モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
家にあった「対岸の彼女」(角田光代 文春文庫 2007年10月)を読む。以前に一度、読んだことがあるのだけれど、断片的な記憶しかない。前回はそれほど面白く感じなかったと思うが、今回はとても面白く寝る前に読み始めて明け方まで読みふけってしまった。専業主婦の小夜子は働きに出ることを決意、旅行会社プラチナ・プラネットの面接を受け、採用される。小夜子の仕事は旅行会社の本業ではなく副業の掃除代行業だが、小夜子は個人住宅の汚れに汚れた浴室やトイレの清掃に夢中になっていく。小夜子とプラチナ・プラネットの女社長、葵がビジネスを通じて親しくなりながら、プライベートでも親密さをふかめてゆく。小夜子と葵の現在進行中の章と、高校生時代の葵と親友のナナコの世間から孤絶した友情を描く過去の章が交互に展開される。私はどうも「世間から孤絶」というところに魅かれたようだ。年金生活者としての私は社会とのかかわりは持ちつつも「老兵は死なず消え去るのみ」感を日々強くしつつある。「対岸の彼女」を前回読んだときはバリバリの現役、世間からの孤絶について理解できなかったのかも知れない。

12月某日
次回の社会保障フォーラムの講師をお願いしている日本ワクチン産業協会の今川昌之理事長に面談する。社保研ティラーレの佐藤社長と三越前の福徳神社で待ち合わせ。福徳神社のすぐ前が武田薬品の東京本社であった。仲介の労をとってくれた永井さんが玄関前に迎えに来てくれる。武田薬品の本社ビルは新築のようで受付のインテリアは材木を巧みに配してモダンな雰囲気。会議室で理事長と面談、理事長は武田薬品のグローバルワクチンビジネスユニット日本ワクチン事業部長も兼ねているが一企業にとどまらず、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発が日本、世界をつなぐ大きな課題になっていることを熱心に語ってくれた。

12月某日
厚労省1階ロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。次回の社会保障フォーラムで今年の厚生労働白書について講演をしてもらうことになっている人事課の渡邊由美子調査官に挨拶。地下鉄で霞が関から大手町へ。大手町ファイナンシャルシティビルの地下「蜂の家」で「温野菜たっぷりカレー」をご馳走になる。社保研ティラーレで社会保険研究所の松澤、水野両氏を交え社会保障フォーラムの企画会議。来年2月開催予定のフォーラムの集客が思うようにいっていない現状が報告される。帰りに我孫子駅前の「しちりん」へ。
図書館で借りた「〈階級〉の日本近代史-政治的平等と社会的不平等」(坂野潤治 講談社メチエ 2014年11月)を読む。明治政権を財政的に支えたのは地租である。江戸時代の年貢が地租に置き換わった。ただ年貢は生産物(米)に対する課税だったのに対し地租は土地の価格に対する課税であった。フロー(年貢)とストック(地租)に対する税の違いである。ということは米の価格が上がっても(インフレ)になっても税(地租)は変わらないから農民(地主)はインフレを歓迎した。地主階級を支持基盤とした自由党(後の政友会)はインフレ政策に走りがちであった。都市のブルジョア階級を主な支持基盤とした憲政会(後の民政党)はインフレ政策に警戒的であった。1925年に普通選挙制が実現し25歳以上の男子にはすべて選挙権が与えられた。男子だけではあったが政治的な平等が実現した。日本共産党は非合法化されていたが、社会民主主義を掲げる社会大衆党などの無産政党も衆議院に議席を持つようになる。私たちは戦前を軍部やファシストが支配し、民主主義勢力を弾圧した「暗黒時代」と捉えがちだが、少なくとも1937年7月の日中戦争勃発までは、日本でも民主主義勢力は活発に活動していた。坂野先生はそのことを資料を駆使して活写する。

12月某日
神田駅南口の「〇喜(まるよし)」という店で17時45分から呑み会。出席者は社会保険出版社の高本社長、フィスメックの小出社長、社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐愛子さんと私。この店は老舗おでん屋の「尾張屋」の隣。3時間呑み放題コースで4000円は安いのか高いのかよくわからない。終ってもまだ9時前だったので近くの「葡萄舎」に全員で顔を出す。この店に行くのは久しぶり。店主のケンちゃんも元気そうだった。

12月某日
角田光代の「紙の月」(ハルキ文庫 2014年4月)を図書館で借りて読む。本作は2007から08年にかけて静岡新聞など地方紙に連載されたものを大幅に加筆・訂正し2012年3月に角川春樹事務所から単行本として刊行されている。2014年には吉田大八監督、宮沢りえ主演で映画化された。ストーリーをごく単純化すると「平凡な主婦の梅澤梨花は銀行のパートとして働きだす。東京郊外の町田周辺の農地を売却した裕福な高齢者に対して梨花の誠実な営業は顧客を拡大させてゆく。フルタイムのパートに昇格した梨花は有力な顧客の孫、光太と知り合う。光太の自主映画製作費を一部立て替えたことをきっかけにして梨花の巨額横領が進行してゆく」となる。この小説は犯罪小説と同時に恋愛小説である。私は同時に貨幣とは何か、信用とは何か、家族とは何かを考えさせる哲学小説でもように思えた。

12月某日
伊集院静の「三年坂」(講談社文庫 2011年11月)を図書館で借りて読む。巻末の「あとがき」の日付は平成元年(1989年)7月で、当時の伊集院の心境を知ることができる。この4年前に伊集院は妻(女優の夏目雅子)をがんで亡くし創作から遠ざかろうとしていた。小説を書くように仕向けてくれたのは作家の色川武大であった。この短編集には表題作はじめ6編の短編が収録されている。私は初めて知ったのだが、そのうちの「皐月」がデビュー作となった。おそらく講談社の小説誌「小説現代」に掲載されたのだろう。色川武大も1989年に60歳で亡くなっている。妻を早くに亡くし敬愛する作家も見送らざるを得なかったことが、伊集院の作風に陰影を深くさせているのかも知れない。私は「水澄(みずすまし)」という短編が一番好きですね。大学を中退して幾つかの職を転々とし、妻子とも別れ今はゴルフ場の会員権のセールスマンが主人公。セールスに疲れ公園で休んでいると草野球のメンバーが集まってくる。ピッチャーが欠けたままだ。男は自分から「その人が来るまで投げましょうか」と声を掛ける。男は甲子園を目指す球児だったが県の決勝戦で敗退、不祥事を起こしプロへの道も絶たれてしまう。たまたま巡り合った草野球で男は好投し連敗続きのチームを救う。これは男の再生の物語だ。伊集院の妻の死から再生してゆく姿と二重写しになってくるのだ。