モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
6月22日の朝日新聞朝刊に「在日米軍と国内法」という解説記事が載っていた。在日米軍への国内法の適用は国際法によって制限される、というのが半世紀近く続く日本政府の見解。しかし、その一般国際法とは具体的に何かと問われても日本政府は、説明を避けてきた。この解説を執筆した藤田直央という記者が、一般国際法に言及してきた根拠について、情報公開法で文書開示を求めたところ、外務省は「探索したが確認できなかった」と回答。米国は、駐留外国軍に関する国際法はなく個別の地位協定で権利確保の姿勢という。「嘉手納爆音訴訟」ではこうした国際法の有無が問われていて、解説は「最高裁が原告の上告を受け入れて実質審理に入るかどうかが注目される」と結んでいる。民主主義は権力者の高度な情報公開が原則と思われるが、わが国の現状はそうでもなさそうだ。
年友企画の迫田さんと神田のベルギー料理店でランチ。2月と3月に迫田さんの仕事を手伝ったギャラが先日振り込まれたため、お礼の意味でのご馳走である。その足で社保研ティラーレの佐藤社長と吉高会長に面談。新型コロナウイルスの影響で次回の社会保障フォーラムの厚労省の講師が決まらないための相談。吉高会長が「江利川さんに頼んだらどうやろう」というので医療科学研究所に電話、江利川毅理事長は出勤してきているということなので赤坂の事務所へ佐藤社長と向かう。江利川さんは快諾してくれたので一安心である。

6月某日
「行政学講義-日本官僚制を解剖する」(金井利之 ちくま新書 2018年2月)を読む。著者の金井は1967年生まれ、東大法学部卒、同助手、都立大法学部助教授を経て、現在、東大大学院法学政治学研究科教授と略歴にある。東大法学部を卒業して学者の道を希望する人の中でも、優秀な人は大学院に進学せずに学部の助手に採用されるという噂があるが、金井はまさにそれに当てはまる。政治学者の御厨貴や確か丸山眞男を同じ道をたどっているから意外と真実かも知れない。それはともかく私は厚生行政を外から30年以上にわたって眺めてきているので金井の分析や主張には「なるほど」と思わせるものが多かった。日米関係をどうとらえるかは、戦後の政治史の要となるものと思われるが、それに対する金井の見解は次のようなものである。サンフランシスコ講和条約の本質は、支配された「被占領地(植民地・自治領土)」の日本側「自治」政府にできたことは、「本国」=米国側の了解の範囲内で、独立または高度な自治を獲得することだった。「本国」にとっては日本支配の最大かつ究極の価値は、「自治領土」日本内に軍事基地を置き自由に使用することだ。こうしてサンフランシスコ講和条約と同時に、日米安保条約が締結された。なるほどねー、戦後の自民党政権は吉田茂から現在の安倍晋三に至るまで、基本的には対米従属路線を歩んできた背景がよく分かる。
もうひとつは権力と行政の関係である。最近、黒川東京高検検事長の定年延長問題や河井前法相と妻の参議院議員の逮捕によって権力と検察の関係に注目が集まっている。本書はこれらの事件の2年も前に刊行されているにも関わらず、権力と検察の関係の問題点を正確に指摘している。戦後日本の政治・検察関係を決定づけたのは1954年の「指揮権発動」である、と金井は指摘する。これは造船疑獄の捜査で東京地検特捜部は与党自由党幹事長の佐藤栄作を逮捕する方針を決定したが、犬養健法相が指揮権を発動し逮捕中止を検事総長に指示した事件である。金井は「この事件を契機に、政治は指揮権発動をしない、検察は指揮権発動させるほどの強引な捜査をしない、という微妙な間合いを忖度し合う関係に」なったとする。金井はまた「政治指導は政治の暴走とも紙一重」とも書いている。政治指導=政治主導によって黒川検事長の定年を延長しようとした安倍政権に通じるものがあるのではないか。ちなみに造船疑獄で指揮権発動によって逮捕を免れた佐藤栄作は安倍首相の大叔父に当たる(安倍首相の祖父が岸元首相で岸は佐藤の実兄)。なにか因縁を感じてしまう。

6月某日
図書館で借りた「皇国史観」(片山杜秀 文春新書 2020年4月)を読む。片山の本は難しいテーマでもわかりやすく解き明かしてくれるのが特徴。大学院時代から「週刊SPA!」のライターをしていたことと関係があるのかもしれない。片山は音楽評論家としての顔もあって伊福部昭(ゴジラの映画音楽を作曲した)を評価している。思想史研究家としては左右のイデオロギーに捕らわれることなく時代と思想(家)の関係を探ろうとしているところに私は好感を持つ。本書もまさにそうで「皇国史観」というタイトルそのものが「ヤバイ」でしょ。皇国史観という言葉自体が肯定するにしろ否定するにしろイデオロギーにまみれちゃっているからね。しかし「さすが片山先生」である、読後感はむしろ爽快であった。皇国史観をどうとらえるべきか、片山は「水戸学」「五箇条の御誓文」「大日本帝国憲法」「南北正閏問題」「天皇機関説事件」「平泉澄」「柳田国男と折口信夫」「網野善彦」「平成から令和へ」というキーワードから解き明かす。皇国史観は江戸時代初期に水戸学から発生した。将軍よりも天皇を上位とする価値観は幕末に至って尊王攘夷思想に発展する。尊王攘夷の本家は水戸徳川藩だが、天狗党が攘夷を唱えて筑波山で蜂起、それ以降凄惨な内ゲバを繰り返し、明治維新の頃には人材は払底してしまったらしい。五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」には民主主義の萌芽が認められるものの、明治憲法はプロシアに学ぶ反動的なものであった、というのが通俗的な理解で実態はそれほど単純なものではなかった。現在の天皇も明治天皇も北朝であるが、明治政府は南朝を正統とした。そうしないと楠木正成が逆臣となってしまい、当時の庶民感情を納得させられなかったのである。天皇機関説も学会の主流は機関説であったが、昭和の軍部が「天皇を機関車や機関銃と一緒にするのか」という庶民感情に乗じて美濃部達吉を非難、美濃部は貴族院議員を辞職する。大変読みやすい本なので、歴史好きには一読をお勧めする。

6月某日
図書館で借りた「仁淀川」(宮尾登美子 新潮文庫)を読む。巻末に「この作品は2000年10月、新潮社より刊行された」とある。宮尾登美子は1926(昭和元)年の生まれだから著者が70年代前半の作品ということになる。宮尾が中央の文壇にデビューしたのは1972年に太宰治賞を受賞した「櫂」で、以下、「春灯」「朱夏」と高知の女衒、岩伍に嫁いだ喜和、娘の綾子を主人公とした自伝的な連作を発表している。「仁淀川」は喜和と岩伍の死と、綾子が後に「家の職業についても、自分の手で描いてみようと決心した」までを綴った「綾子自立へ」の章で終わっている。宮尾は40代の半ばから自伝的な連作小説を書き始め、70代半ばの本作で主人公、綾子が作家を目指す方向を示すことで完結するのである。といっても本作では20歳の綾子が夫と生まれたばかりの娘と3人で満洲から着の身着のままで高知の夫の生家に帰り、農作業に駆り出されていく様が描かれる。綾子は女衒の娘である。女衒とは若い女性を遊郭などに売る一種の仲介業であり、遊郭は都市でなければ成立しない商売であり、女衒もまた極めて都市的なビジネスであった。綾子の嫁ぎ先における苦労とある種の戸惑いは農村と都市の対立であり、それは生産者(農村)と消費者(都市)との対立でもある。綾子は遂に農村に馴染むことはできず、嫁ぎ先の姑にとっては綾子は労働力以上のものではなかった。しかし、だからこそ綾子は自立の道を目指したのだし、作家、宮尾登美子も誕生したのだとも言える。年代がほぼ同じの宮尾、瀬戸内寂聴、田辺聖子を比較すると、寂聴は徳島市内の仏壇屋に生まれ東京女子大に進学、結婚離婚して作家デビューを果たしている。田辺は大阪の大きな写真館の娘に生まれ、樟蔭女子専門学校に学び同人誌に掲載された「センチメンタル・ジャーニー」で芥川賞を受賞、後に開業医の川野氏と結婚している。三者三様ではあるが、宮尾の満洲の荒野、高知の農村の経験が、常套句ではあるが「作家の肥し」となったのは間違いのないところだ。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
厚労省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。15分ほど遅刻してしまった。伊原政策統括官を訪問、「社会保障フォーラム」についてアドバイスを頂く。その足で社保研ティラーレへ。吉高会長と3人で協議、次回の「社会保障フォーラム」はWEB上で開催する方向を確認。決定まではWEBに詳しい若い人の意見を聞くことにする。私などはチンプンカンプンです。虎ノ門の「フェアネス法律事務所」で渡邉弁護士と懇談、新橋まで歩く。上野でアイリッシュパブへ寄り、ギネスとジントニック、ウオッカトニックを頂く。

6月某日
企業年金連合会の足利聖治理事を訪問。江利川毅さんや川邉新さんとの呑み会を7月中に企画することにする。17時に御徒町の食品スーパー「吉池」へ。17時50分に前の会社の社員との呑み会が吉池の最上階の「吉池食堂」であるため。2人が来るということなのでお土産に「弦付きトマト」を2つ買う。17時30分から独りで生ビールを「マグロブツ」を肴に飲み始める。17時50分に予定通り二人が登場。お土産に日本酒を貰う。2時間ほど他愛のない話をして別れる。御徒町から上野へ出て常磐線に座って帰る。家呑み用のウイスキーがなくなっていることを思い出し、駅前の関野酒店によってギルビージンを購入する。

6月某日
社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長、社会保険研究所の水野氏、UAゼンセンの永井氏と次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。新型コロナのこともあるので次回は会場参加とネット参加の二本立てで行く方向を確認する。永井氏はネット会議も経験もあるということなのでいろいろと調べてくれるそうだ。我孫子へ帰って駅前の「しちりん」に寄る。

6月某日
監事をしている一般社団法人の総会が東京駅八重洲口の貸会議室で1時半からあるので出かける。八重洲口地下の北海道料理の店で昼飯に「豚丼」を食べる。総会では監査報告書を読み上げる。総会は30分ほどで終わったので次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の会場に予定している「AP東京丸の内」を観に行くことにする。社保険ティラーレの佐藤社長と現地で待ち合わせる。東京駅からも大手町駅からも直結している日本生命丸の内ガーデンタワーの3階で皇居外苑の緑が見渡せる。料金は従来の倍以上ということだが、これなら地方議員の先生方にも喜んでもらえると思う。次回は会場とインターネット対応の二本立てだが「AP東京丸の内」はその経験も十分あるようなのでひとまず安心。続いて「虎ノ門フォーラム」の中村秀一理事長を訪問、次回の講師に予定している堀田聡子先生の連絡先を教えてもらう。社保険ティラーレで吉高会長、佐藤社長と懇談、17時30分になったので鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ向かう。大谷源一さんと高本真佐子さんと会食。途中から社会保険出版社の高本社長も参加、高本社長にすっかりご馳走になる。「跳人」の大谷君に日本酒のワンカップを頂く。

6月某日
東京都知事選が18日告示された。開投票日は7月5日だ。現職の小池百合子の再選がほぼ確実視されている。このタイミングで「女帝 小池百合子」(石井妙子 2020年5月 文藝春秋)が上梓された。奥さんに「無茶苦茶面白いらしいよ」と言われて早速、上野駅の「BOOK EXPRESS」で購入した。1刷が5月30日で私が買ったのが3刷で6月20日だから確かに売れているのだろう。一読して確かに面白かった。小池百合子という類い稀な個性を豊富な資料とインタビューで浮き彫りにさせていく、石井妙子の力量は本物だと思う。カイロ大学卒業という小池の経歴の真贋が話題となっているが、それは小池という個性の一つの表出であり、必ずしも本質ではない。石井妙子の綿密な取材によって、カイロ大学卒業はかなり怪しいことが暴露されてはいるが。石井が小池のノンフィクションを書くに至った経緯が「終章 小池百合子という深淵」で明らかにされている。それによるとカイロで小池と同居していた女性から、石井は小池の学歴詐称の告発の手紙を受け取る。石井は十分な調査をしたうえで「文藝春秋」に「小池百合子『虚飾の履歴書』」を発表した。しかし既存のジャーナリズムからはほぼ黙殺され、都議会で小池は「法的な対応を準備している」と述べたが、現在まで石井は小池から訴えられていない。石井は「学歴が教養や能力に比例するとも考えていない」と述べる。しかし、卒業していない大学を出たという「物語」を作り上げ、それを利用してしまう小池の人間としての在りようを問題視している。石井はさらに「本来、こうした『物語』はメディアが検証するべきであるのに、その義務を放棄してきた」とし、メディアの無責任な共犯者としての罪も指摘している。女性の政治進出において日本は欧米先進国のみならずアジア諸国にも遅れをとっている。そのなかで小池の快進撃を女性の解放として受け取り、喜ぶことはできないと石井は言う。小池は石井に答えるべきと思う。そして久しぶりに骨太のノンフィクションを読んだというのが私の率直な感想である。

6月某日
田辺聖子の「あかん男」(角川文庫 1975年初版 2020年6月改版初版)を読む。帯に「『ジョゼと虎と魚たち』アニメ映画化記念 いま読みたい田辺聖子」と印刷してあった。田辺聖子の作品の中でも「ジョゼと…」はちょいと異色。体の不自由な女の子と彼女を世話する男の日常を描いた小説だが、池脇千鶴と妻夫木聡で映画化もされている。「あかん男」には表題作含め7編の短編が収録されている。表題作から読み始めたが、もてない髪の薄くなった30代の独身男を主人公にしたこの作品は、私にはちょいと期待外れであった。年譜によると田辺は1966年に神戸の開業医、川野純夫と結婚している。川野は確か4人の子持ちで家事育児に加えての小説執筆だから、期待外れもしょうがないかと思いながら読み進むと、随所に田辺聖子らしさが滲んだ短編が登場する。田辺聖子らしさというのは「苦さとユーモア」であって作品によって苦さが増す場合とユーモアが優る場合があるわけである。苦さが増すのは例えば「さみしがりや」という作品である。着物の仕立てで暮らしを立てている文治は小料理屋の仲居をしている安江と再婚した。文治は亡くなった前妻の連れ子のことを哀れと思い出す。前妻も亡くなっているのだがこちらの方には愛情を感じないのだった。ここら辺の人情の機微、苦さを描かせると田辺の右に出る作家はいないと私は信じるのである。最後の「かげろうの女―右大将道綱の母―」は平安時代の日記文学「蜻蛉日記」を題材にした田辺の王朝物の源流をなすもの。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
NHK BSで韓国映画「タクシー運転手―約束は海を越えて」を観る。事前の知識はまったくなかったが1980年の光州事件に巻き込まれたタクシー運転手の話だ。ソウルのタクシー運転手が学生や市民が民主化を叫んでいる光州市へドイツ人記者を乗せる。妻に死なれ一人娘と生活する運転手にとって高額な報酬が魅力だったのだ。ドイツ人記者の映像取材に同行するうちに、運転手は次第に光州市の市民や学生に同情的になっていく。いったんはドイツ人記者を光州市に置いて、ソウルの娘のもとに帰ろうとする運転手だが、知り合いになった市民や学生、ドイツ人記者が気になって光州へ引き返す。軍隊や警察の弾圧はさらに激しさを増し、取材に協力してくれた学生も虐殺される。「この現実を世界に伝えてくれ!」という学生の声を胸に運転手と記者は空港を目指す。軍の追跡を阻むために光州のタクシーが何台も参加してカーチェイスを展開するのが後半の山場だ。天安門事件もそうだが光州事件、そして香港の民主化闘争の映像は涙なしには見られない。年を重ねて涙もろくなったこともあるのだろうけれど。

6月某日
白人警官が黒人青年を死なせたことをきっかけに全米各地でデモが広がっているとニュースが伝える。トランプ大統領はデモの鎮圧に軍隊の出動も考慮しているという。光州事件や天安門事件の再来か?「アンティファ」という組織が過激な行動を煽っているとの報道もあった。アンティファってアンチ・ファシストのことでヒットラー時代のドイツに実際に存在した組織ということだ。現在のアンティファの組織の実態はよく分からないらしい。放火や略奪はいけないがデモはどんどんやったらいい。警官隊への投石?個人的には許容します。
今日の昼ご飯はチャーハンを自分で作った。玉ねぎ4分の1、ピーマン2分の1、ニンジン少々、ニンニク少々を予め刻んでおく。レタスの皮をちぎっておく。生卵をご飯にかけ混ぜておく(こうしたほうが卵とご飯のくっつきがいいような気がする)。中華鍋をガスに掛け、温まったら油を引く。ニンジン、ニンニクを入れ、卵とご飯も入れ、玉ねぎ、ピーマンを入れる。昨日の夕ご飯のおかずの残りの豚肉も少々入れる。最後にレタス、醤油、胡椒を入れて味を調えて完成。味は満足できるものでした。

6月某日
図書館で借りた「君がいないと小説は書けない」(白石一文 新潮社 2020年1月)を読む。白石一文っていわゆる私小説作家ではなかったと思うけれど、これはどう読んでも私小説。帯に「小説史をくつがえす自伝的小説、堂々刊行」「鬼才の叡智、作家の業、ここに結集す」と刷り込まれている。白石は小説家の白石一郎を父として福岡に生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業後、文藝春秋社に入社し雑誌記者や編集者を経た後、小説家としてデビューした。小説の主人公、野々村保古も小説家の父を持ち早大政経学部を卒業して出版社に入社して、記者や編集者として活躍後、作家となっている。一子を設けた後、離婚、現在の同棲相手ことりと事実婚(前の妻が離婚に応じないため)というこの小説のストーリーも事実乃至はそれに近いのだろう。それにしても作家とはすごいものだとつくづく実感。相対性理論はアインシュタインが発見しなくても、いずれ誰かが発見しただろうがピカソのゲルニカはピカソでなければ描かれなかったというような記述が文中にあったが、それは白石の小説家としての自負なんだろうね。

6月某日
1週間ぶりの上京。13時から社保研ティラーレで打ち合わせがあるため。先ずは鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」でランチ。暑かったので「刺身定食」と生ビールを頼む。生ビールを飲み干すと店員の大谷さんが「お代わりは?」と聞いてくるが断る。食後のアイスコーヒーをサービスしてくれる。児谷ビル3階の社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と打ち合わせ。社会保障フォーラムの日程を確認し来週から講師の依頼を進めることに。我孫子へ帰って「いしど歯科」へ。虫歯の治療と歯石取り。これで今回の治療は終了ということで「歯ブラシ」を頂く。「いしど歯科」から手賀沼湖畔へ。ほぼ日課になっている白鳥の親子を鑑賞。親白鳥が2羽、子どもの白鳥が5羽。親白鳥は夫婦なんだろうな。

6月某日
「12人の手紙」(井上ひさし 中公文庫 1980年4月)を読む。私が読んだのは2020年3月改版8刷発行で、帯に「井上ひさし没後10年」と刷り込まれてあった。井上ひさし(1934~2010)は私が小学生の頃のNHKテレビ「ひょっこりひょうたん島」の作者として私には身近だ。ということは1960年前後だから当時、井上は20代ということになる。それはともかく本作は単行本として1978年6月に中央公論社から出版されている。井上が40代、作家として最も脂が乗り切っていた頃と言ってもいいかも知れない時期の作品である。プロローグ、エピローグ含めて13の短編が収録されているが、エピローグ以外はすべて書簡を中心とした構成となっている。プロローグの「悪魔」は両親の不仲に悩んで家出同様に上京した娘が、就職先の社長の甘言に惑わされ関係を持つ。社長の離婚を信じていた娘は社長の不実を知り、社長の子どもを殺めてしまう。最後は娘から同級生への「差し入れありがとう」という東京拘置所からの手紙で結ばれる。「葬送歌」は小説家への劇作家志望の女子大生への手紙とそれへの小説家の返信という形式。女子大生は去る作家の小品をもとにした「帰らぬ子のための葬送歌」という戯曲を小説家に送る。テロ未遂事件を起こした青年が留置場で虐殺され、青年の恋人が遺骨を北国の母に帰しに来るという筋の戯曲だ。戯曲を読んだ小説家は、リアリティがないという感想を綴った手紙に続けて「去る作家の小品」とは昭和10年ごろ同人誌に発表した自分の作品ではないかという手紙を送る。学園祭に展示する小説家の自筆の手紙が欲しいが故の女子大生のトリックという種明かしだ。しかし私は「帰らぬ子のための葬送歌」という戯曲が、特高に虐殺された小林多喜二とその母のことを思い出されて切なかった。全体的に非常に凝った、それでいて作者の社会の底辺にいる人々への温かいまなざしが感じられる作品であった。

6月某日
図書館で借りた「占(うら)」(木内昇 新潮社 新潮社 2020年1月)を読む。木内昇(のぼり)は1967年生まれの女流作家、「漂砂のうたう」で直木賞受賞。日経新聞連載中から愛読していた「万波を翔ける」は蘭学に励む幕臣の次男坊が幕末の外交官として活躍する姿を描いたもの。幕末から明治、大正時代の江戸、東京を舞台とする小説を得意としているようだ。本作はタイトル通り占いをテーマとした短編連作集。作中の雰囲気は高音というよりは中低音、つまり暗め。冒頭の「時追町の卜い家」は翻訳を業とする独身女、桐子が主人公。瓦の修繕を頼んだ若い大工と関係を結ぶことになるが、若い大工には苦界に売られた妹がいて、彼は妹のことになると他のことが眼に入らなくなる。桐子は迷い込んだ時追町で一軒の「卜い家」に出会う。「卜い家」は今で言う「占いの館」で、何部屋かに占い師が控えている。桐子が通された部屋には汀心と名乗る初老の女が待っていた。とこういうような話が七つ並ぶ。他の6作のタイトルだけ示すと「山伏村の千里眼」「頓田町の聞奇館」「深山町の双六堂」「宵町祠の喰い師」「鷺行町の朝生屋」「北聖町の読心術」。地名は架空と思われるが地名も中低音だ。

モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
「未完のファシズム-『持たざる国』日本の運命」(片山杜秀 新潮選書 2012年5月)を読む。発売直後、結構評判になって買ったものだが、今回再読して内容をほとんど覚えていないことに驚いた。新型コロナウイルス対策で我孫子市民図書館が閉鎖され、家にある本を読んでいるのだが、こういうこともあるのでコロナ禍もまんざら悪いことばかりじゃないのである。 片山杜秀は1963年生まれで本書が出版された当時は慶応義塾大学法学部の准教授だったが今は教授である。音楽評論家としても知られ著作もある。映画にも詳しく本書の「あとがき」では平田昭彦(1927~84)という映画俳優に触れている。平田は東宝映画「ゴジラ」(1954)に芹沢大助という科学者役で出演し、ゴジラを破壊する水中酸素破壊装置を発明させる役を演じている。平田は敗戦時には陸軍士官学校生徒で、長野県松代で本土決戦に備えていた。「あとがき」からその辺を引用すると「一億玉砕の覚悟で最後の勝利をつかみとろうとしていた平田さんが、9年後には映画俳優になって、「ゴジラ」に出演し、間に合わなかった対米決戦兵器を抱いて放射能怪獣に神風アタックを行い、平和を訴えて死んでゆく。歴史の面白さです」。こういうことを「あとがき」に書く歴史家、思想史研究家はなかなかユニークと言わなければならないだろう。
片山は第一次世界大戦に注目する。第一次世界大戦では日本はそれほど大きな軍事行動はとらなかったものの、主戦場となった欧州各国に対する輸出で大儲けをする。戦争成金の登場である。日本はこの戦争を契機にして産業の重化学工業化を図ることができたし、その一方で戦後アメリカのウイルソン大統領によって提唱された国際連盟の常任理事国の地位を手に入れる。片山はこの戦争で日本がとった唯一と言ってもよい作戦行動、青島攻略戦を取り上げる。青島攻略戦で日本は大口径の榴弾砲でドイツ軍の要塞を徹底的に攻撃する。要塞砲や機関銃坐を破壊したのちに歩兵が占領するというパターンである。これは第二次世界大戦で米軍が日本軍に対して、艦砲射撃や空爆で攻撃したのちに歩兵が上陸するという作戦を髣髴させる。要するに青島攻略戦の頃は帝国陸軍も合理的な思想を持っていたということであろう。第一次世界大戦後の日本の仮想敵国はアメリカとソ連に絞られる。アメリカにしろソ連にしろ石油、鉄鉱石など資源に恵まれた「持てる国」であった。それに対して日本は資源を輸入に頼らざるを得ない「持たざる国」である。石原莞爾の世界最終戦争論では日米の最終戦争に備えて日本は満洲を手に入れ「持てる国」となる戦略が示されている。しかし石原の構想は実を結ばず、日本は太平洋で米軍と、中国大陸で国民党軍や中国共産党軍と、ビルマ戦線では英軍と戦わざるを得なかった。敗戦の年の8月にはソ連と満洲の国境にはソ連軍が押し寄せてくる。勝てる戦いではなかったのである。戦争指導者の責任は重いと言わざるを得ない。

5月某日
手賀沼湖畔の喫茶店兼の古書店で購入した「白く塗りたる墓」(高橋和巳 筑摩書房 1971年5月)を読む。高橋は71年の5月に死亡しているから絶筆となるのかもしれない。第11章まで書き進められ未完で終わっている。本書は高橋の小説には珍しくテレビ会社を舞台にした現代小説である。六全協の頃の前衛党の内部を描いた「日本の悪霊」、戦前の新興宗教を描いた「邪宗門」など高橋には高度成長にいたる前の日本を描いた小説が多い。タイトルの「白く塗りたる墓」はマタイ伝の一節から取られている。「偽善なる学者、パリサイ人」を「白く塗りたる墓」に例え、「外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまなの穢れとにて満つ」と告発しているのだ。主人公の三崎省吾は報道部の解説室長で解説番組に出演している。テレビ局の労働組合にも反戦派の影響が及び始め、三崎は会社側と労働組合の板挟みにあって次第に健康を害していく。三崎はほとんど高橋その人ではないかと感じられた。執筆当時の高橋は京都大学文学部の助教授で全共闘の主張に理解を示す。助教授に就任したのが67年4月、69年3月に学生側を支持して辞職、71年5月に死去。高橋は三崎の苦悩を通して革命運動と知識人の関係性を描くと同時に「パリサイ人」としての知識人の偽善性を明らかにしたかったのではないか。

5月某日
NHKBSプレミアムで映画「遥か群衆を離れて」(1967年のイギリス映画)を観る。先日、やはりはりBSプレミアムで「ドクトルジバゴ」でラーラ役を演じていたジュリー・クリスティが主演しているためだ。ラーラは知的でありながら情熱的な役柄だったが本作でジュリー演じるが女性、バスシェバもそんな役柄だ。叔父からの遺産として農場の女主人となるバスシェバに3人の男が絡む。1人は以前、バスシェバに求婚したが「その気はない」と振られた羊飼いの男。自分の牧場は失いバスシェバの農場に雇われる。1人はバスシェバの農場の隣で広大な農地を所有する男性。最後の一人は騎兵の伍長。バスシェバは色男で女にモテモテの伍長と結婚するが、賭け事にのめり込んだ伍長は海で溺死する。農場主の男性から求婚されたバスシェバは悩みつつも受け入れる。農場主の邸宅で開かれた婚約披露のパーティーに死んだと思っていた伍長が現れ、場主は伍長を射殺し捕らわれる。で、結局は羊飼いの男と結ばれるというハッピーエンドなのだが、私は殺された伍長や捕らわれた農場主に哀れを感じた。映画としてはまぁ二流。でも私、ジュリー・クリスティのファンなので…。

5月某日
「昭和史講義【軍人編】」(筒井清忠編 2018年7月 ちくま新書)を読む。これも2年前に買って読んだはずだが内容をほとんど覚えていない。昔から物覚えは良かったはずだが、これも老化か!まぁ今年72歳だからね、受け入れましょう。最初に筒井清忠が「昭和陸軍の派閥抗争―まえがきに代えて」を執筆している。筒井は昭和史の著作、とくに戦争や軍隊・軍人を扱ったものには不正確なものが多いと苦言を呈し、その理由として出版社の需要が多いのに研究者側の供給が少ないことをあげ、「戦後かなりの間このテーマに関心を抱き研究をすること自体が戦争を肯定しているという誤解が生じがちでそのためテーマとして避けられ続けた」としている。筆者(筒井)の世代が研究成果を発表し出した1970年代ころから客観的な研究が行われ始めたという。筒井は1948年生まれだから私と同世代、そんなもんですかね。それはともかく筒井は、派閥抗争の観点から昭和陸軍の歩みを振り返る。それによると明治以来、山県有朋を頂点とする長州閥が陸軍をけん引していたが、大正後期・昭和初期には人材が切れ、準長州閥の宇垣一成を軸にした宇垣閥へと展開した。長州閥、宇垣閥に対抗したのが大山巌に始まり上原勇作を中心とした薩摩閥で、これが真崎甚三郎、荒木貞夫を擁する九州閥に転生していく。そうしたなか、陸士同期の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次がドイツの保養地、バーデン・バーデンに集い第一次世界大戦の教訓を基に、総力戦体制確立、長州閥専横人事の刷新などで合意した。彼らは帰国後「二葉会」を結成し、それは「木曜会」「一夕会」につながり、永田や東条英機らの中堅幕僚による日本を高度国防国家に作り替えていこうとする「統制派」に続く。一方、北一輝や西田税の影響を受けた青年将校グループは真崎を押し立て陸軍と国政の改革を進めようとした。のちに2.26事件と呼ばれるクーデター未遂を起こした「皇道派」である。2.26事件後、首謀者は逮捕処刑され皇道派は壊滅、統制派が陸軍の主流となるが、統制派も後に首相、陸相、参謀総長を兼務することになる東条の派閥と世界最終戦論を唱える石原莞爾派に分かれることになる。本書では14人の陸海軍人が取り上げられている。皆それぞれ優秀な人であるが、日本軍全体としてはダメだったわけ。「日本はなぜ開戦に踏み切ったかー『両論併記』と『非決定』」という本を読んだことがあるが、要するに決定できないんだよね。それで両論併記に逃げる。「新型コロナ対策」にもそのことは言えないか?

5月某日
図書館が一部再開。リクエストした本を受け取れるようになった。今日は林真理子の「綴る女 評伝・宮尾登美子」(中央公論新社 2020年2月)を読むことにする。評伝は1990年の4月14日にホテルニューオータニの別館で開かれた「第8回宮尾杯争奪歌合戦」から始まる。当日の進行表によると出席者は朝日新聞社、角川書店、講談社、集英社、新潮社、世界文化社、中央公論社、テレビ朝日、東宝、文藝春秋、東映といった日本を代表する出版社やマスコミである。ゲスト審査員は女優の浅利香津代、藤真利子、作家の中上健次、画家の灘本唯人、歌手の都はるみである。直木賞を「一絃の琴」で受賞した宮尾は「序の舞」「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」と言ったベストセラーを次々と発表し、その多くが映画化やテレビドラマ化されていた。そんな華々しさとは裏腹に宮尾は孤独であった。生前、宮尾と親交のあった林真理子がその孤独に迫る。林は「前書き」で「私は宮尾さんの評伝を書くにあたって、どうしても知りたいことがあった。いや、そのために評伝を書こうと思い立ったのだ」とし「私をあれほど熱狂させた『宮尾ワールド』は、本当に存在していたのだろうか。の登場人物の女衒の岩伍は実在していたのだが、隆盛を誇った土佐の花柳界の話は本当だったのか…」と記している。

5月某日
大谷源一さんが我孫子来訪。我孫子駅の改札で待ち合わせ、成田街道から嘉納治五郎邸宅跡、柳宗悦宅だった三樹荘、天神坂を歩く。手賀沼周辺を散策し、レストラン「コビアン」で食事。私にとっては50年近く住む我孫子の風景は日常だが、大谷さんにとっては湖畔の風景はちょっとした非日常だったようだ。