モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
近所の床屋さんに行くと「勝手ながら休みます」の張り紙が。しょうがないので床屋さんの近くの我孫子の農産物直売所の「アビコン」を覘く。レタスとニンニクを購入しての帰り道に携帯が震える。「大谷」の表示。「大谷だけど今日、よろしくね」「えっ何かあったっけ?」「会食の約束でしょうが」「あーごめんごめん」。というわけでシャワーを浴びて着替える。18時に東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で待ち合わせることにしたので、その前に神田の「社保研ティラーレ」によって吉高会長と佐藤社長と懇談。17時過ぎに交通会館に着く。1階の「三省堂書店」「北海道物産店」を覘いた後、「支援センター」へ。大谷さんに古都さんに押し売りされた「自治体職員かく生きる」を押し売り。しばらくすると神山弓子さんが来る。19時30分のスタートだが「練習をやろう」ということで、高知県アンテナショップの「おきゃく」に移動、ビールを呑む。定刻になって厚労省から総務省に出向している辺見聡さん、同じく財務省に出向している吉田昌司さんが来る。辺見さんからは「大臣官房審議官(情報流通行政局担当)」の名刺を、吉田さんからは「財務省主税局総務課兼調査課 企画官」の名刺を頂く。

9月某日
図書館で借りた「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(望月衣塑子+佐高信 講談社+α新書 2020年7月)を読む。望月は映画「新聞記者」の原作となった同名のノンフィクションも書いている。菅官房長官(当時)への「しつこい」(いい意味でね)質問でも名前を挙げた。望月と佐高の対談がメインなので読みやすく2時間ほどで読了。テレビのワイドショーを観ると日本の「政治ジャーナリズム」は一見すると隆盛を誇っているかに見える。しかし望月も佐高も権力批判こそジャーナリズムの本懐と主張する。私もまったく同感である。望月は1975年生まれで今年45歳、表紙に佐高とともに写真が掲載されているがキリリとした美人である(どうでもいいけど)。両親は団塊の世代でともに亡くなっている。父親は左翼の活動家であったようだ。

9月某日
地下鉄の千代田線で我孫子から新御茶ノ水へ。美土代町のイタリア風レストランの「花の碗」へ。社保研ティラーレの吉高会長と会食の予定。次亜塩素酸水や二酸化塩素水による微細ミストの噴霧器Gバスターを開発した人を紹介してくれるという。吉高会長が開発者の岸工業社長の岸さん、二酸化塩素を取り扱っている㈱プライスの河田社長、税理士の琉子さんをともなって現れる。社会保険旬報の谷野編集長を交えランチ。私は海鮮パスタを頼んだが、スープが絶品でした。会食後、揃って社会保険出版社を訪問、同社の高本社長はじめ営業幹部に説明する。岸さんや河田さんの説明を聞くとGバスターは確かに不特定多数の住民が利用する役所の受付や高齢者施設、学校などでの需要が期待できそうだ。社会保険出版社での説明が終わった後、私はお茶の水駅から神田経由で我孫子へ。「しちりん」によって18時頃帰宅。

9月某日
高血圧の治療にほぼ月1回、「中山クリニック」に通っている。治療と言ってもドクターが「どうですか?」と聞いて私が「変わりありません」と答え、「じゃ、血圧測りましょう」とドクターが血圧を測って終わり。5分もかからない。それから処方箋を持って薬局へ行く。今日は奥さんから「プレミアム付き我孫子市内飲食共通券」の「あびチケ」を貰ったので、中山クリニックの近くの蕎麦屋「三谷屋」へ行って「親子丼」を食べる。ぶらぶらと公園坂を歩いているとちょうど「鳥の博物館経由天王台駅行き」のバスが来たので乗ることにする。鳥の博物館は我孫子農産物直売所アビコンのすぐ近くなので、アビコンでニラとピーマンを買う。アビコンから我孫子市民図書館まで歩く。

9月某日
図書館で借りた「時代の抵抗者たち」(青木理 河出書房新社 2020年5月)を読む。元共同通信の記者で現在、フリージャーナリストとしてコメンテーターなどテレビ出演も多い青木の対談集。テレビのコメンテーターは発言時間が短く細切れに切り取られがちだ。青木のテレビでの発言も「いいことを言っているな」と思わせるものも多いのだが、時間の関係でどうしても事件に対する「感想」の域を出ないと私などは思ってしまう。本書はなかにし礼、前川喜平、古賀誠など9人の論者と青木の対談をまとめたもので読み応えがあった。私はとくに古賀誠「平和を貫く保守政治を」、岡留安則「スキャンダリズムから沖縄の怒りへ」、安田好弘「オウム事件、光市事件の弁護人として」を面白く読んだ。古賀はかつての自民党保守政治家の良心と凄さを持っている人で、岡留の反骨精神は現代のジャーナリズムにこそ復権させなければならないものだ。私がもっとも感心したのは安田好弘だ。光市事件とは18歳の少年が光市の団地に水道の検針員を装って侵入、若い母親を強姦のうえ殺害し寝ていた乳児も殺害したというものだ。犯人は極悪人のように報道され私もそれを信じていた。安田は丹念に被告との面談を繰り返し、被告が両親から虐待を受け、母親の自殺まで目撃したことを調べ上げ、被告に「解離性障害」の疑いがあることを突き止める。「真実を追求する」のは弁護士のみならず、検事、裁判官、捜査に携わる警察官の責務だが、安田は愚直にそれをやっている。青木が安田に「心からの敬意を抱いている」というのもうなづける。

9月某日
図書館で借りた「おさん」(山本周五郎 新潮文庫 昭和45年6月)を読む。文庫本の初版は昭和45年だが、私が手にしたのは平成30年7月73刷であった。周五郎は1967(昭和42)年に亡くなっているが、国民的な作家として今も根強い人気があることを示している。私も40代頃には周五郎はよく読んだ。「樅ノ木は残った」「五變の椿」「虚空遍歴」「さぶ」などなどである。どちらかというと長編を好んで読んできたような気がするが、周五郎には短編にも名作がある。「おさん」には10の短編が収められている。冒頭の「青竹」は昭和17年に満洲で発行されていた「ますらを」に掲載された作品。大阪夏の陣で主人公は軍令に背いても持ち場死守するが部下の大半を失う。軍令違反で処分されるが結局は加増される。周五郎の太平洋戦争中の作品には戦意高揚ものもあるが、当時「上官の命令は天皇陛下の命令」だったわけで、この作品は軍令違反を採りあげているだけに微妙だ。10作品のうち「戦陣もの」はこの1作のみで、あとは「市井もの」「武家もの」。異色なのが平安時代の盗賊を主人公にした「偸盗」。主人公の鬼鮫は貴族は農民や庶民から搾取して富を築いているのだから、その一部を盗賊が盗み返すのは当然という価値観の持ち主。貴族の16歳の美貌の娘を誘拐して身代金を奪おうとするのだが、この娘がとんだあばずれで鬼鮫が蓄えていた貴重な食べ物、酒を消費し、あろうことか類い稀な好色で鬼鮫に肉体関係を迫る。これは昭和36年の作品である。ということは昭和35年の安保闘争における共産党や社会党の正統反体制グループを鬼鮫が象徴し、当時の全学連や共産主義者同盟の異端反体制グループを貴族の姫が象徴していると言えまいか。ちょいとうがちすぎかね。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
図書館で借りた「魯肉飯(ろばぷん)のさえずり」(温又柔 中央公論新社 2020年8月)を読む。台湾に赴任した男が台湾人女性と結婚、日本に帰国して生まれた女児が主人公の桃嘉(ももか)。桃嘉は台湾人の母親(雪穂)と日本人の父親(茂吉)によって大切に育てられ大学に進学する。いくつかの就職試験を受けるが全敗したこともあってサークルの先輩で商社マンの聖司のプロポーズを受け入れる。日本人と台湾人のハーフの桃嘉と台湾人の雪穂の眼を通して家族とは、夫婦とは?を問いかける。私は桃嘉の夫の聖司の描き方がやや類型的と思った以外は大変面白かった。魯肉飯とは台湾料理でご飯に肉とスープを掛けたものらしい。今度、食べてみよう。

9月某日
「自治体職員かく生きる」(自治体活性化研究会 生活福祉機構 2019年5月)が5冊送られてくる。自治体活性化研究会の幹事のひとりの古都賢一さんから「モリちゃん買ってよ」と言われたからである。定価2000円を1600円に割り引いてくれたので8000円である。早速、神田のきらぼし銀行から送金する。神田に来たついでに「魯肉飯」を食べようと、スマホで台湾料理店を探す。駅の南口にあるということだが見つからない。スマホの地図ってわかりにくいんだよね、私にとっては。仕方がないので前に行ったことのある「隨苑」で「カニチャーハン」(700円)を頼む。神田の社保研ティラーレに寄った後、虎ノ門のフェアネス法律事務所の渡邉弁護士と面談、遠藤代表弁護士も顔を出す。霞が関から千代田線で我孫子へ。駅前の「しちりん」で黒ホッピーと白ホッピー。

9月某日
厚生労働事務次官を退任する鈴木俊彦さんに挨拶するために社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長と事務次官室へ。15分ほど話しをして退出。社保研ティラーレに帰って「魯肉飯」の話をすると、吉高さんが「台湾料理で暑気払いしようか」。ということで昨日見つからなかった神田駅南口の台湾料理店に向かう。やはり見つからないので店に電話すると、神田店は撤収したということだ。近くの「アサリラーメン」をメインにしている店に入る。アサリの蒸したものやムール貝の韓国料理風に味付けしたものとか意外に美味しかった。すっかりご馳走になってしまった。

9月某日
図書館で借りた「帰らざる夏」(加賀乙彦 講談社文芸文庫 1993年8月)を読む。加賀乙彦は今年になってから「湿原」「宣告」を読んだがいずれも読み応えがあった。「帰らざる夏」は太平洋戦争末期の陸軍幼年学校を舞台とした長編小説である。加賀自身が陸軍幼年学校に入学し終戦により学校自体が消滅し、旧制中学に復学しているから主人公の幼年学校生徒、鹿木省司という少年には作家自身の体験が反映されている筈だ。戦争末期であるから幼年学校全体が「天皇陛下のために死ぬ」という空気に覆われていた。これはおそらく事実と思われる。が14歳で幼年学校に入学し16歳で卒業して陸軍士官学校に進学するわけだから、そこにはもちろん青春がある。男だけの世界であるからそこには男同士の同性愛的な感情も発生する。戦争自体は天皇の玉音放送によって終結するのだが、それに納得できない鹿木と鹿木と同性愛的に結ばれている源は、割腹自殺する。小説のラストは鹿木と源の割腹シーンで終わる。三島由紀夫と森田必勝の市谷陸上自衛隊での自決を思い出させるシーンである。

9月某日
図書館で借りた「ジョージ・オーウェル-『人間らしさ』への賛歌」(川端康雄 岩波新書 2020年7月)を読む。ジョージ・オーウェルは「動物牧場」「1984」といった全体主義を風刺したイギリスの作家で、私はオーウェルがスペイン内戦に人民戦線側の義勇軍に参加したときのドキュメント「カタロニア賛歌」を昔、面白く読んだことがある。しかしオーウェルについての知識はそれくらいで今回、この本を読んで作家の誕生から死までのおおよそを理解することができた。オーウェルは1903年にインドで生まれた。父親は現地で英国政府の役人をしていた。オーウェルによると「ありきたりの中流階級家庭のひとつ」だ。オーウェルは生後一歳で英国に戻り、18歳でパブリック・スクールのイートン校を卒業、大学には進学せず当時英国の植民地だったインド帝国警察官任用試験に合格する。赴任先はビルマで24歳まで植民地での警察官を務める。中産階級の出身で植民地の警察官を務めた経験が、オーウェルの労働者階級への同情や反帝国主義的な感情を高めることになったようだ。英国に帰国後は作家を志す一方で貧民窟を訪ねたり、ホテルのポーターや皿洗いを経験する。1933年、「パリ・ロンドン放浪記」で作家デビューする。
1936年6月にアイリーンと結婚、7月にスペイン内戦が勃発、12月にスペイン、バルセロナに入る。1937年1~6月、人民政府側のPOUM(マルクス主義統一労働者党)の民兵隊に参加し、アラゴン戦線で闘う。これをドキュメントとして描いたのが「カタロニア賛歌」である。スペイン内戦は政権を握っていた人民政府に対する、ドイツ、イタリアの支援を受けたフランコの率いるファシストのクーデターにより始まった。人民政府側にはソ連が支援し、世界各地から労働者、市民が義勇軍として参加した。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」はスペイン内戦を舞台としたもので、ゲイリー・クーパーとイングリッド・バークマンの主演で映画化されている。私はテレビで放映されているのを観たが、義勇軍として参加したアメリカ人(クーパー)とファシストにより金髪を丸刈りにされたバーグマンの悲恋映画である。重傷を負ったクーパーがバーグマンを逃がすために、独り機関銃坐に残る。私も残ると泣き叫ぶバーグマンにクーパーは「逃げろ!僕は君の心に生き続ける」と叫ぶ(私の記憶による再現です)。話は逸れたがPOUMはトロツキスト主体の政党であったため最初はファシストに次いでソ連に支援されたスターリニストに弾圧される。このときのスターリニストやファシストに対する嫌悪がオーウェルに「動物牧場」や「1984」を書かせたと言える。
スペインでのスターリニストからの逮捕を辛うじて逃れたオーウェルは「ソヴィエト神話を暴露」するために「動物牧場」の執筆を開始する。1944年2月に脱稿するが何社もの出版社から出版を断られる。というのも第2次世界大戦の末期であり、英国とソ連は同盟関係にあったため、出版は友好関係を損なうと思われたためだ。「動物牧場」の出版は1945年の8月まで引き延ばされることになるが、これが功を奏して「動物牧場」は世界的なベストセラーとなる。戦争の終息は冷戦の始まりでもあり「動物牧場」はソ連の体制批判として受け入れられたのだ。「あらすじ」は本書によると、農場で酷使されていた動物たち(農民、プロレタリアート)が人間の農場主(皇帝、ブルジョアジー)を追放、動物たちの自主管理による「動物牧場」(ソ連)が成立するが、やがて動物たちのなかでも管理能力のある豚たち(共産党)が農場の運営を組織してゆく。まもなく豚の特権化が進行し、権力闘争の末、豚のナポレオン(スターリン)の独裁体制が完成するというものである。「動物牧場」の完成を待たずに最初の妻、アイリーンは39歳で死去する。
「動物牧場」に続いてベストセラーとなったのが1949年6月に刊行された「1984」である。同じく本書の「あらすじ」によると、1984年、世界は3つの超大国に分割されている。主な舞台はオセアニア国に属するロンドン。神格化された指導者ビッグ・ブラザーを頂点とする党の支配が貫徹している。「テレスクリーン」による私生活の監視、友人や家族による密告、マスメディアの操作、言語の改造によって思想統制が徹底されている。党支配に疑問を抱くようになった主人公は恋人と密会し禁断の自由恋愛を実行する。現体制の転覆を夢想するが、思想警察に逮捕され、ついには破滅する。この「あらすじ」だけでもいろんなことが連想させられる。ビッグ・ブラザーは麻原彰晃を、私生活の監視、友人家族による密告はコロナ禍の「自粛警察」、マスメディアの操作、言語の改造は安倍政権による文書の改ざん、森友、加計、桜疑惑だ。「1984」の刊行後、その年の10月にオーウェルは肺結核で入院していた病院で15歳年下のソニアと再婚するが、翌年1月に大量喀血で死去、46歳であった。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と13時過ぎから打ち合わせ。その前に近くのラーメン屋「天天有」で「冷やしラーメン」(700円)を食べる。ここの冷やしラーメンを食べるのは二度目。スープに氷が5~6個浮いていて見るからに涼しそう。細長く切ったチャーシューとネギがたっぷり。ここの冷やしラーメンはお勧めです。佐藤社長、吉高会長と打ち合わせの後、内閣官房の吉田学新型コロナウイルス感染症対策推進室次長(内閣審議官)に面談、「地方から考える社会保障フォーラム」の講師について相談する。私は国会議事堂前から千代田線で我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」に寄る。

9月某日
神田の鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」でランチ。「本日の煮魚定食」(800円)を頼む。店員の大谷君が「今日はカレイです」。美味しかったが小骨が多く食べ散らかしてしまった。社保研ティラーレで打ち合わせ。缶ビールを頂く。帰りの電車で「大衆食堂へ行こう」(安西水丸 朝日文庫 2006年8月)を読了。安西が東京の大衆食堂を訪問、イラスト入りで紹介したもの。神田のガード下の「弁亀本店」(閉店)、築地の「たけの」など私の行ったことのある店も紹介されていた。

9月某日
今週は「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせでほぼ毎日、神田の社保研ティラーレへ。今日のランチは鎌倉河岸ビル1階の「石川亭」でカレーを食べようと思っていたら、本日休業の札が。しかたがないので地下1階の「跳人」で「本日の日替わり定食(とんかつ)」(800円)を食べる。18時から厚労省OBで全社協副会長の古都賢一さん、滋慶学園OBでふるさと回帰支援センターの大谷源一さん、そして年友企画の酒井佳代さんと「跳人」で呑み会。安倍首相退任を受けて自民党の総裁選が実施される。岸田派、石破派以外の派閥は菅義偉官房長官支持を表明。勝ち馬に乗る姿勢が見え見え、情けないねぇ。かつての自民党の派閥、派閥の領袖にはもっと活力、迫力があったと思うけど。

9月某日
午後から図書館で借りた「カレーライス-教室で出会った重松清」(新潮文庫 令和2年7月1日)を読む。重松清は人気があるようで「この本は次の人が予約して待っています。読み終わったらなるべく早くお返しください」と書かれた黄色い紙が裏表紙に貼られている。重松清の作品は教科書や入試問題に採用されることが多い。この短編集には重松の作品の中から教科書に載ったものや入試や模試に繰り返し出題された話が掲載されている。重松の作品でこれまで私が読んだものは「毒がない」のが共通点。まぁ小学校や中学校生活を舞台に子供たちや教師を登場人物とするのだからそれも無理はない。この短編集にも母親が入院する話や少年野球のレギュラーになれないまま小学校を卒業する子どもとその父親でチームの監督している男の話など、「毒はない」けれどちょっぴり「苦味」の効いた作品も。

9月某日
我孫子の農産物直売所「アビコン」へ行く。レモン1個(170円)とレタス(150円)を購入。アビコン併設のレストラン「舞米亭」で昼食、カレーライスを注文する。ここは本来、セルフサービスの店なのだが、私が杖を突いているのを見た店員(オバサン)が「いいですよ」と言ってカレーを持ってきてくれた。意外と言っては何ですが美味しかった。カレーと揚げ野菜、ライス、サラダが別々に出てくる。ライスに揚げ野菜を乗せてカレーをかけて食べました。食べ終わった器を下げるのも店員がやってくれて、お店を出るときにも「お気を付けて」の一言。

9月某日
厚労省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。老健局長の土生栄二さんの部屋に伺い、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の講演をお願い、快諾してもらう。社保研ティラーレで吉高会長と面談、新型コロナウイルス対策の噴霧器の販売を手伝うように言われる。帰りに小腹が空いたので我孫子駅の日高屋で「冷やし麺」(550円)を食す。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
コロナ禍で近場の飲食店も困っているだろうと思う。昼飯はなるべく近場の飲食店でとるようにしよう。まずわが家から一番近いと思われる「手打蕎麦 湖庵」(若松139-3)へ行く。ヒマと読んでいたがほぼ満席であった。そういえば今日は日曜日だっけ。茗荷やネギ、揚げ玉、鰹節などが入った冷やし蕎麦(正式名称は忘れた)を頼む。そこそこ旨いと思うが、汁を全部飲み終わった後に「そば湯」が出てくる。仕方ないので「そば湯」を器に入れて呑むが、これが結構旨かった。お値段は税込1210円。そばを食い終わった後、歩いて5分の我孫子市民図書館へ。コロナの影響でここも比較的空いている。いつもは受験生らしき若者に占拠されているデスクで「スミス・マルクス・ケインズーよみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)の残りを読む。ヘルマンという人は学者ではなくジャーナリストなんだけれど、私には経済学の基礎がないので読みやすくはなかった。結局のところヘルマンは新古典派=新自由主義者を否定する。スミス、マルクス、ケインズはそれぞれ時代的な制約もあって過ちも犯すが、学問的な誠実さは新古典派よりもはるかにあったとされる。私は学問的なことよりも経済学の巨匠の私生活が垣間見えて、そこが楽しかった。マルクスには3人の娘がいたが、彼女たちにはフランス語とイタリア語の家庭教師を付け、絵と歌とピアノを習わせた。完全なブルジョア教育である。しかもマルクスには資本主義社会でお金を稼ぐ能力に欠け、その生活はエンゲルスに支えられていた。ケインズには同性愛的な傾向があり、何人かの愛人がいた。2人の男性は生涯を通じて重要な存在であったと記されている。まぁそんなことは彼らの経済学に対する貢献に比べると、どうということはないけれど。

8月某日
向田邦子の「あ・うん」(文春文庫 2003年8月新装版第1刷)を読む。向田は昭和4(1929)年生まれ、放送作家となり代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」などがあるが、55年に初めての短編小説で直木賞を受賞、56年8月に航空機事故で急逝した。「だいこんの花」は森繫久彌と竹脇無我が親子の役で私はよく観ていた。ウイキペディアによると「あ・うん」はもともとテレビドラマで、その後に小説化されたという。テレビドラマ化もNHKとTBSで行われたという。工場経営者の門倉修三と製薬会社のサラリーマンの水田仙吉が主人公。2人は軍隊で一緒に上巻に殴られた仲。門倉は仙吉の妻、たみに惚れていて、仙吉もたみも気付いているが口にすることはない。私はテレビドラマの記憶はないがNHKでは仙吉をフランキー堺、門倉を杉浦直樹、たみを吉村実子、仙吉とたみの娘、さと子を岸本加世子が演じている。TBSでは仙吉を串田和美、たみを田中裕子、門倉を小林薫、さと子を池脇千鶴という布陣だ。映画は私は観ている。門倉が高倉健、仙吉が坂東英二、たみが富司純子、さと子が富田靖子である。富田靖子は去年か一昨年のNHKの朝の連ドラ「スカーレット」で主役のお母さん役をやっているから、それくらい時間が経っているということ。

8月某日
図書館で借りた「見知らぬ妻へ」(浅田次郎 光文社文庫 2001年4月)を読む。8編の短編が収められていて、読み始めて「なんか読んだような記憶があるな」と思っていたが、最後に納められている表題作を読んで「これは確かに読んだことがある」という確信に変わった。「酒中日記」をスクロールすると2017年の10月に読んでいる。3年近く前ではあるがそれにしても自分の記憶力に自信が持てなくなった。しかし物は考えようである。何度も同じ本を楽しめるということは悪いことではない。この短編集に共通しているのは「愛の切なさはかなさ」であろうか。「30年近い前にふと知り合った踊り子との短い出会い」(踊子)、「クラシックの世界を捨てクラブのピアニストとして生きる男の孤独と矜持」(スターダスト・レヴュー)、「戦後の広場での混血の男の子との出会いと別れ」(かくれんぼ)、「北海道に家族を残し歌舞伎町で客引きをする男と偽装結婚相手の中国人女性との切ない愛」(見知らぬ妻へ)などである。これは田辺聖子の短編にも言えることだがある種の類型である。彼については解説で橋爪大三郎が、浅田は「類型の造形に徹底することで、作品世界の奥行きを深めるという方法をとっていると思われる。いわば類型を使って類型をつき破る試みだ」と分析している。

8月某日
午前中、企業年金連合会の足利聖治さんを訪問。浜松町から神田へ。「跳人」で「マグロのづけ丼」で昼食。従業員で顔見知りの大谷君がアイスコーヒーをサービスしてくれる。社保険ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の反省と次回の講師について検討。今回から会場とリモート参加を並行して行ったが概ね好評だったようだ。続いて有楽町の銀座法律事務所で田中弁護士と打ち合わせ。終了後、御徒町駅北口改札へ。年友企画の社員の石津さん、酒井さんと待ち合わせ。石津さんの提案で。湯島のへぎ蕎麦「こんごう庵」へ。天ぷらはじめ大変おいしかった。締めにへぎ蕎麦を頂く。御徒町から帰る二人と別れ、私は湯島から千代田線で我孫子へ。

8月某日
新霞が関ビルのロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。4階の全国社会福祉協議会で副会長の古都賢一さんに面談、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」への出席をお願いする。地下鉄の国会議事堂前から大手町へ。社保研ティラーレによって神田から我孫子へ。我孫子の「七輪」でビール。

8月某日
「新自由主義の帰結―なぜ世界経済は停滞するのか」(服部茂幸 岩波新書 2013年5月)を読む。7年以上前に書かれた本だが、コロナ不況の現在にも当てはまることが多いと感じた。この本が書かれた当時の経済危機といえば08年のアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻によるリーマン・ショックであろう。アメリカ政府は金融機関を救済するために多額の公的資金を投入した。リーマン・ショックの前にサブプライムローンの破綻に端を発した住宅バブル崩壊があり、その前にはITバブル崩壊があった。服部はアメリカ政府の経済政策の失敗を新自由主義的な経済政策の失敗とし、今こそニューディール政策に学べと主張する。ひるがえって新型コロナウイルス対策として40兆円に及ぶ国費が投じられ、あるいは投じられようとしている。全額が国債による借金である。バラマキではなく新型コロナウイルスや災害に備えた社会インフラの整備に使ってもらいたいと切に願う。

8月某日
国立西洋美術館に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を観に行く。この日は大谷源一さん、神山弓子さんと3人で我孫子の「七輪」で呑むはずだったが大谷さんが17時30分まで会議ということなので上野の美術館で時間をつぶそうとなったわけ。例によって私の障害者手帳を示すと本人と付き添い1名が観覧料無料となる。常設展も観て上野から常磐線で我孫子へ。20分ほど我孫子駅の南口あたりを案内する。「七輪」の2階を神山さんが予約していてくれたので2階へ。神山さんから日本酒を頂く。18時45分ころ大谷さんが到着。改めて乾杯。

8月某日
安倍総理が記者会見で辞任を表明。コロナ対策、経済対策が迷走するなか潰瘍性大腸炎が再発した。この人は攻めには強いが守りには弱い。こうした人に長期政権を委ねた政治家、そうした政治家を選んだ私も含めた国民の罪は重い。
図書館で借りた「物語の海を泳いで」(角田光代 小学館 2020年8月)を読む。角田光代が書いてきた書評や読書について書かれたエッセーを一冊にまとめたもの。自分の読んでいない本の書評というのは如何なものかと思ったが、読んでみると角田の感性にそれなりに触れることができて面白かった。そうは言っても好きな作品の書評を読むのは格別。吉田修一や白石一文、桐野夏生、井上荒野、川上弘美、辻原登などの作品に対する書評には引き込まれる。「あとがき」に「50歳を過ぎ、さらに衝撃的なことに気づいてしまった。何ということだろう、読んだ本の中身を忘れてしまうのである」とあって、思わず「おんなじ」とニヤリ。

8月某日
図書館で借りた「靖国神社の緑の隊長」(半藤一利 幻冬舎 2020年7月)を読む。半藤が「週刊文春」の編集者だった1960年夏に執筆、出版した「人物太平洋戦争」から8編をえらび、読みやすい文章に書き直したものだ。「まえがき」で半藤は、「戦争の犠牲者をどう追悼したらいいか」と聞かれたら「日本がいつまでも平和でおだやかな国であることを、亡くなったひとたちに誓うこと」と答えると自問自答している。半藤は東京大空襲も経験した「反戦」の人なのだ。NHKBSで渡辺恒雄読売新聞社主の長時間インタビューを放映していたが、この人も反戦の人だね。半藤は今年90歳、渡辺は94歳である。戦争の記憶はどんどん薄れていく。

8月某日
近場のレストランシリーズ第2弾、本場インドカレー専門店と銘打った「ハリオン」(若松141-4)へ行く。若松店と我孫子駅北口店、取手店と3店舗もある。我孫子産のチキンとトマトを使ったセット1230円を頼む。ナンまたはライスでライスを選択。バターライスなのかな。私には少し量が多い。満足して店を出るが外は猛烈な暑さ。普段なら5分で家に着くがマスクをしてヨロヨロ歩くので倍近くかかってしまった。