モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
図書館で借りた「明治維新 1858-1881」(坂野潤治+大野健一 講談社現代新書 2010年1月)を読む。この本は前に読んで「明治維新に対する新しい見方だな」と思った記憶はあるが「新しい見方」が何だったか記憶にないので再読することにした。坂野潤治は日本近代政治史を専攻する政治学者で昨年亡くなった。60年安保のときの全学連指導者の一人で、亡くなった樺美智子の東大文学部国史科の先輩だった。坂野が1937年生まれに対して共著者の大野は1957年生まれ、専門は開発経済学である。大野は「まえがき」で、明治政府による近代化政策が第2次世界大戦後の東アジアの韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなどの開発独裁の原型となったとする、考え方は「まったく事実に反している」と強調する。東アジアの開発独裁は朴正煕らの独裁者あるいは単独政党が、長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した。しかし明治政権においては天皇は名目的な最高権力者ではあったが、「政治の実権は多数の藩閥政治家が入れ替わり立ち替わり握っていた」とする。国家目標を「富国」「強兵」「憲法」「議会」に置く四つのグループが合従連衡をしながら政策を競い合ってきたのが明治政権の内実であり、著者らはこれを政権の「柔構造」と名付けている。柔構造は大正デモクラシー、5.15、2.26事件を経て「硬構造」の軍部独裁に向かう。ひるがえって現代日本はどうか。安倍政権が10年近く続き、菅政権がその後を継いだが、その構造はとても柔構造とは言えない。自由民主党という政党はもともとが各派閥の連合体であり、本質的に柔構造であったと思うのだが、小選挙区制と安倍一強体制がその体質を変えてしまったようだ。

1月某日
図書館で借りた「夜かかる虹」(角田光代 講談社文庫 2004年1月)を読む。「夜かかる虹」「草の巣」の2編の中編が収められている。今さら純文学、大衆文学の区別を論じても意味するものは少ないと思う。何しろ大衆文学の中堅作家に与えられる直木賞作家の桐野夏生が岩波書店の「思想」で特集に採りあげられる時代である。本書の2編の初出はいずれも講談社の純文学雑誌「群像」ということからすると、2編とも純文学的、あるいは実験的要素が強いということかも知れない。2編ともに恋愛や犯罪というわかりやすいものをテーマにしてはいない。強いて言うなら人間関係か。「夜にかかる虹」は姉妹の、「草の巣」はほとんど行きずりと言ってよい男女の。

1月某日
図書館で借りた「ネンレイズム・開かれた食器棚」(山崎ナオコーラ 河出書房新社 2115年10月)を読む。今年に入って山崎の小説を読むのは「肉体のジェンダーを笑うな」に続いて2冊目。私の理解では山崎は性別をはじめとして、年齢、肉体、言語などすべてのジャンルでの差異を否定し「人間」あるいは「生きもの一般」として一括りにできないか、と目論んでいるように思われる。こういう思想は50年前ならアナーキズムに分類されたんだけれどね。山崎は1978年生まれ、50年前には存在していなかった。私は本書と「肉体のジェンダーを笑うな」を読んで山崎の革命性を確信しました。思想的には過激なんだけれど、文体は優しく改行も多くて読みやすい。山崎は芥川賞も直木賞も受賞していないが、21世紀前半の注目すべき作家だと思う。

1月某日
NHKBSで「鉄道員(ぽっぽや)」を観る。浅田次郎原作で高倉健主演である。私の学生時代はとうのヤクザ映画が全盛で、その中でも高倉健主演のものは人気抜群であった。私は「網走番外地」シリーズよりも昭和初期を舞台にした「昭和残侠伝」シリーズの方が好きでしたね。「親の意見を承知で拗ねて、つもり重ねた不孝の数をなんと詫びよかおふくろに」という主題歌を、過激な学生運動の渦中にあった自分自身に重ね合わせたりしたりした。「ぽっぽや」で高倉健が演じるのは老いた駅長。「昭和残侠伝」の主人公-確か花田秀次郎といった-の面影もない。何度かテネシーワルツのメロディーが流れるが、これは健さんの別れた妻、江利チエミの持ち歌であった。たまたま前日、どこかのBSで「美空ひばり、笠置シヅ子、江利チエミ」の特番をやっていたが、それによると江利チエミは義理の姉に数億円の財産を横領され、累が健さんに及ぶのを恐れて離婚した、ということだった。「ホントかね?」とも思わせるが、やはり健さん主演の「居酒屋兆治」でもテネシーワルツを健さんが口ずさんでいた記憶がある。ホントかもしれない。

1月某日
歴史探偵を名乗り日本近代史とくに昭和史について著作を多く残した半藤一利さんが90歳で亡くなった。黙とう。半藤さんの著作は何作か読んだこともあるし、講演会に来てもらったこともある。確か社会保険庁のOBに対する講演会で、末次彬さんに「半藤さんを呼びたいんだけど」と相談された。その頃「マスコミ電話帳」という本があって作家や芸能人の連絡先を表示していた。表示のFAX番号に依頼状を送ると「半藤だけど」と電話がかかってきた。半藤さんは「墨田川の向こう側-私の昭和史」(ちくま文庫)にある通り、本所区の出身、王貞治とは幼馴染。王さんは子供のころから足腰が強く、子ども同士の相撲でもうっちゃりで勝つことが多かった。餓鬼大将(半藤さんである)はそれが気に入らず、「ワン、お前には大和魂はないのか」と大喝したそうである。餓鬼大将はその後、長岡に疎開し長岡中学を経て旧制浦和高校から東大文学部に進学した。浦高から東大を通じてボート部、墨田川との縁は切れなかったわけだ。奥さんは夏目漱石の孫で、半藤さんにも「漱石先生ぞな、もし」の著作があるが私は未読。半藤さんは文藝春秋社に入社、退社したときは専務だった。会社自体はどちらかといえば保守的な出版社だが、半藤さんは反戦平和主義で一貫していた。日本学術会議への任命を拒否された加藤陽子さんとの対談集「昭和史裁判」(文春文庫)もある。

1月某日
図書館で借りた「民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本史」(藤野裕子 中公新書 2020年8月)を読む。力作である。本書は明治維新時の新政反対一揆、秩父困民党による秩父事件、日露講和条約に反対した日比谷焼き討ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺という四つの事件を軸として、日本の近代を描く。私たちは50数年前には「暴力学生」と言われていた。当時の暴力学生はたんに暴力的な学生のことではなく、機動隊や他のセクトに対して暴力で対抗する反日本共産党系のセクト、ノンセクトの学生たちを特に暴力学生と呼んだ。まぁすでに死語ですけどね。本書の序章で著者は安丸良夫を引用して「世直し一揆の激しい打ちこわしは、一揆勢力にとって非日常的な解放空間であった」と述べている。私たちが校舎をバリケード封鎖した空間は確かに非日常的な空間であったし、新宿やお茶の水で道路を自動車や看板、商店から持ち出した机や椅子を積み上げて封鎖した空間も、一時的な解放区として、非日常的な空間であった。本書の日比谷焼き討ち事件の描写を読むと半世紀前の自分たちの姿が蘇る。朝鮮人虐殺には胸が痛む。明治以降、日本は朝鮮半島、朝鮮人に対して一方的に加害者であったことを忘れてはならないと胸に刻む。民衆暴力には秩父事件や日比谷焼き討ち事件のように反権力なものと関東大震災時の朝鮮人虐殺のように、権力におもねり、追従したものと2つの面があることが分かった。