モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
13時30分から監事をやっている一般社団法人の理事会があるので東京駅八重洲口へ。近くの中華料理屋で中華飯を食べて少し早いが会場へ。13時15分には全員が揃ったので開会、13時35分には全議事が終了したので閉会。社会保険出版社の入っているビルの1階で校正の香川さん、印刷会社の金子さんと待ち合わせていると、出版社の高本社長が通りかかったので挨拶。香川さんと金子さんが揃ったので出版社で校正紙を金子さんに渡す。私と香川さんは都営地下鉄の神保町駅へ。新宿方面に行く香川さんと別れ、私は内幸町へ。虎ノ門の日土地ビルで弁護士の渡邊さんと打ち合わせ。新橋あたりで一杯やろうと思ったが、千代田線の霞ヶ関駅から帰ることにする。松戸行きが来たので乗車、シルバーシートが空いていたので座って読書。松戸に着いたので快速取手行きに乗り換え。またシルバーシートに座る。
私は65歳以上(今年で73歳)でしかも障害者手帳を持っているので堂々と座ることにしている。我孫子駅に18時頃到着、「しちりん」で一杯やっていこうと思ったが、その気になれず自宅へ。

3月某日
図書館で借りた「U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面」(森達也 講談社現代新書 2020年12月)を読む。著者の森達也はもともとテレビのドキュメンタリー作家なんだけれど、オウム真理教信者のドキュメンタリー作品の制作過程でテレビ局や制作会社の意向に従うことができなくなり、結果的に自分でビデオカメラを回して作品を完成させた。映像作品だけでなく活字媒体でもオウム真理教信者の真実に迫っている。その「A3」には感銘を受けたことを覚えている。さて本書であるが書名にあるUは相模原市の津久井やまゆり園で、多数の重度心身障害者を殺傷した植松聖のことである。植松は一審で死刑判決を受け、上告をせずに死刑判決が確定している。本書は作家やジャーナリスト、精神医学者、植松を取材した新聞記者などを森がインタビューし、この事件の独自性と同時に普遍性をあぶりだしている。それだけでなく日本の司法制度の限界、あるいは間違った方向に進んでいるかに見える裁判院制度の問題点も指摘している。裁判員制度は裁判への市民参加の道を開いたという意味で私は賛成していたのだが、本書を読むとどうやらそうでもないらしい。裁判員となるのは多くは仕事を持つ人々である。何年も長期にわたる裁判には付き合いきれない。したがって裁判はスケジュール化され、裁判期間は短縮化される。裁判所に提出される精神鑑定書も以前は分厚いものだったが、現在は裁判員の負担を考えて薄いものになっているという。そもそも裁判とは何か、ということも本書は問うているように思う。証拠や証人調べにより有罪か無罪を確定し、有罪なら量刑を宣告する。しかし植松や麻原彰晃は死刑宣告ありきで、事件の真相究明がなされたとは言い難い。裁判の大きな役割には事件の真相究明とそれによる同種の事件の再発防止がある筈だ。本書のインタビューをベースとした構成は森達也のドキュメンタリー作家としての面目を遺憾なく発揮させているように思う。

3月某日
図書館で借りた「何が私をこうさせたか-獄中手記」(金子文子 岩波文庫 2017年12月)を読む。金子文子は明治36(1903)年横浜に生まれ、大正12(1923)年9月3日、関東大震災後に内縁の夫、朴烈とともに予防検束され10月には治安維持法違反で起訴されている。大正14年の夏ころから自伝(本書)の執筆をはじめ、翌年3月には朴烈、文子ともに死刑判決を受け、後に御社により無期懲役に減刑。文子は宇都宮刑務所栃木支所に移送され、7月23日に獄中で縊死している。文子は小学校、高等小学校は卒業しているが、家庭の事情から満足に通学していない。20歳で検挙され21歳で本書を執筆し22歳で自死。生き急ぎ死に急いだ22年間だった。獄中で執筆された本書は、貧しさや親戚に虐待された幼少期から朴烈に出会うまでが記されているのだが、不思議と悲哀の感情や悲壮感は感じられない。むしろユーモラスな場面さえ随所に出てくる。自分の境遇をバネにして社会の変革を決意したからなのだろうか。それならなぜ自殺なんかしたのだろう。金子文子は獄中で朴烈と結婚したことから遺骨は朴の家族に引き取られ、墓は韓国にある。

3月某日
「ファザーファッカー」(内田春菊 文春文庫 2018年11月新装版第1刷)を読む。内田春菊1959年長崎生まれの現在61歳。これは養父つまり母の二番目の夫に性的虐待というか強制性交を強いられる娘の話で、内田春菊の自伝的小説である。図書館でたまたま目にして借りたのだが、内田春菊って金子文子に似ていると思った。家庭の愛に恵まれずに育った、頭が良く学校の成績も良かったが、学歴は低い(金子文子は高等小学校卒、内田春菊は高校中退)。上京後、職を転々とする(文子は夕刊売り、女中、おでん屋の店員、春菊は写植屋、ホステス、ウエイトレスなど)といった共通点が多いのだ。既成の価値観にすがることなく自分の価値観を押し通すところなどもそっくりではないか?春菊が文子と同時代に生きていたらアナーキストになっていたかも知れないし、文子が現代に生まれたら漫画家になっていたかも知れない。

3月某日
家にあった「黄昏の橋」(高橋和巳 筑摩書房 1971年6月)を読む。2年ほど前に家の近所の喫茶店兼古書店で3冊200円くらいで買ったうちの1冊だ。高橋和巳は1971年5月3日に39歳で死んでいる。「黄昏の橋」は当時あった新左翼系の総合誌「現代の眼」の68年10月号~70年2月号に断続的に連載された。高橋の死によって未完とされている。主人公の時枝はK大卒の博物館学芸員。高校の歴史教師などを経て現在の職にありついた。職場近くに下宿し、酒飲みで仕事にも熱意を持てない。高橋は1967年6月に京大文学部助教授に就任するが、大学闘争で全共闘側を支持、69年3月に辞職する。時枝は親の見舞いに伊丹空港に向かう途中、学生のデモ隊と機動隊が激しくぶつかる現場に遭遇し、学生が機動隊に追われ橋から墜落して死亡するシーンも目撃する。救援組織から時枝に証言が求められるところで小説は未完のまま終わる。時枝は高橋から小説家と思想家の部分を除いた分身である。酒飲みで気のいい奴ではなかったんじゃないかなー、高橋は。

3月某日
「大逆事件-死と生の群像」(田中伸尚 岩波現代文庫 2018年2月)を読む。2月に伊藤野枝の評伝小説「風よあらしよ」(村山由佳)を読んで以来、明治大正期のアナーキストの評伝やドキュメントを読んできたがどれも面白かった。当時のアナーキストの反抗心や自由さに共感したのだと思う。明治政府はその反抗心や自由さを、体制を覆そうとしているととらえ、幸徳秋水ら26人を起訴、12人を絞首台に送った。本書は死刑になった12人の実像や遺族のその後を追ったばかりでなく、無期懲役に減刑された人たちの出獄後の人生を追ったドキュメントである。大逆事件といっても幸徳秋水や菅野須賀子については扱った小説も少なくないが、残りの人たちの情報に接することは少ない。本書を読んで事件以降、起訴された人の家族は世をはばかってひっそりと生きてきたことが分かる。菅野須賀子や宮下太吉は実際に明治天皇の暗殺を企て爆弾も用意したと思われるが、その計画自体かなり杜撰なものだった。まして、その他の人々については明治政府によって大逆罪に陥れられたのだ。死刑後、社会主義者の堺利彦は刑死者の家族を慰めに行脚したこと、さらに徳富蘆花が一高で「謀反論」という講演を行い、幸徳らを擁護したことなどが明らかにされている。死刑を宣告された後、無期に減刑されたもののうち、坂本清馬は釈放されたのち戦後、再審活動を本格的に始めた。最高裁は1967年7月に再審請求の特別抗告の棄却を決定する。戦前の司法が軍部や時の政権に迎合した反省が感じられない、と田中は憤慨する。私も思う。新型コロナに対する性具の対応、総務省の接待疑惑に対する菅首相の対応、モリカケ、桜を見る会の疑惑に対する安倍首相の対応、日本は本当に民主主義国家なの?