モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
昨日、汐留の高層ビルの本屋で買った「JR品川駅高輪口」(柳美里 2021年2月新装版初版)を読む。巻末に「本書は2012年10月に単行本『自殺の国』、2016年11月に河出文庫『待ち合わせ』として弊社より刊行されました」とある。同じ著者の「JR上野駅公園口」が昨年11月に全米図書賞を受賞したことから、それにあやかって改題したのかと思っていたが、著者の「新装版あとがき 一つの見晴らしとして」を読むと違う構図が見えてくる。もともと著者は「JR上野公園口」などの連作を「山手線シリーズ」として構想していたが、担当編集者の独立した一つの作品として読まれたほうがいいのでは、という助言を入れて駅名をタイトルとすることは断念した。しかし「JR上野駅公園口」の受賞を機会に当初の構想通り駅名をタイトルとしたということだ。「JR上野駅公園口」は常磐線の起点となる上野と福島浜通り相馬に生まれた出稼ぎ労働者の悲劇的な交錯を描いた秀作だった。一方、「JR品川駅高輪口」は高輪口に近い住宅地に住む女子高校生が主人公。生活も意識も出稼ぎ労働者とは全く異なる。しかし二人はともに家族や共同体、社会から孤立していくということで通底しているのだ。孤絶とそれからの回復は、東日本大震災後、被災地の南相馬に移住して本屋を営む柳美里のテーマなのだろう。

2月某日
「金融政策に未来はあるか」(岩村充 岩波新書 2018年6月)を読む。先週「ドキュメント日銀漂流」を読んだ流れである。現代の金融は私にとって複雑怪奇、本書も日本語で書かれているから読むことはできても解することは難しい。例えば自然利子率。著者によれば現在時点における未来への期待ということなる。未来への期待が大きければ金利は上昇し、未来への期待が小さければ、あるいは不安が大きければ金利は下降するということであろう。日本も含めて先進国は超低金利、ゼロまたはマイナス金利である。私たちが未来に期待を持てない結果だとすればその通りなのだが。岩村充は東大経済学部卒、日銀を経て現在、早稲田大学教授である。この本一冊しか読んではいないがなかなかの理論家である。

2月某日
社会保険出版社の入居しているビルの1階ロビーで香川喜久恵さんと待ち合わせ。印刷会社キタジマの金子さんから再校正紙を受け取るためだ。時間通りに金子さんが来る。再校正紙を受け取り私と香川さんは、白山通りをJR水道橋駅方面へ。途中の北京亭で遅い昼食。この店はBSの「町中華で飲ろうぜ」で紹介されていた店だ。私はカレー、香川さんはタンメンを注文。野菜がたくさん入った具だくさんのカレーだったが、私には量が多い。ここら辺は日大経済学部、明治、専修、東京歯科大などの大学や大原簿記などの専門学校も多い。学生の街だからメシの量も多くなるのだろう。水道橋で新宿方面に行く香川さんと別れ私は神田の社保研ティラーレへ。打ち合わせ後我孫子へ、駅前の「しちりん」で軽く一杯。

2月某日
「MMT-現代貨幣理論とは何か」(井上智洋 講談社選書メチエ 2019年12月)を読む。MMTとはModern Monetary Theoryのことで「自国通貨を持つ国は財政破綻することはない」という主張である。この本の出版は2019年の12月であり、コロナ以前である。しかしコロナ以降、日本経済は需要不足に陥り政府は国債の大量発行により資金を調達し、数次にわたる経済、コロナ対策を実施している。昨年実施された国民一人当たり10万円の給付などはヘリコプターマネーそのもののように私には思える。現実の方が理論を追い越したのである。もっとも1920年代の世界大恐慌のおり、アメリカはフーバー大統領のもと大規模な公共事業を実施して恐慌に対峙した。ケインズ主義的な政策を実施したわけだが、当時のアメリカ政府内にケインズ理論の信奉者はいなかったそうだ。私たちは国の借金(国債)と個人の借金(住宅ローンなど)を同じような感覚で捕らえがちであるが、個人の寿命は有限であるのに対して国の寿命は無限である。個人の借金は死ぬ前に始末をつけなければ、借金の貸し手や残された家族に迷惑をかけるが、寿命が無限である(かのように感じられる)国家の場合はそうでもないということになる。

2月某日
「村に火をつけ、白痴になれ-伊藤野枝伝」(栗原康 岩波現代文庫 2020年1月)を読む。村山由佳の「風よあらしよ」を読んで以来、「美は乱調にあり-大杉栄と伊藤野枝」(瀬戸内寂聴)に続く伊藤野枝シリーズだ。「風よあらしよ」も「美は乱調にあり」も伊藤野枝の恋愛や運動との関りに焦点を当てているがこれは小説だから当然であろう。一方、栗原の「村に火をつけ、白痴になれ」は評伝だから彼女の思想にも筆が及ぶ。物騒な「村に火をつけ、白痴になれ」というタイトルは伊藤の小説「白痴の母」と「火つけ彦七」から取られている。障害の子を持つ母が首吊り自殺してしまうのが「白痴の母」、被差別部落出身の彦七が村に火をつけて回り村人にとっつかまるのが「火つけ彦七」である。どちらも救いがない。現代日本で無政府主義はほとんど力を持たないと言っていいかも知れない。だが伊藤野枝や大杉栄が生きた明治末から大正時代はそうでもなかったようだ。大逆事件で死刑になった幸徳秋水は無政府主義者だったし、大杉は幸徳の子分だった。大杉は1917年のロシア革命にもボルシェビキに対して批判的だったらしい。本書には野枝の「いわゆる『文化』の恩沢を充分に受けることのできない地方に、私は、権力も、支配も、命令もない、ただ人々の必要とする相互扶助の精神と、真の自由合意による社会生活を見た」という文章が紹介されている。野枝は辻潤との間に2人、大杉栄の間に5人の子どもをなしているが、大杉の間の子どもは故郷の福岡県今宿村(現福岡市西区)で産んでいる。よほど居心地が良かったのであろう。彼女のアナーキズムの原点には今宿村での暮らしがあったのかも知れない。 

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「ドキュメント日銀漂流-試練と苦悩の四半世紀」(西野智彦 岩波書店 2020年11月)を読む。1996年の松下総裁から現在の黒田東彦総裁までの日本銀行の歩みをドキュメント形式で追ったもの。こう書いてしまうと簡単だが、実は内容はそれほど簡単ではない。私はこの本を読んで複雑極まりないグローバル経済のなかでの中央銀行の役割とは何かを考えさせられた。まぁ一般的には物価の番人とか自国通貨の価値を守る使命があるとか言われているけれど、それはそれとしてこの本が追求しているのが、中央銀行の「政府からの独立」である。黒田総裁以降、日銀は政府の要請に従って赤字国債を増発し続けてきた。これによって円安株高市場が続き雇用も高い水準で維持されてきた。外見的にはアベノミクスは成功したかに見える。「2年で2%」の物価上昇を除いては。私の拙い経済学の知識によると、経済成長は労働力人口の伸びと生産性の伸びによって実現される。日本の労働力人口はすでに減少が始まっている。生産性の伸びは先進国の中でも低い方である。何を言いたいかというと金融だけでは一国の経済を維持することはできない、ということである。しかし金融の安定なくして経済の安定もないというのも事実である。この本は専門用語も多く、私にとって読みやすい本ではなかった。しかし知的興味を十分に刺激された本であった。

2月某日
森元首相が東京オリンピック組織委員会会長を辞任した。女性蔑視発言の責任を取ったもの。森首相って小渕恵三の後だっけ。森、小泉、安倍、福田と旧福田派の政権たらいまわしが続き、麻生短命政権の後を受けて民主党内閣が成立。沖縄問題や東日本大震災への対応のまずさあって、民主党政権は鳩山、菅、野田といずれも短命に終わり、第2次安倍政権が8年近くも長期政権を維持した。自民党は大きく分けるとリベラル派としての宏池会(旧池田派)、田中派と反リベラルで国家主義的な旧岸(福田)派に分けることができると思う。森元首相や安倍前首相はもちろん後者。そのなかでも森元首相は古い自民党を代表する人。リベラル派が保守本流の筈なんだけれど、この10年ほどで急速に力を失ってしまったと思う。

2月某日
「業平」(高樹のぶ子 日本経済新聞出版本部 2020年5月)を読む。「小説伊勢物語」という副タイトルがあるから、平安時代の「伊勢物語」に着想を得たものと思われるが、私の古典の知識では在原業平を主人公にした物語しか思い浮かばない。日本経済新聞の夕刊に連載されたもので、その折の挿絵(大野俊明画伯)の一部も本書にカラーで収録されている。さて何の知識もなく読み始めた「業平」であるが、私には大変面白かった。在原業平という人は平城天皇の息子である阿保親王と桓武天皇の孫である伊都内親王の間に生まれた。皇統の血筋なんですね。しかし世は藤原氏が権力を握り始めた頃で業平は権力の主流を歩むことはなかった。とは言え右近衛権中将まで昇進しているから、それなりの出世はしている。業平は官人としては武官の道を歩んだ。和歌の名手で色好みということからすると文弱のイメージがあるが、弓や乗馬も巧みだったようだ。伊勢物語は歌物語であると同時に当時の宮中の恋物語でもある。業平は後に天皇の妻となる人や皇族で伊勢神宮の斎宮を務める女性とも「共寝」する関係を結ぶ。「共寝」って要するに性交渉があったということ。業平がいた頃の9世紀の恋愛観や結婚観は、現在とは違っていることに注意が必要だろう。この頃は男が女のもとに通う妻問い婚だった。当時の貴族は寝殿造りという広壮な邸宅に住んでいたから、家のものに気が付かれずそうしたことも可能だったのだろう。むしろ家人は気付いても知らぬふりをしていたか。日本人が一夫一婦制や処女性を重要視するようになったのは明治以降、キリスト教が解禁されてからと言われているしね。昔の日本人は性に対して今よりもおおらかだったのだろう。

2月某日
阿部正俊さんの本の表紙デザインを斎須デザイナーにお願いする。家を出たときから結構な雨が降っていた。紹介してくれる浜尾さんと斎須さんのオフィスのある銀座1丁目の奥野ビル1Fで待ち合わせ。ビルに一歩入ってびっくり。戦前からの建物と一目で実感されるような内装なのだ。浜尾さんと一緒にエレベーターに乗るが、このエレベーターが全手動。素晴らしい。斎須さんのオフィスで打ち合わせ。奥野ビルは銀座アパートメントと言って当時の最先端集合住宅だったそうだ。関東大震災後、同潤会アパートが何棟か建設されたが銀座アパートメントはその民間版なのだろう。斎須さんとの打ち合わせがある浜尾さんを残して私は帰る。帰りは6階から階段で降りた。コンクリートの階段と重厚感のある手すりが素敵であった。銀座線の京橋から新橋へ。共同通信の城さんとカレッタ汐留の本屋で待ち合わせ。この本屋も近く閉店するとのこと。城さんにランチをご馳走になりながら、いろいろな話を伺う。新橋から我孫子へ。我孫子へ帰った頃には雨が上がっていた。

2月某日
「美は乱調にあり-伊藤野枝と大杉栄」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2017年1月)を読む。伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」(村山由佳)を読んで野枝という人物に興味を抱いた。で、この小説を読むことにしたわけ。タイトルは大杉の「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」という言葉から取られている。「美は乱調にあり」の初出は、「文藝春秋」の1965年4月号~12月号まで連載された。今から半世紀以上も前のことである。小説は「私=瀬戸内寂聴」が野枝の生まれた福岡へ取材旅行に行くシーンから始まる。野枝と大杉が虐殺されたのは関東大震災のあった1923年。執筆当時は野枝の関係者はまだ存命だった。伊藤野枝の二つ下の妹、当時68歳のツタさんの独白が興味深い。もちろん小説であるから、独白をそのまま真実とするのは過ちとしても。野枝は辻潤、大杉と結婚して10年間に7人の子を得ているが、出産のときはいずれも野枝の博多今宿の実家に帰っている。身なりをかまわない野枝に、母親が村のみんなが見ているのだから「髪くらい結ってきたらどうだ」というと「今に、女の髪は、あたしがやっているような形になるのよ。みてなさい」と答えたという。ツタさんは「今になってみれば、たしかに姉の予言通りになりましたからね」と述懐している。野枝には確かに未来を見通す不思議な力が備わっていたのかも知れない。生前、「畳の上では死ねそうもない」と話していてその通りになったしね。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
我孫子市民図書館でコロナ感染者が出た、ということで図書館は「当分の間、閉鎖」。で自宅にある未読の本を読むことにする。手に取ったのは「戦後入門 加藤典洋 ちくま新書 2015年10月」。この本は家の近くの香取神社で開かれる朝市の古本屋コーナーで入手した。定価は1500円だが、500円くらいで買ったと思う。2年ほど前に買ったのだが新書版で600ページというボリュームから手を出せないでいた。図書館が休館なので挑戦することにする。加藤は「はじめに―戦後が剝げかかってきた」で「先の戦争でこてんぱんに負けた日本は、面白い。私は、この国には世界に平和構築を呼びかける大きな可能性が秘められていると思っています」と述べている。この加藤の想いが強く表れていると思われるのが「第三部原子爆弾と戦後の起源」である。加藤はまず米国における原子爆弾開発の経緯をたどり、次いで原子爆弾の広島と長崎への投下と、その想像を絶する被害に対する米国内および連合国内の反響を記す。これが私には面白かった。私の拙い知識においては日本に対する原爆投下は、日本の敗戦を速め米軍兵士のそれ以上の損傷を防ぐうえでやむを得ないものだった、あるいは真珠湾攻撃に対する報復として、原爆投下はむしろ歓迎すべきだというのが米国世論の大勢であろうというものであった。
しかし加藤によると原爆投下後に、原爆を開発した科学者、世論をリードしてきたジャーナリスト、哲学者、宗教者たちにやってきた感情は「言葉にならない動揺と、虚脱、深い懐疑」だったという。加藤はそれを彼らが残した膨大な回想録や記事、日記などから論証してゆく。原爆投下直後あるいは戦争終結直後から、米国のプロテスタントやカトリックの宗教界から原爆投下に対する批判と懐疑が表明された。米国の代表的な神学者はプロテスタント系の雑誌に「我が国のより冷静で思慮深い階層にとっては、日本に対する勝利は奇妙な胸騒ぎと不満を残すものだった。…我々は日本が我々に対して使用したものよりも恐ろしい武器を彼らに使ったのだ」と書き残している。保守派雑誌の編集長も「歴史上もっとも破壊的な兵器」を老若男女に「無差別に使用」したと記している。「なぜ日本に事前の警告を行わなかったのか。降伏の意志を表明している日本に降伏のチャンスを与えなかったのか」-こうした批判は執拗に続けられた、と加藤は述べる。これらの批判に対して米国政府とその支持者は猛然と反論を開始する。こうした批判が一掃されなければ今後、米国が国際社会のなかで原子力推進の牽引車となることは困難になるからだ。
現代史は現代史だからこそ「思い込み」によって「作られてしまう」可能性がある。コロナもそう。私たちは限られた情報の中であっても、主体的に判断していかなければならない。

2月某日
加藤典洋の「戦後入門」を読み進める。日本は1945年8月、米軍を中心とした連合軍に敗北し第二次世界大戦は終了する。結果、我々は占領軍が起草した平和憲法を手に入れる。そして朝鮮戦争が勃発し、日本は米軍の巨大な後方基地となる一方で米国の対日政策は大きく変化し、米国の要請により日本は再軍備に踏み切る。しかしときの吉田茂政権はあくまでも軽武装にとどめ、経済成長を優先させる。吉田の想いはその後の自民党政権に受け継がれ、日本は高度経済成長を遂げ、国民の生活と社会保障の水準も向上した。池田・佐藤政権は吉田の意図を引き継ぎ、「経済的アプローチによる政治的課題の代替的達成、つまり経済大国化によってナショナリズムの発露をめざすという新路線の確立」に成功する。加藤は池田と佐藤の路線を継承する宏池会、および田中派の経済、外交政策についてはおおむね認める。宏池会、田中派以外の中曽根政権についても同様である。きわめて危ういと危惧するのが安倍政権であり、その思想的バックボーンをなすという日本会議である。安倍政権成立の前、2000年の森内閣のときに起きた宏池会の流れをくむ加藤紘一の「加藤の乱」の挫折により、自民党内の穏健派、親米派、良識派、ハト派の溶解・解体が始まったと加藤典洋は指摘する。その後の首相は、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎といずれも自民党のタカ派ないし非ハト派出身者がなっているとも指摘する。福田康夫は福田元首相の子どもであり、福田派は岸派を継承しているから、系譜的にはタカ派である。私はしかし、福田康夫は思想的にはハト派と見ているけどね。
加藤は「あとがき」で、この本を書くにあたって「私が最も励まされ、教えられたのは、イギリス人のドナルド・ムーアと元編集者の矢部宏冶」の憲法9条論としている。この2人の本は私も読んでみたいと思う。加藤は現実の政治路線として「平和的リアリスト」(平和主義+国際主義)のグループ-このなかにはドーアや矢部も含まれる-と「非武装中立論」(平和主義+一国主義)のグループの連携をはかることを提言する。これには自民党ハト派の一部、小沢一郎の国連中心主義、社民党・日本共産党の平和主義、外務省、財務省、防衛省の一部政治的リアリズム派までが結集できることになる、としている。私ならばこれに宗教界(仏教、カトリック、プロテスタント、創価学会など)の一部を加えたいところだ。現実の国政を見ると自民党と公明党の連立政権が圧倒的多数を占めている。しかし今年の夏までには衆議院選挙は必ずある。後手後手に回る新型コロナ対策、与党議員の相次ぐ不祥事と自公は守勢に立たされている。加藤の政治路線が実現するチャンスである。残念ながら加藤は2019年に亡くなっているのだが。

2月某日
図書館で借りた「風よあらしよ」(村山由佳 集英社 2020年9月)を読む。四六判ハードカバーで400ページを超す大著だが、大変面白く2日余りで読了した。関東大震災の混乱時に大杉栄と大杉の甥、宗一とともに憲兵隊に虐殺された伊藤野枝の評伝小説ということになろうが、それだけにとどまらず明治から大正にかけての日本社会の在りようを、巧みに描いていると思う。作者の村山由佳って恋愛小説家の筈。私は「ダブル・ファンタジー」を週刊文春の連載時に読んだくらい。伊藤野枝と大杉栄を主人公にした小説は瀬戸内寂聴も書いているから、村山由佳はこの小説をきっかけに小説家として変身を遂げるかもしれない。大杉栄は日頃から自由恋愛を唱えていたが、伊藤野枝と出会ったときは年上の妻、保子と暮らしていた。野枝も後にダダイストとなる辻潤と同棲し二人の子どもまでいた。野枝は子どもを辻潤のもとに残し大杉のもとに走った。三角関係、四角関係のもつれから神近市子に大杉が刺されるという日蔭茶屋事件もあったが、野枝と大杉の関係は良好で二人の間には毎年のように子どもが産まれた。二人の愛は本物だったし大杉は子煩悩で家事にも協力的だった。しかし家族だけでなく常に何人かの同志を居候させなければならなかった大杉家の家計は火の車であった。この小説には大杉と野枝の恋愛小説の側面と大杉一家の家庭小説という側面がある。もうひとつ見逃せないのは大正という時代の社会ドキュメントという側面だ。大正12(1923)年、大杉は無政府主義の国際大会に出席するために外遊する。外遊の費用を出した一人が有島武郎である。大杉の帰国の直前に有島は軽井沢で婦人公論の記者と心中していた。そして関東大震災。かねてから共産主義者や無政府主義者の活動に不満を抱いていた憲兵隊の甘粕大尉は大杉、野枝、大杉の甥を検束、大杉と野枝に激しい暴行を加えたうえに虐殺した。扼殺された甥はわずか数えで七歳であった。戦前は暗黒時代という見方がある。大杉らの虐殺事件にはその一面はある。しかし大杉と野枝と子供たちの貧しいが幸せな家庭、彼らを温かく見守る友人や同志のアナキストたち。これらは現代とも遜色ないといえる。むしろ彼らの方が濃密な関係を築き得たとさえ思えるのだ。

2月某日
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長の女性蔑視発言が波紋を呼んでいる。国内、海外を問わず非難する声が圧倒的、というか擁護する発言は皆無。大杉栄や伊藤野枝が活動していたのはおよそ100年前だが、当時から大杉は幼子をあやしたり、おしめの洗濯をやったりと家事に協力的だった。森会長の意識は100年以上遅れていると言わざるを得ない。こういう人を会長に選ぶというセンスも問題。それ以前にこういう人が内閣総理大臣だったという現実。ミャンマーでは軍のクーデタに対する抗議デモが続いているというし、ロシアでも反プーチンの活動家ヌバリヌイ氏の釈放を求めるデモが続いている。日本でも森会長の辞任を求める抗議デモが必要ではないですか?

モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
NHKのニュースで福島県の「上梅田」(かみうめだ)というバス停を採りあげていた。音読みすると「ジョー・バイデン」になるんだって。オバマ大統領が登場したときも福井県の小浜市が人気になった。そうすると大阪の梅田を縄張りとするジョーというチンピラも「ジョー・バイデン」と呼ばれるのだろうか?というようなことをヒマに任せて思っていたら大谷さんから「東洋経済オンライン」に香取照幸さんの執筆記事が載っていると添付記事と一緒にメールが来た。タイトルは「民主主義の危機に社会保障が重要視される理由」「中間層崩壊を防ぐ『防貧』こそ福祉国家の使命」。「東洋経済オンライン」は無料で読める(と思う)ので是非一読を。私が勝手に要約すると「民主主義が機能するためには民主主義の中核を担う安定的な中間層の形成が必要。そのためには市民1人ひとりの活力、自己実現を保障すること、つまりそれを生み出す『市民的自由の保障』が不可欠である」というもの。高度経済成長が続いた時代はそれなりに成長の果実は再分配されていた。だけど現在はどうか?富の集中と分断が進んでいるのではないか?トランプ現象もそれとは無縁ではない。

1月某日
図書館で借りた「昭和の犬」(姫野カオルコ 幻冬舎 2013年9月)を読む。姫野は本作で第150回直木賞を受賞した。滋賀県香良市に住む柏木イクの5歳から、高校を卒業して大学に進学、就職して現在(平成20年12月)までの犬(一部ネコ)とのかかわりを描く、「自伝的要素の強い」(「近所の犬」の「はしがき」)作品である。イクは一人娘で両親が共稼ぎということもあり鍵っ子である。学校から帰ると犬と過ごす時間が多いのである。両親は大正生まれで父は戦後10年もシベリアに抑留されていた。両親の仲は良いとは言えない。むしろ悪い。イクは高卒後、東京の大学に進学したのも、大学卒業後、内定した滋賀県職員にならなかったのも実家に帰りたくないがためである。こんな風に書くと「なんかクライ小説」のように思われがちだが、そこはかとなくユーモアも漂う作品である。

1月某日
我孫子の駅前の居酒屋「しちりん」は15時から店を開けている。坂東バスの停留所「アビスタ前」から三つ目が終点の「我孫子駅」。我孫子駅前の「関谷酒店」で家のみ用のウイスキー「マリーボーン」を買ってから「しちりん」に向かう。カウンター席にソーシャルディスタンスを保ちながら座る。「しちりん」には焼酎の「キンミヤ」1升瓶とウイスキーの「ブラックニッカ」をボトルキープしている。「キンミヤ」でホッピーを呑み、「ウイスキーのソーダ割」に進む。つまみはサービス品の「ショルダーハム」(200円)と「砂肝焼き」(180円)。お勘定は800円であった。我孫子駅前からバスでアビスタ前へ。まだ5時前なのにすっかり暗くなっていた。

1月某日
「空いている」と思って入った近所の床屋が意外に2人待ち。お昼前には散髪が終わるだろうとの予想を裏切り家に着いたのは12時過ぎ。13時過ぎに社保研ティラーレと約束していたので昼飯もとらずに我孫子駅から電車に乗る。14時頃に社保研ティラーレに着いて吉高会長、佐藤社長と雑談。話題はどうしても新型コロナのことになってしまう。2月に予定している地方議員向けの「社会保障フォーラム」への申し込み状況が今一つなのだ。2月10日の会議で結論を出すと聞いて社保研ティラーレを辞す。近所の鹿児島ラーメンの店「天天有」で遅めのランチ。16時に香川喜久恵さんとお茶の水の「山の上ホテル」ロビーで待ち合わせ。少し早めについたので本を読んでいたら香川さん登場。2人で社会保険出版社に向かい、キタジマの営業マンの金子さんから阿部正俊さんの本の初稿を貰う。香川さんとは出版社で別れ、私は金子さんの自動車に乗せてもらって、虎ノ門の「医療・介護・福祉フォーラム」へ。中村秀一理事長と雑談。このところ私の会話の95%は雑談である。現役のときはさすがにこれほど多くはなかったが、それでも65%は雑談であったような気がする。「雑談人生」も悪くない。中村さんと別れて新橋から有楽町に向かい「ふるさと回帰支援センター」の大谷源一さんに面談。エレベーターホールで高橋公理事長に会う。「中村秀一さんがよろしくって」と伝える。大谷さんの仕事が終わるのを待って交通会館地下1階へ。博多うどんの店「よかよか」に行くと18時で閉店との由。近所の「五島」で呑むことにする。五島料理をつまみながらしばし雑談。大谷さんにすっかりご馳走になる。

1月某日
巷で評判の「人新世の『資本論』」(斎藤幸平 集英社新書 2020年9月)を読む。人新世は「ひとしんせい」と読み、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツエンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世」(Anthropocence)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である」(はじめに)ということである。気候変動と資本主義先進国の帝国的生活様式が地球環境を致命的に破壊するという著者の知見が海外も含めた膨大な研究、学説から立証されていく。著者は最終的にはマルクスの理論、とくに晩期マルクスの理論によって、資本主義的生産様式の転換を訴える。そうなんですよ。本書はマルクス理論による地球革命の書なんです。地球革命とは私の造語ですがトロッキズムや新左翼の呼号する世界革命を超えるものとしての地球革命だ。資本主義経済では地球環境の破壊を救うことはできない。共有地=コモンを取り戻すのがコミュニズムとも主張する。斎藤幸平は1987年生まれ、今年34歳である。若き俊英のこれからに大いに期待したい。私の若いころは晩期マルクスより初期マルクスが好まれたんだよね。「経済学哲学草稿」や「ドイツイデオロギー」などでマルクスの疎外論を学んだ。学んだというのは言い過ぎだね。よく理解しえたとは言えないから。それでも疎外からの解放を「革命の根拠」の一つにしていたような気がする。

1月某日
今月に90歳で亡くなった半藤一利の対談集「昭和史をどう生きたか」(文春文庫 2018年7月)を読む。澤地久枝、加藤陽子、吉村昭ら12人との対談が収められているが、めっぽう面白かった。面白かっただけでなく考えさせられることも多かった。歴史探偵としてまたジャーナリストとしての半藤の面目躍如である。澤地久枝との対談では昭和の軍部が長期的な戦略もなく無謀な戦争に突き進んでいった様子が語られる。「失敗の本質」の著者、野中郁次郎の対談では半藤は「日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による自己改革。さらに言語化。これができないんです」と語っているが、コロナ禍で有効な政策を打ち出しえていない菅政権にも当てはまると思う。菅政権だけに責任を押し付けるわけにはいかない。野坂昭如との対談では「明治、大正と続くなんでも西洋かぶれの近代国家は危険であると言ったのが夏目漱石です」「あの時代には、他にも同様を鳴らした人はいましたが、戦後は誰もいませんでしょう」という半藤に対して野坂は「高橋和巳が長生きしていたら、あるいはという気がします」と答えている。政治家だけでなく知識人の劣化も進んでいるということか。宮部みゆきとの対談では「戦争への道というのはそんなに急に来るわけじゃない。ジリジリと、つまらない小事件がいくつも起きていたり、それが重なり合って大事件となる」と半藤が指摘し宮部は「時代の熱に同調せずに、淡々と穏やかに頑張れるかどうかで、人間は真価を問われるんだろうなあ、と思うんです。変調に目を光らせて、熱狂に気を許さないことですね」と応じている。憲法については辻井喬との対談で「そしていま、若い人たちは飽き足らない。何かを変えたくてしょうがない。平和憲法の問題も、とにかく機軸を変えたいのだと思うのです」「ただ変えたいのですよ。いままでのじゃダメだと思いたいんです。哲学とか理念があるわけじゃない。もちろん、日本の明日への見通しなんかまったくない」と語る。辻井との対談の初出は2005年の「論座」9月号である。当時よりも状況は確実に悪化している。「半藤先生はいいときに死んだ」なんて10年後のこの国で思いたくはない。

1月某日
午前中の雨が雪に変わり、図書館に行くのを止めた。家にある本で我慢しようと本棚に目を移す。単行本の「男の城」(田辺聖子 講談社 1979年2月)に目が留まる。「ぼてれん」など7つの短編が収められている。私が田辺先生の著作を読むようになったのは21世紀になってからで、長編は図書館で田辺聖子全集を借りて読み、短編は文庫本を図書館で借りたり本屋で買ったりした。「男の城」は単行本だからおそらく21世紀になってから古書店で求めたと思われる。収録されている作品のうちで最も古いのは「女運長久」で「文学界」の昭和41年9月号、最も新しいのは「花の記憶焼失」で「問題小説」の昭和52年12月号である。私が田辺先生に魅かれた最初は、大阪のOLを主人公にしたユーモアタッチの恋愛小説、それから「小林一茶」など評伝小説、そして「朝ごはん食べた?」などの家庭小説である。「男の城」はそれのどれにも当てはまらないような気がする。もちろんそこはかとないユーモアは忍ばされているのだが。敢えて「男の城」のテーマを挙げれば「男の悲哀」であろうか。表題作の「男の城」は折角の新居を女房、義理の母、義理の妹に好きなようにされるが亭主は廊下の突き当りにささやかな書斎を確保、「男の城」とする話である。「女運長久」は老舗菓子店の経営を任せ、自身は日本舞踊を趣味としつつ馴染みの芸者をアパートに囲う。踊りの稽古の後にアパートのドアをノックするが応答がない。芸者と経営を任せている甥が出来ているという暗い予感が男を襲う、という話である。やっぱり「男の悲哀」が主題。