1月某日
年末に「金閣を焼かねばならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健)を読んだ。しかし三島由紀夫の「金閣寺」は未読であったため、書店で「金閣寺」(新潮文庫 昭和33年9月)を購入、早速読むことにする。「金閣寺」はどもりの青年僧「私」が金閣寺に修行僧として入り、金閣寺に圧倒的な美を感じつつ、「金閣寺を焼かねばならぬ」と決意し実行するまでを三島の華麗な筆で描いている。金閣寺への放火は金閣寺あるいは美に対するテロルである。私はこの想念は14年後の1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊での三島の事件に通じると思う。市ヶ谷での三島の自決は、三島の自分自身に対するテロルでもあると解釈できるのではないか。
1月某日
年齢を重ねるごとにずぼらになる。朝起きるのは7時30分~11時30分で、したがって朝食はとったりとらなかったり。コロナ対策で朝晩1日2回の入浴は欠かさないが、不要不急の外出は避けて引きこもりの毎日。テレビのザッピングと読書が主要な日課である。昨日は「ポツンと一軒家」という番組で高知県の山奥に暮らす88歳のおばあちゃんが紹介されていた。夫と息子に先立たれたこの人は60歳過ぎまで土木作業員と農業を続け、現在も野菜作りにいとまがない。こんにゃく芋を栽培しこんにゃくも手作り、ゆでたこんにゃくにこれも手作りの柚子みそを付けて食べたスタッフの美味しそうな表情が印象的だった。
1月某日
年末に図書館で借りた「肉体のジェンダーを笑うな」(山崎ナオコーラ 集英社 2020年11月)を読む。巻末に著者紹介が「山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)作家。性別非公開。『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビュー。今は、1歳と4歳の子どもと暮らしながら東京の田舎で文学活動を行っている。(中略)本書収録の3作も純文学として文芸誌に発表しているが今後も純文学を続けていくのだろうか?目標は『誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい』。」と記されている。著者紹介は普通は編集者が著者の意向を確認して作成するものと思われるが、山崎の場合はおそらく自作。「父乳の夢」は、父親も医師の処方と助産師の指導によってわが子に自分の父を飲ませられるようになる話。「笑顔と筋肉ロボット」は小柄で非力だった妻が筋肉ロボットによって自在に背が高くなり、重い荷物も持てるようになるというストーリー。「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」は女性の生理とPMS(月経前症候群)を巡る話。私は自己の男性という性に対して疑いをさしはさむことなく生きてきたものだが、本作を読んで性の不可思議性について改めて考えさせられた。性意識は時代や文化によって変貌する。科学の発達によって男が父を出すようになるかもしれないし、妊娠することも可能になるかもしれない。ロボットや人工知能の発達によって働き方も大きく変わるだろう。ベーシックインカムの導入によって労働の概念自体が変わっていくかもしれない。私たちはそれらに対する備えができているのだろうか。山崎からの警鐘として本書を読んだ。
1月某日
図書館で借りた「アンダークラス2030-置き去りにされる『氷河期世代』」(橋本健二 毎日新聞出版 2020年10月)を読む。橋本健二は格差の問題を追求してきた社会学者で現在は早稲田大学人間科学学術院教授。「居酒屋ほろ酔い考現学」という著書もあり居酒屋好きでも知られている。著者によると就職氷河期世代とは1973~1985年生まれの人たちでこの人たちが就職に直面する1994~2007年が就職氷河期となる。第2次ベビーブーム世代とも一部重なるが、大学の定員増が図られる一方で、バブルの崩壊と不良債権問題が深刻化し、企業の求人意欲は衰えた。正規労働者の求人を抑える一方で企業は労働コストが低い非正規労働者を求めるようになった。著者は非正規雇用で働くパート主婦以外の労働者を「アンダークラス」と呼ぶ。就職氷河期世代でアンダークラスの人たちは収入が低く生涯未婚率が高い。結婚して家庭を持って子供が生まれても貧困の連鎖が続く可能性がある。著者は「氷河期世代はすでに30歳代後半以上の年齢になっている。これから子どもを持つ可能性は小さいだろう」とする。そして次世代の労働力が生まれなくなることは社会の存続を困難にするだろうと訴える。そのために著者は同一労働同一賃金の徹底、最低賃金の引き上げ、労働時間短縮とワークシェアリングを提案する。そのうえで所得の再分配を大胆に進めるために①累進課税の強化②資産税の導入③相続税率の引き上げ④生活保護制度の実効性の確保―も提案している。新型コロナウイルスの感染拡大により、飲食店の閉店、企業の倒産、雇用者の失業は進んでいる。今こそ橋本健二先生の意見に耳を傾けるべきだろう。
1月某日
「新宗教を問う―近代日本人と救いの信仰」(島薗進 ちくま新書 2020年11月)を読む。新宗教というのは仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教として確立された宗教ではなく近代、とくに19世紀以降に広まった新興の宗教のことを指す。本書では創価学会、霊友会、大本教、天理教、幸福の科学、オウム真理教などがとりあげられている。著者の島薗は宗教学者で東大教授を経て現在は上智大学神学部特任教授。本書によると新宗教が発展したのは1920年から1970年のおよそ50年間で、1970年代以降はオウム真理教などいわゆる新新宗教が登場するが、新宗教全体としては衰退期を迎えるという。新宗教に共通する要素として「病気なおし」「心なおし」「世直し」があげられる。戦前、そして戦後しばらくは国民の栄養状態も悪いうえに医療体制も不十分で、庶民にとって病気は大きな脅威であった。多くの新宗教は庶民のそうした心理に訴えた、それが病気なおしである。心なおしは「心を変えると、運命が変わる」で、自分の運命が変わることが救いとなる、極めて現世利益的である。「世直し」は戦前に創価学会や大本教が弾圧されたことが示すように、新宗教には権力に対して非妥協的な側面を持つ場合がある。天皇制に対して直接的に対決したわけではないが、治安当局にとっては取締り対象であった。さた新宗教の今後であるが、橋本健二先生が言うように貧富の差が拡大しつつあり、さらにコロナで社会不安が広がっている。新宗教に限らず宗教、スピリチュアルなものの出番は増えてくるのではなかろうか。島薗先生の本はもう少し読んでみたいと思った。
1月某日
社保研ティラーレで打ち合わせ。2月19日の「地方から考える社会保障フォーラム」を実施するのか延期するのかを協議。その後、キタジマの金子さんに原稿を入稿する。金子さんの車で虎ノ門まで送って貰う。フェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から銀座線で銀座へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんに面談。我孫子の開運コーヒーを渡す。いつもなら大谷さんと呑みに行くのだが、今日にも緊急事態宣言が発出されるということなので我孫子へ帰る。