モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
図書館で借りた「私はスカーレット Ⅲ」(林真理子 小学館文庫 2020年10月)を読む。原作はもちろんマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」で登場人物もほぼ踏襲している(と思われる。何しろ原作を読んでいない。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル主演の映画は何度か観たけど)。主役のスカーレットが語り手になっているのだけれど、高慢で自信家というその性格がたいへん巧みに描かれていると思う。女流作家としての林真理子の力量が十分に発揮されている。Ⅲでは南部の大都会アトランタに出て来たスカーレットが、北軍の迫るアトランタで臨月のメラニーを支えながら故郷のタラに脱出する様子が臨場感たっぷりに描かれる。実際の南北戦争は1961年から65年まで4年間戦われ北軍の勝利に終わる。1968年1月の鳥羽伏見の戦いに始まって翌年の五稜郭の戦いで終わった日本の戊辰戦争に比べるとスケール感が違うと言わざるを得ない。タラではスカーレットがたどり着いた前の日に最愛の母が死んだことが明らかにされ、大勢いた奴隷の多くも逃亡してしまっている。荒廃した故郷で妻を失って茫然自失の父を抱え、「どうする!スカーレット」-第4巻が楽しみである。

11月某日
嵐山光三郎の「『下り坂』繫盛記」(2014年7月 ちくま文庫)を読む。嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると「雑文家」というジャンルこそふさわしい。これは何も貶めているわけではない。「雑」という意味には「何にも属さない」という意味があって(個人の意見です)、雑誌のコラムなども私の分類では雑文に入る。サンデー毎日の「満月雑記帳」(中野翠)、「抵抗の拠点から」(青木理)、週刊文春の「夜ふけのなわとび」(林真理子)、「本音を申せば」(小林信彦)など私の愛読する雑文です。中野や林はどちらかと言えば軟、小林はどちらかと言えば硬、青木ははっきり硬派である。昭和の終わりごろだと思うが「情報センター出版局」という出版社から椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」という本が出版され、以降この出版社から村松友見の「私、プロレスの味方です」など数々の雑文の名作が生み出された。雑文家には雑誌の編集者出身が多いように感じる。嵐山は平凡社で「太陽」の編集長だったし、小林も確か「ヒッチコックマガジン」の編集者ではなかったか。雑文家と雑誌、雑の字が共通しているでしょう。どれはともかく、嵐山は國學院大學で日本の古典文学を専攻、平凡社に入社、40前にフリーとなっている。本書は文庫化される前に2009年に新曜社から単行本として出版されている。とすれば収録されている雑文が執筆されたのは2000年代初頭、1942年生まれの嵐山が60代に入った頃から60代後半にさしかかった頃である。人生が下り坂になり始めた頃の執筆、だからタイトルが「『下り坂』繫盛記」なのです。

11月某日
数日前に堤修三さんから「来月19日に72歳を超え云々」というメールをもらったので「私は11月25日が誕生日で50年前の11月25日には三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決しました」と返信した。今日25日に堤さんから「祝・72歳!誕生日は禄でもない日だったのですね(笑)」というメールが来た。次いで山田風太郎の「人間臨終図鑑」から72歳で死んだ人々を列記してくれた。古くは孔子、西行、水戸光圀、新しいところでは棟方志功、船橋聖一、ジャン・ギャバン、ジョン・ウエインなどなど。そうか、私もそういう年齢になったのか…。

11月某日
神田の「ゐくよ寿司」で社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長、社会保険旬報の谷野編集長、税理士の琉子さんとランチミーティング。社会保険研究所のエレベーターホールで全国社会福祉協議会の古都賢一副会長と待ち合わせ、谷野編集長に面談。社保研ティラーレで吉高会長、琉子さん、雑賀さんと除菌システムG-バスターの販売会議。雑賀さんはG-バスターの販売代理店で営業担当だが商品知識も豊富、雑賀さんにG-バスターのスポークスマンになってもらったらいいと思う。17時過ぎに古都さんと鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。遅れて元日航のキャビンアテンダントの神山さん、「ふるさと回帰支援センター」を手伝わされている大谷さんが来る。古都さんは元厚労省で全社協に来るまでは国立病院機構の副理事長をしていた。役人ぽくないのが魅力だ。

11月某日
図書館で借りた「わたしに無害なひと」(チェ・ウニョン 亜紀書房 2020年4月)を読む。やはり図書館で借りた「優しい暴力の時代」(チョン・イヒョン)が面白かった。両方とも現代韓国の女流作家の作品だ。「わたしに無害なひと」には七つの短編が収められている。タイトルは「告白」という短編の「ジニと一緒にいると、ミジュの心にはそういった安堵感がゆっくりと広がっていった。あなたは私にとって無害な人なのよ」という文章からつけられている(と思う)。チェ・ウニョンは1984年生まれというから今年36歳、私からすれば子供のような年齢だが、異性間や同性同士の愛情や友情を「関係性」という視点から丹念にえがいているように思う。最後の「アーチディにて」もちょっと変わった小説だ。語り手はブラジル生まれのラルド。大学を中退した引きこもり気味の青年だ。ひと夏の恋の相手だったアイルランド娘を追ってダブリンへ。当然のように拒絶されたラルドは帰国すべくダブリン空港でブラジル行きの飛行機の窓側に座る。二度とアイルランドの地を踏むことはないと思って。しかしアイスランドの火山噴火によって事態は一変、ダブリン空港は十日間の閉鎖を余儀なくされる。有り金も乏しくカードも停止されたラルドはダブリンからバスで3時間以上かかる人里離れたアーチディの果樹園でアルバイトをする羽目に。そこで出会うのが韓国で看護師をしていたハミンだ。ラルドとハミンの交情(恋愛未満友情以上)がテーマなのだが、ここでも異郷(アイルランド)における外国人(ポルトガル語を母国語とするブラジル人と韓国語を母国とする韓国人)同士の「関係性」が重要なカギとなるのだ。

11月某日
朝日新聞朝刊(11月26日)で「日没」(岩波書店)の作家、桐野夏生氏がインタビューに答えていた。学術会議の菅首相による任命拒否問題や「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」などを挙げて記事は「そんな雰囲気にあらがうかのように、精力的に発言を続け、小説に書く。それはなぜなのか」と桐野氏に問いかけると、氏は「ださいと思われるかもしれないし、攻撃されるかもしれない。けれど、いま言わないと後悔する。怒りがこみ上げて憤死しそう」と答える。それはそれで私は100%桐野氏を支持する。だが小説の結末について氏は語る。「最初はうまく逃げおおせて、その体験を書いている、というエピローグにしようかと思っていた。けれど、近年の状況をみていて絶望的な気持ちになった。ちょっとそれは違うな、と」。私は「え!」と驚く。主人公は逃げおおせたものと私は理解していたのだ。改めて「日没」の結末部分を読む。施設から逃れた主人公は逃亡をほう助者の自転車から降り、「早く行けよ」と促される。「私はゆっくりと荷台から降り、おむつを着けた不格好な姿のまま、よたよたと崖の方に近付いていった」。まぁ主人公は崖から飛び降りると考えるのが妥当なところだろう。私は主人公は「逃げおおせる」と誤読していたわけね。誤読したのは読者たる私の責任が100%なことは間違いないし、私は映画でも小説でも作家の意図と違った解釈をすることがままある。それはそれでまっいいかと思っています。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
社保研ティラーレにあった「サンデー毎日」の11月1日号を貰ってくる。新聞は日付が変わるとあまり読む気がしない。私の中高生時には弁当箱を包むのに新聞紙を用いていたが、現在はそのように新聞紙を用いる家庭もないだろう。古紙回収でトイレットペーパーと交換されるのが関の山である。その点、古雑誌は面白い。発刊当時は見落としていたコラムを読んだりすると意外なことを教えられたりする。さてサンデー毎日の11月1日号では書評欄「サンデーライブラリー」のコラム「本のある日々」に注目。この欄は村松友視や小林聡美らが交代で執筆しているのだが、今回は小林の番。小林は「大阪弁ちゃらんぽらん(新装版)」(田辺聖子 中公文庫)をとりあげ、「田辺さんの解説で大阪弁のおちゃめな猥雑さがひときわ輝く」と評していた。田辺ファンの私ではあるが「大阪弁ちゃらんぽらん」は未読であった。我孫子市民図書館の蔵書を検索すると文庫ではなく「田辺聖子全集」の15巻に収録されていた。「ああしんど」「あかん」「わや」「あほ」「すかたん」などの大阪弁に田辺流の解説を加えていく。「あほとすかたん」の項で田辺先生は「大坂のあほは、これは私の長年の持論であるが、『マイ ディア…』という感じで、親愛をこめた、ぼんやりした雰囲気の言葉である」と書いている。私は田辺先生の名作「夕ごはんたべた?」を思い出す。これは今から半世紀ほど前の作品で、尼崎下町の開業医、三太郎一家の高校生の息子が過激思想にかぶれ、一家が引っ掻き回されるまぁ「ユーモア長編」である。その小説の終わり近く三太郎は連合赤軍事件に触れて、「阿呆な奴らやなあ、永田洋子らは、首くくって死んでしもた森恒夫は」と述べ、「この『阿呆』はむろん罵声ではない。…いたましさのあまりの『阿呆』である」と続けている。田辺先生の想いは深く鋭いのである。古サンデー毎日に勉強させてもらいました。

11月某日
柳美里の小説「JR上野駅公園口」が全米図書賞を受賞した。この小説は読んだ覚えがある。福島県浜通り出身の出稼ぎ農夫が主人公で、出稼ぎ続きの人生で故郷に落ち着くことがない。糟糠の妻にも死なれ確か東日本大震災の津波で娘は流される。最後は主人公は上野駅の長い鉄橋から身を投げて死ぬのではなかったろうか?救いのない小説ではあるけれど読み終わった後味は悪くない。きっと作者柳美里の主人公や震災被災者に対する温かい眼差しが感じられるからではなかろうか。柳美里さん、おめでとう!

11月某日
田辺聖子先生の「大阪弁ちゃらんぽらん」を読了。小説家は言葉を扱う職人であると私は思っているが、田辺先生はまさにその通りの人ではないか。言葉とは文化なのである。大阪弁はまさに浪速の文化なのだ。日本学術会議の任命拒否問題で「総合的、俯瞰的な観点から」と壊れたレコードのように繰り返す菅首相は学術や文化に対する尊敬の念がないのではないか。田辺先生も草葉の陰で泣いていよう。「大阪弁ちゃらんぽらん」に戻ると挿絵が灘本唯人でこれがまたいい。たとえば「えげつない」の項の挿画はストリップ劇場の舞台で「御開帳」をしている踊子の姿を後ろから描き、正面にそれをのぞき込む禿げたサラリーマンを配する。うーん、えげつない!

11月某日
図書館で借りた「日本近代史」(坂野潤治 ちくま新書 2012年3月)を読む。新書版で400ページ以上あるので読み終わるのに1週間くらいかかってしまった。ちなみに坂野は今年10月に亡くなっている。坂野は1937年生まれで60年安保のときは全学連の指導部の一人だったらしい。6月15日に国会南通用門あたりで亡くなった樺美智子は東大国史学科の後輩にあたるのではないか。本書は第1章改革1857-1863、第2章革命1863-1871、第3章建設1871-1880、第4章運用1880-1893、第5章再編1894-1924、第6章危機1925-1937の6章で構成されている。日本史は中学生の頃から私にとってはほとんど唯一の好きな学科で、なかでも幕末以降の日本近代史は現在と直接地続きとなる事柄、事件も多く興味を抱いていた。とは言え今回、坂野の「日本近代史」を読んで初めて知ったことも少なからずあった。私如きが言うのもなんですが坂野こそ「碩学」という名にふさわしい。第1章改革では西郷隆盛を高く評価している。尊王攘夷論を有力藩主と各藩有志者の「合従連衡」により勤王倒幕へと導いた力量を評価してのことである。第2章革命では倒幕側の改革派と保守派に焦点を当てる。改革派は薩長土の下級武士であり、保守派は「公武合体」路線の藩主層である。戊辰戦争を経て廃藩置県が進められると自ずと保守派は後景に退かざるを得なくなる。第3章建設では維新政権内で韓国や清国への外征派が没落し、大久保利通らの「富国派」が台頭し、西南戦争の勝利により、「富国派」の殖産興業中心の時代となることが描かれる。第4章運用では自由民権運動や国会開設の請願運動を農民の政治参加、地租改正などを背景に論じていく。第5章再編では日清、日露戦争を通じて帝国主義国家としての膨張とそれにともなって社会が再編されていく様が描かれる。日露講和反対運動は、9月5日の調印の日から10月4日の枢密院による条約批准の日まで1カ月続く。これを坂野は1960年の5月19日から6月18日にかけての安保反対運動と重ね合わせ「真暗で一人の議員もいない議事堂を、10万とも20万とも言われる学生とともに取り囲み、何もできないまま改定安保条約の自然成立を迎えたあの夜の挫折感が、50年の歳月を経て蘇ってくるのである」と書く。第6章危機では政友会と民政党の二大政党時代から美濃部達吉の天皇機関説事件、満州事変、5.15事件、2.26事件を経て日本が日中戦争に突入していくことを明らかにしていく。大正デモクラシーの頃は言わば定説となっていた天皇機関説が社会の軍国主義化、ファッショ化が進む中で排撃されていく。しつこいようですが、これは菅首相の日本学術会議の任命拒否問題につながると思うよ。

11月某日
「ワカタケル」(池澤夏樹 日本経済出版 2020年9月)を図書館から借りて読む。池澤夏樹は現在、朝日新聞朝刊に連載小説「また会う日まで」を連載している。戦前の海軍軍人が主人公の小説でこれがなかなか面白く、毎朝楽しみにしている。というわけで「ワカタケル」も図書館にリクエストしていたのだ。タイトルのワカタケルは第21代天皇の雄略天皇のことで5世紀に大和地方に実在した。池澤は古事記や日本書紀を底本にしてこの小説を執筆したと思われるが、私は実に面白く読んだ。古墳時代が舞台となるがこの頃の日本は、まだ神々と人間の接点が色濃くあった。小説にも倭の初代大王カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)やタケノウチ(武内宿祢)の亡霊がワカタケルと交流したりする。男女の関係も開放的でワカタケルも正式の妃以外の多くの女性と交合する。考えてみると一夫一婦制が日本に浸透したのも明治以降だからね。欧米のキリスト教の影響と思われる。万世一系の天皇制というけれど、一夫多妻制だから維持できたともいえる。この小説で面白いのは朝鮮半島の新羅、百済、高句麗、中国大陸の宋など東アジアの情勢と倭=大和政権との関係にも触れていること。なかでも朝鮮半島からの渡来民が政権およびこの島国の文化に大きく貢献したことを評価している。たぶん古事記や日本書紀においてもそのような記述がみられるのではないかと思われる。日本人の多くが中国大陸や朝鮮半島を侵略の対象とみなすようになったのは明治以降、それまでは文明先進国として尊敬していたのだ。著者の池澤夏樹は福永武彦と詩人の原條あき子の間に生まれ、離婚後、原條が再婚した池澤喬の池澤姓を名乗っている。
私は池澤喬さんに30年以上前だけれど会ったことがある。産経新聞の記者出身で当時、コーポラティブハウジングを推進する会の代表幹事だった。「今度、芥川賞をとった池澤夏樹の義理のお父さんだよ」と噂されていた。「ワカタケル」とはなんの関係もないけれど。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
「東京裏返し―社会学的街歩きガイド」(吉見俊哉 集英社新書 2020年8月)を読む。著者の吉見俊哉は1957年生まれ、今年63歳。東大大学院情報学環教授である。私は今を去ること30年以上前、「年金と住宅」という雑誌で「古地図を歩く」という欄を担当し、当時年住協の理事長だった中村一成さんとカメラマンと3人で江戸町奉行所の跡や赤穂浪士の討ち入りの足どりを辿ったりした思い出がある。1年以上連載は続いたのでこの本でも紹介されている上野、本郷、湯島、王子あたりには土地勘があるのだ。というかそれ以来「街歩き」が好きになった。「はじめに」で街歩きが最近盛んになったのはNHKテレビの「ブラタモリ」がきっかけと紹介されていたが、私は「ブラタモリ」も好きでよく観ます。東京は3回占領されているというのが著者の考え。最初は徳川家康、次は薩長、3度目は太平洋戦争による米軍だ。東京というと赤坂、六本木、新宿、渋谷といった東京西部の都心に関心が向かいがちだが著者は都心北部に注目する。上野、秋葉原、本郷、湯島、谷中あたりね。ここら辺も私の趣味と一致する。さらに墨田川と多摩川に挟まれた江戸=東京は神田川、石神井川、日本橋川、小名木川など多くの河川、水路を巡らした水の都でもあったことが明らかにされる。コロナで街歩きもままならないが、とりあえず神田明神、湯島天神あたりを街歩きしてみようかな。

11月某日
「戦前日本のポピュリズム―日米戦争への道」(筒井清忠 中公新書 2018年1月)を読む。筒井清忠は日本の近現代史専攻で彼の編著作は何冊も読んだ。資料を駆使して定説を覆していくところが好感を持てる。本書の「まえがき」で著者は「ポピュリズムの定義はいろいろあるが、要するに大衆の人気に基づく政治」と定義し、「言い換えると、ほかでもない日米戦争に日本を進めていったのがポピュリズム」とする。第1章の「日比谷焼き討ち事件」から第12章「第二次近衛内閣・新体制・日米戦争」まで戦前期の日本のポピュリズムについて紹介・分析がなされているが、ここでは第10章の「天皇機関説事件」を考えてみたい。天皇機関説事件とは、憲法学者美濃部達吉が大正期以来唱えてきて学会でも多くの支持を得てきた天皇機関説が、1935年に「国体明徴運動」の展開によって国体に反するものとして攻撃され、明治憲法の解釈として否定された事件である。まず、貴族院と衆議院で天皇機関説が攻撃され軍部さらにマスコミ、庶民がこれに追随した。天皇機関説排撃だけでなく、戦前のポピュリズムにマスコミの果たした役割は大きい。さて私は天皇機関説排撃に現代の菅内閣の「学術会議任命拒否」を重ね合わせてみてしまうのだ。学術への貢献という観点から学術会議が推薦した学者を、俯瞰的な観点という抽象的な言葉で否定する菅官邸。美濃部の天皇機関説も学問的、学術的観点から否定されたのではなく、天皇を神聖視するポピュリズムによって否定された。「学術会議」問題に関して言うとマスコミが官邸に批判的なのが救いだ。だが共同通信の論説副委員長が首相補佐官になったりして、大丈夫か?と思ってしまう。

11月某日
神田駅南口の中華料理屋「隨苑」でランチ、回鍋肉定食680円。「ライス少な目で」とお願いしたが、それでも完食するのにやや苦労する。年齢と共にだんだん食が細くなる。社保研ティラーレで吉高会長と雑談、その後、厚労省の伊原和人政策統括官とティラーレの佐藤社長とリモート会議、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」について貴重なアドバイスを頂く。伊原さんは全世代型社会保障の担当ということでウイークデイは時間がとれず、土曜日午後のリモート会議となった。「土曜日に出てきてもらってありがとう」ということで社保研ティラーレに神田駅西口の洋風居酒屋で夕食をご馳走になる。

11月某日
図書館で借りた「秘密の花園」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年3月)を読む。巻末に「本書は2002年2月マガジンハウス社から刊行された」とあるから初出はマガジンハウス系の雑誌かも知れない。三浦しをんの小説って私はそれほど多く読んだわけではないが、割とユーモアに満ちたものが多かったと思うけれど、この小説は一味違うと感じた。カトリック系女子校に通う3人の女子高生が主人公。那由多が語り手となる「洪水のあとに」、淑子が語る「地下を照らす」、翠(すい)の「廃園の花守りは唄う」の3章構成。私は小中高と一貫して男女共学だったから女子校の雰囲気はちょいと想像がつかない。それこそ私にとっては女子校は「秘密の花園」である。久しぶりに「透明感」溢れる小説を読んだ思い。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
14時に我孫子駅で大谷源一さんと待ち合わせ。成田線で元日航のキャビンアテンダントの神山弓子さんが着く。3人でバスで市役所前へ。「水の館」の展望台から手賀沼を一望。1階の「あびこん」で地元の野菜販売を見てから再びバスで我孫子駅前へ。「しちりん」で3人で呑む。私は「しちりん」へはたいてい一人で行くので頼むものが限られる。この日は3人だったのでいろいろなものが食べられてうれしかった。

11月某日
今日は11月3日、文化の日である。11月3日は確か明治天皇の誕生日だったんだよね。したがって明治時代は天長節(今で言う天皇誕生日)、大正時代から昭和前期、敗戦までは明治節と呼ばれていた。それはともかく年金生活者の私は「毎日が日曜日」、祝日はあまり関係ない。午前中、何気なくテレビをつけるとNHKBSで「プロフェッショナルー仕事の流儀」をやっていた。タイトルは「餅ばあちゃんの物語~菓子職人・桑田ミサオ~」。青森県の津軽地方、五所川原あたりに住む今年93歳のミサオばあちゃんが主人公。60歳のとき手作りの笹餅を持って老人ホームに慰問に行ったら2人のお婆さんに涙を流して喜ばれたのが餅づくりを始めたきっかけ。タイトルは「餅職人」となっているが、ミサオさんは小豆も自分で作っているし、笹も自分で採集している。もちろんスーパーなどへ卸もしているが津軽鉄道の車内販売も手掛ける。経済学は分業の発達によって資本主義経済は発展したとするが、「餅ばあちゃん」は経済学の原理に反して何でも自分でやってしまうのだ。マルクスの「ドイツイデオロギー」に将来の共産主義社会では分業が止揚され、「今日は漁師明日は百姓」みたいな社会が実現するというようなことが書いてあったように記憶するが「餅ばあちゃん」は分業を止揚してしまっているのかも知れない。「何でも自分でやってしまっている」から生産性は高くはない。したがって利益率も低い。だが「餅ばあちゃん」はそれでもいいのである。お客が喜んでくれるから。経済が発達すると生産者には消費者の顔が見えにくくなるのが常識だが、「餅ばあちゃん」はこの常識にも反している。私は「餅ばあちゃん」を「菓子職人」ではなく「資本主義経済を超越した偉大な小生産者」と呼びたい。なお、あとでネットで調べたら今日の放送は6月22日の再放送でした。

11月某日
図書館で借りた「優しい暴力の時代」(チョン・イヒョン 斎藤真理子訳 河出書房新社 2020年8月)を読む。中国語圏での姓名は日本と同じ姓が最初に来て名前が後に来る。欧米はこの逆で名前が来て姓が来る。朝鮮半島ではどうか。キム・イルソン(金日成=北朝鮮のキム王朝の初代)のように日本、中国と同じ姓+名の順である。本書の著者チョン・イヒョンの場合もチョンが姓でイヒョンが名前ということになる。男性か女性かは私には判別がつかない。「訳者あとがき」によると本書は、短編集「優しい暴力の時代」の全訳に、短編集、「今日の嘘」所収の「三豊(サムプン)百貨店」を加えて1冊としたという。ついでに言うと「訳者あとがき」では著者のことを「現在の韓国文学を語る際に欠かせない女性作家である」としているので女性ということが分かる。この短編集を一言で言うならば「日常の中の非日常」だろうか?「何でもないこと」は平凡な日常生活を送る一家の中学生の娘が突然、出産するという話。「ずうっと、夏」は日本人商社員と韓国人妻の間に生まれた太った女の子が主人公。父の赴任先のK国のインターナショナルスクールで韓国語を話す東洋系の少女に出会う。彼女はどうやらノース・コリアの首領の係累らしい。彼女との短い交流への想いが「ずうっと、夏」というタイトルに現れているようだ。

11月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」開催。今回で23回目。今回は厚労省から内閣官房に出向して新型コロナウイルス感染症対策室審議官の梶尾雅宏審議官、全国社会福祉協議会副会長の古都賢一氏、厚労省の健康危機管理・災害対策室長から現在、日本生命出向中の高島章好氏、そして老健局長の土生栄二氏の4人が講師。会場は前回から皇居のお堀端の日本生命ガーデンタワービル3階のAP東京丸の内でオンライン中継も実施した。地方議員の先生方も満足してくれたようだ。フォーラム終了後、近くのアマンホテルで打ち上げ。