モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
飲み友達の本郷さんから借りた「漂流」(角幡唯介 新潮文庫 令和2年4月)を読む。著者のことはまったく知らない。どうも漂流した漁民のノンフィクションらしい。文庫本で700ページ近くあるのだが2日ほどで読み切った。宮古島のすぐ隣の島、伊良部島の佐良浜が主人公と言ってもいいかも知れない。佐良浜は教員と役人以外はみな漁民と言われるほど、漁業、漁民の街である。1994年3月、フィリピンのミンダナオ島の沖合で1隻の救命筏が発見され、沖縄のマグロ延縄船、第一保栄丸の船長、本村実と8人のフィリピン人船員が救助される。「漂流物」を手掛けたいと考えていた角幡は新聞社のデータベースでこの記事を入手、本村の沖縄県浦添市の本村の家に電話を入れる。電話に出た本村の妻、富美子の答えは10年ほど前から行方不明になっている、前と同じように漁に出て帰ってこない、というものだった。そこから角幡の沖縄本島、伊良部島、グアム、フィリピンを巡る長い旅が始まる。角幡は本村の体験を追体験するために、グアムからマグロ延縄漁船に乗り込む。
本書は行方不明となった本村を追うドキュメントという一面、角幡がわずか19tの漁船に乗り込んでグアムからフィリピンまでの航海を体験するという冒険譚の一面、そして伊良部島とその母島となる池間島の島民からなる海洋民族に対する考察という側面がある。最後の海洋民族に対する考察からの文章。「本来の生というのは死を感じることができなければ享受することができないものである。科学技術や消費生活が進展することで都市における生は便利に、安逸になり、快楽指数も上昇したが、そのことによって私たちが知ったことは、日常が便利で快適になることと、自分の生が深く濃密になることとはまったく関係がないということであった」「死が近くにある生。佐良浜の人たちの話に耳をかたむけているうちに、私には、それが彼らの世界観を形成していることにほぼまちがいのないことのように思えてきた。私が彼らに接したときに感じていた、生にたいしてどこかわりきった感覚、過去や人間関係のしがらみや執着のなさなどは、そこに起因しているように感じられた」(第4章 消えた船、残された女)。角幡って若いのに(1976年生まれ)、熟成を感じさせる。76年生まれじゃ若くもないけれど。

1月某日
1月も半ばを過ぎた。世間ではとっくに正月休みは終わり動き始めているようだ。だが私は年金生活者で高年齢、高血圧の持病持ち、つまりコロナに感染すると重病化しやすいハイリスク者である。外出は控えなければならない。テレビを観てもニュースはコロナとトランプばかり。ドラマ、歌番組、バラエティーは若者向け。私は松重豊の「孤独のグルメ」や六角精児の「呑み鉄本線日本旅」など好んで観る。「孤独のグルメ」では群馬県の大泉町を訪ねていた。大泉町はブラジル人の出稼ぎ労働者が多く、したがって町にはブラジル料理屋やブラジル物産店がある。「呑み鉄本線日本旅」では会津鉄道で南会津の造り酒屋訪問である。数年前会津若松に行ったことがある。新鹿沼でゴルフをやった後、東武線で鬼怒川へ。鬼怒川で野岩鉄道に乗り、終点で会津鉄道に乗り換え、途中駅で下車、温泉宿に1泊した。温泉宿の客は私一人だけだった。会津若松では東日本大震災で被災した福島県浜通り地方の人々のための住宅が建設されていた。お城を観て白虎隊が自刃した飯森山に寄った。帰りは福島か郡山に出て、新幹線で帰った。

1月某日
図書館で借りた「青春とは、」(姫野カオルコ 文藝春秋 2020年11月20日)を読む。主人公は乾明子(いぬい・めいこ)、2020年3月現在、都下の南部線沿線のシェアハウスに住み、去年からスポーツジムのインストラクターをやっている。というようなことは小説の本筋とはあまり関係しない。小説の主な舞台は45年前、すなわち1975年の明子の高校時代である。高校は滋賀県立虎水高校。姫野カオルコは1958年滋賀県生まれだから、姫野自身の高校生活がモデルと思いがちだが巻末に「この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません」とあるからそうでもないのかも。姫野カオルコの小説は、実際にあった東大生による集団強制性交事件に想を得た「彼女は頭が悪いから」を読んだだけと思う。「青春とは、」には別に大きな事件が描かれるわけでもなく、明子の日常が淡々と描写される。これが私には何とも心地よかった。私は姫野のちょうど10歳年長、私の高校3年生は1965年、北海道立室蘭東高校であった。私も十分にバカで愚かであったが、それは青春の特権だろう。

1月某日
「青春とは、」が「何とも心地よかった」ので、姫野カオルコの本を続けて図書館で借りる。「近所の犬」(幻冬舎文庫 平成29年12月)である。姫野カオルコは2015年に「昭和の犬」で直木賞を受賞している。「昭和の犬」の単行本が発行されたのが2014年3月、「近所の犬」は同年9月である。「昭和の犬」と「近所の犬」はタイトルも似ているし、単行本発行時期も近いので姉妹作?と思ってしまうが、それは大違い。「近所の犬」の「はじめに」で著者自身が「前作『昭和の犬』は自伝的要素の強い小説、『近所の犬』は私小説である」と書いている。自伝的要素の強い小説と私小説はどこがどう違うのか。同じく「はじめに」で「事実の占める度合いであろう。それとカメラ(視点)の位置。『私小説』のほうが、事実度が大きく、カメラ位置も語り手の目に固定されている」と。なるほどわかりやすい。「近所の犬」はタイトル通り、作者の「近所の犬」との出会いを描いたものだが、独身で家では犬を飼えない50歳代のオバサンと近所の犬との交情である。ユーモラスでありちょっぴり切なくもある。そういえば一昨年、自宅の火事で亡くなった福田博道さんも犬好きだった。「犬名辞典」という著作もある。

1月某日
ジョー・バイデンの大統領就任式。日本時間で午前2時からだ。夜中に目が覚めたらちょうど午前2時。NHKで中継を観る。バイデン78歳とは思えない力強い演説だ。アメリカの政治家に比べると日本の政治家は演説が下手と思います。国会の演説や答弁は官僚の作った(と思われる)原稿を棒読みだものね。大統領は国民の選挙で選ばれるけれど日本の首相は国会で選ばれる。国会で多数を握れば首相になれる。具体的には自民党の過半数を取り込めば首相になれる。国民に直接訴えることなく、自民党の派閥の領袖との取引で首相が誕生する。必ずしも国民に訴える必要はない。小泉首相誕生のときは違った。あのときは確か国会議員票で劣勢だった小泉が街頭で国民に直接訴えて、地方代議員の票を集めて勝利したのだ。安倍政権から自民党の体質が変わってきたのではないか。派閥の連合体が切磋琢磨してこその自民党だと思いますが。

1月某日
図書館で借りた「コモンの再生」(内田樹 文藝春秋 2020年11月)を読む。雑誌「GQ JAPAN」に連載中のエッセーをまとめたもの。「GQ」の鈴木正文編集長と担当が神戸の内田の家でインタビューしたものがもとになっているという。鈴木編集長というのは慶應中退で50年前はブント(共産主義者同盟)の戦旗派だったと思う。内田自身、50年前は東大の革マル派だったらしい。だもんで私は長く、内田の書いたものは認めても内田自身は許せなかった。私が在学していた当時の早稲田大学は革マル派の牙城であった。ということは革マル派以外は迫害されていた。で「内田は許せない」と元ブントの友野君やレヴィナス研究家としての内田を評価していた友人に言っていた。二人とも「昔の話でしょ」と取り合ってくれなかったが。だが「コモンの再生」を読むと内田の考えにほぼ全面的に賛成せざるを得ないことが分かった。だいたい内田は合気道の高段者らしく、喧嘩しても勝てそうもないし(苦笑)。
コモンとは共有地のことだ。内田によるとマルクスとエンゲルスによって「コモンの再生」が提言され、それが「共同体主義」すなわち「コミュニズム」としている(まえがき)。この考えは「資本論の哲学」の熊野純彦の考えに近いと思う。内田はさらに、最初にマルクスを訳した人たちが「コミュニズム」を(共産主義ではなく)「共有主義」や「共同体主義」にしていたら日本の左翼の歴史は違っていたかも知れないと言っている。これも大賛成。そしてマルクスを共産主義に向かわせたのは、当時の労働者たちのあまりに悲惨で過酷な労働条件に対する「共苦の涙」だとし、しかしその運動の過程で「いくらかの人間が苦しんだり、死んだりすることは『正義のコスト』なんだから気にならないという倒錯が生じる」。そして内田は「僕はどれほど高貴な政治的理想を掲げた運動でも、生身の人間の弱さや愚かさや邪悪さに対して、ある程度の寛容さを示すことが必要だろうと思うのです」と続ける。これは日本の新旧の左翼運動に対する根源的な批判になっていると思う。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
図書館で借りた「明治維新 1858-1881」(坂野潤治+大野健一 講談社現代新書 2010年1月)を読む。この本は前に読んで「明治維新に対する新しい見方だな」と思った記憶はあるが「新しい見方」が何だったか記憶にないので再読することにした。坂野潤治は日本近代政治史を専攻する政治学者で昨年亡くなった。60年安保のときの全学連指導者の一人で、亡くなった樺美智子の東大文学部国史科の先輩だった。坂野が1937年生まれに対して共著者の大野は1957年生まれ、専門は開発経済学である。大野は「まえがき」で、明治政府による近代化政策が第2次世界大戦後の東アジアの韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなどの開発独裁の原型となったとする、考え方は「まったく事実に反している」と強調する。東アジアの開発独裁は朴正煕らの独裁者あるいは単独政党が、長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した。しかし明治政権においては天皇は名目的な最高権力者ではあったが、「政治の実権は多数の藩閥政治家が入れ替わり立ち替わり握っていた」とする。国家目標を「富国」「強兵」「憲法」「議会」に置く四つのグループが合従連衡をしながら政策を競い合ってきたのが明治政権の内実であり、著者らはこれを政権の「柔構造」と名付けている。柔構造は大正デモクラシー、5.15、2.26事件を経て「硬構造」の軍部独裁に向かう。ひるがえって現代日本はどうか。安倍政権が10年近く続き、菅政権がその後を継いだが、その構造はとても柔構造とは言えない。自由民主党という政党はもともとが各派閥の連合体であり、本質的に柔構造であったと思うのだが、小選挙区制と安倍一強体制がその体質を変えてしまったようだ。

1月某日
図書館で借りた「夜かかる虹」(角田光代 講談社文庫 2004年1月)を読む。「夜かかる虹」「草の巣」の2編の中編が収められている。今さら純文学、大衆文学の区別を論じても意味するものは少ないと思う。何しろ大衆文学の中堅作家に与えられる直木賞作家の桐野夏生が岩波書店の「思想」で特集に採りあげられる時代である。本書の2編の初出はいずれも講談社の純文学雑誌「群像」ということからすると、2編とも純文学的、あるいは実験的要素が強いということかも知れない。2編ともに恋愛や犯罪というわかりやすいものをテーマにしてはいない。強いて言うなら人間関係か。「夜にかかる虹」は姉妹の、「草の巣」はほとんど行きずりと言ってよい男女の。

1月某日
図書館で借りた「ネンレイズム・開かれた食器棚」(山崎ナオコーラ 河出書房新社 2115年10月)を読む。今年に入って山崎の小説を読むのは「肉体のジェンダーを笑うな」に続いて2冊目。私の理解では山崎は性別をはじめとして、年齢、肉体、言語などすべてのジャンルでの差異を否定し「人間」あるいは「生きもの一般」として一括りにできないか、と目論んでいるように思われる。こういう思想は50年前ならアナーキズムに分類されたんだけれどね。山崎は1978年生まれ、50年前には存在していなかった。私は本書と「肉体のジェンダーを笑うな」を読んで山崎の革命性を確信しました。思想的には過激なんだけれど、文体は優しく改行も多くて読みやすい。山崎は芥川賞も直木賞も受賞していないが、21世紀前半の注目すべき作家だと思う。

1月某日
NHKBSで「鉄道員(ぽっぽや)」を観る。浅田次郎原作で高倉健主演である。私の学生時代はとうのヤクザ映画が全盛で、その中でも高倉健主演のものは人気抜群であった。私は「網走番外地」シリーズよりも昭和初期を舞台にした「昭和残侠伝」シリーズの方が好きでしたね。「親の意見を承知で拗ねて、つもり重ねた不孝の数をなんと詫びよかおふくろに」という主題歌を、過激な学生運動の渦中にあった自分自身に重ね合わせたりしたりした。「ぽっぽや」で高倉健が演じるのは老いた駅長。「昭和残侠伝」の主人公-確か花田秀次郎といった-の面影もない。何度かテネシーワルツのメロディーが流れるが、これは健さんの別れた妻、江利チエミの持ち歌であった。たまたま前日、どこかのBSで「美空ひばり、笠置シヅ子、江利チエミ」の特番をやっていたが、それによると江利チエミは義理の姉に数億円の財産を横領され、累が健さんに及ぶのを恐れて離婚した、ということだった。「ホントかね?」とも思わせるが、やはり健さん主演の「居酒屋兆治」でもテネシーワルツを健さんが口ずさんでいた記憶がある。ホントかもしれない。

1月某日
歴史探偵を名乗り日本近代史とくに昭和史について著作を多く残した半藤一利さんが90歳で亡くなった。黙とう。半藤さんの著作は何作か読んだこともあるし、講演会に来てもらったこともある。確か社会保険庁のOBに対する講演会で、末次彬さんに「半藤さんを呼びたいんだけど」と相談された。その頃「マスコミ電話帳」という本があって作家や芸能人の連絡先を表示していた。表示のFAX番号に依頼状を送ると「半藤だけど」と電話がかかってきた。半藤さんは「墨田川の向こう側-私の昭和史」(ちくま文庫)にある通り、本所区の出身、王貞治とは幼馴染。王さんは子供のころから足腰が強く、子ども同士の相撲でもうっちゃりで勝つことが多かった。餓鬼大将(半藤さんである)はそれが気に入らず、「ワン、お前には大和魂はないのか」と大喝したそうである。餓鬼大将はその後、長岡に疎開し長岡中学を経て旧制浦和高校から東大文学部に進学した。浦高から東大を通じてボート部、墨田川との縁は切れなかったわけだ。奥さんは夏目漱石の孫で、半藤さんにも「漱石先生ぞな、もし」の著作があるが私は未読。半藤さんは文藝春秋社に入社、退社したときは専務だった。会社自体はどちらかといえば保守的な出版社だが、半藤さんは反戦平和主義で一貫していた。日本学術会議への任命を拒否された加藤陽子さんとの対談集「昭和史裁判」(文春文庫)もある。

1月某日
図書館で借りた「民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本史」(藤野裕子 中公新書 2020年8月)を読む。力作である。本書は明治維新時の新政反対一揆、秩父困民党による秩父事件、日露講和条約に反対した日比谷焼き討ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺という四つの事件を軸として、日本の近代を描く。私たちは50数年前には「暴力学生」と言われていた。当時の暴力学生はたんに暴力的な学生のことではなく、機動隊や他のセクトに対して暴力で対抗する反日本共産党系のセクト、ノンセクトの学生たちを特に暴力学生と呼んだ。まぁすでに死語ですけどね。本書の序章で著者は安丸良夫を引用して「世直し一揆の激しい打ちこわしは、一揆勢力にとって非日常的な解放空間であった」と述べている。私たちが校舎をバリケード封鎖した空間は確かに非日常的な空間であったし、新宿やお茶の水で道路を自動車や看板、商店から持ち出した机や椅子を積み上げて封鎖した空間も、一時的な解放区として、非日常的な空間であった。本書の日比谷焼き討ち事件の描写を読むと半世紀前の自分たちの姿が蘇る。朝鮮人虐殺には胸が痛む。明治以降、日本は朝鮮半島、朝鮮人に対して一方的に加害者であったことを忘れてはならないと胸に刻む。民衆暴力には秩父事件や日比谷焼き討ち事件のように反権力なものと関東大震災時の朝鮮人虐殺のように、権力におもねり、追従したものと2つの面があることが分かった。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
年末に「金閣を焼かねばならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健)を読んだ。しかし三島由紀夫の「金閣寺」は未読であったため、書店で「金閣寺」(新潮文庫 昭和33年9月)を購入、早速読むことにする。「金閣寺」はどもりの青年僧「私」が金閣寺に修行僧として入り、金閣寺に圧倒的な美を感じつつ、「金閣寺を焼かねばならぬ」と決意し実行するまでを三島の華麗な筆で描いている。金閣寺への放火は金閣寺あるいは美に対するテロルである。私はこの想念は14年後の1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊での三島の事件に通じると思う。市ヶ谷での三島の自決は、三島の自分自身に対するテロルでもあると解釈できるのではないか。

1月某日
年齢を重ねるごとにずぼらになる。朝起きるのは7時30分~11時30分で、したがって朝食はとったりとらなかったり。コロナ対策で朝晩1日2回の入浴は欠かさないが、不要不急の外出は避けて引きこもりの毎日。テレビのザッピングと読書が主要な日課である。昨日は「ポツンと一軒家」という番組で高知県の山奥に暮らす88歳のおばあちゃんが紹介されていた。夫と息子に先立たれたこの人は60歳過ぎまで土木作業員と農業を続け、現在も野菜作りにいとまがない。こんにゃく芋を栽培しこんにゃくも手作り、ゆでたこんにゃくにこれも手作りの柚子みそを付けて食べたスタッフの美味しそうな表情が印象的だった。

1月某日
年末に図書館で借りた「肉体のジェンダーを笑うな」(山崎ナオコーラ 集英社 2020年11月)を読む。巻末に著者紹介が「山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)作家。性別非公開。『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビュー。今は、1歳と4歳の子どもと暮らしながら東京の田舎で文学活動を行っている。(中略)本書収録の3作も純文学として文芸誌に発表しているが今後も純文学を続けていくのだろうか?目標は『誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい』。」と記されている。著者紹介は普通は編集者が著者の意向を確認して作成するものと思われるが、山崎の場合はおそらく自作。「父乳の夢」は、父親も医師の処方と助産師の指導によってわが子に自分の父を飲ませられるようになる話。「笑顔と筋肉ロボット」は小柄で非力だった妻が筋肉ロボットによって自在に背が高くなり、重い荷物も持てるようになるというストーリー。「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」は女性の生理とPMS(月経前症候群)を巡る話。私は自己の男性という性に対して疑いをさしはさむことなく生きてきたものだが、本作を読んで性の不可思議性について改めて考えさせられた。性意識は時代や文化によって変貌する。科学の発達によって男が父を出すようになるかもしれないし、妊娠することも可能になるかもしれない。ロボットや人工知能の発達によって働き方も大きく変わるだろう。ベーシックインカムの導入によって労働の概念自体が変わっていくかもしれない。私たちはそれらに対する備えができているのだろうか。山崎からの警鐘として本書を読んだ。

1月某日
図書館で借りた「アンダークラス2030-置き去りにされる『氷河期世代』」(橋本健二 毎日新聞出版 2020年10月)を読む。橋本健二は格差の問題を追求してきた社会学者で現在は早稲田大学人間科学学術院教授。「居酒屋ほろ酔い考現学」という著書もあり居酒屋好きでも知られている。著者によると就職氷河期世代とは1973~1985年生まれの人たちでこの人たちが就職に直面する1994~2007年が就職氷河期となる。第2次ベビーブーム世代とも一部重なるが、大学の定員増が図られる一方で、バブルの崩壊と不良債権問題が深刻化し、企業の求人意欲は衰えた。正規労働者の求人を抑える一方で企業は労働コストが低い非正規労働者を求めるようになった。著者は非正規雇用で働くパート主婦以外の労働者を「アンダークラス」と呼ぶ。就職氷河期世代でアンダークラスの人たちは収入が低く生涯未婚率が高い。結婚して家庭を持って子供が生まれても貧困の連鎖が続く可能性がある。著者は「氷河期世代はすでに30歳代後半以上の年齢になっている。これから子どもを持つ可能性は小さいだろう」とする。そして次世代の労働力が生まれなくなることは社会の存続を困難にするだろうと訴える。そのために著者は同一労働同一賃金の徹底、最低賃金の引き上げ、労働時間短縮とワークシェアリングを提案する。そのうえで所得の再分配を大胆に進めるために①累進課税の強化②資産税の導入③相続税率の引き上げ④生活保護制度の実効性の確保―も提案している。新型コロナウイルスの感染拡大により、飲食店の閉店、企業の倒産、雇用者の失業は進んでいる。今こそ橋本健二先生の意見に耳を傾けるべきだろう。

1月某日
「新宗教を問う―近代日本人と救いの信仰」(島薗進 ちくま新書 2020年11月)を読む。新宗教というのは仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教として確立された宗教ではなく近代、とくに19世紀以降に広まった新興の宗教のことを指す。本書では創価学会、霊友会、大本教、天理教、幸福の科学、オウム真理教などがとりあげられている。著者の島薗は宗教学者で東大教授を経て現在は上智大学神学部特任教授。本書によると新宗教が発展したのは1920年から1970年のおよそ50年間で、1970年代以降はオウム真理教などいわゆる新新宗教が登場するが、新宗教全体としては衰退期を迎えるという。新宗教に共通する要素として「病気なおし」「心なおし」「世直し」があげられる。戦前、そして戦後しばらくは国民の栄養状態も悪いうえに医療体制も不十分で、庶民にとって病気は大きな脅威であった。多くの新宗教は庶民のそうした心理に訴えた、それが病気なおしである。心なおしは「心を変えると、運命が変わる」で、自分の運命が変わることが救いとなる、極めて現世利益的である。「世直し」は戦前に創価学会や大本教が弾圧されたことが示すように、新宗教には権力に対して非妥協的な側面を持つ場合がある。天皇制に対して直接的に対決したわけではないが、治安当局にとっては取締り対象であった。さた新宗教の今後であるが、橋本健二先生が言うように貧富の差が拡大しつつあり、さらにコロナで社会不安が広がっている。新宗教に限らず宗教、スピリチュアルなものの出番は増えてくるのではなかろうか。島薗先生の本はもう少し読んでみたいと思った。

1月某日
社保研ティラーレで打ち合わせ。2月19日の「地方から考える社会保障フォーラム」を実施するのか延期するのかを協議。その後、キタジマの金子さんに原稿を入稿する。金子さんの車で虎ノ門まで送って貰う。フェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から銀座線で銀座へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんに面談。我孫子の開運コーヒーを渡す。いつもなら大谷さんと呑みに行くのだが、今日にも緊急事態宣言が発出されるということなので我孫子へ帰る。

モリちゃんの酒中日記 12月その5

12月某日
図書館で借りた「日本習合論」(内田樹 ミシマ社 2020年9月)を読む。習合とは二つの異なる宗教が出会う中で敵対することなく、融合していく状態のことを言うようだ。日本では仏教の伝来以降、仏教と日本の在来の宗教であった神道が融合していく。神仏習合である。キリスト教はユダヤ教の分派として発生し、ローマ帝国の迫害を受けながらついにはローマ帝国公認の世界宗教となっていく。当時のゲルマン民族はローマ帝国からすれば蛮人でそれぞれが原始宗教を信仰していた。キリスト教はこれらの原始宗教と融合することなくゲルマン民族への布教に成功する。もっともクリスマスや復活祭にはゲルマン神話の痕跡が残されているという指摘もある。さて内田の習合論には学ぶべきものが多かった。ひとつは農業と市場(マーケット)についての考え方だ。私などは市場で貨幣と交換されることにより農産物は効率よく配分されると信じてきたが、どうも違うようだ。「農作物は商品ではない」と内田は断言する。農業は宇沢弘文のいう社会的共通資本であり、「政治とマーケットは社会的共通資本の管理をしてはいけない」とする。こうした考え方は内田の習合論の「習合というのは、受け入れ、噛み砕き、嚥下し、消化し、自分の一部とする」という考え方と通底すると思う。ポストコロナの生き方を内田の習合論は示唆しているように思える。

12月某日
今年最後の床屋に行く。私が行く床屋は私の住んでいる我孫子市若松の「髪工房」。私より年上のマスター(75歳くらいか)とその娘さんらしき人(30~40歳代)の二人でやっている。年末なので混んでいると思ったが、待つこともなく顔剃りから始めてもらった。顔剃りとシャンプー、仕上げは娘さん、カットするのはマスターと分業化されている。隣の年配の客とマスターは年末年始の過ごし方を話題にしていた。お天気にもよるがマスターは釣りに行くそうで、金沢八景から船で東京湾のアジ釣りらしい。髪工房はマスターの腕がしっかりしてるうえに安いのが特徴。大人2000円だが高齢者は1800円、そして5回に1回はさらに500円引きとなる。「よいお年を!」と挨拶して店を出る。

12月某日
酒場を巡る番組が好きでよく見る。とくにコロナ禍で外に呑みにいけないとなるとテレビ番組で不満を解消することになる。「吉田類の酒場放浪記」に「女酒場放浪記」はこの種の番組では一番古いのではなかろうか。ビール、酎ハイ、ホッピー、日本酒を店の勧めるままに呑むのがいい。割と日本酒にこだわっているのが「太田和彦のぶらり旅・居酒屋百選」。玉袋筋太郎の「町中華で飲ろうぜ」は生ビールから酎ハイが定番。スポンサーが宝酒造なので酎ハイで乾杯するのがきたろうの「夕焼け酒場」である。以上は多少は演出があるにせよ基本はドキュメントである。これに対して「この番組はフィクションです」とクレジットが着くのが「孤独のグルメ」で久住昌之原作、松重豊演じるサラリーマン、井の頭五郎が主に大衆食堂や町中華を食べ歩く。食堂の店主や店員なども役者が演じているのだが、お店はホンモノ。ドラマが終わった後で原作者の久住がその店を訪ねるシーンが放映されることもある。それと忘れてはならないのが「六角精児の飲み鉄本線、日本旅」である。俳優で鉄道マニアの六角精児が、鉄道で日本各地を旅し居酒屋や造り酒屋を訪れると番組。列車の中で六角が缶ビールやワンカップの日本酒を呑む、その表情がいいんだよね。

12月某日
図書館で借りた「金閣を焼かなければならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健 河出書房新社 2020年6月)を読む。1955年生まれ、東大医学部卒の精神科医である。今年は三島由紀夫没後50年ということもあって三島関連の図書がずいぶんと出版されたらしい。本書は三島の小説「金閣寺」を題材に、金閣寺に放火した犯人の青年僧のモデルとなった林養賢、そして作家の三島由紀夫の生をたどった精神分析的ドキュメントである。三島由紀夫の作品は割と好きでよく読んだ。「金閣寺」も高校生のときに読んだ覚えがあるが、これを機会に読み返してみようと思う。私には本書は理解できたとは言い難い。だがエピローグの「まつろわぬ者たちへ」で著者が林養賢とその母親の墓に林養賢の親戚の案内で参るシーンは、ちょっと心打たれた。