モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
「湖の女たち」(吉田修一 新潮社 2020年10月)を読む。琵琶湖湖畔の介護療養施設で元京大教授の百歳の男が殺される。事件を追う2人の刑事、介護施設で働く若い女、事件を取材する週刊誌記者はかつて被害者が薬害事件に関わっていたこと、さらに戦前の満洲で731部隊に所属していたことを探り出す。「湖の女たち」の湖はもちろん琵琶湖のことだが、同時にハルビンの平房湖も暗示させる。終戦の年の冬、平房湖の湖岸で少年たちによるおぞましい事件が起きていた。幾筋の起伏に富んだストーリーが交錯する。吉田修一の構想力、想像力に圧倒される。

12月某日
「愛がなんだ」(角田光代 角川文庫 平成18年2月)を読む。通称テルちゃん(20代OL)とマモちゃん(20代出版社勤務)の交際というか交流を中心とするストーリー。テルちゃんはマモちゃんに惚れている。マモちゃんの私用にこき使われ会社の仕事がおろそかになり解雇同然に会社を辞める。そうした今どきの若者の日常をユーモアを交えて描く。私は全然納得いかなかった。マモちゃんにもマモちゃんの理不尽な要求に唯々諾々と従うテルちゃんの姿勢にも。しかし奥付を見ると令和元年の6月で19刷を記録している。それなりの支持を得ているのである。さらにネットで検索すると昨年には映画化もされてある程度のヒットをしているらしい。私は少し反省する。恋愛小説として読むから納得できないのだ、現代の若者の習俗を描いた小説として読めばそれなりの納得はできる。小説中の居酒屋のメニュー紹介も結構詳しい。決して美味そうとは言えないが。

12月某日
図書館で「日本史」のコーナーを眺めていたら岩波新書の「新選組」(松浦玲 2003年9月)が目に付く。松浦玲は以前、大谷さんから貰った「勝海舟」を読んで面白かった記憶があるので早速借りることにする。新選組って幕末に活躍した集団のなかではかなりユニークだと思う。集団のイデオロギーは尊王攘夷であり尽忠報国である。尊王攘夷というスローガンは敵対する長州や薩摩、さらに当時の京都に出没した不逞浪士と一致する。薩長の尊王攘夷は慶応3年10月の徳川慶喜の大政奉還により、尊王倒幕に変換される。しかし新選組は幕命により京都守護職、松平容保預かりとされ京都の市中警護を委任されていた集団である。まして尊王攘夷は大政奉還の1年前に逝去した孝明天皇が固執したイデオロギーで、新選組がこれに敵対することはありえなかった。しかし近藤勇も禁門の変から第1次長州征伐あたりから微妙に変化し、ついには蘭方医松本良順に西洋事情の教えを乞うようになる。ちなみに松本良順は榎本武揚に従って函館まで従軍している。それにしても新選組が幕臣となるのは慶応3年6月である。それまでは京都守護職から市中警護を任された浪士の集団という扱いである。逮捕権や尋問権は持っていたものの幕臣、今で言う公務員ではなかった。町奉行所の与力や同心が幕臣だったのに、その下の岡っ引には正式な形では報酬は支給されなかったのと同じである。著者の松浦玲は京大を学生運動で放校処分にあっている。幕末でいえば不逞浪士の一派だったわけですが、きちんと歴史的に新選組を評価しています。

12月某日
図書館で借りた「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 吉村武彦 2010年11月)を読む。1カ月ほど前に読んだ「ワカタケル」(池澤夏樹)は倭の5王の一人、雄略天皇となるワカタケルを主人公とした小説だったが、政(まつりごと)や性愛などに対する古代人の荒々しくも瑞々しい感性を描いた好著であった。私は「ヤマト王権」を飛鳥時代に連なる大和政権について歴史学ではどうとらえているのか興味深く読んだ。この時代(だいたい6世紀より前)は紙による記録がほとんどない。古事記や日本書紀(記紀)の編まれたのは古事記が712年、日本書紀が720年だし、厳密な歴史書と見ることはできない。中国の歴史書(魏志や宋書など)に出てくる倭国の記述と記紀の記述を照らし合わせたり、考古学と連携して検証したりする作業が必要となってくる。ヤマト王権とは現在の天皇家の先祖となるのはほぼ間違いない。しかし天皇家が男系男子で受け継がれてきたとか長子相続というのは、近代の明治以降に刷り込まれたものではないか、という疑問が本書を読むと湧いてくる。ワカタケルは兄の安康天皇を刺殺してるし、本書によると蘇我馬子は配下に命じて崇峻天皇を殺させた。古代、中世、近世と、天皇は権力のあるなしに関わらず、政治的、思想的にこの国の柱だったんだね。

12月某日
図書館で借りた「東京湾景」(吉田修一 新潮文庫 平成18年7月)を読む。吉田修一の小説に私はなぜ魅かれるのだろうか?ひとつは描かれる人間像であり、登場人物の置かれた社会関係の巧みな描き方に魅かれるのではないか。本編の主人公は亮介、品川埠頭の貨物倉庫で働く25歳。出会い系サイトで知り合った恋人の美緒は対岸のお台場の石油会社で広報を担当するOL。男は高卒で倉庫でフォークリフトを操る肉体労働者、女は大卒で一流企業の美人OL。この設定は普通に考えれば不自然である。しかしこの小説を読んでいると、不自然さはまったく感じられない。吉田修一の作家的な力量という他ない。舞台は品川駅港南口から天王洲アイル駅、品川埠頭、お台場である。この30年か40年で最も変貌をとげた地域である。時代設定としては、りんかい線が開通した1996年頃、だから亮介の行く銭湯「海岸浴場」もまだ残っているのだ。ネットで調べると「海岸浴場」は実在するが2002年3月をもって廃業したそうだ。

12月某日
社保研ティラーレで吉高会長、柳子氏、雑賀氏とG-バスター販売の打ち合わせ。確実に売れてはいるようだが、期待していたほどには出ていない。新型コロナウイルスに対して「三密回避は守り」「G-バスターによる滅菌は攻め」という形で営業したらと提案する。1月中旬以降に厚労省記者クラブで記者発表を予定するが、どういった切り口での記者発表にするか、思案のしどころ。

12月某日
河幹夫さんとJRお茶の水駅で待ち合わせ、社会保険出版社で阿部正俊さんの遺稿集の打ち合わせ。印刷会社のキタジマの金子さんが加わる。何とか今年度中の出版に漕ぎ着けたい。河さんと阿部さんの思い出話をする。阿部さんの年譜を整理していて思い出したが私が阿部さんに初めて会ったのは阿部さんが年金局の資金課長で、私が日本プレハブ新聞という住宅業界の記者をしていたときだ。阿部さんが38歳、私が32歳のときだ。今から40年前である。当時の資金課は公的年金の運用を担当していたが、多くは大蔵省の資金運用部へ預託していた。資金運用部から住宅金融公庫や年金福祉事業団を通じて住宅融資が行われていた。住宅資金の担当課長として阿部さんを取材したのだ。一介の業界紙の記者に対しても阿部さんは丁寧に答えてくれた。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
家にあった「対岸の彼女」(角田光代 文春文庫 2007年10月)を読む。以前に一度、読んだことがあるのだけれど、断片的な記憶しかない。前回はそれほど面白く感じなかったと思うが、今回はとても面白く寝る前に読み始めて明け方まで読みふけってしまった。専業主婦の小夜子は働きに出ることを決意、旅行会社プラチナ・プラネットの面接を受け、採用される。小夜子の仕事は旅行会社の本業ではなく副業の掃除代行業だが、小夜子は個人住宅の汚れに汚れた浴室やトイレの清掃に夢中になっていく。小夜子とプラチナ・プラネットの女社長、葵がビジネスを通じて親しくなりながら、プライベートでも親密さをふかめてゆく。小夜子と葵の現在進行中の章と、高校生時代の葵と親友のナナコの世間から孤絶した友情を描く過去の章が交互に展開される。私はどうも「世間から孤絶」というところに魅かれたようだ。年金生活者としての私は社会とのかかわりは持ちつつも「老兵は死なず消え去るのみ」感を日々強くしつつある。「対岸の彼女」を前回読んだときはバリバリの現役、世間からの孤絶について理解できなかったのかも知れない。

12月某日
次回の社会保障フォーラムの講師をお願いしている日本ワクチン産業協会の今川昌之理事長に面談する。社保研ティラーレの佐藤社長と三越前の福徳神社で待ち合わせ。福徳神社のすぐ前が武田薬品の東京本社であった。仲介の労をとってくれた永井さんが玄関前に迎えに来てくれる。武田薬品の本社ビルは新築のようで受付のインテリアは材木を巧みに配してモダンな雰囲気。会議室で理事長と面談、理事長は武田薬品のグローバルワクチンビジネスユニット日本ワクチン事業部長も兼ねているが一企業にとどまらず、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発が日本、世界をつなぐ大きな課題になっていることを熱心に語ってくれた。

12月某日
厚労省1階ロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。次回の社会保障フォーラムで今年の厚生労働白書について講演をしてもらうことになっている人事課の渡邊由美子調査官に挨拶。地下鉄で霞が関から大手町へ。大手町ファイナンシャルシティビルの地下「蜂の家」で「温野菜たっぷりカレー」をご馳走になる。社保研ティラーレで社会保険研究所の松澤、水野両氏を交え社会保障フォーラムの企画会議。来年2月開催予定のフォーラムの集客が思うようにいっていない現状が報告される。帰りに我孫子駅前の「しちりん」へ。
図書館で借りた「〈階級〉の日本近代史-政治的平等と社会的不平等」(坂野潤治 講談社メチエ 2014年11月)を読む。明治政権を財政的に支えたのは地租である。江戸時代の年貢が地租に置き換わった。ただ年貢は生産物(米)に対する課税だったのに対し地租は土地の価格に対する課税であった。フロー(年貢)とストック(地租)に対する税の違いである。ということは米の価格が上がっても(インフレ)になっても税(地租)は変わらないから農民(地主)はインフレを歓迎した。地主階級を支持基盤とした自由党(後の政友会)はインフレ政策に走りがちであった。都市のブルジョア階級を主な支持基盤とした憲政会(後の民政党)はインフレ政策に警戒的であった。1925年に普通選挙制が実現し25歳以上の男子にはすべて選挙権が与えられた。男子だけではあったが政治的な平等が実現した。日本共産党は非合法化されていたが、社会民主主義を掲げる社会大衆党などの無産政党も衆議院に議席を持つようになる。私たちは戦前を軍部やファシストが支配し、民主主義勢力を弾圧した「暗黒時代」と捉えがちだが、少なくとも1937年7月の日中戦争勃発までは、日本でも民主主義勢力は活発に活動していた。坂野先生はそのことを資料を駆使して活写する。

12月某日
神田駅南口の「〇喜(まるよし)」という店で17時45分から呑み会。出席者は社会保険出版社の高本社長、フィスメックの小出社長、社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐愛子さんと私。この店は老舗おでん屋の「尾張屋」の隣。3時間呑み放題コースで4000円は安いのか高いのかよくわからない。終ってもまだ9時前だったので近くの「葡萄舎」に全員で顔を出す。この店に行くのは久しぶり。店主のケンちゃんも元気そうだった。

12月某日
角田光代の「紙の月」(ハルキ文庫 2014年4月)を図書館で借りて読む。本作は2007から08年にかけて静岡新聞など地方紙に連載されたものを大幅に加筆・訂正し2012年3月に角川春樹事務所から単行本として刊行されている。2014年には吉田大八監督、宮沢りえ主演で映画化された。ストーリーをごく単純化すると「平凡な主婦の梅澤梨花は銀行のパートとして働きだす。東京郊外の町田周辺の農地を売却した裕福な高齢者に対して梨花の誠実な営業は顧客を拡大させてゆく。フルタイムのパートに昇格した梨花は有力な顧客の孫、光太と知り合う。光太の自主映画製作費を一部立て替えたことをきっかけにして梨花の巨額横領が進行してゆく」となる。この小説は犯罪小説と同時に恋愛小説である。私は同時に貨幣とは何か、信用とは何か、家族とは何かを考えさせる哲学小説でもように思えた。

12月某日
伊集院静の「三年坂」(講談社文庫 2011年11月)を図書館で借りて読む。巻末の「あとがき」の日付は平成元年(1989年)7月で、当時の伊集院の心境を知ることができる。この4年前に伊集院は妻(女優の夏目雅子)をがんで亡くし創作から遠ざかろうとしていた。小説を書くように仕向けてくれたのは作家の色川武大であった。この短編集には表題作はじめ6編の短編が収録されている。私は初めて知ったのだが、そのうちの「皐月」がデビュー作となった。おそらく講談社の小説誌「小説現代」に掲載されたのだろう。色川武大も1989年に60歳で亡くなっている。妻を早くに亡くし敬愛する作家も見送らざるを得なかったことが、伊集院の作風に陰影を深くさせているのかも知れない。私は「水澄(みずすまし)」という短編が一番好きですね。大学を中退して幾つかの職を転々とし、妻子とも別れ今はゴルフ場の会員権のセールスマンが主人公。セールスに疲れ公園で休んでいると草野球のメンバーが集まってくる。ピッチャーが欠けたままだ。男は自分から「その人が来るまで投げましょうか」と声を掛ける。男は甲子園を目指す球児だったが県の決勝戦で敗退、不祥事を起こしプロへの道も絶たれてしまう。たまたま巡り合った草野球で男は好投し連敗続きのチームを救う。これは男の再生の物語だ。伊集院の妻の死から再生してゆく姿と二重写しになってくるのだ。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「帝国と立憲-日中戦争はなぜ防げなかったのか」(板野潤治 筑摩書房 2017年7月)を読む。本書で坂野先生が言いたかったことは明治維新以降、日米開戦に至るまで日本の政治過程は「立憲」勢力と「帝国」勢力がせめぎ合い、ときには前者が後者を圧倒しまたときには後者が前者を圧倒するという繰り返しであったということだろうと思う。そして結局は前者は後者によって駆逐され、日本はファシズムへの道をたどる。中国大陸への侵略から太平洋戦争、敗戦へと至るわけだ。翻って現代の日本はどうか? 天皇主権の明治憲法下の戦前と国民主権の現憲法下の現代はもちろん全く異なる政治体制にある。しかし安倍一強体制から菅体制になって新「帝国」勢力が圧倒的に力を持ち出しているように私には思える。菅政権は自民党の岸田派、石破派以外の各派閥から支持を得て成立した。このことは逆に党内から政権に対して異を唱えることを許さない雰囲気を醸成していないか? 以前の自民党は党内反主流派に元気があった。政権交代はなかったが、党内で疑似政権交代を繰り返していた。自民党内で「立憲」勢力と「帝国」勢力が拮抗していたのである。私としては自民党内の「立憲」勢力としての宏池会(岸田派)に少しばかり期待しているのだけれど。

12月某日
「三体」(劉慈欣 早川書房 2019年7月)を図書館で借りて読み始める。人気があるらしく裏表紙に「読み終わったらなるべく早くお返しください」という黄色い紙が貼られている。文化大革命のさなか、紅衛兵による知識人への糾弾闘争の場面から物語は始まる。1967年の北京である。それから時代は40数年後の現代中国に舞台は移る。これから小説は一気にSF小説となってくる。それで私は急速に興味を失ってしまう。SFは苦手なんだよ。明日、この本は図書館に返却しよう。待っている人がいるのだからね。
だもんで、やはり図書館で借りた「はじめての文学」(文藝春秋)の桐野夏生(207年8月)の巻を読むことにする。「はじめての文学」は村上春樹、よしもとばなな、浅田次郎、山田詠美などの現代の人気作家を12人選び、12巻として刊行したもの。桐野の巻には6作が収められている。うち半分の3作は既読だったがやはり面白かった。桐野は巻末の「小説には毒がある」という短文で「毒」にこそ小説の魅力はあると書いているが、桐野の小説の魅力はそこにある。読者としては読書を通して得難い体験をしてしまう。桐野は「使ってしまったコインについて」の解説で「もしかすると、自分が社会のアウトサイダーなのではないか、という怯えと、アウトサイダーを排する社会への怒りは、私の作品に繰り返し表れる主題でもあります。その原形がここにも表れているのでしょう」と書いている。納得である。

12月某日
家にあった向田邦子の「無名仮名人名簿」(文藝春秋 2015年12月)を読み返す。私は1970年代の後半だったと思うがテレビドラマ「だいこんの花」のファンで毎週欠かさず見ていたように思う。父親役が森繁久彌で独身の息子が竹脇無我、当時のホームドラマでは珍しい枯れたユーモアに魅かれたのだろう。この脚本が向田の手によるものと知ったのは後のことである。1980年に向田が直木賞を受賞し翌年航空機事故で急逝したころ知ったのかも知れない。「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」とは向田の直木賞受賞に際して山本夏彦が書いたものの中にあるそうだが、私も実に同感である。「無名仮名人名録」には32編のエッセーが収められている。初出が何時どこに発表されたのかの記載がされていないのが残念である。私は冒頭の「お弁当」が最も気に入っている。向田が小学4年生の頃である。向田は昭和4(1929)年の生まれであるから昭和10年代前半であろうか。転校した鹿児島の小学校のすぐ横の席の女の子が茶色っぽい漬物だけがおかずの貧しいお弁当を食べている。ある日、向田がその漬物を一切れ分けてもらうとこれがひどくおいしい。女の子は学校帰りに家に寄れ、漬物をご馳走してあげるという。彼女が向田を台所へ連れて行き黒っぽいカメの上げ蓋を持ち上げたとき、「何をしている」と怒鳴られる。働きに出ていたらしい母親が帰ってきたのだ。「東京から転校してきた子が、これをおいしいといったから連れてきた」というようなことを言って彼女は泣きだした。母親は向田をちゃぶ台の前に坐らせ、漬物を振舞ってくれたという話が紹介されている。向田の父親は生命保険会社に勤め当時の典型的な中流家庭であった。だがときは戦前である、現在のように9割が中流ということなどありえなかった。向田の描くホームドラマの舞台は中流家庭である。だが向田の視線は遥か戦前、鹿児島の貧しい食卓もとらえている。向田のドラマが庶民の心をとらえる所以であろう。

12月某日
向田邦子の小説を読みたくなって図書館で「隣の女」(文春文庫 2010年11月)を借りて読む。表題作を含めて5編の短編が収められているが、ストーリー仕立ての巧みさや古風ともいえる文体の意外な艶っぽさに感心する。向田は田辺聖子や瀬戸内寂聴、林真理子とは違った女流作家として大成していたと思われる。本書は単行本が昭和56年10月に出版されている。向田が飛行機事故で亡くなったのが同年8月、本書に収められた「春が来た」が絶筆となった。向田作品では幸福の絶頂にある家庭は描かれない。かといって不幸のどん底にある家庭も描かれない。不幸と幸福がない交ぜとなった家庭が描かれる。「春が来た」の主人公は化粧映えのしないOLの直子。若手サラリーマンの風見と恋仲になるが、見栄を張って父は広告会社の重役、母は行儀作法にやかましく、家は庭付き一戸建てと小さなうそをつく。デートの最中、足を捻挫した直子は風見に家へ送られ嘘は露見してしまう。しかし風見は「見栄をはらないような女は、女じゃないよ」と優しい。風見は直子の家にちょくちょく遊びに来るようになるが、それまで身なりに気を使わなかった母親が化粧をするようになったり直子の家族は変わり始める。二人の恋は実らず直子の母親もクモ膜下で急死する。母の初七日が終わった頃、直子はばったり風見に会う。「みんな元気?」と問われ、実は母が、と言いかけて直子は口を噤む。この人のおかげで、束の間だったがうちに春が来たのだ。「元気よ、みんな元気」と直子は答え、自分でもびっくりするような大きな声で「さようなら」を告げる。幸せは長続きはしない、かといって不幸せも長続きしないのである。これが普通の庶民にとっての日常であり願望なのだ。向田はそこを巧みに描くのである。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
島田療育センターで河幹夫理事長に面談、今年亡くなった阿部正俊さんの遺稿集について相談する。阿部さんが残した何冊かの著作をもとに編集することで一致、今年中に私が阿部さんの著作を読んで、大まかな台割を作成し年明け後、ご遺族に提示できればと思う。ところで島田療育センターは多摩センターにあるのだが、本日は大手町から丸ノ内線で霞が関へ、千代田線に乗り換え代々木上原で小田急へ、新百合ヶ丘から小田急多摩線で多摩センターへという乗り換えを繰り返した。河さんによると京王線が都営新宿線と乗り入れているので、「それの方が便利じゃないの」ということなので帰りは京王線にする。確かに岩本町まで一本で行けるのでこの方が便利。秋葉原から山手線、上野から常磐線で我孫子まで帰る。昼飯を食べ損ねたので駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを少々。
帰りの電車の中で「悪党芭蕉」(嵐山光三郎 新潮文庫 平成20年10月)を読み終わる。直近の酒中日記で「嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると『雑文家』というジャンルこそふさわしい」と書いたが、「悪党芭蕉」は雑文などではなく嵐山が丁寧に史料を読み解きながら、作家の想像力によって芭蕉の実像に迫った伝記風ルポルタージュである。私には芭蕉は江戸時代の俳人というイメージしかなかったのだが、この本を読んでイメージが大きく変わった。芭蕉が故郷の伊賀上野から江戸に出てきたのは29歳、寛文12(1672)年である。当初は河川工事の専門家として神田川の工事に携わった。嵐山は「神田川工事は、芭蕉の余技ではなく、本職であった。むしろ俳諧の方が余技であった」としている。もちろん徐々に俳諧の方が本職になっていくのだが、江戸時代の俳諧師はたんなる俳句のお師匠さんではない。句会を催しスポンサーをまわり、句集を出す。芭蕉の場合はこれに全国各地への吟行と、それをもとにした「奥の細道」などの紀行文の執筆が加わる。イベントとしての句会を開催し、スポンサーをまわるなどは現在でいえば広告代理店である。嵐山はマルチ人間としての芭蕉にみずからを投影したのかも知れない。

12月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と南青山の一般社団法人未来研究所臥龍に香取照幸代表理事を訪問。香取さんは厚労省からアゼルバイジャン大使を経て上智大学の総合人間科学部の教授に就任し、一般社団法人も立ち上げた。香取さんには2月の地方議員向けのフォーラムでの講師をお願いする。香取さんから一時間ほど我が国の社会保障の現状についてレクチャーを受ける。熱を込めて語るその姿はさながら「憂国の志士」であった。私としては亡くなった荻島國男さんや竹下隆夫さんの話が出来てうれしかった。

12月某日
「ママナラナイ」(井上荒野 祥伝社 令和2年10月)を読む。10編の短編が収録されている。祥伝社のWEBマガジンンに連載されたもので帯に曰く「この世に生を享け、大人になり、やがて老いるまで―ままならぬ心と体を描いた美しくも不穏な、極上の10の物語」。「不穏な」という形容がそれぞれの短編にふさわしいように思う。「約束」という1編を除いては。高校生の篤を主人公にした「約束」私には爽やかな青春小説と読めた。劣等生の篤は優等生の皐月から生徒会長への立候補を要請される。立候補して当選したら「セックスしてもいい」という皐月の「約束」もあり、篤は立候補する。勉強もできて常識のある生徒を当選させたい教師は篤に立候補の辞退を迫る。演説会で篤は「俺が生徒会長になるなんて絶対無理だからやめておけと言われました。そのかわりに副会長に立候補しろって。むかつきませんか? 俺はむかついたよ。だからいやだって言った…」と暴露する。大きな歓声、拍手。これはまぁフランス革命のようなもの、教師の横暴に劣等生が立ち上がったのだから。そうかそういう意味では、この「約束」も「不穏」なのかもしれない。

12月某日
「三度目の恋」(川上弘美 中央公論新社 2020年9月)を読む。力作であり意欲作、だろうと思う。梨子は2歳になる前に将来の夫となるナーちゃんに会い、一目惚れする。ナーちゃんは女性にも優しく結婚後も女性の影が絶えない。ナーちゃんとの結婚生活を送る中で梨子は長い夢を二つ見る。一つは江戸時代の吉原の遊女、春月となり馴染みの客となった高田と恋に落ち駆落ちする夢。もう一つは平安時代のやんごとなき姫君の女房となり、いくつかの情事を経験する夢。もう一方でこの物語の核となるのは梨子が小学生の時の用務員、高岡との出会い。梨子も高岡も夢か現実か分かつことができないシーンで時空を超越し、過去と現在を行き来する。古代から現代まで人が人を恋するという意味では恋愛の意味は変わらないのだろうが、その形態はずいぶんと変化している。平安時代の貴族社会では男が女の家に通う「妻問い婚」が普通だった。というようなことを思い起こさせたり、不思議な読後感であった。

12月某日
忘年会の呼びかけで本郷さんと水田さんとJR大塚駅で待ち合わせ、15時ちょうどに改札口付近に集合。南口周辺を軽く散策、「築地銀だこ大塚駅南口店」に入る。この3人は年齢もバラバラ(一番年長が本郷さんで73、4、次が私で72、一番若いのが水田さんで60代)、職歴もバラバラ(本郷さんは石油商社、水田さんは塾の講師、私は零細出版社)、出身大学もバラバラ(本郷さんは中大、水田さんは北大、私は早大)である。共通点というと3人とも年金生活者であることと3人とも全共闘体験があること。だから話はどうしても政治的な色彩を帯びやすい。本日も主な話題は新型コロナと菅政権批判であった。