モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
我孫子の駅前の本屋で見た「すき焼きを浅草で」(平松洋子 文春文庫 2020年5月)を購入、早速読む。我孫子駅前の本屋はもともと平賀書店といって地元資本のお店だったのが、何年か前に東武鉄道系の書店に代わり今では1階がコンビニ、2階が漫画と雑誌、文庫本主体の本屋となっている。2階には店員は不在で、1階のコンビニで決済する。地方都市の本屋の生き残ることの難しさがこんなところにも表れている。「すき焼きを浅草で」は週刊文春で連載中のコラム「この味」を文庫化したもので、すでに6冊が文庫化されていることを初めて知った。作者の平松洋子さんという人のことを30~40代の独身女性というように漠然と想像していたが、実は1958年生まれの現在62歳、結婚していて成人した子供もいることを知ってちょいとびっくり。基本的には食にまつわるエッセーなのだが、ときに現代日本社会に対する鋭い批評もあって、「平松洋子侮りがたし」である。このところ本はもっぱら図書館だが、平松洋子のこのシリーズは書店で、しかも我孫子駅前のコンビニの2階の本屋で買おうかな!

8月某日
朝、家の周りを散歩する。6時に家を出て、家の前の手賀沼遊歩道へ出てそのまま沼に出る。もう釣りをしている人が何人かいる。竿を固定して近くの人と大声で話している人がいる。あんな声を出していては魚が寄ってこないのではないか。犬の散歩をしている人どうしが何人か集まって会話をしている。ジョギングしている人とも何人かすれ違ったり追い越されたりする。7割程度は私と同じ年恰好かそれ以上の高齢者である。グランドでは多少は若いご婦人のグループが敷物を敷いて体操をしている。手賀沼の近くに住んで半世紀近くになるが、手賀沼の魅力を感じるようになったのはこの1~2年、仕事を辞めてからだ。1時間ほど散歩して家に帰る。明日はもう少し早く家を出よう。
図書館で借りた加賀乙彦の「風と死者」(筑摩書房 1975年2月)を読む。奥付が新装版第2刷となっている。1966年から69年にかけて雑誌に掲載された4編の短編が収められている。加賀乙彦の短編を読むのは初めてだが、私には4編がそれぞれに面白かった。「くさびら譚」は、「私」の大学時代の恩師で世界的な神経病理学者、朝比奈教授の話である。教授はあるときから神経病理学に興味を失い、キノコの採取、分類にとりつかれる。そして自ら「私」の勤務する精神病院への入院を希望する。加賀は異常と正常を超えて「精神の高み」があることを示したかったのではなかろうか。「車の精」は、フランス人の老神父から譲られた愛車の話。優れたユーモア小説として私は読んだ。「ゼロ番区の囚人」は東京拘置所で精神科医を務めた作者の経験に基づいている。「風と死者」は精神病院での火災がテーマ。火災で死んだ患者、その家族、看護人、精神科医などの「語り」が見事である。そういえば加賀の「湿原」でも「宣告」でも、登場人物の会話が結構、効果的なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。単行本は昭和53(1978)年だから半世紀近く前の作品なんだけれど、全然色褪せていない。この本を読むのは確か2回目だがそれでも面白い。12の短編が収められているがそのどれもが面白い。「春つげ鳥」は22歳の「わたし」と倍の年齢の笠原サンの物語。二人は愛し合っていて丘の上の一軒家で暮らし始める。笠原サンは毎朝8時半に家を出て7時頃に帰る。「でも、その夜、笠原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。「、」の打ち方が絶妙。読者の不安を煽る打ち方。笠原サンは会社で倒れ、病院に運ばれ死んだのだ。悲しい物語ではある。だけどかけがえのない「愛の物語」なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「スミス・マルクス・ケインズ―よみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)を読み始める。著者はドイツの経済ジャーナリスト、1964年生まれ。ベルリン自由大学で歴史学と哲学を専攻。2006年より日刊紙「taz」で経済部門担当と著者略歴にあった。今日の夕刊1面トップで「GDP年27.8%減、戦後最悪」と報じられていた。新聞は「コロナ危機が国内経済に与えた打撃の大きさが浮き彫りとなった」と述べている。本書の副題「よみがえる危機の処方箋」ではないが、過去の経済学の巨人がどのように考えて来たのか、知ることも悪くはないだろう。「国富論」の著者は「第2章 経済を発見した哲学者―アダム・スミス」と「第3章 パン屋から自由貿易まで―『国富論』(1776)」で取り上げられている。アダム・スミスは「神の見えざる手」という言葉からも自由経済の信奉者と見られがちだが、著者の見方はまったく違う。「スミスはむしろ富裕層の特権と闘った社会改革者だった。たしかに競争と自由市場は擁護したが、それは自己目的ではなく、あくまで地主や裕福な商人の特権を切り崩すための手段だった。スミスは、現代に生きていればおそらく社会民主主義者になっていただろう」と言うのである。

8月某日
「スミス・マルクス・ケインズ」は一休みして、重松清の「星に願いを―さつき断章」(新潮文庫 平成20年12月)を読む。1995年から2000年までの6年間、互いに関係のない3人の5月の一コマを綴ったものだ。1995年というと今から25年前、1月に阪神淡路大震災があり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件があり、5月には麻原彰晃以下の教団の主要幹部が逮捕された。私は47歳で仕事に遊びに飛び歩いていた頃である。私は3人の主人公のなかではタカユキに共感を覚えた。神戸で震災ボランティアに参加したタカユキは東京の実家に戻ると共に怠惰な高校生に戻っていた。怠惰な高校生にもガールフレンドができる。1学年下の彼女は優秀で現役で北大に入学、2浪して都内の私立の教育学部に入ったタカユキは彼女に会いに札幌へ行き、学校の先生を志望している旨を伝える。私も怠惰な高校、大学生活を送ったからね、わかるんだよね、タカユキの気持ちが。

8月某日
企画を手伝っている地方議員向けのセミナー、「地方から考える社会保障フォーラムの開催日。今回から会場を日本生命丸の内ガーデンタワーに移し、従来2日間にわたっていたものを1日に短縮した。講師は厚労省から鈴木俊彦事務次官、伊原和人江利川毅医療科学研究所理事長、伊原和人政策統括官、栗原正明企画官、それに江利川毅医療科学研究所理事長だ。今回からオンライン中継も導入したがさほどの混乱もなく終わることができた。終了後、大谷源一さんに会場まで来てもらい飲みに行くことにする。千代田線の大手町から町屋へ。何度か行ったことのあるトキワ食堂へ行く。ここは居酒屋ではあるのだが、本来は名前の通り食堂である。私たちの隣のバーさんも「鯖の味噌煮定食」を食べていた。想像するに夫は既に亡くなり子供たちも独立して、バーさんは一人暮らし。「一人分の晩御飯を作るのも面倒臭いから」とトキワ食堂へ。私と大谷さんも1時間ほどで解散、お勘定は一人当たり2230円でした。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
図書館で借りた「ドキュメント強権の経済政策―官僚たちのアベノミクス2」(軽部謙介 岩波新書 2020年6月)を読む。著者の軽部謙介は1955年生まれ、早大卒後、時事通信社入社、ワシントン支局長、解説委員長などを経て、現在はフリーのジャーナリストで帝京大学経済学部教授だ。延べ150人を超える関係者へのインタビュー、公文書、議事録、メモなどをソースにしたドキュメントは十分、読み応えのあるものだった。安倍一強が進む中で官邸の機能、権限が強化され、相対的に政権の中で財務省のウエイトが低下し経済産業省の影響力が大きくなっていく過程がよく理解できた。黒田日銀や内閣人事局の実像についても突っ込んだ取材がされている。私としても安倍政権の功罪を考えるいい機会となった。もちろん私の考えでは功の部分はほとんどなく、罪ばかりが目立つのだが。

8月某日
図書館で借りた「ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国」(田中克彦 岩波新書 2009年6月)を読む。1939(昭和14)年の5月11日から9月15日まで満洲国とモンゴル人民共和国の国境地帯で日本・満洲国軍とソ連・モンゴル人民共和国軍との間で闘われた戦闘を、日本では「ノモンハン事件」と呼び、ソ連(ロシア)では「ハルハ河の勝利」あるいは「ハルハ河の会戦」と呼んでいるが、モンゴル人は「ハルハ河の戦争」と呼んでいる。「大量の戦車と航空機を出動させ、双方の正規軍にそれぞれ2万人前後の死傷者、行方不明者を出したこの軍事衝突は単なる事件を越えた、明らかに戦争であるのにそう呼ばないのは」、この戦争が宣戦布告なしに戦われた非公式の戦争であるからである。戦争を仕掛けた当事者、つまり関東軍と日本政府は、あくまでも「事件」という、内輪の話にとどめておきたかったと田中は、第1章で述べている。ところで著者の田中は歴史の専門家ではなく、言語学やモンゴル学を専攻している。モンゴル民族の側からこの戦争を観ているところに本書の最大の特徴があると思う。
モンゴル人と一口に言っても、ノモンハン当時はモンゴル人民共和国の外モンゴル、満洲国に包摂された内モンゴル、人民共和国にも満洲国にも属さないが、両国やソ連、中国の影響下にあったブリヤードやバルガなどのモンゴル人がいたのである。モンゴル人はもともと遊牧民であり版図や領土という概念に馴染まない。が、私の高校世界史のレベルというと、明に代わって中国大陸を支配した女真族は清を建国し、モンゴル人も漢人もおそらくチベットもその支配を受け入れてきた。しかし19世紀にロシアが南下政策によって中国に進出、ロシア革命によって共産政権となっても外モンゴルに進出し、傀儡政権としてのモンゴル人民共和国を成立させた。一方、遅れた帝国主義国としての日本も日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て中国大陸進出の野望を剥き出しにして、満州事変を引き起こす。結果生まれたのがこちらも傀儡政権としての満洲国である。モンゴル人は傀儡政権としての人民共和国と満洲国に引き裂かれることになる。とくに人民共和国ではスターリンによる粛清が、ノモンハン戦争前後に繰り返され、その数は2万人を超えるという。ちなみにノモンハン戦争におけるモンゴル人民革命軍の死者は237人に過ぎない。モンゴル側の死者の大半はソ連軍のものだったのだ。

8月某日
岩波新書の「ノモンハン戦争」を読んでいわゆるノモンハン事件が、従来言われているたんなる、満洲国とモンゴル人民共和国との国境紛争に止まらず、日本やソ連さらに中国をも巻き込んだ国際的な紛争の一つの表れであることが理解できた。さらに、その底流には民族問題がある。民族問題は20世紀に解決を迫られ21世紀に持ち越された大きな課題である。例えばモンゴル民族は現代でもモンゴル人民共和国、中国、旧ソ連などに分断されている。その責任は帝国主義国としてのロシア帝国や日本帝国、そして旧宗主国としての清、中華民国にある。さらにソ連の利害をモンゴル民族の利害に優先させたソ連共産党、中国共産党の責任も大きい。民族問題は宗教と密接な関係がある。モンゴル族の宗教は仏教だったが、ソ連共産党はこれを弾圧した。現代では仏教を国教とするミャンマーでは少数のイスラム教徒、ロヒンギャが迫害されている。キリスト教が主体のフィリピンでもイスラム教徒が迫害されている。人種差別に対する抵抗では白人警官が黒人容疑者を虐待、殺害した「ジョージ・フロイト事件」から始まった#BlackLivesMatter運動は記憶に新しい。民族問題、宗教問題、人種問題、さらにあらゆる差別問題は21世紀の人類共通の課題である。

8月某日
図書館で借りた「岩井克人『欲望の貨幣論』を語る」(丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班 東洋経済新報社 2020年3月)を読む。岩井克人は「会社はだれのものか」を読んだことがある。内容は例によって覚えていないが、株主のものでも経営者のものでもなく、従業員のものでもなく……といったような内容で「法人」という概念について独自の見解を述べていたような気がする。今回の本は貨幣について仮想通貨のビットコインからアリストテレス、ケインズ、ハイエクなどの思想に触れつつ、岩井の見解を吐露している。岩井は日本に現存する経済学者としては巨人の地位を築いているが、それは単に経済学だけではなく、文学、芸術、歴史などの幅広い知見に支えられたものであることがよく分かる。ちなみに奥さんは小説家の水島美苗。

8月某日
ほぼ1週間ぶりで東京へ。虎ノ門のフェアネス法律事務所で渡邉弁護士と遠藤弁護士と打ち合わせ。社会福祉法人に関する案件なので、私が「全国社会福祉協議会(全社協)と話したほうがいいかも知れない。副会長の古都さんは知り合いなので」と言って、全社協のことを少し説明する。会長は慶應大学の塾長をやった清家篤さんと伝えると、遠藤弁護士は「えっ清家さん、そんなことやっているの」という。古くからの知り合いだそうだ。フェアネス法律事務所は明日から夏休みということだ。千代田線で大手町に出て社保研ティラーレで佐藤社長と吉高会長と次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。会場参加とリモート参加がほぼ半分くらいだそうだ。

8月某日
図書館で借りた「乳房」(伊集院静 文春文庫 2007年9月)を読む。巻末の小池真理子の解説によると、収録された5作の短編はすべて「小説現代」(講談社)に短期連載されたという。伊集院はこの作品によって平成3(19991)年の吉川英治文学新人賞を受賞した。単行本は講談社から発行され文庫本も講談社からであった。講談社文庫の解説は久世光彦が書いていて、この解説は文春文庫にも再録されている。久世は伊集院の作品の「色っぽさ」に着目し、さらに「愚昧なほど古典的な作家だと思う」「無頼の生活を傍らに置いておかないと安心できない不良の性情である」とも。伊集院は1950年の確か早生まれ、立教大学に入学し野球部に入ったのが1968年だと思う。私が1年浪人して早稲田に入ったのが同じ1968年。グラウンドで白球を追っていた伊集院に対して、私は街角で学園で機動隊に石ころを投げていました。

8月某日
「ある死刑囚との対話」(加賀乙彦 弘文堂 1990年3月)を読む。死刑囚Aと加賀との実際の手紙のやりとり公開したものである。1967年8月15日から69年12月7日、Aが処刑される前日までの2年4カ月間の文通の記録である。Aをはじめ死刑囚は未決囚を勾留する東京拘置所に収容される。この酒中日記にも何度か書いたが、私は69年の9月3日の早稲田大学第2学生会館屋上で公務執行妨害、現住建造物放火、傷害その他の容疑で現行犯逮捕され大森警察署に留置された。起訴猶予になるかという淡い期待も外れ、起訴された私は東京、北池袋にあった東京拘置所に移管された。私は統一公判組には入らず、反省組として分離公判を希望したので11月末か12月には東京拘置所を出ている。が、私は1カ月か2カ月、東京拘置所でAとすれ違ったかもしれないのだ。Aが犯した犯罪は強盗殺人事件で事件当時は典型的なアプレゲール(戦後派)の事件としてマスコミに取り上げられた。しかし死刑判決後、Aはカトリックの神父と出会いカトリックに入信する。加賀への手紙でもカトリックに対する深い信仰が伺える。加賀はAの処刑時は未だ信者ではなかったが、Aの死後、ほぼ20年の後、1988年のクリスマスに洗礼を受ける。本書は死刑囚と小説家にして精神医学者との往復書簡ではあるけれど、私には信仰について考えさせるきっかけを与えてくれた本である。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
図書館で借りた桐野夏生の「水の眠り 灰の夢」(文春文庫 1998年10月 単行本は95年10月)を読む。舞台はオリンピックを1年後に控える1963年9月の東京、主人公は週刊誌のトップ屋、村善こと村野善一。桐野は女探偵、桐野ミロを主人公とする連作小説を執筆している(93年「顔に降りかかる雨」、94年「天使に見捨てられた夜」、00年「ローズガーデン」、02年「ダーク」)が、本作はミロの父親善一が主人公である。オリンピックを控えて東京の街は大改造の真っ最中に加えて、景気は高度成長を続けている。だが光があれば闇がある。作家、桐野はその闇の部分にしっかりと目を向ける。闇とは女子高校生の売春や薬中毒であり、その女子高校生に群がる大人たちである。村野は女子高校生の殺人、死体遺棄事件それに草加次郎を名乗る爆弾事件に巻き込まれていく。作中で村野と友人で同業の後藤が1958年に日本で公開されたポーランド映画「灰とダイヤモンド」について語り合うシーンがあるが、「水の眠り 灰の夢」というタイトルにも「灰とダイヤモンド」の反時代的な気分が反映されている。

8月某日
何気なく本棚に目をやると桐野夏生の「水の眠り 灰の夢」(文春文庫 2016年4月新装版第1刷)があるではないか。4年前に買って読んでいたのをすっかり忘れていたのだ。新装版ということで表紙も一新されていたし、解説も旧版の井家上隆幸(書評家)からライターの武田砂鉄に代わっていたけれど。読んでいるときはまったく気付かなかった。人間の記憶なんて当てにならないと思ったが、人間一般ではなく、当てにならないのは「私の」記憶だ。

8月某日
図書館で借りた「明日香さんの霊異記」(高城のぶ子 潮文庫 2020年4月)を読む。奈良の薬師寺の非正規職員として売店などで働く明日香が主人公。明日香は短大卒のまだあどけなさが残る女性だが愛読書が日本霊異記で、おまけに各地の地名の由来を調べるのが趣味。野生のカラスの「ケーカイ」と仲がいい。ちなみにケーカイは日本霊異記の作者の景戒にちなんでいる。それなりに面白かったんだけれど、現代の若い女性を主人公にしたのは疑問。高城にはむしろ日本霊異記を題材にしたファンタジーを期待したい。

8月某日
図書館で借りた「チーム・オベリべリ」(乃南アサ 講談社 2020年6月)を読む。乃南アサは「女刑事・音道貴子シリーズ」や「前持ち女二人組」シリーズなどで知られるミステリーと人情ものを併せ持つ作風で、私は割と好きな作家である。だが本作は北海道開拓の実録ものである。主人公は渡辺カツという女性。依田勉三とともに晩成社を興し北海道十勝の開拓を行った渡辺勝の妻である。依田勉三といっても北海道出身者以外にはあまり知られていないと思うが、高校卒業まで北海道室蘭市で育った私には郷土の偉人として胸に刻まれた名前である。チーム・オベリべリというタイトルは現在の帯広市周辺のアイヌ語の地名、オベリべリの開拓者チームという意味である。A5判600ページを超える大著だが2日半で読み通してしまった。年金生活者で他にすることもないこともあるが、故郷北海道の草創期の物語として興味深く読んだ。晩成社を興した3人(依田勉三、渡辺勝、カツの実兄の鈴木銃太郎)はスコットランド出身の宣教師で医師のワデルの英語塾で学び、北海道開拓を志す。今からおよそ140年前である。その頃の北海道十勝は厳しい自然の大地があるのみで人工物は何もない土地だった。家も畑も自分たちで建て、開墾するしかなかった。カツは横浜の共立女子校で英語を学んだ才媛でかつ敬虔なキリスト教徒であった。私の父方の祖父も、カツや依田勉三より遅れること20年で滋賀県の彦根から北海道に渡っている。もっとも私の祖父は開拓者ではなく、開拓者相手の古着を扱っていたようだ。浄土真宗の信徒でもあった。西部邁の父も札幌郊外の真宗の信徒であったように記憶しているが、北海道の厳しい自然と立ち向かっていくには何らかの信仰が必要だったのかも知れない。

8月某日
コロナ感染者の拡大が進む中、ほぼ1週間ぶりで東京へ。社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と次回の社会保障フォーラムの打ち合わせ。次回からリモートでの参加もできるようにしたが、今のところリモートと会場の割合が4対6というところ。講演をお願いしている伊原和人政策統括官とリモートで打ち合わせ。折角、東京に来たのだから誰かと呑みに行こうかと思ったが、コロナのことを考えて真直ぐ帰ることに。我孫子へ帰って家呑みのウイスキーが切れていることを思い出して、駅前の関口酒店へ。今回はギルビージンを購入。
店番のお母さんが「明日は熱中症注意報が出るそうですよ」というので、キンミヤ焼酎の「シャリキン」を2つ購入。シャリキンとはパックされたキンミヤ焼酎を冷凍庫でシャリシャリにシャーベット状にすること。ちょいと楽しみ。

8月某日
新型コロナに対する安倍政権の対応がチグハグさを増していると感じるのは私だけだろうか。例えばgo toキャンペーン。知事たちが県をまたぐ移動は自粛してもらいたいと言っているのに観光需要を刺激する施策ではないか。今週発売の週刊文春では政権を支える自民党の二階幹事長と旅行業界の親密さが指摘されていたが、どうもこの政権は身内に甘すぎる。安倍首相は来年の東京オリンピックの終了を政権の花道としたいと考えているらしい。だが、最近の世論調査によると安倍政権の不支持率が支持率を大幅に上回っているし、このところの安倍首相の顔色も心なしか優れない。早ければ年内の政権投げだしもあり得るかも。

モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
浅田次郎の「マンチュリアン・レポート」が面白かったので、同じ著者の「清朝末期もの」を読むことにする。手始めに「珍妃の井戸」(講談社文庫 2005年4月)を読む。義和団事件から2年後の北京が舞台。北京から西安に事件を避けようとする西太后と光緒帝一家、光緒帝の愛妾、珍妃は同行を許されず紫禁城内で死ぬ。珍妃の死の真相を探ろうとする英、独、日、露の北京駐在員。英国はエドモンド・ソールズベリー伯爵、英国海軍の提督。ドイツはヘルベルト・フォン・シュミット男爵、ドイツ帝国の陸軍大佐、ロシアはセルゲイ・ペトロヴィッチ公爵、露清銀行総裁、日本は松平忠永子爵、東京帝大教授の4人である。それにしても、浅田の歴史的事実をもとに壮大なフィクションを形づくっていく力量には舌を巻かざるを得ない。珍妃自体が実在の人物で、史実では西太后に西安行きの直前に死を賜ったことになっているという。清末の宮廷、宦官、袁世凱らの軍人、北京の外交団が織りなす華麗な人間関係、その奥にある王朝末期の華美にして不穏な雰囲気、そこら辺が実に巧みに描かれている。

7月某日
図書館で借りた「恋愛未満」(篠田節子 光文社 2020年4月)を読む。篠田節子ってほとんど読んだことないのだけれど、巻末の著者略歴によると1955年東京生まれ、90年に「絹の変容」で小説すばる新人賞新人賞受賞、デビューとある。今年65歳ということか。本作には5編の短編が納められている。どれも嫌味のない爽やかな読後感の小説だが、私的には最後の「夜の森の騎士」がお薦めかな。13年連れ添った夫と円満に協議離婚した亜希子は実家へ戻る。実家の父はすでに亡くなり母には認知症の兆候が。入院先でMRI検査を担当した不愛想な検査技師は、しかし認知症の母親への対応はナイト=騎士を思わせるものだった。母親の付き添いで深夜の病院で目覚めた亜希子はのどの渇きを覚え自販機を探す。病棟で迷った亜希子に手を差し伸べてくれたのは検査技師だった。技師は自販機用の小銭を貸してくれた上、亜希子を病室へ導いてくれる。母親の死後、病院の清算を済ました亜希子は検査技師に小銭を返し、今朝ほど自分で揚げたドーナッツを差し出す。「恋愛未満」というタイトルは恋愛に至る前の男女の触れ合いを表現している。「夜の森の騎士」における亜希子と検査技師の交情がまさにそれに当たる。そういえば篠田には認知症の母と自分のがん体験を綴ったエッセーがあった筈。ネットで検索すると「介護のうしろから『がん』が来た」だった。今度読んでみよう。

7月某日
テレビで映画「グラン・トリノ」を観る。クリントイーストウッド主演・監督のこの映画を観るのは2回目。イーストウッドが演じるのは自動車工場を退職し、妻にも先立たれたやもめの頑固な爺さん。隣に越してきたインドシナ半島の少数民族、モン族の一家と親しくなる。モン族はベトナム戦争のときに米軍側に味方したことから革命政権に迫害され、アメリカに逃れてきたらしい。モン族一家の息子はモン族の不良たちに虐められるが、イーストウッドに助けられる。不良たちは報復に息子の姉を凌辱する。イーストウッドは単身で不良たちのアジトに乗り込む。懐から銃を取り出す仕草を見せたイーストウッドに不良たちは銃を乱射する。実はイーストウッドは丸腰で不良たちに銃を撃たせるために仕組んだのだ。「グラン・トリノ」はイーストウッドの演じる元自動車工の愛車。大型で燃費が悪く小回りが効かないところが元自動車工と似ている。私は「居酒屋兆次」や「幸福の黄色いハンカチ」の高倉健を思い出した。ちなみにイーストウッドは1930年生まれ、健さんは1931年生まれだ。

7月某日
図書館で借りた「宣告」(加賀乙彦 新潮社 1993年8月)を読む。A5判上製、本文796ページでしかも上下2段組だから、読み通すのに5日もかかったが面白かった。加賀乙彦は1929年生まれ、府立6中(現新宿高校)から陸軍幼年学校、終戦により6中に復学し旧制の都立高校理科(現都立大学)から東大医学部に進学した。精神医学者として東京拘置所の医務部技官を務めたことがある。「宣告」にはこのときの経験が下敷きになっている。主人公は死刑囚の楠本他家雄、モデルはメッカ殺人事件の犯人で1969年12月に死刑が執行された正田昭である。楠本を診察する精神科医、近木は加賀がモデル。主な舞台は東京拘置所の死刑囚が収容されている獄舎と医務部。死刑囚というのは死刑が執行されるまでは未決囚なので、刑務所ではなく拘置所に収容される。死刑囚の死刑が執行されるまでの心理を描いた類い稀な小説である。小説全体の空気は明るくはないけれども真っ暗というわけではない。楠本と文通するJ大学心理学科の大学生、玉置恵津子とのエピソードは微笑ましくもある。ここでも上智大学で心理学の教授だったこともある加賀の経験が生かされている。東京拘置所には死刑確定囚が収容されている一角があるが、そこでの死刑囚同士の交流も興味深く描かれる。中卒で獄中でマルクス主義の文献を学習する河野は、連続射殺事件の永山則夫を彷彿させるし、河野に影響を与え後に自殺する学生運動家の唐沢は、連合赤軍事件の東京拘置所で自殺した森恒夫のことを思い出させる。死刑執行は執行の前日に本人に言い渡される。この小説も読み進んでページが残り少なくなってくると「あぁ楠本も間もなく処刑されるのか」と切なくなってくる。

7月某日
図書館にリクエストしていた「最高のオバハン―中島ハルコはまだ懲りていない!」(林真理子 文春文庫 2019年8月)を読む。「この本は、次の人が予約して待っています」という黄色い紙が裏表紙に貼られていたので急いで読むことにする。NHKBSプレミアムで「アラビアのロレンス」を放映するが、それも観ないで「最高のオバハン」に集中することにする。そしたら2時間30分ほどで読み終わってしまった。「宣告」に比べるとこちらは文庫本で236ページ、内容も軽いからね。中島ハルコという女社長と、独身のフードライター、菊池いづみの織りなす軽妙な物語。毎回、いろんな美味しいものを食べ歩くのも物語に彩りを添えている。

7月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせで神田の「社保研ティラーレ」で吉高会長と佐藤社長と面談。その後、地下鉄銀座線で神田から虎ノ門へ。「フェアネス法律事務所」で打ち合わせ。虎ノ門から銀座へ出て有楽町の交通会館へ。交通会館の「ふるさと回帰支援センター」を訪問する。高橋公理事長と最近、高橋理事長から総務部長の代役を仰せつかった大谷源一さんに挨拶。高橋理事長に来客があるので、大谷さんと先に交通会館地下1階の「博多うどん・よかよか」へ行く。ここは「博多うどん」はもちろん提供するが、日本酒を揃えていることで、高橋理事長が贔屓にしている店だ。店長は日本酒にももちろん詳しいが、依然聞いたことによるとネパールだったかミャンマーだったかの出身。だが顔は日本人にしか見えないし日本語も日本人以上に上手だ。高橋さんが来たので日本酒で乾杯。高橋さんにすっかりご馳走になる。