モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
元参議院議員の阿部正俊さんが亡くなった。77歳だった。今から40年近く前、阿部さんが厚生省年金局の資金課長だったころに初めて知り会った。私が日本プレハブ新聞の記者で年金住宅融資の取材がきっかけだった。厚生官僚と親しくなったのは阿部さんが初めてだったが、率直な物言いが印象に残った。阿部さんが老人保健局長のとき、参議院選挙に出馬を決意、当時年金住宅福祉協会の企画部長だった竹下隆夫さんとパンフレットを作ったりした。山形県が選挙区なので現地まで応援に行った。応援と言っても演説に拍手するくらいだったけれど。参議院議員を2期12年務めた後、議員は引退したが社会保険倶楽部の会合で何回かお会いした。議員の頃、厚労省の若手が議員会館に説明に行くと、逆に議論を吹っ掛けられて困っていたという話を聞いたことがある。社会保障の将来を真剣に憂いていたが故と思う。正論を正論として堂々と述べる政治家が少なくなっている現在、阿部正俊という政治家は得難い存在だった。

10月某日
幼馴染の山本義則、通称オッチと我孫子の「もつ焼きやまじゅう」で呑む。小学校入学前からの付き合いなので、70年近くの付き合いとなる。もっともお互いに仕事を持っていた頃はそんなに会うこともなかったが、仕事を引退してからは年に2、3回は会っていたように思う。オッチとは小学校、中学校、高校と一緒だった。室蘭東高の首都圏在住者の同期会でも顔を合わせていたが、コロナ禍で首都圏同期会も開かれず、オッチとも久しぶりの再会となった。小学校5、6年生のときは同じクラスだったが、オッチは圧倒的な存在感があり餓鬼大将だった。

10月某日
神田の社保研ティラーレを13時に訪問する。その前に近くの「台北苑」という中華料理屋で「ルーロー飯」を食べる。社保研ティラーレの佐藤聖子社長と国会議事堂前の内閣府に行く。首相官邸前に「学術会議人事への介入反対」という手書きのポスターを持って立っている紳士がいた。内閣府では厚労省から出向している内閣官房新型コロナ感染症対策推進室の梶尾雅宏審議官に挨拶。梶尾審議官には「地方から考える社会保障フォーラム」で「ウィズコロナ社会の課題~感染拡大防止と社会経済活動の両立」という講演をしていただくことになっている。梶尾審議官とは初対面だったがなかなか感じのいい人だった。もっとも最近の官僚とくに厚生官僚は押しなべて感じがいい。社保研ティラーレに戻って吉高会長と雑談、我孫子へ帰って駅前の「しちりん」で一杯。

10月某日
図書館で借りた「悪党・ヤクザ・ナショナリスト―近代日本の暴力政治」(エイコ・マルコ・シナワ 藤田美菜子訳 朝日新聞出版 2020.9)を読む。幕末から明治以降の政治と暴力との関りについて述べたもの。主として博徒、ヤクザ、愛国主義者ら、つまり右翼と政治権力について分析している。私の学生時代、反日本共産党系の学生は「暴力学生」と呼ばれていた。ゲバ棒と投石で機動隊と対峙していたからね。そして暴力学生の多くは高倉健や鶴田浩二、若山富三郎、藤純子、菅原文太などが出演する主として東映のヤクザ映画に熱狂したものだ。悪辣な敵ヤクザの卑劣な攻撃に耐えながら最後は敵ヤクザに討ち入りするという決まりきったストーリーが、機動隊や敵対する党派の暴力にさらされていたわが身と二重写しになっていたのだろう。この本で初めて知ったのだが、秩父困民党のリーダーだった田代栄助は養蚕業を営む傍ら博打も打つ博徒だったんだ。「強きを挫き弱きを扶ける」という仁侠映画に出てくるような博徒だね。

10月某日
図書館で借りた「ちょっと気になる『働き方』の話」(権丈英子 勁草書房 2019年12月)を読む。著者の権丈先生は亜細亜大学経済学部の教授で副学長。慶応大学商学部出身ということからも、権丈善一先生と夫婦と思われる。この本の装丁も善一先生の「ちょっと気になる社会保障」を踏襲しているしね。それはともかく大変面白くかつわかりやすい語り口で日本の労働市場の現在と将来を明らかにしている。日本は人口減少社会となり生産年齢人口も減少していく。私たちは今までこれを「危機」ととらえてきたが、著者の捉え方は一味違う。著者は「労働力希少社会」ととらえ「早晩、資本に対する労働の相対価値が上昇していきます」とし、「生産要素間の相対価格の変化は、長期的には市場メカニズムによる調整を通じて、歴史を変える力」を持っているとも喝破する。最近の報道によるとコロナ禍でも企業の内部留保は増え続けているという。ということは労働分配率は低下していると思われる。権丈先生はあくまでも「長期的には」という留保を付けているが、日本における労働組合の組織率の低下やパートタイム労働者の増加も「資本に対する労働の相対価値」の上昇を妨げているのかもしれない。 

10月某日
図書館で借りた「推し、燃ゆ」(宇佐美りん 河出書房新社 2020年9月)を読む。宇佐美りんは1999年生まれだから今年21歳か。対談をした村田沙耶香との写真がネットに公開されていたが、どこにでもいる女子大生という感じだった。村田沙耶香だって玉川大学卒業後、コンビニでバイトしながら作家修業してたんだから同じようなものだけれど。村田にしろ宇佐美にしろ才能のひらめきは私にも感じられる。ただ宇佐美となると私と51歳の歳の差がある。孫の世代ですよ。本書はアイドルグループの追っかけをやっている女子高生の日常を題材にしたものだが、言葉についていけないものがある。「スクショ」ってなんだ?ネットで検索するとスクリーンショットのことだというが、スクリーンショットが分からない。ひとつひとつの術語に意味が分からない所があるが、文体はしっかりしている。例えば次のような描写は古風とも言えるのではないか。「風が吹き荒れていた。朝から急激に悪化した天候は、コンクリート製の壁に囲まれた建物の内部をも暗く湿らせている。雷は空を突き崩すような音を立て、壁に走ったひびや、セメントの気泡のあとを白く晒し出す」。これはアイドルグループのコンサート会場の描写なのだが、ある種のカタストロフィーを予感させる描写だ。好きな作家として確か中上健次を挙げていたがさもありなん。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子 角川文庫 昭和61年1月)を読む。表題作を含む9編の短編が収録されている。「ジョゼと…」をはじめ何度か読んだものばかりである。でも田辺の短編は読むごとに違った感懐を抱かせる。テーマは男と女の恋愛なのだが、「恋の棺」「ジョゼと…」「男たちはマフィンが嫌い」「雪の降るまで」は性が重要なテーマになっている。「恋の棺」は29歳のインテリアデザイナーでバツ1の宇禰と長姉の末息子で大学浪人中の有二の物語。遅い夏休みを一人で六甲のホテルの過ごす宇禰の物語。二人は宇禰の部屋で結ばれる。「しかし宇禰はこの悦楽を先鋭化するために、二度と有二と機会を持とうとは思わないのだ。宇禰はそういう決意を匕首のようにかくし持ちながら、微笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった」。性愛の男女行き違いを象徴的に描いているように思う。「ジョゼと…」は脳性麻痺のジョゼと大学生の恒夫の物語。ジョゼと同居していた祖母が死に恒夫は市役所に就職が決まる。アパートにジョゼを訪ねた恒夫は「信じられぬほどに小さく、まことに格好のいい美しい唇を目の前で見ていると急にそうしたくなって、接吻した」。それから二人は交わる。恒夫は「女子学生と何べんか体験はあったが、こんなこわれもののようなもろい体ははじめてだった。その日、はじめてジョゼの繊(ほそ)い脚を直接(じか)に見て、これも人形のような脚だと思った。しかし人形は人形なりに精巧にできていて、外から見るより、少なくとも女の機能はかなり図太く、したたかに、すこやかに働いているのがわかった」「繊い人形のような脚のながめは異様にエロチックで、その間に顫動している底なしの深い罠、鰐口のような罠がある。恒夫はそこへがんじがらめに括りつけられたように目もくらむ心地になる」-何とも巧みな表現でさすが田辺先生である。二人は一緒に住み始める。「恒夫はいつジョゼから去るか分からないが、傍にいる限りはそれでいいとジョゼは思う。そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった」。これはもはや哲学ではないでしょうか。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、岸工業の岸社長、OHANA税理士事務所の琉子代表とGバスターの販売戦略会議。新型コロナウイルス対策にGバスターが有効なことに何とか納得が行く。岸社長も琉子代表も熱心なので応援したいと思う。17時30分から神田美土代町の「花の碗」で社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐さんと食事。「花の碗」の基本はイタリアンだが、ランチに行くと赤だしの味噌汁とお新香が付き、ナイフとフォークに割り箸も付いているのでありがたい。ディナーでも割り箸が付く。料理も厨房で取り分けてくれるのもうれしい。家庭的な雰囲気で値段もリーズナブルだ。

10月某日
「駆けこみ交番」(乃南アサ 新潮文庫 平成19年9月)を読む。世田谷区等々力の交番に勤務する新米巡査、高木聖大が主人公。交番が舞台だから極悪人は出てこない。本書には「とどろきセブン」「サイコロ」「人生の放課後」「ワンマン詐欺」の4編が収められている。冒頭の「とどろきセブン」は、交番の近くのマンションのオーナーで自身もその最上階に住む老女、神谷さんをマドンナとする7人組の物語。「サイコロ」はサイコロのようなコンクリート製のモダンな住宅に住む小学生兄弟に対する育児放棄がテーマ。「人生の放課後」は神谷さんのもと住んでいた家がマンションに建て替えられる経緯と、そのなかで神谷さんを中心にした7人組が形成されてきたことが明らかにされる。「ワンマン詐欺」は愛犬が誘拐される事件が発生、犯人の元総会屋が逮捕され、犯人と亡くなった神谷さんの夫との意外な接点もあらわれる。高木聖大は主人公というよりも狂言回しと言った方が適切かもしれない。主人公はむしろ「とどろきセブン」を中心にした町の住民であり、隠されたテーマは「高齢社会における都市コミュニティ」だ。

10月某日
桐野夏生の最新作「日没」(岩波書店 2020年9月)を読む。帯に「『表現の不自由』の近未来を描く、戦慄の警世小説」と書かれていた。この小説を読み進むうちに、私は日本学術会議が推薦した新会員のうち6人が菅総理から任命されなかった件を連想し、一瞬心が暗くなったが半面で小説家桐野の時代を見抜く鋭さに驚かされもした。主人公は女性で40代バツイチの小説家マッツ夢井。「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」から召喚状が届くことから驚愕の物語は始まる。読者からの提訴に基づいて作家に対して若干の講習などを行うという召喚状だ。召喚状に従ってJR線のC駅へ向かった夢井は待っていた車に乗せられて茨城県方面に向かう。着いたのはコンクリートの塀がぐるりと取り囲んだ七福神浜療養所だ。この療養所でマッツ夢井が体験したことを軸に物語は展開していく。まぁ時の政権に気に入らない小説を書いている小説家はコンクリートの壁に囲まれた「療養所」に収監されるのだ。ナチスはナチスの意向に逆らった知識人を弾圧したが、戦前の日本でも共産党だけでなく民主主義者や特定の宗教の信者が弾圧された。京大前総長の山際寿一氏が朝日新聞(10月22日朝刊)に「学術会議問題と民主主義 全体主義への階段上がるな」と題するエッセーを寄稿している。そのなかで「民主主義とは、どんな小さな意見も見逃さず、全体の調和と合意を図り、誰もが納得する結論を導き出すことだ」と書いている。なんの説明もなく学術会議が推薦した6名を任命拒否した菅首相は民主主義に背いていると言えないか? 私は今こそマルティン・ニーメラー(1892~1984 ドイツの神学者)の次の言葉をかみしめたい。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄へ入れられたとき、私は声を上げなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」。

10月某日
16時頃、有楽町の東京交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」に大谷源一さんを訪問したら17時30分頃まで会議ということなので、近くのガード下の呑み屋で時間をつぶすことにする。ウイスキーのソーダ―割を2杯飲み、つまみに頼んだポテトサラダを食べたところで大谷さんから「会議が終わった」との連絡が入る。「ふるさと回帰支援センター」に行くと高橋公理事長がいたので雑談。「学術会議問題は民主主義の危機」であることで一致、「団塊の世代に最後の頑張りが求められているね」と言ったら、ハムさんも「そーだよう」と大きく頷いていた。大谷さんと近くのイタリアンへ。厚労省から財務省に出向している吉田昌司さん、全国社会福祉協議会の古都賢一副会長、共同通信の城和香子記者と呑み会。城さんが同僚の岩原奈穂さんを連れてくる。よく食べよく呑んだ。

10月某日
御徒町の清瀧酒蔵でHCM社の大橋進会長とデザイナーの土方さんと呑む。コロナ禍、学術会議問題、経済の行方と話題は各方面に飛んだがたいへん面白かった。土方さんは3人の子持ちで奥さんがキャリアウーマンなので保育所の送り迎えと食事の支度は土方さんの役目。その奮闘記をユーモアたっぷりに聞かせてくれる。しかし、土方さんのような家庭が男女共同参画社会を実践しているのだ。大橋会長にすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
図書館で借りた「昭和史講義【戦後編】(下)」(筒井清忠編 ちくま新書 2020年8月)を読む。【戦後編】(下)は第1講「石橋内閣」から第21講「バブル時代の政治」を扱っている。石橋内閣は1956年12月から1957年2月までのごく短期間存続した内閣で、1948年生まれの私はこのとき小学校2年生、石橋内閣の記憶はほとんどない。しかしそれ以降の「安保改定」「安保闘争と新左翼運動の形成」「池田内閣と高度経済成長」「佐藤長期政権」「日韓基本条約」などは記憶に残っているし、第12講「全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」は私は早大全共闘の下級活動家として当事者の一人であった。本書を通読して思うのは「日本現代史は知っているようで知らないことが多い」という感慨であった。私が興味を持った幾つかについて感想を記しておきたい。
第3講「安保闘争と新左翼運動の形成」
安保闘争を主導した全学連と共産主義者同盟(ブント)が日本共産党での党内抗争を経て誕生したのは知っていたが、その淵源をたどると日共の所感派と国際派の分裂、六全協による党の統一までさかのぼることを初めて知った。そういえば廣松渉という東大教授で哲学者は安保ブントの理論家の一人であったが、高校生のときはすでに日共の党員だったという。本書によると日共東大細胞のキャップだった森田実と島成郎らが全学連を再建したのが1956年6月で同年秋の第2次砂川闘争には生田浩二、唐牛健太郎、清水丈夫ら後の安保闘争の指導者が参加した。彼らが全学連の主流派を形成するのだが主流派は日共の旧所感派が多かったというのも本書で初めて知った。生田浩二は静岡高校出身で高校時代からの党員で所感派に与し、中核自衛隊に志願して火炎瓶闘争を行った。生田はブントの事務局長を務めたが安保闘争後、青木昌彦らと渡米し近代経済学を学んだが志半ばにして火災事故で死んでいる。それはともかく日共から除名ないし排除された森田や島らによって1958年12月、ブント創立大会が開かれた。安保闘争後、ブントは分裂消滅するが、組織や理念は一部は革共同に吸収され、一部は第2次ブントに継承されていく。
第6講「池田内閣と高度経済成長」
60年安保の一連の騒動の責任をとって岸が退陣した後に登場したのが池田内閣である。所得倍増論を掲げた池田が主張したのは「政府が高成長に伴う税の自然増収分を財源に、鉄道や道路といった飽和状態の産業基盤の整備を進めれば、10年間に月給は2倍にも3倍にもなる」というものであった。実際に「1960年の一人当たり実質国民所得を基準にすると、68年に2倍を超え、70年には2.5倍になった」のである。私が早稲田に入学したのが68年だが、それまでのわが家の家計を考えるととても東京の私学には進学させられなかったと思う。それでも何とか学費を払うことができたのは高度成長のおかげということかも知れない。農村の過剰人口がとしに吸収されサラリーマンや工場労働者になって高度経済成長を支えた。おそらく出生率も2.0前後だったのではないか。未来に希望が持てた時代なのだ。高度経済成長には公害など負の側面は確かにあるけれど、国民一人一人にとっては今よりはるかに将来に希望の持てた時代であったと思う。
第10講「佐藤長期政権」第12講「全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」
佐藤政権は池田首相が1964年11月に病気で退陣した後を受けて登場した。政権は7年8カ月と長期に及び1972年7月に総裁選で福田赳夫に勝利した田中角栄に引き継がれる。私の高校3年間と浪人の1年間、大学の4年間とほぼ重なる。浪人しているときの1967年10月8日、佐藤訪米阻止の羽田闘争が三派全学連を中心とする学生たちによって闘われた。私は浪人だったから闘争には参加しなかったものの「大学に行ったら学生運動をやろう」とひそかに思ったものだ。68年頃から東大、日大をはじめ全国で学園闘争が激化、佐藤政権は大学立法で応じる。三島由紀夫が東大全共闘と駒場で討論を交わしたのが自決の1年前の69年5月である。早稲田から締め出されていた反革マル連合(後の早大全共闘)が、正門前に陣取る革マルの防衛隊を粉砕したのが4月17日、第2学生会館の封鎖が機動隊により解除され、学館の屋上で私が逮捕されたのが9月3日である。逮捕後、大森警察署に留置されることになるのだが、留置所の女子房に京浜安保共闘の女子学生が入ってきた。のちに連合赤軍で殺された大槻節子である。金網越しではあったが楚々とした美人であることが伺えた。70年の11月25日に三島と楯の会が市ヶ谷の自衛隊司令部で自衛隊の決起を促す演説した後、割腹自殺している。私は早稲田からバスで市ヶ谷に向かい、塀の周りをウロウロしたがもちろん現場に入ることはできなかった。評論家の村上一郎が中に入ろうと自衛官と押し問答しているのを目撃した。佐藤政権の末期は確かに騒然とした時代ではあったが、経済は好調でだからこそ学生が異議申し立てをする余裕があったのかもしれない。

10月某日
図書館で借りた「武器としての『資本論』」(白井聡 東洋経済新報社 2020年4月)を読む。奥付を見ると4月に初刷りを発行して3カ月後の7月に第6刷発行とあるから、この種の本としてはかなり売れているほうではないだろうか?「この種の本」とは左翼的な傾向のある本、ということで、私の学生時代とは真逆である。資本論とは言うまでもなくマルクスの手による資本制の本質を明らかにした書物だが、もちろん私は読んだことはない。白井聡は若手の若手(1977年生まれ)の政治思想史の学者で私は「未完のレーニン」「永続敗戦論」「国体論」などを読んだことがあるが、アカデミックな学者というよりも吉本隆明の若いときを思わせる鋭い問題意識を感じる。私は左翼の学生だったので若いときにマルクスやレーニンの本は読んだ。読んだけれどマルクスの資本論や経済学批判は敬遠し初期マルクスと言われた経済学哲学草稿、ドイツイデオロギーなどには挑戦した。が理解はできなかった。共産党宣言やフランスの内乱、ルイ・ボナパルトのブリューメル18日などは何とか理科で来たと思う。要するに原理論的な書物は苦手で運動論的なものは比較的好んでいたように思う。レーニンの「何をなすべきか」「国家と革命」なども運動論として読んだ。さて「武器としての『資本論』」だが、平易な語り口で叙述されていることもあって大変読みやすい。だが書かれている内容は高度。簡単に要約するのは困難なので著者の問題意識の一部を私なりに紹介してみたい。
マルクスによる資本制社会の定義は「物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行なう社会」であり、「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)ということである。物質代謝とは人間が何かをインプットし何かをアウトプットしていく連鎖のことと考えていい。食物から栄養をインプットし、精神的・肉体的活動としてアウトプットしていくのも物質代謝の一環であろう。「物質代謝の大半」を「商品の生産・流通(交換)・消費」を通じて行なう社会」が資本制社会ということになる。日本でいえば江戸時代はこの定義が当てはまるのではないかと考えてしまうが、江戸時代は基本的には封建的な身分社会であり、土地の私有は原則認められず職業選択の自由もなかった。日本が本格的に資本主義化するのは、版籍奉還から廃藩置県、廃刀令が発せられ、四民平等が宣言された明治維新以降ということになる。
なお白井聡はユーミンが安倍首相の辞任会見について「泣いちゃった、切なくて」とコメントしたことに対し、自身のFacebookに「荒井由美のまま夭折すべきだったね。本当に醜態をさらすより、早く死んだ方がいい」と書き込み、非難を浴びた(らしい)。私は安倍首相の辞任に「泣いちゃった」りはせず、むしろ「もっと早く辞めるべき」と思った口だから、白井の感性に近い。だが、白井先生は自身の社会的な影響力に対してもっと自覚的になったほうがいい。「好漢、自重せよ」ですな。もちろん私は白井聡の政治思想の研究業績は高く評価します。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
全国社会福祉協議会の古都副会長に面談。社保研ティラーレの佐藤社長に同行して来月の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。場所を社保研ティラーレに移して吉高会長とOHANA税理士事務所の琉子さん、小林さんと新製品販売の打ち合わせ。有楽町の交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」に大谷源一さんを訪ねる。高橋理事長に挨拶して近くの「三州屋銀座店」へ。大谷さんにご馳走になる。大谷さんに「Les Anges(レサンジュ)」第2号を貰う。この雑誌は目次に「新木正人と同時代の群像たち 時に刻んだ爪痕を見よ!」とあるように数年前亡くなった新木正人の友人たちによる雑誌である。新木正人といっても今や知る人も少ないと思う。というか新木が「遠くまで行くんだ」などのミニコミで健筆をふるっていた1960年代末から1970年代でも新木は「知る人ぞ知る」存在で決してメジャーではなかった。私も「新木正人を偲ぶ会」に大谷さんに誘われていくまでは知らなかった。しかし出席してみると早稲田の反戦連合の高橋ハムさんや鈴木基司さん、滋慶学園の平田豪成さん、社会保険研究所の金山さんなど見知った人に何人かに出会った。極めて粗っぽくまとめると60年代末から70年代にかけての「学生叛乱」の時代に革共同中核派から離脱した小野田譲二らと思想傾向を同じくするグループらしい。それはともかく帰りの電車で読んだ「Les Anges」はなかなか面白かった。

10月某日
図書館で借りた「昭和史講義【戦後編】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書 2020年8月)を読む。このシリーズは近現代史や思想史の専門家がテーマごとに執筆している。本書では「天皇・マッカーサー会談から象徴天皇まで」から「日ソ共同宣言」まで20のテーマが設定されている。各編ともに私が初めて知った歴史的事実も非常に面白かった。各テーマの詳述は避けるが、編者の筒井教授の「まえがき」の一部を紹介しておこう。「戦後昭和史についての書物は多いが、客観的で実証的な研究成果に基づいて書かれたものは少なかった。しかしさまざまな形でようやく近年資料が公開され着実な成果が積み重ねられつつある。それらを初めて集大成するのが本書である」。

10月某日
「日本学術会議」が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった。会員は学術会議が推薦した候補を内閣総理大臣に任命されることになっているが、従来の慣例では候補者はそのまま任命されていた。ただ10月4日の朝日新聞では2016年の補充人事では官邸が難色を示し欠員補充ができなかったと報じている。いづれにしても安倍政権以来の官邸の官僚人事への介入が学術、学問の世界にも及んできているように思う。学術会議が誕生したのは戦前、一部を除いて大学や学者が戦争に協力してきた反省に基づいていると聞いている。6人のうち近代日本政治史の加藤陽子東大教授の著作の何冊か私も読んでいて、特に戦前期に日本が戦争に突き進んでいく状況を分析した「それでも日本人は『戦争』を選んだ」には感銘を受けた。政治権力が学問の世界に口をはさむのは厳に慎むべきだ。安倍―菅政権の問題、そしておそらくは官邸官僚の資質の問題と思われる。

10月某日
御徒町駅でHCM社の大橋会長と待ち合わせ。「清龍」という居酒屋へ行く。「清龍」は埼玉県蓮田の清瀧酒造の直営店で、私は神田と高田馬場店には行ったことがあるが御徒町店は初めて。大橋さんによると御徒町店は新しいのか「内装がきれい」ということだった。ホッピーを呑みながら楽しく会話、だが残念ながら呑み過ぎで内容は覚えていません。大橋会長にすっかりご馳走になる。

10月某日
社会保険出版社で高本社長と「Gバスター」の打ち合わせ。御茶ノ水から神田へ行って社保研ティラーレに寄って佐藤社長と懇談、大手町から霞が関へ。フェアネス法律事務所でリモート会議。終って遠藤代表弁護士に現在読んでいる「日ソ戦争1945年8月」の著者、富田武成蹊大学教授を「知っていますか?」と聞くと、「知ってるよ、この間も会ったばかり」と言っていた。富田には「歴史としての東大闘争」の著作もあり、社会主義学生戦線(フロント)の活動家だったという。フェアネス法律事務所の今村弁護士の父上は、東大駒場の自治会委員長でフロントだったというし、東大のフロントは優秀だったようだ。仙谷由人、阿部知子もそうだしね。

10月某日
「日ソ戦争1945年8月-捨てられた兵士と居留民」(富田武 みすず書房 2020年7月)を読む。第2次世界大戦の東アジア地域での戦闘、戦争を太平洋戦争と呼ぶのは米国側の呼称で、日本は大東亜戦争と呼んでいた。太平洋戦争では中国戦線やインパール戦線をイメージすることは難しい。まして終戦の年の8月9日、ソ連軍の満洲侵攻に始まり終戦が発せられた8月15日以降も戦闘が継続された、本書が言うところの「日ソ戦争」は、太平洋戦争の「本筋」からは外れた戦闘と思われがちだし、私も本書を読むまではそう思ってきた。1945年8月9日から9月2日まで戦われた日ソ戦争はソ連軍170万人、日本軍100万人が短期間ではあれ戦い、日本側の死者は将兵約8万、民間人約25万、捕虜約60万を数えた、明らかな戦争であった。私は確か加藤陽子の著作によって日本の戦死者が昭和18年以降に急増していることを知り、早期和平に踏み切れなかった日本の戦争指導者の決断力のなさに憤りを覚えた。日ソ戦争にもそのことは強く感じる。まして列車による避難は関東軍や満鉄社員とその家族が優先されたことを知ると、「権力者とその周辺を優遇する」という日本の「ある種の風土」を感じてしまう。これは最近の安倍政権や菅政権にも感じられることだ。と同時に捕虜をシベリアに抑留し、安価または無償の労働力として活用したソ連、スターリンにも怒りを禁じえない。ソ連は人的資源だけでなく工場の機械設備や原料、食料も奪った。そのうえソ連軍の軍紀は乱れ日本人婦女子に対する強姦事件が頻発したという。日ソ戦争については個別の具体例はこれまでも明らかにされてきたが、その全体像は本書によってはじめて明らかになったといって良い。

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
昼飯にチャーハンをつくる。ニンジン、玉ねぎ、ピーマン、ニンニク、ニラをみじん切りにし、オリーブ油とこめ油で炒める。頃合いを見てご飯と溶き卵を入れる。最後にレタスを入れて胡椒と醤油で味付ける。これがなかなか旨い(と思う)。昼飯を自分で作ったので「プレミアム付き我孫子市内共通飲食券(あびチケ)」を昼飯には使えない。そこで3時過ぎに駅前のレストラン「コ・ビアン」に行って「エビときのこのアヒージョ」とキリン一番搾り中瓶を頼む。合計税込みで924円、「あびチケ」1枚(500円)と残りを現金で払う。公園坂を下って市民図書館へ。週刊誌を斜め読みして自宅へ。

9月某日
図書館から借りた「長女たち」(篠田節子 清朝文庫 平成29年10月)を読む。篠田節子はあまり読んだことがない。しかし篠田の病院ないしは老いに関わる小説を読んだ記憶がある。篠田自身の実母を介護した経験が一部下敷きになっている。本書には認知症の母を介護する出戻り娘の話(家守娘)、ヒマラヤ山系の高地で医療に貢献する女医の話(ミッション)、開業医の一人娘が独身のまま父をサポートし糖尿病に腎臓病を併発した実母を介護する話(ファーストレディ)の3編が収録されている。「家守娘」と「ファーストレディ」は育児と違って終わりを見通せない介護のつらさ、それを背負わされる娘の理不尽な思いが伝わってくる。「ミッション」は善意と熱意でアジアのへき地医療に貢献する女医が、善意と熱意だけでは埋めることのできない溝を現地の人たちに感じる様が描かれる。医療、介護、福祉の問題は制度だけでは片づけられない問題を抱えていることをよく表現できていると思う。だけど「家守娘」の認知症の母が72歳、「ファーストレデイ」の糖尿病と腎臓病を併発する母が60歳前というのは如何なものか?ちょいと若すぎないか。昼飯は駅北口のエスニック料理「レモン・グラス」へ。グリーンカレーを頼む。サラダ、生春巻き、アイスクリームがついて税込み1210円。「あびチケ2枚」と現金で支払う。

9月某日
午後、神田の社保研ティラーレの吉高会長を訪問、噴霧器の販売戦略について話し合う。次いでデスクを借りている御徒町のHCM社へ。コロナ禍がまだ続くようなのでHCM社のデスクから撤退することにしたと大橋会長に伝える。HCM社は三鷹で高齢者向けのデイサービスを運営している。コロナで廃業、休業するデイサービスが多い中で、HCM社はそれらの利用者の受け皿となっているそうだ。会長は大手生保、社長は大手銀行出身なので、組織の運営やビジネス感覚に優れているのだろうと思う。HCM社から同じ御徒町の吉池食堂へ向かう。SMSの長久保君が同社を退社するということなのでその慰労会を年友企画の迫田氏、酒井氏とやることに。30分ほど前に来て文庫本を読んでいるとまず酒井さん、次いで長久保君が来る。長久保君何とか言うITの関連企業に行くと言っていた。私の知らない企業名だったが迫田氏も酒井氏も知っていてその会社のサービスを利用していると言っていた。最近、若い人の話題についていけないことが多い。やはり「老兵は死なず消え去るのみ」(マッカーサー)なのであろうか。

9月某日
「遠い声 菅野須賀子」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2020年7月)を読む。菅野須賀子は大逆事件で幸徳秋水らと死刑に処せられた明治時代の無政府主義者である。政治犯、思想犯で死刑にされた女性は菅野須賀子が初めてであろうし、その後も出ていないのではないか。連合赤軍事件の永田洋子は死刑が確定していたが病死した。29歳で刑死した須賀子は本書によれば何よりも恋多き女であった。いくつかの恋愛を経た後、6歳年下の荒畑寒村と恋仲となり結婚する。しかし寒村の入獄中に秋水と親しくなり同棲する。出獄した寒村はピストルを抱いて二人を付け狙ったという。表紙に須賀子の写真が掲げられているが決して美人とは言えない。しかし持てたんでしょう。そういう女の人っているよね。美人ではないが男に人気のある人。須賀子は結核を病んでいて刑死しなくとも早死にしたと言われている。恋と革命に短い一生を燃焼しつくしたともいえる。大逆事件で実際に天皇暗殺を企てたのは須賀子と爆弾を製造した宮下、須賀子に従った新村と古河の4名で、残りの秋水らは冤罪とされる。冤罪を含む多くの死刑判決は明治政府の無政府共産主義に対する恐怖心の表れと思える。須賀子は潔く罪を認め裁判中の態度も立派だったという。「遠い声」の初出は「思想の科学」1968年4月号~12月号に連載された。「文藝春秋」1970年1月号に掲載された古河大作の死刑執行前の独白を装った「いってまいります さようなら」も収められている。解説はアナキズム研究者の栗原康。

9月某日
JR南千住駅で本郷さんと待ち合わせ。千住大橋の東京卸売市場の足立市場に向かう。南千住から市場へ向かう途中、「この辺に東アジア反日武装戦線の大導寺将司とあや子が住んでいたんだよ」と教えられる。大逆事件で刑死した菅野須賀子の本を読んだばかりなので何か因縁を感じる。東アジア反日武装戦線も確か昭和天皇の暗殺を企て荒川鉄橋の爆破計画を立てていた筈だ。それはともかく足立市場は魚専門の卸売市場で今回はそこの食堂で食事をとることに。何軒か食堂が並んでいるなか適当な店を選んで入る。まだ1時過ぎだが客もまばら、ビールと刺身の盛り合わせ、だし巻き卵を頼む。地酒を3本呑んでお勘定を頼むと一人2000円ちょっと。「夜は何時からですか?」と聞くと「夜はやっていません。2時30分で営業終了」とのこと。帰りは本郷さんは南千住からバスで。私は京成線の千住大橋から一駅の町屋で千代田線に乗り換え我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」でホッピーを頂く。

9月某日
HCM社で荷物の整理。大橋社長がパソコンと書籍や書類などを業者に頼んで「送っておきますよ」と言ってくれたのでお任せすることに。神田の社保研ティラーレによって、次回の「社会保障フォーラム」の受付状況を聞く。今回はリモートの応募が多いようだ。御徒町駅で年友企画の石津さんと酒井さんと待ち合わせ。台湾料理の「新竹」へ行く。10分ほど歩いて商店街のちょっと外れにその店はあった。この店は「魯肉飯のさえずり」という本を読んで「魯肉飯」を食べてみたいとパソコンを検索して私が調べた。台湾ビールや前菜、いろんな炒め物、そしてもちろん魯肉飯も美味しかった。石津さんにすっかりご馳走になる。あとで調べたら「新竹」というのは台湾の都市の名前だった。

9月某日
「そこにはいない男たちについて」(井上荒野 角川春樹事務所 2020年7月)を図書館から借りて読む。2組の男女の話。料理研究家の園田実日子は愛する夫が死亡してそのショックから立ち直れないでいる。不動産鑑定士の夫、光一との仲が冷え切っているまりは、マッチングアプリで知り合った青年と付き合っている。下北沢とか三鷹台とか今どきのお洒落なスポットが舞台。ストーリーも面白かったが私には園田実日子の作る料理の描写に興味を魅かれた。井上荒野の小説には料理を題材にしたものがいくつかある。「キャベツ炒めに捧ぐ」や「リストランテ アモーレ」などだ。きっと井上荒野も料理好きなのだろう。