モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
「未完のファシズム-『持たざる国』日本の運命」(片山杜秀 新潮選書 2012年5月)を読む。発売直後、結構評判になって買ったものだが、今回再読して内容をほとんど覚えていないことに驚いた。新型コロナウイルス対策で我孫子市民図書館が閉鎖され、家にある本を読んでいるのだが、こういうこともあるのでコロナ禍もまんざら悪いことばかりじゃないのである。 片山杜秀は1963年生まれで本書が出版された当時は慶応義塾大学法学部の准教授だったが今は教授である。音楽評論家としても知られ著作もある。映画にも詳しく本書の「あとがき」では平田昭彦(1927~84)という映画俳優に触れている。平田は東宝映画「ゴジラ」(1954)に芹沢大助という科学者役で出演し、ゴジラを破壊する水中酸素破壊装置を発明させる役を演じている。平田は敗戦時には陸軍士官学校生徒で、長野県松代で本土決戦に備えていた。「あとがき」からその辺を引用すると「一億玉砕の覚悟で最後の勝利をつかみとろうとしていた平田さんが、9年後には映画俳優になって、「ゴジラ」に出演し、間に合わなかった対米決戦兵器を抱いて放射能怪獣に神風アタックを行い、平和を訴えて死んでゆく。歴史の面白さです」。こういうことを「あとがき」に書く歴史家、思想史研究家はなかなかユニークと言わなければならないだろう。
片山は第一次世界大戦に注目する。第一次世界大戦では日本はそれほど大きな軍事行動はとらなかったものの、主戦場となった欧州各国に対する輸出で大儲けをする。戦争成金の登場である。日本はこの戦争を契機にして産業の重化学工業化を図ることができたし、その一方で戦後アメリカのウイルソン大統領によって提唱された国際連盟の常任理事国の地位を手に入れる。片山はこの戦争で日本がとった唯一と言ってもよい作戦行動、青島攻略戦を取り上げる。青島攻略戦で日本は大口径の榴弾砲でドイツ軍の要塞を徹底的に攻撃する。要塞砲や機関銃坐を破壊したのちに歩兵が占領するというパターンである。これは第二次世界大戦で米軍が日本軍に対して、艦砲射撃や空爆で攻撃したのちに歩兵が上陸するという作戦を髣髴させる。要するに青島攻略戦の頃は帝国陸軍も合理的な思想を持っていたということであろう。第一次世界大戦後の日本の仮想敵国はアメリカとソ連に絞られる。アメリカにしろソ連にしろ石油、鉄鉱石など資源に恵まれた「持てる国」であった。それに対して日本は資源を輸入に頼らざるを得ない「持たざる国」である。石原莞爾の世界最終戦争論では日米の最終戦争に備えて日本は満洲を手に入れ「持てる国」となる戦略が示されている。しかし石原の構想は実を結ばず、日本は太平洋で米軍と、中国大陸で国民党軍や中国共産党軍と、ビルマ戦線では英軍と戦わざるを得なかった。敗戦の年の8月にはソ連と満洲の国境にはソ連軍が押し寄せてくる。勝てる戦いではなかったのである。戦争指導者の責任は重いと言わざるを得ない。

5月某日
手賀沼湖畔の喫茶店兼の古書店で購入した「白く塗りたる墓」(高橋和巳 筑摩書房 1971年5月)を読む。高橋は71年の5月に死亡しているから絶筆となるのかもしれない。第11章まで書き進められ未完で終わっている。本書は高橋の小説には珍しくテレビ会社を舞台にした現代小説である。六全協の頃の前衛党の内部を描いた「日本の悪霊」、戦前の新興宗教を描いた「邪宗門」など高橋には高度成長にいたる前の日本を描いた小説が多い。タイトルの「白く塗りたる墓」はマタイ伝の一節から取られている。「偽善なる学者、パリサイ人」を「白く塗りたる墓」に例え、「外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまなの穢れとにて満つ」と告発しているのだ。主人公の三崎省吾は報道部の解説室長で解説番組に出演している。テレビ局の労働組合にも反戦派の影響が及び始め、三崎は会社側と労働組合の板挟みにあって次第に健康を害していく。三崎はほとんど高橋その人ではないかと感じられた。執筆当時の高橋は京都大学文学部の助教授で全共闘の主張に理解を示す。助教授に就任したのが67年4月、69年3月に学生側を支持して辞職、71年5月に死去。高橋は三崎の苦悩を通して革命運動と知識人の関係性を描くと同時に「パリサイ人」としての知識人の偽善性を明らかにしたかったのではないか。

5月某日
NHKBSプレミアムで映画「遥か群衆を離れて」(1967年のイギリス映画)を観る。先日、やはりはりBSプレミアムで「ドクトルジバゴ」でラーラ役を演じていたジュリー・クリスティが主演しているためだ。ラーラは知的でありながら情熱的な役柄だったが本作でジュリー演じるが女性、バスシェバもそんな役柄だ。叔父からの遺産として農場の女主人となるバスシェバに3人の男が絡む。1人は以前、バスシェバに求婚したが「その気はない」と振られた羊飼いの男。自分の牧場は失いバスシェバの農場に雇われる。1人はバスシェバの農場の隣で広大な農地を所有する男性。最後の一人は騎兵の伍長。バスシェバは色男で女にモテモテの伍長と結婚するが、賭け事にのめり込んだ伍長は海で溺死する。農場主の男性から求婚されたバスシェバは悩みつつも受け入れる。農場主の邸宅で開かれた婚約披露のパーティーに死んだと思っていた伍長が現れ、場主は伍長を射殺し捕らわれる。で、結局は羊飼いの男と結ばれるというハッピーエンドなのだが、私は殺された伍長や捕らわれた農場主に哀れを感じた。映画としてはまぁ二流。でも私、ジュリー・クリスティのファンなので…。

5月某日
「昭和史講義【軍人編】」(筒井清忠編 2018年7月 ちくま新書)を読む。これも2年前に買って読んだはずだが内容をほとんど覚えていない。昔から物覚えは良かったはずだが、これも老化か!まぁ今年72歳だからね、受け入れましょう。最初に筒井清忠が「昭和陸軍の派閥抗争―まえがきに代えて」を執筆している。筒井は昭和史の著作、とくに戦争や軍隊・軍人を扱ったものには不正確なものが多いと苦言を呈し、その理由として出版社の需要が多いのに研究者側の供給が少ないことをあげ、「戦後かなりの間このテーマに関心を抱き研究をすること自体が戦争を肯定しているという誤解が生じがちでそのためテーマとして避けられ続けた」としている。筆者(筒井)の世代が研究成果を発表し出した1970年代ころから客観的な研究が行われ始めたという。筒井は1948年生まれだから私と同世代、そんなもんですかね。それはともかく筒井は、派閥抗争の観点から昭和陸軍の歩みを振り返る。それによると明治以来、山県有朋を頂点とする長州閥が陸軍をけん引していたが、大正後期・昭和初期には人材が切れ、準長州閥の宇垣一成を軸にした宇垣閥へと展開した。長州閥、宇垣閥に対抗したのが大山巌に始まり上原勇作を中心とした薩摩閥で、これが真崎甚三郎、荒木貞夫を擁する九州閥に転生していく。そうしたなか、陸士同期の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次がドイツの保養地、バーデン・バーデンに集い第一次世界大戦の教訓を基に、総力戦体制確立、長州閥専横人事の刷新などで合意した。彼らは帰国後「二葉会」を結成し、それは「木曜会」「一夕会」につながり、永田や東条英機らの中堅幕僚による日本を高度国防国家に作り替えていこうとする「統制派」に続く。一方、北一輝や西田税の影響を受けた青年将校グループは真崎を押し立て陸軍と国政の改革を進めようとした。のちに2.26事件と呼ばれるクーデター未遂を起こした「皇道派」である。2.26事件後、首謀者は逮捕処刑され皇道派は壊滅、統制派が陸軍の主流となるが、統制派も後に首相、陸相、参謀総長を兼務することになる東条の派閥と世界最終戦論を唱える石原莞爾派に分かれることになる。本書では14人の陸海軍人が取り上げられている。皆それぞれ優秀な人であるが、日本軍全体としてはダメだったわけ。「日本はなぜ開戦に踏み切ったかー『両論併記』と『非決定』」という本を読んだことがあるが、要するに決定できないんだよね。それで両論併記に逃げる。「新型コロナ対策」にもそのことは言えないか?

5月某日
図書館が一部再開。リクエストした本を受け取れるようになった。今日は林真理子の「綴る女 評伝・宮尾登美子」(中央公論新社 2020年2月)を読むことにする。評伝は1990年の4月14日にホテルニューオータニの別館で開かれた「第8回宮尾杯争奪歌合戦」から始まる。当日の進行表によると出席者は朝日新聞社、角川書店、講談社、集英社、新潮社、世界文化社、中央公論社、テレビ朝日、東宝、文藝春秋、東映といった日本を代表する出版社やマスコミである。ゲスト審査員は女優の浅利香津代、藤真利子、作家の中上健次、画家の灘本唯人、歌手の都はるみである。直木賞を「一絃の琴」で受賞した宮尾は「序の舞」「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」と言ったベストセラーを次々と発表し、その多くが映画化やテレビドラマ化されていた。そんな華々しさとは裏腹に宮尾は孤独であった。生前、宮尾と親交のあった林真理子がその孤独に迫る。林は「前書き」で「私は宮尾さんの評伝を書くにあたって、どうしても知りたいことがあった。いや、そのために評伝を書こうと思い立ったのだ」とし「私をあれほど熱狂させた『宮尾ワールド』は、本当に存在していたのだろうか。の登場人物の女衒の岩伍は実在していたのだが、隆盛を誇った土佐の花柳界の話は本当だったのか…」と記している。

5月某日
大谷源一さんが我孫子来訪。我孫子駅の改札で待ち合わせ、成田街道から嘉納治五郎邸宅跡、柳宗悦宅だった三樹荘、天神坂を歩く。手賀沼周辺を散策し、レストラン「コビアン」で食事。私にとっては50年近く住む我孫子の風景は日常だが、大谷さんにとっては湖畔の風景はちょっとした非日常だったようだ。