モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
図書館で借りた「マンチュリアン・レポート」(浅田次郎 講談社文庫 2013年4月)を読む。浅田には清朝末期からの中国を舞台にした「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」があり、本書もその一環ということらしい。解説(渋谷由里・中国近代史研究者)でも、これらの近代中国シリーズを「最初から読んでいただければと思う」と記している。本書の主人公は志津邦陽陸軍中尉、そしてイギリスの鉄道車両工場で造られ、李鴻章から西太后に贈られた機関車、「鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)」である。その他の主な登場人物は張作霖、昭和天皇である。志津中尉は治安維持法改悪に関する意見書を公表したことにより陸軍刑務所に捕らわれの身となるが、昭和天皇の密命により釈放される。戦争に傾斜する陸軍を懸念する昭和天皇から満洲の現況をレポートするよう命じられるのだ。イギリスで製造された鉄道車両を西太后の御料車となり、後に張作霖の所有となったとこの物語ではされている。張作霖はこの車両に乗車して満洲へ帰る途中で爆殺されるのだ。どこまでが史実でどこまでがフィクションなのか、読んでいる途中、まさに「巻を置く能わず」であった。

7月某日
1日間違えた高原亮治さんの命日、四谷の上智大学隣の聖イグナチオ教会で16時に堤修三さんと木村陽子さんと待ち合わせ。地下の納骨堂にお参り。木村さんに「森田さん、2日連続で来てくれるなんて高原さんも喜んでいるよ」と言われる。堤さんが禁酒中なので四ツ谷駅のショッピングモール2階のカフェアントニオへ。私はバランラインのハイボールを頼む。いつもより旨いと感じたのは炭酸水の違いか。木村さんは「糠床」で茄子やニンジンの糠漬けを作ったり、マンションのベランダを利用して園芸に精を出す日常だそうだ。この3人は年に一度、高原さんの命日に会う関係だ。なんか面白いね。

7月某日
図書館で借りた「香港デモ戦記」(小川善昭 集英社新書 2020年5月)を読む。新型コロナウイルスの影響もあって現在は香港の街角は平静さを取り戻しているようだが、昨年の春から暮れにかけて香港は「逃亡犯条例」の改正を巡って学生、市民の大規模なデモに見舞われていた。本書はデモに明け暮れた香港を現地取材したルポルタージュだ。日本の全共闘世代である私は2019年の香港を、1968~70年の東京と二重写しに見てしまいがちだ。学生が主体となって機動隊と激突し、一部の市民、野次馬が学生を支援するという構造は、1968年の王子野戦病院反対闘争、同じく10月21日の国際反戦デーの新宿騒乱事件、翌年1月の東大安田講堂の攻防戦に呼応したお茶の水カルチェラタン闘争などと似たような構造を持っている。しかし大きな違いは、当時の日本の学生は「世界革命」を目標とする反日本共産党の共産同や革共同の革命党派の指示で動員されていたことだ。対して香港の学生には統一した司令部は存在せず、各自が自発的にネットで連絡を取り合いながら集会やデモを行っている。私はここに香港の新しさと可能性を見出す。インターネットはそれ以前と比較すると情報量を圧倒的に増加させ、人間と人間の繋がりをフラットにさせた。それが香港の学生たちが主張するように「一国二制度」の堅持に向かうのか、中国政府の介入を強め、「一国二制度」の崩壊へと向かうかは不明であるが。私としては香港の学生、市民を支援したい気持ちで一杯なのだけれど。

7月某日
図書館で借りた「私はスカーレットⅡ」(林真理子 小学館文庫 2020年4月)を読む。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」のリメイク版。私は原作の「風と共に去りぬ」は読んでません。ヒロインのスカーレットをヴィヴィアン・リー、相手役のレット・バトラーをクラーク・ゲーブルが演じた映画は観ているけれど。文庫本の惹句に曰く「名作『風と共に去りぬ』を林真理子がヒロイン視点でポップに甦らせる一人称小説。血湧き肉躍る展開の第二巻!」とある。スカーレットは南部の大農園の主の娘として生まれ、自他ともに認める美貌の持ち主。しかし恋するアシュレはメラニーと結婚、当てつけにスカーレットが結婚した相手は南北戦争で戦死。16歳で未亡人、17歳で母親になったスカーレットは大都会のアトランタへ。「風と共に去りぬ」は黒人差別の表現があるなどして批判されている。どのような名作も時代的な制約からは免れえない。それを踏まえたうえで名作を楽しむ機会を奪ってはならないというのが私の立場。「スカーレットⅡ」では南軍が北軍に圧倒されて、アトランタでも食料や衣類が欠乏していく状況が描かれる。レットは戦争のさ中、北軍の港湾封鎖をかいくぐって大儲けする。が「どんな崇高なことを言っても、戦争をする理由はひとつしかない。金ですよ」と公言するリアリストでもある。南北戦争は1861~65年で「風と共に去りぬ」の刊行は1936(昭和11)年、その当時の日本で、こんなことを発言する人がいたろうか?いたとしても治安維持法で検挙されたに違いない。アメリカの懐の深さを感じてしまう。

7月某日
社保研ティラーレで次回の社会保障フォーラムの応募状況を聞く。新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、集客はいまひとつ。だがリモートでの応募が幾つか出てきているのは朗報と思う。落語をリモートでやったという噺家もいるらしい。新型コロナウイルスは確かに人類にとっての厄災である。でも厄災を厄災で終わらせてしまっては情けない。「転んでも只では起きない」精神が大事です。

7月某日
図書館で借りた「狼の義―新犬養木堂伝」(林新・堀川恵子 角川書店 2019年3月)を読む。著者の林新(はやし・あらた)はNHKのプロデューサーで2017年に亡くなっている。堀川恵子は林の奥さんでノンフィクション作家、亡夫の志を継いで本書を完成させた。犬養木堂、犬養毅は昭和7(1932)年5月15日、首相官邸で海軍軍人らに殺害された(5.15事件)。本書は犬養が慶應義塾在学中に西南戦争の従軍記者を務めたから頃から、その死までを綴ったドキュメントである。「狼の義」というタイトルは尾崎が狼面をしていたことによる。小柄だが眼光が鋭かったということである。戦前というと軍部が言論統制を敷いて民主主義を弾圧した時代と単純に捉えがちだが、明治から大正、昭和、日中戦争、太平洋戦争を経て敗戦に至る歴史は、そう簡単ではない。本書を読んでもそのことはよく分かる。尾崎が若い時から自由民権運動に身を投じたように、戦前の日本には軍国主義、対外膨張の流れとは別に民権拡張、対外協調の流れが確かにあった。本書は尾崎に寄り添った古島一男という人物を配して対外協調(とくに中国との)路線を貫いた尾崎の一生を描いている。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
図書館で借りた「恋にあっぷあっぷ」(田辺聖子 集英社文庫 2012年1月)を読む。巻末に「この作品は1988年4月に集英社文庫として刊行され、再文庫化に当たり、加筆修正されました」と付記されている。単行本された年月が明らかにされていないのは残念。というのは田辺の現代小説、とくに若い女性を主人公にした小説ではその時代の風俗(ファッション、食事、遊びなど)が特徴的に描かれ、「あーそうだったなぁ」とうなずかされることが多いのでね。それはともかく本作の主人公はアキラと呼ばれる夫と結婚して5年の31歳の人妻。大阪の郊外の文化住宅に住み、夫はサラリーマン、アキラは近所のスーパーで経理のバイトをしている。文化住宅とは作品中で「いわば西洋風棟割り長屋である。……5軒あるどの家も、それぞれ、入り口とそれに続く3、4段の階段を持っている」とされている。結論から先に言ってしまうと、この作品は大阪郊外の文化住宅で夫に庇護され、それなりに満足していたアキラが、R市の高級住宅地のブティックに勤め始めたことをきっかけに自立していく物語である。裏表紙の惹句に「夫がいて恋人がいてパトロンを持つという贅沢を知った女の心の成長を描く大人の恋愛小説」とうたわれているが、ことはそう単純ではない。
「恋人」とは隣家に越してきた一家の主人のジツである。アキラにはジツの3人家族が「三片がどこかデコボコしておさまりきれぬパズル」だったが、ジツの急病によって「いまやっとうまく嵌まり……しごくなめらかにおちついておさまっていると思わせられた」となる。ジツのアキラに対する魅力はそれまでしかなかったと言ってよい。「パトロン」とはアキラの勤めるブティックを訪れた海亀のような容姿のお金持ち「鷹野さん」で、アキラと鷹野さんは深く愛し合うようになる。アキラの夫の博多への転勤が決まり夫は当然、アキラもついてくるものと思うが、アキラは「あたし、好きなひと、できたの、そのひとと暮らしたいの」と拒否する。夫との協議離婚が成立し、離婚が成立するまで控えていた鷹野さんへ連絡すると待っていたのは鷹野さんの訃報であった。アキラは夫と恋人とパトロンを失ったのだ。鷹野さんを失った深い悲しみのなか、アキラはまた夫と別れてからの「演技のいらない人生の快適さをたっぷり楽しんでいる」のである。本作は恋愛小説というよりも、一人の既婚女性の自立への道のりを描くビルディングロマン=教養小説である。

7月某日
図書館で借りた「愛の夢とか」(川上未映子 講談社文庫 2016年4月)を読む。著者初の短編集で谷崎潤一郎賞受賞作。単行本として出版されたのは13年3月、雑誌の初出は1作のみが07年で、他の7作は11年と12年である。表題作の「愛の夢とか」と最後に収められている「十三月怪談」には東日本大震災のことがさりげなく触れられている。「愛の夢とか」では「川の近くに家を買って、二カ月したらとても大きな地震が来て」「「たまに原発関連のニュースなんかをみているときに」というふうに、「十三カ月怪談」では「それはもちろん時子が亡くなる二年前に起きた巨大地震が原因で、彼らは地震のほんの数カ月前、海にほど近いその高層マンションを購入したばかりであった」というふうに。東日本大震災に私の感性は少なからぬ影響を受けた。具体的に言ってみろと言われると困ってしまうが。川上未映子の心にも何らかの痕跡を残したと思われる。いずれにしても良質な短編集である。

7月某日
図書館で借りた「よその島」(井上荒野 中央公論新社 2020年3月)を読む。主人公の碇谷蕗子は70歳、夫の碇谷芳朗は76歳、夫妻とともに島に移り住んできた元作家の野呂晴夫は蕗子と同じ70歳である。市場経済の中にシルバーマーケットというのは確かに存在し、高齢化の進展とともに、その規模を拡大させているのは承知している。しかし老人を主人公にしたからと言って老人文学というジャンルが存在するかといえば、私は否定する。谷崎の「瘋癲老人日記」や深沢七郎の「楢山節考」など老人を描いた優れた作品は多いが、それは老人という存在を通して人間という普遍的な存在を描いているからなのだ。「よその島」はその観点からすると優れた文学作品だし、エンターテイメント文学としても読みごたえがあった。碇谷夫妻には殺人を犯したという思い込みがある。野呂には別れた妻の間に生まれた子供が28歳で死んだときに葬式にもいかなかった自分を責める。過去とどう向き合いどう清算するか、が作品のテーマになっていると思う。物語の終盤で芳朗は認知症を発症し、蕗子のことも蕗子と認識できない。蕗子と認知症になった芳朗の会話が感動的である。
「奥様をお好きでした?」(と蕗子が芳朗に聞く)
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「ごめんなさい……。碇谷さんは少し、私の夫に似ているんです」
蕗子は急いで答えを拵えた。
「夫が私のことをどう思っていたのか、碇谷さんのお答えに賭けてみたくて」
「ご主人は……」
「今はここにいないんです」
「どちらに?」
「今は、よその島におります」
「ああ、そうなんですね」
芳朗はほっとしたように頷いた。
「もちろん、好きでしたよ、妻を。とても好きでした」
「本当に?」
「ええ。あなたのご主人も、きっとあなたのことを好きですよ」
その言葉を保証するように、芳朗はにっこりと笑った。

7月某日
厚労省の医系技官で健康局長を務めた高原亮治さんが亡くなってから何年になるのだろうか。毎年命日に堤修三さんと高原さんの遺骨が納骨されている四谷の聖イグナチオ教会にお参りしている。教会の前のベンチに座って堤さんを待ったが約束の16時になっても来ない。「待っても来ないので先にお参りして帰ります」とメール、折角なので聖イグナチオ教会を覘く。会堂には数人の信者と思しき人が座っていた。曇天にも関わらずステンドグラスから射す柔らかな光、荘厳なパイプオルガンの調べに誘われて、信者ではない私も思わず正面のイエス像に向かって高原さんの魂の平安を祈る。四谷から地下鉄丸ノ内線で淡路町へ。大谷源一さんと「花乃碗」で待ち合わせているのだ。17時過ぎに着席、大谷さんに「着きました」とメールすると「今、有楽町、6時過ぎになります」と返信がある。ジントニックを頼み、2杯目のウオッカトニックを呑み終わる頃に大谷さんが来る。堤さんから返信があり高原さんの命日は明日ということ。私が日にちを間違っていたわけだ。「花乃碗」は、社保研ティラーレの吉高会長と佐藤社長に連れて来てもらったのが最初で、今回は2度目。なかなかしっかりした料理を出す店だ。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「湿原(上)」(加賀乙彦 岩波現代文庫 2010年6月)を読む。本書は朝日新聞社より1985年に刊行され、新潮文庫として1988年に刊行されたと巻末に記されている。上巻での小説の舞台は1968年から1969年にかけての東京と北海道根室の原野だ。根室から釧路にかけての根釧原野は開拓の斧も立ち入ることが許されなかった一大湿原である。小説のタイトルもここから考えられたものだろう。上巻だけで630ページだが一気に読んでしまった。1968~69年は学生反乱が日本だけでなく全世界的に燃え盛った時代だ。この小説でも学生のからんだとされる公安事件が、重要な背景をなしている。主人公の神保町の小さな自動車整備工場の工場長、雪森厚夫は複雑な過去を持つ50代。中国戦線の従軍経験があり、戦後も窃盗や詐欺により刑務所暮らしが長かった。だが刑務所で習得した自動車整備技術を活かして自動車整備工場では工場長として尊敬されている。ヒロインとして描かれるのが美貌の女子大生、池端和香子24歳、四谷のR大学の理工学部の学生、父は紛争が激化しているT大の刑法学の教授である。親子ほど年の違う雪森と和香子は恋に落ちて、雪森の故郷の湿原を旅する。が帰京した次の朝、雪森は新幹線爆破事件の容疑者として逮捕される。上巻は雪森の死刑、和香子に無期の1審判決が下されたところで終わる。
68年から69年は私が早大に入学して学生運動に加わり、69年9月には早大第2学館で逮捕起訴され、留置されていた大森警察署から池袋にあった東京拘置所に移送された。小説では68年の10.21に雪森と和香子が新宿でデモと遭遇し、和香子の行きつけのゴールデン街のバーに避難する情景が描かれている。私はこの頃はまだ反帝学評(社青同解放派)の青ヘルメットを被っていた。午後3時頃、早大の本部前に集結し、全体のデモ指揮は当時3年生のKさんが執り、国会議事堂への突入を図るが敢え無く機動隊に蹴散らされてしまった。あの時は、反帝学評は国会、社学同は防衛庁、中核派は新宿と各派ごとに行動地域が分かれていた。私は機動隊に蹴散らされた後、新宿が面白そうと思って新宿駅に向かった。多分、電車で向かったと思うが直後に電車は動かなくなった。あの頃、学生のヘルメット部隊とは別に群衆が戦闘的で、私も新宿駅構内では群衆の一人として機動隊に投石した。ひと暴れしてそろそろやばくなってきたので、高田馬場方面へ帰ろうとしたが、日付の変わる頃には新宿の街角は機動隊にほぼ制圧されていた。「どうしようか」と思っていたとき、早稲田の解放派の文学部の女子大生と出会い、恋人同士を装って新宿から新大久保、高田馬場、早稲田まで腕を組んで歩いて帰った。新大久保のラブホテル街を通ったときは「入ろう!」と言われたらどうしようかとドキドキしたが、そのようなことは微塵も起きなかった。早稲田に着いたらその女子大生は仲間を見つけたようで「じゃあね」とあっさりと行ってしまった。「湿原」とは関係ありませんが私の「青春」の一コマである。

7月某日
引き続き「湿原(下)」を読み進む。下巻では第2審から厚夫の弁護士に選任された阿久津弁護士が、厚夫の新幹線爆破当日のアリバイを証明して行くところから始まる。解説でロシア文学者の亀井郁夫が加賀乙彦をドストエフスキーと比較して論じている。ドエストエフスキーの「罪と罰」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」などは優れた思想小説と言えるが、これらの作品群は同時に優れた犯罪小説としても読める。「湿原」にも同様のことが言えると思う。阿久津弁護士の活躍によって厚夫と和香子の犯行当日のアリバイは証明され、厚夫と和香子、厚夫の甥の陣内勇吉、共謀共同正犯とされた革命党派R派の3人は2審では無罪となる。検察側は最高裁への上告を断念し、厚夫たちの無罪は確定する。獄中で厚夫は自身の少年期から盗みを常習としてきたこと、重機関銃隊として中国戦線に従軍、戦争とは言え多数の中国兵を殺戮したこと、また、戦後も掏摸、横領、強盗などを繰り返し、人生の大半を軍隊と刑務所で過ごしてきたことを手記にまとめる。和香子に真実の自分を知ってもらいたいためだ。この手記が「湿原」に厚みをもたらしているが、同時に作品に劇場的な効果も与えている。獄中で拘禁ノイローゼを発症した陣内勇吉は精神病院で首吊り自殺し、R派の3人も対立するK派に殺害される。ここら辺はドストエフスキーの「悪霊」的悲劇だ。
R派の指導者だった殺害された守屋牧彦は和香子に、自分が書いた「国家と自由」という論文を残す。和香子は厚夫にこの論文の「開発不能の湿原と石油の出ない砂漠をまず、国家の領土から切りはなして、地球連邦の共有地にせよという意見が、とくに面白かった」と語る。私はそこに無政府主義的ユートピア思想を感じてしまった。ところで厚夫は大正8年生まれ、和香子は昭和20年生まれに設定されているから、年齢差はおよそ27歳。生まれ育った環境もまったく違う。しかし二人は深く愛し合っている。湿原を観ながら厚夫が和香子を力一杯に抱きしめ「ねえ、この土地で二人で生きよう。もろともに、風蓮仙人となって暮らそう」と語るところで小説は終わる。風蓮仙人とは湿原に暮らす不思議な老人のことだ。

7月某日
林弘幸さんと我孫子駅前の「七輪」で16時に待ち合わせ。5分ほど前に店に行きカウンターで呑み始めたが、林さんはなかなか来ない。「おかしいな」と思っていると林さんが置くから「こっちにいるよ!」と声を掛ける。10分前から来てるんだって。2時間ほど呑みかつ食べる。林さんとは30年来の付き合いだがなぜか気が合う。林さんは永大産業出身で永大でも年住協でも「営業一筋」というか、営業という仕事に誇りを持っている。私は編集制作出身だが、サラリーマン生活の後半は営業が面白くなった。そんなところが気が合うのかも知れない。

7月某日
雨で外出するのが億劫なので家にある本を読むことにする。目に付いた藤沢周平の「静かな木」(新潮文庫 平成12年9月)を読む。藤沢周平はデビュー当時は作風が暗かった印象があるけれど、売れ出すにつれて「ユーモア時代小説」と言ってもいいような作品も書くようになった。私はどっちも好きですけどね。藤沢は山形の師範学校を出て県内で小学校の教師をしていたが結核を発病、上京して5年間の闘病生活を送る。教師への復帰はかなわず食品関係の業界紙に就職、編集長と作家を兼ねていたときに直木賞を受賞、作家に専念する。業界紙の記者って公務員や一流企業からこぼれた人の受け皿でもあったわけね。私も学生運動経験者で前科持ち、出版社への就職はできず住宅建材関係の業界紙に就職したからね。そんなわけで藤沢周平はよく読んだ。「静かな木」は表題作含めて3作の短編が収録されている。2作はユーモアが勝ち、表題作は不正を働いて出世したもと上司との対決を描いた情念もの。藤沢は1927年に生まれて1997年に死んでいる。享年70歳。今の私より年下だよ!

7月某日
図書館で借りた「あなた上下」(乃南アサ 新潮文庫 平成19年2月)を読む。乃南アサは結構好きで何冊も読んでいるのだけれど、この本は上巻を少し読んで「外れかな?」と思ってしまった。主人公がどうもいけ好かない。作品中では「ちゃらんぽらんで、何ごとに関しても真剣味がなくて、軽薄。単純。意外に小心、しかも計算高い。女好き。助平。浮気者。格好だけ」と表現されていて、この文章はそのまま解説(重里徹也毎日新聞編集委員)で引用されている。解説によると、この小説は2002年の1月から12月まで、新潮ケータイ文庫に連載されたという。小説の発表携帯としてとても今日的、想定される読者としても20代が中心だったのではなかろうか。だとすれば造形された主人公は、ほぼ読者と等身大かそうでなくとも多くの読者は「いるいる、こういう奴」と思ったはず。つまり乃南アサはそれらを織り込んだうえで主人公を造形したのだ。小説の前半は主人公の恋愛模様が描かれ、後半はその過程で主人公とその恋人、友人がホラー現象に巻き込まれていく様を描く。ホラー現象自体、現代科学では照明できていないと思うのだが、それをリアルに描くのがまさに乃南アサの筆力だと感じ入った。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
図書館で借りた「半次捕物控え―御当家七代お祟り申す」(佐藤雅美 講談社文庫 2013年7月)を読む。佐藤雅美には江戸時代を題材にした幾つかのシリーズがある。今、思い出すのだけでも「町医北村宗哲」「八州廻り桑山十兵衛」「縮尻鏡三郎」「居眠り紋蔵」そして「半次捕物控え」である。町医北村宗哲以外は今で言う「法曹・刑事もの」である。もっとも北村宗哲の前身と言える啓順シリーズは、御典医の妾腹に生まれた啓順が官許の医学校を中退、無頼と交わるうちに人を殺め、追手から逃亡を続ける姿を描く「犯罪・逃亡もの」である。本作は「第1話 恨みを晴らす周到な追い込み」から「第8話 命がけの仲裁」までの8つの短編で構成されている。8つの短編はそれぞれが独立しているのだが、全編を通すと大和郡山の柳沢家にまつわるお家騒動とその復讐劇という形式になっている。おそらく最初は雑誌に連載されたものと思われるが、連載当初からこのような形式を考えていたに違いない。佐藤雅美の優れた構成力というしかない。で、「半次捕物控え」の時代設定は、本文中に「およそ40年前の寛政元年、幕府は棄捐令を発した」という記述がある。寛政元年=1789年だから、それから40年後、1829年(文政12年)ごろになる。ということは「居眠り紋蔵」とほぼ同時代ということになる。

7月某日
図書館で借りた「加賀乙彦 自伝」(ホーム社 発売・集英社 2013年3月)を読む。300ページ近い本だが面白くて1日で読んでしまった。といっても年金生活者の身だから時間だけはあるからね。それと自伝と言っても書下ろしではなく、雑誌「すばる」2011年8月号・11月号、2012年7月号に掲載した「加賀乙彦インタビュー」を基にした語り下ろしだからかもしれない。加賀は1929年生まれ、東京山の手の比較的裕福な家に育った。42年に府立6中(現新宿高校)に入学、翌年に名古屋陸軍幼年学校に47期生として入学。45年敗戦により6中に復学、9月に都立高等学校(現首都大学東京)理科に入学、49年東大医学部に入学というのが主な学歴。陸軍幼年学校は敗戦により、都立高校(旧制)は学制改革により消滅している。53年に医師国家試験に合格、55年には東京拘置所に医系技官として採用、1年半の間死刑囚や無期囚に数多く面接する。57年、28歳のとき精神医学及び犯罪学研究のためフランス留学、60年に帰国、「日本に於ける死刑並びに無期受刑者の犯罪学的精神病理学的研究」により医学博士号を取得。この辺まで作家というよりは精神科医の印象が圧倒的に強い。作家として知られるようになるのは「フランドルの冬」が芸術選奨文部大臣賞を受賞してからだろうか。私がこの作家に親しんだのは朝日新聞に連載されていた「湿原」を読んでから。「宣告」「高山右近」も読んだとは思うが、例によって内容は覚えていない。加賀は87年、58歳のときに妻とともにカトリックの洗礼を受けている。私は10年ほど前に亡くなった社会保険庁のOBの福間基さんのことを思い出した。福間さんも陸軍幼年学校出身で奥さんとカトリックに入信していた。陸軍幼年学校とカトリック以外に共通点を見出すことはできないが。

7月某日
「女帝 小池百合子」が面白かったので同じ作家の「日本の天井―時代を変えた『第1号』の女たち」(石井妙子 角川書店 2019年6月)を図書館から借りて読む。「天井」とはガラスの天井のことで、米大統領選挙でクリントンがトランプに負けたときに使われたのが私が新聞記事の中で目にした最初だと思う。著者は、日本にももちろん「ガラスの天井」は存在し、それは「ガラスではなく鉄や鉛でできており、見上げても青空を見ることさえできない。それが少なくとも近年までの日本社会であったと思う」(まえがき)と述べる。「女帝小池百合子」を読んで石井妙子は優れたノンフィクション作家だと思ったが、本作を読んで彼女はインタビュアーとしても卓越した能力を持っていると感じた。優れたインタビュアーの条件とは何か?私が思うに、第一は問題意識、時代認識である。第二にインタビュー対象者への事前の資料調べである。石井は日本の女性にとっては鉛や鉄でできた個人の意識(男だけでなく女も)や社会の意識、制度の壁などに対する問題意識、時代認識は非常に鋭いし高いと思う。それとインタビュー対象者に対する共感力の高さね。本書では上場企業初の取締役となった石原一子、女性プロ囲碁棋士第1号の杉内壽子、中央官庁の女性局長第1号の赤松良子、エベレスト登山の田部井淳子、漫画家の池田理代子、アナウンサーの山根基世、落語家の三遊亭歌る多が紹介されている。個人的には赤松が一番面白かったかな。「『…私は気が強かったからね。仕事で男に引けを取ることはなかったわよ』/そう言い終わると、『さあ、約束の時間が過ぎたから失礼するわね』とインタビューを自ら締めくくり、かたわらの杖を取ると出口に向かって颯爽と去っていった」。格好いいね。

7月某日
NHKのBSプレミアムで「シェナンドー河」を観る。日本公開は1965年、主演はジェームズ・スチュアート、舞台は南北戦争の末期で南軍の劣勢が明らかになった頃のバージニア州。ジェームズ・スチュアートが演じる農場主はシェナンドー河のほとりで広大な牧場を経営しつつ、妻亡き後7人の子どもを育て上げた。ある日末子の「ボーイ」が北軍に捕らえられる。河で拾った南軍の帽子を被っていたためだ。農場を長男一家に預け、農場主は残りの兄弟とともに「ボーイ」を探しに旅に出る。「ボーイ」は見つからず、一家は家路を急ぐが兄弟の1人が北軍の少年兵に誤って殺される。長男夫妻も暴漢に殺害され、赤ん坊1人が残された。ラストシーンは日曜日の教会。赤ん坊の機嫌が悪く、乳母の黒人の腕の中で泣き叫ぶ。そこに行方不明だった「ボーイ」が帰ってきて農場主と抱き合う。ジェームズ・スチュアートが頑固な農場主を好演。反戦映画として私は観ました。

7月某日
「新版昭和16年夏の敗戦」(猪瀬直樹 中公文庫 2020年6月)を大変面白く読んだ。猪瀬は石原都知事に乞われて副知事に就任、石原の後任の都知事にもなったのだが、確か徳洲会グループからの政治献金がらみの疑惑で辞任を余儀なくされた。しかし猪瀬はもともとは優れたジャーナリストだったんだよね。「天皇の影法師」「ミカドの肖像」「ペルソナ・三島由紀夫伝」などは率直に言って優れたドキュメンタリーだと思う。さて本書はもともと世界文化社の「BIGMAN」に6回にわたって連載されたものに大幅加筆されたもので、最初の単行本は1983年に世界文化社から刊行され、文庫は86年に文春文庫、2010年に中公文庫として上梓されている。今回「新版」とされているのは巻末に政治家の石破茂との対談が掲載され、さらに新型コロナウイルスに触れた「我われの歴史意識が試されている―新版あとがきにかえて」が収録されているためであろう。で本書はタイトルだけでは内容は皆目わからない。石破との対談で猪瀬本人が語っていることをもとに本書の内容を紹介しよう。昭和16(1941)年4月に政府は「総力戦研究所」を立ち上げ、当時の大蔵省、商工省、内務省、司法省らの若手官僚、さらに陸海軍の少佐、中佐クラスの将校、民間からは日本製鐵、日本郵船、日銀、同盟通信(後の共同通信)の記者が集められた。彼らの任務は「もしアメリカと戦争したら、日本は勝てるのか、そのシミュレーションを」することであった。大蔵官僚は大蔵官僚、日銀の行員は日銀総裁、記者は情報局総裁に就任し「模擬内閣」をつくり、出身の省庁や会社から資料、データを持ち寄って検討していった。彼らの結論は「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が敗れる」というものだった。開戦に至る過程で昭和天皇には戦争を回避する気持ちが強く、海軍も開戦には否定的であった。陸軍では主戦論が勝っていたが、主戦論者であった東篠陸相も昭和16年10月に首相に就任するやその意志は揺らぐ。私は結局、当時の政治家にも軍部にも「責任を持って決断する」人材がいなかったのではと思わざるを得ない。「昭和16年夏の敗戦」は80年後の「令和2年夏の敗戦」につながらないとは言えない。令和2年の敗戦は新型コロナウイルスに対する敗北だけどね。

モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
厚生労働省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ、老健局の栗原正明企画官を訪問する。「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。厚生官僚で若くして亡くなった荻島國男さんに初めて会ったのは、彼が老人保健部の企画官になった頃だ。彼は優秀かつやや強引な行政マンで、企画官ながら老人保健部全体を仕切っていたような印象がある(あくまで個人の印象です)。栗原企画官にも優秀さが感じられたが強引さは微塵も感じられなかった(あくまで個人の感想です)。厚生労働省から社保研ティラーレに戻り、佐藤社長、吉高会長と打ち合わせ。7月30日の「例の会」の会場に神田のイタリアンの店を紹介してもらう。虎ノ門の日土地ビルで打ち合わせがあるので虎ノ門へ。打ち合わせまで時間があるので日土地ビル地下の蕎麦屋へ。山形出汁おろしそばを食べる。山形出汁というのは山形県の郷土料理で「夏野菜と香味野菜を細かくきざみ、醤油などであえたもの」である。私は20年ほど前、阿部正俊さんが参議院選挙に立候補したとき、選挙事務所で食べた記憶がある。

6月某日
図書館で借りた「へこたれない人 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2016年3月)を読む。佐藤雅美は昨年7月、78歳で死んでいる。佐藤の訃報の新聞記事の扱いが小さいことに腹を立てた覚えがある。「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」は物書同心という今で言えば検察官の書記のような役目の奉行所の同心、紋蔵が遭遇する市井の事件を解決していくというシリーズ。紋蔵にはナルコレプシーのように突如居眠りをしてしまう奇癖があることから「居眠り紋蔵」と言われている。舞台は幕末にはちょいと間のある頃、本作の「帰ってきた都かへり」では「(現在から)70年ほど前の宝暦11年のこと」とある。ウイキペディアで調べると宝暦は「1751年から1764年までの期間」とあるから宝暦11年は1762年、それから70年ほど後の小説の舞台上の現代は1832年で天保3年である。天保の改革が行われ「天保六歌撰」の舞台ともなった時代で江戸文化の爛熟期の頃か。同心というのは与力の下役で、幕臣ではあるが「お目見え」以下、つまり将軍には目通りを許されない。現在で言えばノンキャリア、たたき上げの巡査部長か警部補といったところか。現代の刑事小説などでもそのクラスが主人公になることが多いでしょ。事件の現場に一番接するのが彼らということなのだろう。

6月某日
「へるぱ!」の編集会議をZOOMでやるという。年友企画の酒井さんの指示に従いつつ、奥さんの援けを借りながら何とかスマホで参加することができた。リアルな編集会議では割と発言するのだが、ZOOMではほとんど発言する機会はなかった。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というマッカーサー元帥の言葉が頭をよぎる。ZOOMでの会議もそうだが新型コロナウイルスでずいぶん世の中は変わったし、今後も変わっていくと思う。リーマンショックを上回る経済的な打撃などコロナのマイナス面を捉えるだけでなく、日本社会の構造転換を図る好機と見ることも重要と思う。

6月某日
図書館で借りた「物語の向こうに時代が見える」(川本三郎 春秋社 2016年10月)を読む。川本三郎が文庫本の解説や各種媒体に発表した書評を1冊にまとめたもの。川本三郎ってすきなんだよねぇ。文体に嫌味がないし文章に「優しさ」を感じる。川本は1944年生まれ。確か麻布高校から東大法学部、朝日新聞というエリートコースを歩んでいたが、「朝日ジャーナル」の記者をしていた1971年、朝霞の自衛官殺害事件にからんで犯人隠避、証拠隠滅で逮捕され、朝日新聞を解雇される。川本の文章に「優しさ」を感じるのはこの経歴とも無縁でないように思う。この本で川本が解説や書評で取り上げた本は、私には未読のものが大半。だが、川本の筆にかかると私に強く「読んでみようかな」という気を起こさせる。川本は作品と作家と土地にこだわる。徴兵忌避で偽名を名乗りながら日本各地を逃走する「笹まくら」(丸谷才一)、東日本大震災で被災した出稼ぎ労働者の生と死を描く「JR上野駅公園口」(柳美里)、生まれ育った北海道の寂れた風景を背景に庶民の暮らしと愛を綴る桜木紫乃、他所者として「諫早の町にあっていつもアウトサイダーの位置に自分を置いた」野呂邦暢、夫亡き後の一人暮らしの老いの準備の日常を描く「故郷のわが家」(村田喜代子)などである。この中では野呂邦暢はまだ1冊も読んでいない。私が死ぬ前に1冊くらいは読むべきでしょうね。

6月某日
桐野夏生の「デンジャラス」(中公文庫 2020年6月)を読む。新聞広告で文庫化されたのを知って、すぐに上野駅構内の書店で購入した。文豪、谷崎潤一郎を巡る女たちの物語である。そう言えば「文豪」という言葉も使われなくなった。私が小説を読み始めた頃は文豪と呼ばれたのは夏目漱石、森鴎外そして谷崎である。志賀直哉は「小説の神様」であっても「文豪」ではない。永井荷風は文化勲章は受賞しても文豪とは呼ばれなかった。純文学でなおかつベストセラーを出す、そして「一家を構える」というイメージが必要なんだと思う、「文豪」には。「デンジャラス」は谷崎の三番目の妻、松子の妹で谷崎の長編小説「細雪」の主人公雪子のモデルとなった田邉重子が語り手となって進行する。谷崎の関心が義理の妹の重子から松子の連れ子の嫁の千萬子へ移っていく、そのことに対する重子や松子の嫉妬と葛藤が小気味の良いほど描かれている。物語は戦争末期から終戦、谷崎が亡くなる昭和40年まで続く。谷崎は晩年、「瘋癲老人日記」や「鍵」といった「老人と性」にまつわる傑作を書いているが、その女主人公のモデルとなったのが千萬子である。作家にとって最も大切なのは作品であって、谷崎にとって「細雪」の執筆当時は重子の行動や考えにこそ関心があったが、戦後はその関心が千萬子へ移ってゆく。小説家の業ですかね。桐野夏生は1951年生まれだから今年、69歳、今もっとも注目すべき女流作家の一人である。