モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
新型コロナウイルスが日本経済も直撃している。昨日の新聞には「工作機械の受注激減」などの記事が載っていた。「設備投資の先行指標とされる工作機械の受注は、米中貿易摩擦で落ち込んでいた昨年を上回る勢いで悪化しており、予断を許さない状況だ」「日本工作機械工業会が9日発表した3月の工作機械総額(速報値)は773億円で、前年同月より40.8%減った。中でも43.8%減った海外は、3月としてはリーマン・ショック後の2009年以来の低水準に落ち込んだ」(朝日新聞4月11日朝刊の経済面)。さらに「イオン営業利益、最大76%減予想」「Jフロントは純利益76%減」という見出しも並ぶ。新型コロナウイルスはいつ治まるとも見えない。新型コロナ不況は確実だが新型コロナ恐慌まで進む可能性も十分ある。

4月某日
我孫子市民図書館も閉館中。書店に行くのも自粛。ということで家にある本でまだ読んでいない本を読むことにする。最初に手に取ったのが「昭和恐慌―日本ファシズム前夜」(長幸男 岩波現代文庫 2001年7月)。定価は1100円+税だが700円の値札が付いているところを見ると古書店で買ったらしい。本書の成り立ちを「あとがき」から類推すると、最初は1973年に岩波新書として登場、1994年に同時代ライブラリーに納められている。さらに岩波新書のもとになったのは1968年の岩波市民講座で著者が高橋是清について講演したことに遡る。本書は「昭和危機の心情-テロリスト小沼の内面-」と言うタイトルの第1章から始まる。1932年2月、大蔵大臣として金解禁を断行した井上準之助が血盟団の小沼正によって暗殺されるシーンが冒頭である。金解禁を引きがねに日本は昭和恐慌という未曾有の経済危機に陥り、それが結果的に日本ファシズムを招き寄せたことを暗示させる冒頭シーンと言える。岩波新書の初版が刊行された1973年の2年前、1971年に米国のニクソン大統領が金とドルとの交換停止を発表した(ニクソンショック)。ニクソンショックによって円ドルの交換比率は変動相場制に移行し、円は切り上げられた。新型コロナウイルスはアメリカでも猛威を奮い現在は1ドル110円前後で推移している。医療崩壊が叫ばれているが医療崩壊の次は経済崩壊、経済恐慌である。

4月某日
家にあった「夕ごはんたべた?」(田辺聖子 新潮文庫 昭和54(1979)年)を読む。文庫本の最後に「この作品は昭和50年9月新潮社より刊行された」とある。物語の舞台は尼崎の下町で「皮膚科・内科」の看板を掲げる吉水医院である。院長の吉水三太郎は鹿児島の医学部を卒業後、神戸の病院で勤務医をした後、妻の玉子と結婚して開業した。子どもは長女に男の子2人。田辺は実生活でも妻を亡くした医師、川野純夫と結婚し川野の4人の子どもを育て上げた。小説の一部は田辺の当時の暮らしがモデルとなっているに違いない。1960年代末から70年代に掛けて全国の大学を学園闘争の嵐が吹き荒れたが、それから少し遅れて高校でもバリケードストライキが闘われた。三太郎と玉子の2人の息子も高校生闘争に参加、学園に止まらず成田や羽田の街頭闘争にも参加し、三太郎と玉子は一再ならず警察や鑑別所に息子を引き取りに行く。私事ですが私は男3人兄弟で、私が大学2年の夏に逮捕起訴され、同年秋の佐藤首相の訪米阻止闘争で当時大学5年の兄が逮捕起訴された。翌年には高校生だった弟が逮捕され、弟は起訴されなかったが高校のPTA会長だった父は辞任する。私は本書を読んで今さらながらに「親父とお袋に申し訳ないことをした」という想いに駆られた。釈放された私に父も母も何も言わなかった。父はさすがに憮然としていたけれど。私は学生運動や革命運動の当事者を主人公とした小説や手記、ドキュメントは何冊か読んできたが、親の立場から描いた小説を読んだのは初めてだと思う。70歳を過ぎて親の気持ちに想いを致すというのも不思議な感じではあるけれど。
 本書の最後当たりに連合赤軍事件に対する三太郎の想いが描かれている。三太郎は自身が医者であるが「医者の故なき権威主義をぶっこわす意味で、学園紛争が医学部に端を発したことを、けっこうなことだと思っていた」のだ。しかし「それら若者の情熱はいくらでもエスカレートしていった。大衆の支持をと共感を離れて突っ走ってしまった」。三太郎は「赤軍派一派のごとき、無謀で独善的な過激理論を是認できない」が、連合赤軍の一連の事件に対して「人の親として涙せずにはいられない」のだ。三太郎は「阿保な奴らやなあ、永田洋子らは。首くくって死んでしもた森恒夫は」という。「この『阿保』はむろん、罵声ではない。……いたましさのあまりの『阿保』である」とも述べられている。これは永田や森だけでなく連合赤軍事件で死んでいった人々に対する田辺からのレクイエムでもあると思う。

4月某日
今日(4月15日)の朝日新聞一面のトップ記事は「世界恐慌以来最悪の不況」「成長率異例のマイナス予測」という活字が躍っていた。リードは「国際通貨基金(IMF)は14日発表した最新の世界経済見通しで、2020年の世界全体の成長率を前年比3.0%減として、1月の予測(3.3%増)から大幅に引き下げた。新型コロナウイルスの感染拡大で、世界経済は1920~30年代の大恐慌以来最悪の同時不況に直面している」と報じている。本文では各国の経済対策として「先進国では未曾有の政策対応がとられた。世界で計8兆ドル(約870兆円)という巨額の財政出動が決まり、各国とも中央銀行の金融政策と一体化する形で市場に大量の資金を流し込んでいる」としている。日本は巨額の財政赤字を抱えているが、それでもここは赤字国債を増発し、日銀券(1万円札)を印刷しまくるより手はなかろう。コロナデフレを脱出するにはインフレ政策しかないように思うのだが。

4月某日
「恐慌現象が資本主義社会に特有なる必然的なものであるということは、今ではほとんどあらゆる人々が認めていることといってよいであろう」。これは宇野弘蔵の「恐慌論」の「はしがき」の冒頭に記されているものだ。確かに19世紀から20世紀初頭にかけては数年から10年のサイクルで好況-恐慌―不況のサイクルで世界経済は循環してきた。しかし1929年10月のニューヨーク株式市場の株価暴落に端を発した世界大恐慌に対して、当時のフーバー大統領はニューディール政策と称する大胆な公共事業を推し進めて経済を回復させた。一方、日本とドイツ、イタリアの枢軸国は第2次世界大戦を引き起こし、戦時経済により見かけ上は不況を回避した。第2次世界大戦後は世界は何度も不況は経験したものの深刻な恐慌は逃れることができた。新型コロナウイルスの感染拡大に端を発する今回の不況はどうであろうか。私の貧しい経済学の知識からすると恐慌は、好況時の過剰生産から商品価格の下落を招くことに始まる。今回の新型コロナ不況は過剰生産というよりも需要不足による価格の下落である。国民一人当たり10万円の給付では現在の需要不足を補うことは難しいと思われる。アベノミクスは年間2%の物価上昇を当初公約していたが、物価の下落と深刻なデフレが安倍政権の幕を閉じさせることになるだろうか。