モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
6月22日の朝日新聞朝刊に「在日米軍と国内法」という解説記事が載っていた。在日米軍への国内法の適用は国際法によって制限される、というのが半世紀近く続く日本政府の見解。しかし、その一般国際法とは具体的に何かと問われても日本政府は、説明を避けてきた。この解説を執筆した藤田直央という記者が、一般国際法に言及してきた根拠について、情報公開法で文書開示を求めたところ、外務省は「探索したが確認できなかった」と回答。米国は、駐留外国軍に関する国際法はなく個別の地位協定で権利確保の姿勢という。「嘉手納爆音訴訟」ではこうした国際法の有無が問われていて、解説は「最高裁が原告の上告を受け入れて実質審理に入るかどうかが注目される」と結んでいる。民主主義は権力者の高度な情報公開が原則と思われるが、わが国の現状はそうでもなさそうだ。
年友企画の迫田さんと神田のベルギー料理店でランチ。2月と3月に迫田さんの仕事を手伝ったギャラが先日振り込まれたため、お礼の意味でのご馳走である。その足で社保研ティラーレの佐藤社長と吉高会長に面談。新型コロナウイルスの影響で次回の社会保障フォーラムの厚労省の講師が決まらないための相談。吉高会長が「江利川さんに頼んだらどうやろう」というので医療科学研究所に電話、江利川毅理事長は出勤してきているということなので赤坂の事務所へ佐藤社長と向かう。江利川さんは快諾してくれたので一安心である。

6月某日
「行政学講義-日本官僚制を解剖する」(金井利之 ちくま新書 2018年2月)を読む。著者の金井は1967年生まれ、東大法学部卒、同助手、都立大法学部助教授を経て、現在、東大大学院法学政治学研究科教授と略歴にある。東大法学部を卒業して学者の道を希望する人の中でも、優秀な人は大学院に進学せずに学部の助手に採用されるという噂があるが、金井はまさにそれに当てはまる。政治学者の御厨貴や確か丸山眞男を同じ道をたどっているから意外と真実かも知れない。それはともかく私は厚生行政を外から30年以上にわたって眺めてきているので金井の分析や主張には「なるほど」と思わせるものが多かった。日米関係をどうとらえるかは、戦後の政治史の要となるものと思われるが、それに対する金井の見解は次のようなものである。サンフランシスコ講和条約の本質は、支配された「被占領地(植民地・自治領土)」の日本側「自治」政府にできたことは、「本国」=米国側の了解の範囲内で、独立または高度な自治を獲得することだった。「本国」にとっては日本支配の最大かつ究極の価値は、「自治領土」日本内に軍事基地を置き自由に使用することだ。こうしてサンフランシスコ講和条約と同時に、日米安保条約が締結された。なるほどねー、戦後の自民党政権は吉田茂から現在の安倍晋三に至るまで、基本的には対米従属路線を歩んできた背景がよく分かる。
もうひとつは権力と行政の関係である。最近、黒川東京高検検事長の定年延長問題や河井前法相と妻の参議院議員の逮捕によって権力と検察の関係に注目が集まっている。本書はこれらの事件の2年も前に刊行されているにも関わらず、権力と検察の関係の問題点を正確に指摘している。戦後日本の政治・検察関係を決定づけたのは1954年の「指揮権発動」である、と金井は指摘する。これは造船疑獄の捜査で東京地検特捜部は与党自由党幹事長の佐藤栄作を逮捕する方針を決定したが、犬養健法相が指揮権を発動し逮捕中止を検事総長に指示した事件である。金井は「この事件を契機に、政治は指揮権発動をしない、検察は指揮権発動させるほどの強引な捜査をしない、という微妙な間合いを忖度し合う関係に」なったとする。金井はまた「政治指導は政治の暴走とも紙一重」とも書いている。政治指導=政治主導によって黒川検事長の定年を延長しようとした安倍政権に通じるものがあるのではないか。ちなみに造船疑獄で指揮権発動によって逮捕を免れた佐藤栄作は安倍首相の大叔父に当たる(安倍首相の祖父が岸元首相で岸は佐藤の実兄)。なにか因縁を感じてしまう。

6月某日
図書館で借りた「皇国史観」(片山杜秀 文春新書 2020年4月)を読む。片山の本は難しいテーマでもわかりやすく解き明かしてくれるのが特徴。大学院時代から「週刊SPA!」のライターをしていたことと関係があるのかもしれない。片山は音楽評論家としての顔もあって伊福部昭(ゴジラの映画音楽を作曲した)を評価している。思想史研究家としては左右のイデオロギーに捕らわれることなく時代と思想(家)の関係を探ろうとしているところに私は好感を持つ。本書もまさにそうで「皇国史観」というタイトルそのものが「ヤバイ」でしょ。皇国史観という言葉自体が肯定するにしろ否定するにしろイデオロギーにまみれちゃっているからね。しかし「さすが片山先生」である、読後感はむしろ爽快であった。皇国史観をどうとらえるべきか、片山は「水戸学」「五箇条の御誓文」「大日本帝国憲法」「南北正閏問題」「天皇機関説事件」「平泉澄」「柳田国男と折口信夫」「網野善彦」「平成から令和へ」というキーワードから解き明かす。皇国史観は江戸時代初期に水戸学から発生した。将軍よりも天皇を上位とする価値観は幕末に至って尊王攘夷思想に発展する。尊王攘夷の本家は水戸徳川藩だが、天狗党が攘夷を唱えて筑波山で蜂起、それ以降凄惨な内ゲバを繰り返し、明治維新の頃には人材は払底してしまったらしい。五箇条の御誓文の「万機公論に決すべし」には民主主義の萌芽が認められるものの、明治憲法はプロシアに学ぶ反動的なものであった、というのが通俗的な理解で実態はそれほど単純なものではなかった。現在の天皇も明治天皇も北朝であるが、明治政府は南朝を正統とした。そうしないと楠木正成が逆臣となってしまい、当時の庶民感情を納得させられなかったのである。天皇機関説も学会の主流は機関説であったが、昭和の軍部が「天皇を機関車や機関銃と一緒にするのか」という庶民感情に乗じて美濃部達吉を非難、美濃部は貴族院議員を辞職する。大変読みやすい本なので、歴史好きには一読をお勧めする。

6月某日
図書館で借りた「仁淀川」(宮尾登美子 新潮文庫)を読む。巻末に「この作品は2000年10月、新潮社より刊行された」とある。宮尾登美子は1926(昭和元)年の生まれだから著者が70年代前半の作品ということになる。宮尾が中央の文壇にデビューしたのは1972年に太宰治賞を受賞した「櫂」で、以下、「春灯」「朱夏」と高知の女衒、岩伍に嫁いだ喜和、娘の綾子を主人公とした自伝的な連作を発表している。「仁淀川」は喜和と岩伍の死と、綾子が後に「家の職業についても、自分の手で描いてみようと決心した」までを綴った「綾子自立へ」の章で終わっている。宮尾は40代の半ばから自伝的な連作小説を書き始め、70代半ばの本作で主人公、綾子が作家を目指す方向を示すことで完結するのである。といっても本作では20歳の綾子が夫と生まれたばかりの娘と3人で満洲から着の身着のままで高知の夫の生家に帰り、農作業に駆り出されていく様が描かれる。綾子は女衒の娘である。女衒とは若い女性を遊郭などに売る一種の仲介業であり、遊郭は都市でなければ成立しない商売であり、女衒もまた極めて都市的なビジネスであった。綾子の嫁ぎ先における苦労とある種の戸惑いは農村と都市の対立であり、それは生産者(農村)と消費者(都市)との対立でもある。綾子は遂に農村に馴染むことはできず、嫁ぎ先の姑にとっては綾子は労働力以上のものではなかった。しかし、だからこそ綾子は自立の道を目指したのだし、作家、宮尾登美子も誕生したのだとも言える。年代がほぼ同じの宮尾、瀬戸内寂聴、田辺聖子を比較すると、寂聴は徳島市内の仏壇屋に生まれ東京女子大に進学、結婚離婚して作家デビューを果たしている。田辺は大阪の大きな写真館の娘に生まれ、樟蔭女子専門学校に学び同人誌に掲載された「センチメンタル・ジャーニー」で芥川賞を受賞、後に開業医の川野氏と結婚している。三者三様ではあるが、宮尾の満洲の荒野、高知の農村の経験が、常套句ではあるが「作家の肥し」となったのは間違いのないところだ。