モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
コロナ禍で近場の飲食店も困っているだろうと思う。昼飯はなるべく近場の飲食店でとるようにしよう。まずわが家から一番近いと思われる「手打蕎麦 湖庵」(若松139-3)へ行く。ヒマと読んでいたがほぼ満席であった。そういえば今日は日曜日だっけ。茗荷やネギ、揚げ玉、鰹節などが入った冷やし蕎麦(正式名称は忘れた)を頼む。そこそこ旨いと思うが、汁を全部飲み終わった後に「そば湯」が出てくる。仕方ないので「そば湯」を器に入れて呑むが、これが結構旨かった。お値段は税込1210円。そばを食い終わった後、歩いて5分の我孫子市民図書館へ。コロナの影響でここも比較的空いている。いつもは受験生らしき若者に占拠されているデスクで「スミス・マルクス・ケインズーよみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)の残りを読む。ヘルマンという人は学者ではなくジャーナリストなんだけれど、私には経済学の基礎がないので読みやすくはなかった。結局のところヘルマンは新古典派=新自由主義者を否定する。スミス、マルクス、ケインズはそれぞれ時代的な制約もあって過ちも犯すが、学問的な誠実さは新古典派よりもはるかにあったとされる。私は学問的なことよりも経済学の巨匠の私生活が垣間見えて、そこが楽しかった。マルクスには3人の娘がいたが、彼女たちにはフランス語とイタリア語の家庭教師を付け、絵と歌とピアノを習わせた。完全なブルジョア教育である。しかもマルクスには資本主義社会でお金を稼ぐ能力に欠け、その生活はエンゲルスに支えられていた。ケインズには同性愛的な傾向があり、何人かの愛人がいた。2人の男性は生涯を通じて重要な存在であったと記されている。まぁそんなことは彼らの経済学に対する貢献に比べると、どうということはないけれど。

8月某日
向田邦子の「あ・うん」(文春文庫 2003年8月新装版第1刷)を読む。向田は昭和4(1929)年生まれ、放送作家となり代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」などがあるが、55年に初めての短編小説で直木賞を受賞、56年8月に航空機事故で急逝した。「だいこんの花」は森繫久彌と竹脇無我が親子の役で私はよく観ていた。ウイキペディアによると「あ・うん」はもともとテレビドラマで、その後に小説化されたという。テレビドラマ化もNHKとTBSで行われたという。工場経営者の門倉修三と製薬会社のサラリーマンの水田仙吉が主人公。2人は軍隊で一緒に上巻に殴られた仲。門倉は仙吉の妻、たみに惚れていて、仙吉もたみも気付いているが口にすることはない。私はテレビドラマの記憶はないがNHKでは仙吉をフランキー堺、門倉を杉浦直樹、たみを吉村実子、仙吉とたみの娘、さと子を岸本加世子が演じている。TBSでは仙吉を串田和美、たみを田中裕子、門倉を小林薫、さと子を池脇千鶴という布陣だ。映画は私は観ている。門倉が高倉健、仙吉が坂東英二、たみが富司純子、さと子が富田靖子である。富田靖子は去年か一昨年のNHKの朝の連ドラ「スカーレット」で主役のお母さん役をやっているから、それくらい時間が経っているということ。

8月某日
図書館で借りた「見知らぬ妻へ」(浅田次郎 光文社文庫 2001年4月)を読む。8編の短編が収められていて、読み始めて「なんか読んだような記憶があるな」と思っていたが、最後に納められている表題作を読んで「これは確かに読んだことがある」という確信に変わった。「酒中日記」をスクロールすると2017年の10月に読んでいる。3年近く前ではあるがそれにしても自分の記憶力に自信が持てなくなった。しかし物は考えようである。何度も同じ本を楽しめるということは悪いことではない。この短編集に共通しているのは「愛の切なさはかなさ」であろうか。「30年近い前にふと知り合った踊り子との短い出会い」(踊子)、「クラシックの世界を捨てクラブのピアニストとして生きる男の孤独と矜持」(スターダスト・レヴュー)、「戦後の広場での混血の男の子との出会いと別れ」(かくれんぼ)、「北海道に家族を残し歌舞伎町で客引きをする男と偽装結婚相手の中国人女性との切ない愛」(見知らぬ妻へ)などである。これは田辺聖子の短編にも言えることだがある種の類型である。彼については解説で橋爪大三郎が、浅田は「類型の造形に徹底することで、作品世界の奥行きを深めるという方法をとっていると思われる。いわば類型を使って類型をつき破る試みだ」と分析している。

8月某日
午前中、企業年金連合会の足利聖治さんを訪問。浜松町から神田へ。「跳人」で「マグロのづけ丼」で昼食。従業員で顔見知りの大谷君がアイスコーヒーをサービスしてくれる。社保険ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の反省と次回の講師について検討。今回から会場とリモート参加を並行して行ったが概ね好評だったようだ。続いて有楽町の銀座法律事務所で田中弁護士と打ち合わせ。終了後、御徒町駅北口改札へ。年友企画の社員の石津さん、酒井さんと待ち合わせ。石津さんの提案で。湯島のへぎ蕎麦「こんごう庵」へ。天ぷらはじめ大変おいしかった。締めにへぎ蕎麦を頂く。御徒町から帰る二人と別れ、私は湯島から千代田線で我孫子へ。

8月某日
新霞が関ビルのロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。4階の全国社会福祉協議会で副会長の古都賢一さんに面談、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」への出席をお願いする。地下鉄の国会議事堂前から大手町へ。社保研ティラーレによって神田から我孫子へ。我孫子の「七輪」でビール。

8月某日
「新自由主義の帰結―なぜ世界経済は停滞するのか」(服部茂幸 岩波新書 2013年5月)を読む。7年以上前に書かれた本だが、コロナ不況の現在にも当てはまることが多いと感じた。この本が書かれた当時の経済危機といえば08年のアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻によるリーマン・ショックであろう。アメリカ政府は金融機関を救済するために多額の公的資金を投入した。リーマン・ショックの前にサブプライムローンの破綻に端を発した住宅バブル崩壊があり、その前にはITバブル崩壊があった。服部はアメリカ政府の経済政策の失敗を新自由主義的な経済政策の失敗とし、今こそニューディール政策に学べと主張する。ひるがえって新型コロナウイルス対策として40兆円に及ぶ国費が投じられ、あるいは投じられようとしている。全額が国債による借金である。バラマキではなく新型コロナウイルスや災害に備えた社会インフラの整備に使ってもらいたいと切に願う。

8月某日
国立西洋美術館に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を観に行く。この日は大谷源一さん、神山弓子さんと3人で我孫子の「七輪」で呑むはずだったが大谷さんが17時30分まで会議ということなので上野の美術館で時間をつぶそうとなったわけ。例によって私の障害者手帳を示すと本人と付き添い1名が観覧料無料となる。常設展も観て上野から常磐線で我孫子へ。20分ほど我孫子駅の南口あたりを案内する。「七輪」の2階を神山さんが予約していてくれたので2階へ。神山さんから日本酒を頂く。18時45分ころ大谷さんが到着。改めて乾杯。

8月某日
安倍総理が記者会見で辞任を表明。コロナ対策、経済対策が迷走するなか潰瘍性大腸炎が再発した。この人は攻めには強いが守りには弱い。こうした人に長期政権を委ねた政治家、そうした政治家を選んだ私も含めた国民の罪は重い。
図書館で借りた「物語の海を泳いで」(角田光代 小学館 2020年8月)を読む。角田光代が書いてきた書評や読書について書かれたエッセーを一冊にまとめたもの。自分の読んでいない本の書評というのは如何なものかと思ったが、読んでみると角田の感性にそれなりに触れることができて面白かった。そうは言っても好きな作品の書評を読むのは格別。吉田修一や白石一文、桐野夏生、井上荒野、川上弘美、辻原登などの作品に対する書評には引き込まれる。「あとがき」に「50歳を過ぎ、さらに衝撃的なことに気づいてしまった。何ということだろう、読んだ本の中身を忘れてしまうのである」とあって、思わず「おんなじ」とニヤリ。

8月某日
図書館で借りた「靖国神社の緑の隊長」(半藤一利 幻冬舎 2020年7月)を読む。半藤が「週刊文春」の編集者だった1960年夏に執筆、出版した「人物太平洋戦争」から8編をえらび、読みやすい文章に書き直したものだ。「まえがき」で半藤は、「戦争の犠牲者をどう追悼したらいいか」と聞かれたら「日本がいつまでも平和でおだやかな国であることを、亡くなったひとたちに誓うこと」と答えると自問自答している。半藤は東京大空襲も経験した「反戦」の人なのだ。NHKBSで渡辺恒雄読売新聞社主の長時間インタビューを放映していたが、この人も反戦の人だね。半藤は今年90歳、渡辺は94歳である。戦争の記憶はどんどん薄れていく。

8月某日
近場のレストランシリーズ第2弾、本場インドカレー専門店と銘打った「ハリオン」(若松141-4)へ行く。若松店と我孫子駅北口店、取手店と3店舗もある。我孫子産のチキンとトマトを使ったセット1230円を頼む。ナンまたはライスでライスを選択。バターライスなのかな。私には少し量が多い。満足して店を出るが外は猛烈な暑さ。普段なら5分で家に着くがマスクをしてヨロヨロ歩くので倍近くかかってしまった。