天である。ふと思いついて常磐線で「いわき」に行くことにする。我孫子駅でいわきの2つ先の四ッ倉までの切符を買う。四ツ倉は漁港があり道の駅もあって海産物や野菜を売っているのだ。電車はいわき迄なので、いわきで下車、駅ビルの半田食堂で「肉丼」380円を食べて四ツ倉へ。駅から20分ほど歩いて道の駅へ。地物の野菜を買う。東日本大震災のとき、この道の駅も津波に襲われたが今は立派に再建されている。道の駅から海産物を扱っている大川商店によって「赤魚の煮付け」を買う。帰りの電車で酒のつまみにするつもり。四ツ倉から水戸行きに乗車、いわきで10数分待ち時間があったので日本酒とビールを買う。電車が空いてきたのでビールと日本酒を「赤魚の煮付け」で呑む。車内でつまむには「煮付け」より「焼き魚」か「てんぷら」の方がいいかもしれない。水戸で特急に乗り換え柏で下車、我孫子へ帰る。

3月某日
社保険ティラーレの吉高会長の家で「すき焼き」を呼ばれる。淡路町の交差点まで吉高さんが迎えに来てくれた。交差点から吉高さんのマンションまではすぐで、マンションに着くと社保険ティラーレの佐藤社長と早稲田大学を卒業した3人の若者が来ていた。4月から早稲田の法科大学院に行く人、三重で司法修習を受けている人、三井住友銀行に3年務めた後、4月から松下政経塾へ行く人だ。3人ともしっかりした考え方を持っていて話していて楽しかった。少し遅れて多摩の市会議員の先生も参加して座は一層盛り上がった。美味しい牛肉とビールと酒をたくさんご馳走になった。

3月某日
図書館で借りた「女性のいない民主主義」(前田健太郎 岩波新書 2019年9月)を読む。著者の前田は1980年生まれだから今年40歳、東大文学部卒業後、東大大学院法学政治学研究科博士課程修了、現在は東大大学院法学政治学研究科准教授とあるから新進気鋭の政治学者なんだろう。本書を一言で言い表すとすれば「ジェンダーの観点から論じた日本政治の現状」となろうか。「はじめに」で「日本では、政治家や高級官僚のほとんどが男性が占めており、女性で権力者と呼ばれるような人はほとんどいない」と書かれていて、私も「まぁそうだね」と読み進んだ。しかし著者の前田は「これは、実に不思議なことではないだろうか」と問いかける。そして「民主主義の国では男性と女性が共に政治に携わるはずであろう。ところが、日本では圧倒的に男性の手に圧倒的に政治権力が集中している。……このような国は、他にあまり見かけない。日本の民主主義は、いわば『女性のいない民主主義』なのである」と続ける。
私が「あーそうだったのか」と思ったのが第3章の「『政策』は誰のためのものなのか」だ。そこでは多くの先進国が到達した福祉国家についてジェンダーの視点から強力な批判が加えられたことが明らかにされる。「男性稼ぎ主モデルとしての日本の福祉国家」というタイトルの節では、日本は階級格差の小さな社会を実現したもの著しい男女の不平等が存在するとして、国民年金の第3号被保険者や女性が自らの就労を自発的に制限する「103万円の壁」や「130万円の壁」を挙げている。日本の社会保障政策について100点満点を与えるわけにはいかないにしろ、厳しい財政的な制約の中でそれなりの成果を上げてきたというのがこれまでの私の評価であったが、それはまったくジェンダー的な視点を欠いたものであったことが本書を読んで露呈してしまった。

3月某日
無抵抗の重度心身障害者の19の命を奪った津久井やまゆり事件。犯人の植松聖被告に横浜地裁は死刑判決を言い渡した。報道によると裁判長が閉廷を告げると被告は「すみません、最後に一つだけ」と発言を求めたが裁判長は認めずそのまま閉廷されたという。被告の犯した罪は許せないものであることを前提にして言うのだが、ここは被告の発言を許すべきだったのでは、と私は思う。判決に対してあるいは自分の犯した犯罪に対して、被告がどう思っているのかを話す権利と義務を被告は持っているのではないだろうか。またそれを知る権利を私たち国民は持っているのではないか。判決の後でそれを聞く必要はない、国民は知る必要がないと裁判官は判断したのだろうが、私には納得が行かない。裁判官の裁判を行う権利は立法、行政と同じく国民から負託されたものの筈。国民の知る権利に対してこの裁判官は無自覚ではないかと思うのだ。

3月某日
南桜田公園で大谷さんと待ち合わせ。ほころび始めた桜をちょい見した後、公園近くの「64 barrack st. 」というオーストラリア料理のレストランで食事。15時からのフェアネス法律事務所での打ち合わせには時間があるので郵政福祉琴平ビルの近くの「麺酎房赤まる虎ノ門店」でビールとハイボールを呑む。この店は前に石川はるえさんと昼飲みしたことがある。15時近くなったので私は虎ノ門日土地ビルのフェアネス法律事務所で渡邉弁護士と打ち合わせに、大谷さんは埼玉で会議。渡邉弁護士との打ち合わせは30分で済んだので千代田線の霞が関から大手町へ。17時15分にフィスメックの小出社長を訪ねることになっているが時間があるので銭湯の稲荷湯へ行く。ここは年友企画にいた頃、会社をサボって良く行っていた。稲荷湯を出るとちょうどいい時間になったのでフィスメックへ。近くの割烹に連れて行ってもらう。小出社長にすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
図書館で借りた「AI時代の新・ベーシックインカム論」(井上智洋 光文社新書 2018年4月)を読む。井上は駒澤大学経済学部の准教授でマクロ経済学、貨幣経済理論などが専門。私は2017年8月に井上の「ヘリコプターマネー」(日本経済新聞出版社)を読んでいる。そのときの酒中日記に「井上という経済学者は『国民にとっての経済』を考えている学者ではないか。AIに対する考え方にもそれは現れていると思う」と書いているが、その考えは新著を読んでも変わらなかった。著者はAIを「汎用AI」と「特化型AI」に分ける。現在のAIはすべて「特化型AI」で、一つ、あるいはいくつかの特化されたタスクしかこなすことができない。「アルファ碁」もそうだ。アルファ碁は囲碁についてはプロ棋士を任すほどの実力を持っているが、人間と話せるわけではないし自動運転をできるわけではない。人間は「汎用的な知性」を持っており、一人の人間が囲碁を打ったり、車を運転したり、事務作業をしたりする。著者は「分かりやすくいうと、汎用AIがロボットに組み込まれたら、鉄腕アトムやドラえもんのようになる」と説明する。なるほどね、人間の何倍もの能力を備えているわけだ。人間と同等の能力でも凄い話である。仮に鉄腕アトムやドラえもんが人間に代わって働くようになるとどうなるか。CMH以外の仕事はAIに代替されると著者は主張する。C、クリエイティブティ系(創造性)、M、マネジメント系(経営・管理)、H、ホスピタリティ系(もてなし)である。これで全人口の1割弱を占めるという。著者の考えは「AIが高度に発達した未来には、放っておくと失業と格差は著しく深刻になるので、再分配政策としてのBIが必要不可欠」となる。著者の考えは実はもっと深い。それは第5章の「政治経済思想とベーシックインカム」で展開されているが、それはまた別の機会に論じてみたい。

3月某日
図書館で何気なく手に取った「思い出コロッケ」(諸田玲子 新潮社 2010年6月)を読む。諸田玲子は時代小説作家としてはもはやベテランの部類に入るが、これは現代小説の短編集である。短編は「コロッケ」「黒豆」「パエリア」など料理にちなんだものが7編。「コロッケ」を読んで「何か文体も構成も向田邦子に似てるなぁ」と感じた。「あとがき」を読むと私の感想が極めて正統というか当たり前であることが分かる。2006年の小説新潮8月号で向田邦子没後25周年特集があり、諸田は担当から「トリビュート小説を書いてみませんか?」と声を掛けられた。「恥ずかしながらトリビュートと言われてもとっさにはわからなくて……そうか向田作品もどき(邦子さんはこの言葉、お好きでしたね)を書くのだと思いついたときは、少しパニックになりました」と諸田は正直に書く。あとがきにはまた「小説の舞台は邦子さんの没年の1981年前後。いずれもみな、私の身近で起こった話がヒントになっています」と述べられている。なるほど、だから離れに住む歳の離れた姉弟が実は過激派の夫婦だったり(黒豆)、女子大生と半同棲しているロッカーが、ジョン・レノンの暗殺を機会に水戸の和菓子屋を継ぐことを決断し、別れを覚悟する彼女に「冬休み、水戸へ来ないか」と囁いたりする(シチュー)のだ。向田とその時代に対するオマージュとして読んだ。

3月某日
図書館で借りた桐野夏生の「優しいおとな」(中公文庫 2013年8月)を読む。桐野の作品はだいたい読んできたつもりだが本作ははじめて。2009年2月から12月にかけて「読売新聞」の土曜朝刊に連載されたものを2010年9月に中央公論新社から単行本として刊行されたもの。近未来と思われる東京、渋谷が舞台。福祉システムが崩壊しホームレスが街にあふれている。この10月で15歳になるイオンもそうしたホームレスのひとりだ。物語はイオンが記憶のなかの兄弟、鉄と銅を探して東京の地下で集団で破壊と略奪を繰り返す「夜光部隊」と出会い、東京の地下を彷徨う様子が描かれる。冒険の中でイオンは成長していく。イオンを気遣う「ストリートチルドレンを助ける会」のモガミによってイオンの誕生と生育の秘密が明らかにされる。イオンは30人近いおとなと子供が共同生活するハウス「照葉」で生まれた。「照葉」は複数の親子、あるいは他人が一緒に暮らして、完全に共同で保育に当たると子供はどうなるかという実験を行っていたのだ。巻末の資料からすると桐野はヤマギシ会からヒントを得たようだが、私は「照葉」には過剰な共同性や個人に優越する共同性を感じてしまう。その意味ではむしろ連合赤軍やオウム真理教を連想してしまうのだ。「夜光部隊」の指導者は「大佐」と呼ばれているが、これはフランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」でマーロンブランドが演じたカーツ大佐を連想させる。

3月某日
西村賢太の「苦役列車」(新潮社 2011年1月)を読む。本書には芥川賞を受賞した同名の短編ともう一編「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」が収録されている。苦役列車は「新潮」の2012年12月号、もう一編は11月号に掲載されている。両方ともに北町貫太ものだが、苦役列車は貫太が18、19歳の頃、平和島でアルバイトをしていた頃の、「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」は著者の執筆時とほぼ同じ頃の40代の貫太を描いている。苦役列車は20歳前後の学歴もなく(貫太は中卒)、金もなく、女にも相手にされず、おまけに実父が強制猥褻で刑務所に収監されているという貫太の青春が描かれる。まぁどうしようもない青春ではありますが。しかし、私は有名校から現役で東大に入学した人だって、「どうしようもない青春」の一断面を抱えていると思う。そこに西村賢太の私小説が支持される理由の一つがあるのではないか。「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」は何とか作家の端くれとなった貫太のぎっくり腰に悩まされながらも、川端康成賞の最終選考に残った日常が描かれる。「銓衡会の当日、八割方回復した腰の状態で端座した貫太は、(池袋の古書店で入手した)川端の「みずうみ」と携帯電話を前にして、その着信を待った。が、夜半に至っても田端(編集者)からの連絡はやってこなかった」と、小説は終わる。切ないけれどもそれが西村の良さである。

3月某日
新型コロナウイルスの影響で不要不急の外出は避けるように言われている。年金生活者の私は存在自体が不要不急であり、この2週間ほど机を置かせてもらっているHCM社への出勤も控えている。本日は久しぶりに神田近辺をうろつくことにする。先ずは鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ寄ってランチ。顔馴染みの大谷君に「生姜焼き定食」を頼む。ランチの客はそこそこ入っていたが、「夜はさっぱりですよぉー」と大谷君がこぼす。食後のアイスコーヒーをサービスしてくれる。鎌倉河岸ビルの裏の「社保険ティラーレ」を訪問、吉高会長、佐藤社長と雑談。今週の日曜日に吉高さんのマンションで予定されている食事会は予定通り開催するそうだ。何しろ主体が感染しても治癒能力が高い20代だから、リスクの高いのは「ワシと森田さんだけだよ」と吉高さん。帰りに上野駅構内の書店に寄って「あのころ、早稲田で」(中野翠 文春文庫 2020年3月)を買う。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
町田康の「しらふで生きる」(幻冬舎 2019年11月)を上野駅構内の書店「BOOK EXPRESS」で購入。この店は品揃えもまぁまぁだし、何より駅構内という利便性に魅かれてちょいちょい利用する。といっても私に読む本の90%以上は図書館で借りたものだから、あまり大きな顔はできないが。町田康は割と好きな作家で作品も結構読んでいると思ったが、今まで読んだのは「パンク侍、斬られて候」と「ギケイキ 千年の流転」、「ギケイキ2 奈落への飛翔」であった。しかし「ギケイキ」は中世に創作された義経記を底本にしつつ時空を突き抜ける怪作であった。私は「ギケイキ」を読んだ後に図書館で日本古典文学全集の義経記を借りて調べたのだが、確かに底本にしていた。ということは古文を解読した上に、奔放なイメージでそれを膨らますという途轍もない才能に町田は恵まれていると言わざるを得ない。しかも私は私立では最難関とされている早稲田の政経学部の入試を突破し、ほぼ授業に出ることなく卒業したという輝かしい学歴を誇っているのだが、町田の経歴には大阪府立今宮高校在学中にロックバンドを結成しデビューしたとある。つまり町田の最終学歴は高卒である。私の気に入っている作家に西村賢太という人がいるが、この人に至っては中学校が最終学歴である。何が言いたいかというと「人間は学歴ではない」という当たり前のことである。学歴と才能はほぼ関係ないのである。「ほぼ」を付したのは、理系に限らず学問的才能は学歴に左右されることが多いと思うためだが、植物学者の牧野富太郎、言語学者の三浦つとむなどは大学へ行っていない。話を「しらふで生きる」に戻す。町田は30年間、1日も休むことなく酒を呑み続けていた。その町田が平成27年12月末日に酒を辞めようと思ってしまう。なぜそう思うに至ったかについても町田は書いているが、どうも私には判然としない。が、町田によれば、歴然と禁酒による利得があるという。それを記すと①ダイエット効果②睡眠の質の向上③経済的な利得、であるが町田はそれに加えて④脳髄のええ感じによる仕事の捗り、を挙げている。町田が酒を辞めようと思ったのは平成27年12月末日、実際に禁酒活動をスタートさせたのは平成28年、すなわち2016年の正月である。「ギケイキ千年の流転」の初版が2016年5月だから、「脳髄のええ感じによる仕事の捗り」が「ギケイキ」を生んだと言えなくもないのである。まぁ私は酒を辞めようとは思いませんが、今のところは。

3月某日
図書館で借りた「おいしいものと恋のはなし」(田辺聖子 文春文庫 2018年6月)を読む。「おいしい料理」と「恋」は表裏一体という観点から田辺の短編から9編を再編集したもので、単行本は2015年に世界文化社から出版されている。田辺ファンの私は9編すべてを読んでいる。田辺の小説だけではないが、同じ本を再読、三読して「あぁ、そういうことか」と思うことがある。この短編集では「ちさという女」がそれだ。27歳の私の同僚の32歳の秋本ちさは私のかの名物女で最古参である。洋裁店や喫茶店を人にやらせ、アパートを経営したりで、親の資産を引き継ぎ働かないでも食べていける身分である。ちさはしかし、会社を辞めることなく、ちまちまと小金をため続ける。同じ会社にいる私の恋人、工藤静夫のことを「工藤サンは、秋本さんが好きやって。尊敬するっていってたわよ」と告げる。1週間ほどたって静夫の誕生日にちさから静夫にバースデイケーキが贈られる。私のちょっといたずらにいった言葉にちさは心を動かしたのだ。この短編は次のように結ばれる。「静夫と結婚して、三歳の男の子がある今になっても、私は、ちさのバースデイケーキを思い出すと胸いたむ。ちさにしみじみした思いを持つようになった」。今回はこれですね。

3月某日
久しぶりに机を置かせてもらっているHCM社に顔を出す。弁当を食べた後、神田の社保険ティラーレで次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせに参加する。「新型コロナウイルス騒動が納まるまで講師や日程の確定はできない」ことで一致。神田から虎ノ門の全国年金住宅融資法人協会(全住協)へ。ここの監事をやっているが新型コロナウイルスの影響で理事会が延期となり、持ち回りで議事録に署名するためだ。釜澤常務から説明を聞いて議事録に署名捺印する。虎ノ門から銀座線で新橋へ。ちょうど上野東京ラインの土浦行きが来たので乗車する。まだ15時台だったので車内もすいていた。

3月某日
図書館で借りた「西村賢太対話集」(新潮社 2012年)を読む。西村賢太は非常に正直で、自分を飾ることの少ない人だと思う。まぁそうでなければ私小説作家などやってられないだろうが。町田康との対談で西村が文芸誌の編集者から、原稿を書く前に「要らない」と言われた経験を話し、町田がそんな編集者は「殴っていい」と応じる。西村は我が意を得たりという感じで「殴っていいですよね。天にツバ吐くのを承知で言えば、それがまかり通るのが今のへなちょこサラリーマン、サラリーウーマンがやっている文芸誌なんですよ。やつら、よその世界じゃ通用しない特権意識と単純な好悪勘定だけですからね。まったく、サル並みですよ」とぶちまける。普通ここまで言わないでしょ、思っていても。芥川賞を西村と同時受賞した朝吹真理子との対談では芥川賞の賞金(100万円)の使い道を聞かれ「いやいや、100万円なんて目じゃなくなっちゃったんです。だって、その後の印税のほうが(笑)。幸い、ちょこちょこと出ていた本の方も、軒並み何回も重版がかかって、一気に3000万円くらい、ポンと通帳に入ったんですよ」と明かす。そして朝吹の「電子書籍も紙の本も共倒れするだけって感じがしますが」という発言に対して「おおっ、そうですね。そう共倒れ! それじゃあダメなんです。きっとそれぞれによさってものがあるんでしょうからね。よしっ、今日はみんなで共に倒れるまで、飲みにいくことにしましょうか!」と応じる。これに対して朝吹が「エッ?……ハ、ハイ」と答えたところで対談は終わる。西村は中卒で実父は性犯罪で実刑を受けている。対して朝吹は慶應大学前期博士課程修了で父は高名な詩人だし血族には文学者や政治家を輩出している。まぁバックグラウンドは対照的な二人だが互いにリスペクトしているのが感じられる。加えて言うと朝吹は美人の範疇、外見も対照的な二人である。

3月某日
コロナウイルス対策で「不要不急」の場合は外出を控えるようにとのお触れが出ているらしい。私は現在まさに「不要不急の人」であるから、外出を控えることにして、家にある田辺聖子の文庫本を読むことにする。以前読んだ「朝ごはんぬき?」(新潮文庫 昭和54年12月)を読むことにする。単行本は昭和51(1976)年に実業之日本社から刊行されているから半世紀近く前の作品である。主人公はハイミス(30過ぎの独身女性のことを当時はこう呼んだ)の明田マリ子。OLのときに失恋して今は大阪在住の人気女流作家、秋本えりか先生の家でお手伝い兼秘書兼イヌの散歩係をしている。月末の締め切り時の担当編集者とのドタバタを交えながら物語は進んでいく。田辺の作品の多くは基本は、ユーモアに包ませながら人生の真実を描いている。えりかの夫は既製服卸問屋の専務、ひとり娘は中学生という家族構成である。この家の家族の関係を田辺は「しかし、この家では朝食はほとんどない、といってよい」と表現する。えりか先生はミルクと半熟卵、夫の土井氏はコーヒーと半熟卵、娘のさゆりちゃんは何も食べずに登校する。つまりバラバラで希薄な家族関係が朝食を通して表される。しかし土井氏が救急車で病院に運ばれた(実は食べ過ぎだった)ときに家族は再結集する。マリ子も別れた恋人からのプロポーズを受けようと決意する。メデタシ、メデタシである。田辺聖子の場合はこれで読者も満足するのである。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
図書館で借りた「無敗の男-中村喜四郎全告白」(常井健一 文藝春秋 2019年12月)を読む。「無敗」の意味は中村が昭和54年の第34回総選挙で衆議院議員に当選して以来、栃木県黒羽刑務所に収賄罪で収監されていた第43回総選挙を除き、平成29年の第48回総選挙まで一度も落選したことがないことを示している。中村は平成6年にゼネコン汚職で逮捕されるまで政治家として2度の入閣を果たすなど、恵まれた経歴を誇っていた。それは若くして経世会(田中派)で頭角をあらわした中村の政治センスに依るが、それを支えたのは地元をオートバイで行脚し、ときには5000人規模の個人演説会を満席にするという日常の政治活動であることが本書によって明らかにされる。中村は逮捕後は自民党を離れ無所属となっているが、それでも選挙では圧倒的な強さを発揮する。選挙は選挙民の政治的な選択だが、中村の選挙は少し違うように思う。多くの中村支持者は立候補者の中から中村を選んでいるのではない。選挙の前から、10年も20年も30年も前から、投票用紙には中村と書くことに決めているのだ。中村は現在、自民党の一党支配を覆すために共産党を含めた野党の連携に邁進している。1949年生まれだから私より1歳下だが、この政治家の動きに期待したい。

2月某日
「未練-女刑事音道貴子」(乃南アサ 新潮文庫 平成17年2月)を読む。単行本が刊行されたのが平成13(2001)年だから20年前の作品。6編の短編が納められているが、「立川古物商殺人事件」では被害者の49歳の古物商が元学生運動家と設定されているのも時代を感じさせる。「学生運動家」なんて今では死語だよね。それはともかく私は「聖夜まで」を切なく読んだ。音道貴子の先輩の警察官、添田知世を巡ってストーリーは展開する。知世の娘が通っている保育園で幼女が砂場に埋められて殺害される。犯人は知世の小学生の息子なのだが、それで終わらないのが乃南アサの凄いところ。知世は実の子どもたちに虐待を繰り返していた。知世を訪ね知世を問い詰める音道。虐待を否定し続けていた知世も「どこで-失敗しちゃったのかなぁ」と認めはじめる。「ちょっと、頭が痛くなってきちゃった」と2階に休みに上がる知世。入れ違いに帰宅した知世の警察官の夫に対して、夫の家庭への無関心が事件を呼んだのではないかと指摘する。「知世」と叫んで2階に駆け上がる夫、夫が見たのは首吊りを図った妻の姿だった。野田で小学生の少女が虐待死したのは去年だったか。この事件を予見したような作品だが「切ない」ね。

2月某日
午前中、厚生労働省の受付で年友企画の酒井佳代さんと待ち合わせ、老健局振興課を介護職へのハラスメント対策を取材。三森さんという係長が取材に応じてくれた。厚労省も事業所への広報を推進する一方、相談窓口の設置など力を入れるとのことだった。取材後、年友企画に行ったら総務の石津さんから立て替えていた出張費が渡される。この出張費で「飲みに行こう」と誘ったら「いいよ」との返事。夜、神田駅の北口で待ち合わせ。酒井さんと石津さんの3人で東口の「BISTRO TARUYA」へ。石津さんはビール、私は白ワイン、酒井さんはウーロン茶で乾杯。コロッケやムール貝、牛肉の赤ワイン煮などを楽しむ。

2月某日
元厚生労働省の江利川さん、川邉さんを囲む会を神田の上海台所で開く。もともとこの会は厚生省の年金局資金課長だった江利川さん、川邉さんと当時の課長補佐、足利さんと岩野さん、当時の年金住宅福祉協会の企画部長だった竹下さん、それと私というメンバーで始まった。それに川邉さんの次の資金課長の吉武さんや医系技官の亀井さん、厚生省から衆議院法制局に出向していた茅野さん、それからSCNの高本さんなどが加わった。本日は足利さん、岩野さん、亀井さん、茅野さんが欠席。社会保険旬報の手塚さんも所用で欠席ということだったが、挨拶だけということで顔を出してくれた。本日は年友企画の酒井さん、滋慶学園の大谷さん、SCNの高本さん、社保険ティラーレの佐藤さんの7人の出席となった。飲み放題付で一人3000円はお得。

2月某日
図書館で借りた「5年目の魔女」(乃南アサ 新潮文庫 平成17年7月)を読む。物語は会社を辞めた景子が会社を辞めた解放感いっぱいに目覚めるシーンから始まる。しかし景子の解放感もかかってきた電話によってもろくもしぼんでしまう。電話はかつての同僚、貴世美からのものだった。景子が会社を辞めた理由は貴世美にある。それにも関わらず貴世美は自身の病気のことや、母親の不在を訴えてくる。「二度と電話してこないで」と恵子は電話を切る。5年後、恵子はインテリアデザイナーになっている。同僚の飯田と一緒に日本橋の老舗の若社長の自宅の建て替えの打ち合わせに向かう。若社長の後妻に収まっていたのは貴世美だった。この時点では魔女は完全に貴世美の方である。しかし最後に大どんでん返しが用意されている。うーん、乃南アサ恐るべしである。