11月某日
社保研ティラーレにあった「サンデー毎日」の11月1日号を貰ってくる。新聞は日付が変わるとあまり読む気がしない。私の中高生時には弁当箱を包むのに新聞紙を用いていたが、現在はそのように新聞紙を用いる家庭もないだろう。古紙回収でトイレットペーパーと交換されるのが関の山である。その点、古雑誌は面白い。発刊当時は見落としていたコラムを読んだりすると意外なことを教えられたりする。さてサンデー毎日の11月1日号では書評欄「サンデーライブラリー」のコラム「本のある日々」に注目。この欄は村松友視や小林聡美らが交代で執筆しているのだが、今回は小林の番。小林は「大阪弁ちゃらんぽらん(新装版)」(田辺聖子 中公文庫)をとりあげ、「田辺さんの解説で大阪弁のおちゃめな猥雑さがひときわ輝く」と評していた。田辺ファンの私ではあるが「大阪弁ちゃらんぽらん」は未読であった。我孫子市民図書館の蔵書を検索すると文庫ではなく「田辺聖子全集」の15巻に収録されていた。「ああしんど」「あかん」「わや」「あほ」「すかたん」などの大阪弁に田辺流の解説を加えていく。「あほとすかたん」の項で田辺先生は「大坂のあほは、これは私の長年の持論であるが、『マイ ディア…』という感じで、親愛をこめた、ぼんやりした雰囲気の言葉である」と書いている。私は田辺先生の名作「夕ごはんたべた?」を思い出す。これは今から半世紀ほど前の作品で、尼崎下町の開業医、三太郎一家の高校生の息子が過激思想にかぶれ、一家が引っ掻き回されるまぁ「ユーモア長編」である。その小説の終わり近く三太郎は連合赤軍事件に触れて、「阿呆な奴らやなあ、永田洋子らは、首くくって死んでしもた森恒夫は」と述べ、「この『阿呆』はむろん罵声ではない。…いたましさのあまりの『阿呆』である」と続けている。田辺先生の想いは深く鋭いのである。古サンデー毎日に勉強させてもらいました。
11月某日
柳美里の小説「JR上野駅公園口」が全米図書賞を受賞した。この小説は読んだ覚えがある。福島県浜通り出身の出稼ぎ農夫が主人公で、出稼ぎ続きの人生で故郷に落ち着くことがない。糟糠の妻にも死なれ確か東日本大震災の津波で娘は流される。最後は主人公は上野駅の長い鉄橋から身を投げて死ぬのではなかったろうか?救いのない小説ではあるけれど読み終わった後味は悪くない。きっと作者柳美里の主人公や震災被災者に対する温かい眼差しが感じられるからではなかろうか。柳美里さん、おめでとう!
11月某日
田辺聖子先生の「大阪弁ちゃらんぽらん」を読了。小説家は言葉を扱う職人であると私は思っているが、田辺先生はまさにその通りの人ではないか。言葉とは文化なのである。大阪弁はまさに浪速の文化なのだ。日本学術会議の任命拒否問題で「総合的、俯瞰的な観点から」と壊れたレコードのように繰り返す菅首相は学術や文化に対する尊敬の念がないのではないか。田辺先生も草葉の陰で泣いていよう。「大阪弁ちゃらんぽらん」に戻ると挿絵が灘本唯人でこれがまたいい。たとえば「えげつない」の項の挿画はストリップ劇場の舞台で「御開帳」をしている踊子の姿を後ろから描き、正面にそれをのぞき込む禿げたサラリーマンを配する。うーん、えげつない!
11月某日
図書館で借りた「日本近代史」(坂野潤治 ちくま新書 2012年3月)を読む。新書版で400ページ以上あるので読み終わるのに1週間くらいかかってしまった。ちなみに坂野は今年10月に亡くなっている。坂野は1937年生まれで60年安保のときは全学連の指導部の一人だったらしい。6月15日に国会南通用門あたりで亡くなった樺美智子は東大国史学科の後輩にあたるのではないか。本書は第1章改革1857-1863、第2章革命1863-1871、第3章建設1871-1880、第4章運用1880-1893、第5章再編1894-1924、第6章危機1925-1937の6章で構成されている。日本史は中学生の頃から私にとってはほとんど唯一の好きな学科で、なかでも幕末以降の日本近代史は現在と直接地続きとなる事柄、事件も多く興味を抱いていた。とは言え今回、坂野の「日本近代史」を読んで初めて知ったことも少なからずあった。私如きが言うのもなんですが坂野こそ「碩学」という名にふさわしい。第1章改革では西郷隆盛を高く評価している。尊王攘夷論を有力藩主と各藩有志者の「合従連衡」により勤王倒幕へと導いた力量を評価してのことである。第2章革命では倒幕側の改革派と保守派に焦点を当てる。改革派は薩長土の下級武士であり、保守派は「公武合体」路線の藩主層である。戊辰戦争を経て廃藩置県が進められると自ずと保守派は後景に退かざるを得なくなる。第3章建設では維新政権内で韓国や清国への外征派が没落し、大久保利通らの「富国派」が台頭し、西南戦争の勝利により、「富国派」の殖産興業中心の時代となることが描かれる。第4章運用では自由民権運動や国会開設の請願運動を農民の政治参加、地租改正などを背景に論じていく。第5章再編では日清、日露戦争を通じて帝国主義国家としての膨張とそれにともなって社会が再編されていく様が描かれる。日露講和反対運動は、9月5日の調印の日から10月4日の枢密院による条約批准の日まで1カ月続く。これを坂野は1960年の5月19日から6月18日にかけての安保反対運動と重ね合わせ「真暗で一人の議員もいない議事堂を、10万とも20万とも言われる学生とともに取り囲み、何もできないまま改定安保条約の自然成立を迎えたあの夜の挫折感が、50年の歳月を経て蘇ってくるのである」と書く。第6章危機では政友会と民政党の二大政党時代から美濃部達吉の天皇機関説事件、満州事変、5.15事件、2.26事件を経て日本が日中戦争に突入していくことを明らかにしていく。大正デモクラシーの頃は言わば定説となっていた天皇機関説が社会の軍国主義化、ファッショ化が進む中で排撃されていく。しつこいようですが、これは菅首相の日本学術会議の任命拒否問題につながると思うよ。
11月某日
「ワカタケル」(池澤夏樹 日本経済出版 2020年9月)を図書館から借りて読む。池澤夏樹は現在、朝日新聞朝刊に連載小説「また会う日まで」を連載している。戦前の海軍軍人が主人公の小説でこれがなかなか面白く、毎朝楽しみにしている。というわけで「ワカタケル」も図書館にリクエストしていたのだ。タイトルのワカタケルは第21代天皇の雄略天皇のことで5世紀に大和地方に実在した。池澤は古事記や日本書紀を底本にしてこの小説を執筆したと思われるが、私は実に面白く読んだ。古墳時代が舞台となるがこの頃の日本は、まだ神々と人間の接点が色濃くあった。小説にも倭の初代大王カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)やタケノウチ(武内宿祢)の亡霊がワカタケルと交流したりする。男女の関係も開放的でワカタケルも正式の妃以外の多くの女性と交合する。考えてみると一夫一婦制が日本に浸透したのも明治以降だからね。欧米のキリスト教の影響と思われる。万世一系の天皇制というけれど、一夫多妻制だから維持できたともいえる。この小説で面白いのは朝鮮半島の新羅、百済、高句麗、中国大陸の宋など東アジアの情勢と倭=大和政権との関係にも触れていること。なかでも朝鮮半島からの渡来民が政権およびこの島国の文化に大きく貢献したことを評価している。たぶん古事記や日本書紀においてもそのような記述がみられるのではないかと思われる。日本人の多くが中国大陸や朝鮮半島を侵略の対象とみなすようになったのは明治以降、それまでは文明先進国として尊敬していたのだ。著者の池澤夏樹は福永武彦と詩人の原條あき子の間に生まれ、離婚後、原條が再婚した池澤喬の池澤姓を名乗っている。
私は池澤喬さんに30年以上前だけれど会ったことがある。産経新聞の記者出身で当時、コーポラティブハウジングを推進する会の代表幹事だった。「今度、芥川賞をとった池澤夏樹の義理のお父さんだよ」と噂されていた。「ワカタケル」とはなんの関係もないけれど。