モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
松浦玲の「勝海舟」(筑摩書房)を読了。結局、読み終わるまで1週間ほどかかってしまった。本文のみで700ページを超え、(注)と(参考文献)を加えれば900ページという大著ということもあるが、海舟の日記や書簡を原文のまま引用することが多く、その解読に手間取ったこともある。松浦玲は昭和6年生まれだから古文や漢文は基礎的な教養は小学校、中学校で身につけたうえに、京大は放校処分されたが立命館大学大学院修了後、京都市史料編輯主幹を務めている。幕末や明治時代の文章を原文で読むことなど容易なことだと思われる。私はというと引用された原文の意味もよく分からなかったが、さすがに地の文は理解できた。そのうえで言うと幕末、明治の日本を生きた勝海舟という「傑物」の生涯を残された資料から等身大に描き切ったと言える。本書を読んで私は勝の生涯は5期に分けることができると思った。第1期は誕生(1823年)から剣術修業、蘭学修業を経て幕府に海防に関する建言書を提出、蕃書翻訳勤務を命じられる(1855年)まで。第2期は長崎伝習を命じられてから咸臨丸艦長として太平洋を往復する(1860年)まで、幕府海軍の草創期である。第3期は1867年の大政奉還、王政復古のクーデターまで。幕臣として兵制改革に尽力する一方で第2次長州征伐の後片付けに奔走する。第4期は江戸城明け渡し(1868年)から明治維新政府に協力し参議海軍卿に就任し、辞任する(1874年)まで。第5期は海軍卿を辞任して以降、死ぬまで。元老院議員としての肩書は残るがもっぱら政界、官界の指南役として明治の社会で重きをなす。
私はこの本を読んで初めて知ったが、海舟は経済的に困窮する旧幕臣に対して経済的な援助を行っていた。資金は海舟の懐から出たこともあるし、徳川家から出たこともある。援助は旧幕臣に止まらず、明治維新で没落した士族にも及んでいたらしい。もうひとつは海舟の長男、小鹿はアメリカの海軍兵学校を卒業後、明治海軍の士官となるが健康に優れず40歳で病死する。小鹿の長女と結婚させたのが徳川慶喜の10男、精である。慶喜と海舟はときに対立することもあったが、海舟は終生、徳川家の恩顧を忘れることはなかった。海舟は日清戦争に反対していたことも初めて知った。これは後の幸徳修水や内村鑑三の非戦論や反戦論とは少し違うと思う。海舟は清国はもとより韓国も独立国として見ており、文化的にはむしろ尊敬していたと思われる。日清戦争で得た遼東半島を独仏露の三国干渉によって日本は清に返還するのだが、海舟は返還するのが筋という立場である。明治政府の主流は薩摩、長州を主流とする藩閥政府なのだが、海舟は薩摩贔屓である。西郷隆盛と親しかったことが大きかったと思えるが、長州流の合理主義とは肌が合わなかったのではないか。海舟と言えば福沢諭吉の「瘦我慢の説」を外すことはできない。福沢は「戊辰戦争のとき徳川は徹底的に抗戦し、最後は城を枕に討死すべきだった」と言うのである。海舟は「行蔵は我ニ存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せず存候」と突っぱねたという。「私の行動は自らの信念によるもの、けなしたりほめたりは他人の主張、私は知らぬこと」という意味か。これは海舟に軍配が上がったと私は見る。

5月某日
林真理子の「我らがパラダイス」(集英社文庫 2020年3月)を読む。我孫子市民図書館が6月まで休みなので家にあってまだ読んでいない本を読んできたのだが、小説を読みたくなって我孫子駅北口のイトーヨーカドーの3階にある書店に行く。林真理子の文庫本の新刊があったので買ったのだ。私の読んだ林真理子の小説はどれも面白かった。秘かに田辺聖子先生の後継者と私は考えているのですが。まぁたんに私が考えているだけですが。この小説の初出は2016年に毎日新聞に連載され、単行本は2017年3月に毎日新聞社から刊行されている。日本で最高級レベルとされる有料老人ホームを舞台に、受付職員の細川邦子、看護師の田代朝子、食堂のウェイトレスの丹羽さつきの人生が交差する。3人とも高齢の親を抱えどこかの施設へ入居させたいと思っているが、自分の勤めるホームは入居一時金が8600万円と高嶺の花なのだ。文庫本の帯に「国民の大問題、『介護』と『格差』に切り込む長編小説」とあったが、このことである。受付職員と看護師はホームの管理者や職員の眼を欺いて自分の親をこの有料老人ホームに入居させることに成功し、丹羽さつきは入居者のダンディな元編集者と結婚する。管理者は庶民=さつきが有産階級の入居者と結婚することが認められない。結構を認めることはさつきが有産階級となることを認めることだからだ。結局、庶民の3人は「蜂起」し、一部の入居者も同調し上層階に立て籠る。入居者で元学生運動家も登場し、彼の指導でバリケードを構築し火炎瓶も製造、投擲する。解説の上野千鶴子は「入居者の元活動家は自分が差別者の側にいることを自覚しないのだろうか」と疑問を投げかけるのだが。

5月某日
近所の喫茶店「NORTH LAKE」には古本も置いている。高橋和巳の本が3冊あったので買うことにする。3冊で150円!。「堕落」(河出書房新社 1969年2月)から読み始める。孤児院の園長、青木隆造が主人公で、青木は満州国建国の理想に破れた引揚者の設定。青木が新聞社から表彰されるシーンが冒頭である。孤児を救うという理想に燃えている青木は、しかし秘書の水谷を犯し公金を横領する。そして金を奪おうとした青年を持っていた傘で刺す。高橋和巳の小説は「救い」のないのが特徴、初版の出た1969年は私が学生運動で逮捕起訴された年でもある。その頃、私たちに圧倒的に支持されていた小説家が高橋だ。「自己否定」という熱に浮かされていた私の眼に、高橋も同じ熱に浮かされていると映ったのかもしれない。

5月某日
1週間ぶりで電車に乗って東京へ。鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ寄ってランチ。お店の大谷君に聞くと夜も営業を再開したそうだ。「7時ラストオーダー、8時終了ですけどね」。児谷ビル3階の社保研ティラーレで次回の「社会保障フォーラム」の打ち合わせを佐藤社長、吉高会長、社会保険研究所の水野氏らと。帰りに上野駅の本屋「BOOK EXPRESS」で月刊文藝春秋とPHP新書の「満洲事変」を購入する。文藝春秋は新型コロナウイルスの特集を読みたかったためだが、中央省庁の人事の噂を掲載している「霞が関コンフィデンシャル」をのぞくと、鈴木俊彦事務次官(58年)の後任レースは吉田学医政局長(59年)がトップで、次官と同期の樽見英樹新型コロナウイルス感染症対策推進室長も見逃せないとしていた。まぁ人事は所詮「ひとごと」ですから。